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2017年3月18日 : かきどおし
 「かきどおし」という野草がある。垣根を通すほど勢いよく生長することから「かきどおし」と名が付いたと云う。昨年の春、野草に詳しい友人(唐澤さんと高石さん)と道場の周りを散歩していたら、友人が「かきどおし」を見つけて、教えてくれた。「かきどおし」の新芽は健気でかわいらしい風情ではあったが、凛とした力強いオーラを発してもいた。道場に戻り、湯飲み茶わんに挿して冷蔵庫の上に置いていた。
 摘んでから10日ほど経った頃であろうか、何気なく、「かきどおし」がいけてある湯飲み茶わんを覗いてみると、10日ほど前とほとんど変化がない。水はきれいで嫌な臭いもまったくない。それに、かきどおし自体、腐ることもなく、枯れることもなく、鮮やかな緑を保っている。花屋で買ってきた花では、10日も放っておいたら、しおれたり腐ったり、花瓶の水からも嫌なにおいが出ることが少なくない。垣根を通す姿を見たことはないが、その生命力を感じた。
 それから、1カ月、最初に湯飲み茶わんに挿したそのままで観察した。水に多少の濁りが出てきたが、嫌なにおいはまったく出てこない。何より、かきどおし自体、ひと月以上経っても腐りもせず、枯れもしない。水に浸かった茎の所からは根っこらしいものが出てきている。
 この生命力に驚きとともに、うれしくなって、お客さんが来るたびに「かきどおし」を紹介していた。結果、4月の下旬に摘んでから10月下旬まで、途中数回の水の差し替えだけで、青々とした「かきどおし」が約半年間続いた。これ以上、湯飲み茶わんにひとり入れておくのもかわいそうなので、道場から山に続く斜面に植えてみた。今年、その姿はまだ拝見してないが、きっとあの生命力は息づいていることとおもう。
 「かきどおし」を見ていて、本当の自然というものは、不要に腐ったり、早々に枯れたりしないものだと、あらためて感じた。ひるがえって人間も、すぐにふて腐れたり、心身ともに枯れたりするのは、自然からかい離しているという警告だろう。体の中の自然性がよみがえってくると、体も心も活き活きして、ポジティブな想いに満たされる。不平不満というものが一切なくなる。「かきどおし」と同調するから、オモシロイ。
 秋の野菜が終わりに近づき、春野菜の少ない今、野山に山野草を摘みに行くのは、自然の理に適っている。そして何より、腐らない生命力をいただく、とても貴重な季節でもある。
2017年1月13日 : 先祖と体質
 体質というものは、先祖の気を多分に受けている。先祖の食物、労働(運動量)、生活の質が私たちの体質には大きな影響を与える。先祖が海辺に住んでいたのと山の中に住んでいたのでは、気候もさることながら食べ物には大きな違いがある。東西南北、経度と緯度の違い、貧富の差も食物と労働内容に大きな違いを生む。先祖の食で動物性が多ければ、子孫は陽性体質の子が多く生まれる。逆に、砂糖や果物など陰性食品が多ければ、陰性体質の子孫が多く生まれてくる。運動量も体質の陰陽に大きな影響があるから、激しい肉体労働をしてきた先祖からは陽性体質の子孫が多く、肉体労働の少なかった先祖からは陰性体質の子孫が多くなる。
 自分の体質を深いところで知るには、先祖がどのようなところに住み、どのようなものを食べ、どのような生き方をしてきたのかを知ることは大きな意味をもつ。
 自分の体質が七代も前からの影響を受けていたら、自分の努力では体質を変えることは難しいのではないかとおもう。二百年前後かけて蓄積した体質を数年できれいさっぱり清算することは並大抵のことではない。心身が変わるということは、そう簡単なことではない。簡単なことではないから、多くの人がそれを望んで、さまざまな努力をしている。
 しかし、体質というものは着実に変わっていく。数年で変えるには徹底した行が必要だけれど、十年二十年かければ、平易な生活から、むしろ易しい生活の中からしか体質は変わってこない。世の修行には難行苦行に対して易行(えきぎょう)というものがあるけれど、この易行こそが日常の生活である。
 体質を知ることは先祖を知ることではあるけれど、体質を変えることは今の食と生活を正す以外にない。食と生活で心身が変わってくると、不思議なことに先祖への感謝心が湧き起こってくる。
 どんな命にもかならず先祖がある。先祖なくして今はない。憎しみをつのらせた先祖であっても、自分が変わると先祖への想いが変わる。理屈では感じることができないが、実生活の中から感じるようになってくる。命というものは、すべてを生かしたい、という欲求がある。投げやりになったり、自暴自棄になったりする心そのものが、生きたい、生かしたいという、反動から生まれているのだから。

2016年12月5日 : オートファジー
 生理学・医学のノーベル賞に大隅良典さんが受賞された。大隅さんは細胞の自食作用・オートファジーを研究し解明された。オートファジーは古くなったタンパク質や異物であるゴミを集めて分解し、分解してできたアミノ酸を新たなタンパク質に再合成するシステムのことをいう。オートは自分、ファジーは食べるという意味で、自分自身を食べる、というのがオートファジー。
 ヒトの体の中では毎日300~400gのタンパク質が合成されているという。一方、食事から摂取するタンパク質の量は70~80g程度といわれる。不足分は、自分の体のタンパク質をアミノ酸に分解し、オートファジーの働きによって再利用することで補っている。私たちの体は80%ほどリサイクルのタンパク質で成り立っている。自給自足を体の中で実現させている。
 大隅さんがノーベル賞を受賞された理由の大きなひとつにオートファジーの医学への利用にある。オートファジーを活性化させ、ガンや神経疾患の症状が改善されるのではないかという。逆にオートファジーの機能を止めることでもガン治療に応用できるのではないかとも考えられているからオモシロイ。
 オートファジーは体内の自給自足システムである。この機能は体が飢餓状態の時に最も高まるという。断食状態の時にオートファジーの働きによって、体に蓄積されたタンパク質を再利用し、さらに体内の異物であるゴミ(老廃物)も再利用してしまうことから、オートファジーは体内の浄化システムとしての働きもある。
 しかし、一方でオートファジーはガンなどの腫瘍が増大した状態では、腫瘍の生き残りとしてオートファジーが使われることがあるという。腫瘍自身も自給自足し、自らの生きる道を必死に探している。
 病気治療としてマクロビオティック指導にあたる場合でもオートファジーの研究は大きな示唆がある。ガンの進行状況、患者の体力によって断食や半断食が合う場合と合わない場合がある。断食や半断食が合う場合はオートファジーの浄化システムが上手に働き、正常細胞を主に活性化させ生命力を高める。ところが、ガンの状況次第では断食や半断食が正常細胞よりもガン細胞を勢いづかせてしまう場合がある。この時にオートファジーは正常細胞よりもガン細胞に働いていると考えられる。
 オートファジーを体内の浄化機能として最大限発揮させるのは日々の生活ではないかと私は考えている。ガンの増殖を助けるオートファジーでなく、浄化システムとしてのオートファジーを優位にするのが各人にあった食事と手当て、運動を中心とした生活にある。日々の生活で生命力を高め、年に数回、半断食や断食を実践することで、ガンなどの生活習慣病が克服されていくと実感している。

2016年8月29日 : 顔晴る(がんばる)
 自然と調和した食をいただいていると、肉体は健康になり、こころは調和的になってきます。嫌いな人はいなく、すべての人を好きになって、人の良いトコロがたくさん見えてきます。
 人の問題点ばかり見える人というのは、血液がキタナイ人ですから、むしろ反省するのは自分自身であると気づく必要があります。とはいえ、よいトコロと問題のあるところは両面性もありますから、よいトコロだけ見えて問題点が見えないというのではこれもまた視野狭窄であるのです。
 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、ぜんぶわたしがわるいのよ」と言った噺家がいました。何か問題が起こると、悪いのはアイツだ、コイツだと批判を繰り返す人とは正反対です。
 問題が起きた時、すべて自分のせいだと自虐的になるのもよくありませんが、何か自分に問題があったろうと顧みることはとても大事なことです。陰陽でみれば、人のせいにばかりする人は極陽性、自虐的になりすぎる人は極陰性です。心の状態もまた中庸でバランス感覚をもつことが健康的であるのです。
 笑顔は最高のお布施というのは、仏教の教えです。お布施はカネばかりではないのです。
 多くの望診相談をさせていただいていると、病気が治る人と治らない人、それぞれに共通的なことがいくつかあります。そのひとつに、自然な笑顔があります。作り笑いではない自然な笑顔が出る人は病気が快癒されやすいのです。もちろん笑顔だけでなく他の要素もいくつかあります。それでも笑顔というものは、他の要素に増して意味深いものであると感じます。一昨年教えていただいたコトバに顔晴る(がんばる)という言葉があります。とてもよい真意のついた言霊です。

2016年5月10日 : 運命を開く
 父の食改善は今から35年ほど前にさかのぼります。
 祖父のパーキンソン病、父本人の病弱さ、そして仮死状態で生まれた私。男三代、病弱な家族は、マクロビオティックなくして存続しえなかった。
 陰極まって陽、とマクロビオティックではよく言います。病も極まらなくては健康に向かわないものです。祖父のパーキンソン病だけでは健康への道を歩みだせなかった。父の病弱さだけでもまだ足らなかった。わたしが仮死状態で生まれ、病弱な体であったからこそ、健康への道を歩みだすことができたのです。
 多くの食養相談をさせてもらってわかったことですが、健康への道を歩みだせるかどうかは、病の極みに到達したかどうかです。
 食の間違いによる病と不幸の悪循環から、食いあらためたことによって、良循環に転ずるまでには根気と時間がかかるものです。師の故石田英湾先生は「あせらず、あわてず、あきらめず」と事あるごとに言っていました。
 食事と生活を創意工夫を持って取り組んでいくことです。陰陽のモノサシを使い、時には陰陽にとらわれずに自分の感覚を大事にして食と生活に取り組むことです。
 陰陽を捨てることも陰陽です。思想家の吉本隆明が「知識は殺してこそ活かされる」と言っていました。昔から「論語読みの論語知らず」と云います。陰陽も頭で考えていることから、体に身についてこそ生きてくるものです。これには日々の食と生活が何と言っても一番大事です。
 そして、生活の良循環をなるべく早く身につけるのにある一定期間の半断食がスバラシ効果を発揮すると、わたしの体験から思い至ったのです。(つづく)

 昭和51年11月10日、わたしは生まれました。仮死状態で生まれたと、母から聞かされていたのですが、昨年、自分の母子手帳を母からはじめて見せてもらいビックリ、出産の状態として「仮死産」とあるのです。聞かされてはいたものの母子手帳を目の当たりにすると、自分のことながら、出生時の大変さに想いが巡りました。
 仮死産で生まれ、二日半、口から羊水を吐き続けて三日目にはじめて産声を上げて母乳を飲んだといいます。生まれて早々、二日半の断食だったのです。四十年近く経ち、今の私が断食に関わる仕事をしているわけですから、人生とはオモシロイものです。仮死状態から三日目に蘇生したのです。生い立ちというものは人生を大きく左右することもあると、今になって想います。
 母が分娩にかかった時間は丸々二日あったといいます。陣痛が48時間以上続いたというのですから大変なものです。150センチに満たない母の小さなからだ。骨盤の可動も小さく、陽性だったのでしょう。陽性がゆえに秋の果物をたくさん摂ったといいますから、お腹の中のわたしは陰性になって体は大きくなっていました。
 体重3400グラムで頭位は36センチ。36センチの頭位はかなり大きいですから、産道を通るのに長い時間を要したのも想像に難しくありません。
 48時間もお産に要したわけですから、生まれた直後の私はくたびれてグッタリしていたのかもしれません。弱さの中に強さがあると、無双原理では考えますが、私の生い立ちもまた、それだったわけです。
 陰は陽になり、陽は陰になる。15才に時に陰陽を知ることができたのは、生い立ちの苦労があったからこそだと、今になっておもいます。
 「若い時の苦労は買ってでもしろ」本当のことです。
 苦労の中を歩んでいることこそが幸せだと桜沢如一は云います。苦労の中を歩むことができるかどうか、それは食にかかっているのです。(つづく)

 失敗と成功は陰陽です。成功したからといってぬか喜びに喜んでいると、またいつか失敗します。失敗は成功の母と云いますが、陰と陽は男女とも親子ともいえます。
 苦労の中を歩むことができるかどうか、人生の醍醐味です。
 苦労の中を自暴自棄になったり、失意と嫉妬で自分を見失ったりすることは、もったいないことです。苦労そのものが自分を鍛えてくれるわけですから、手をたたいて喜び勇んだらよいのです。
 人生は選択の連続です。やさしい道とむずかしい道の選択。これもまた陰陽。やさしい道を選べば、苦労というフロクがついてきて、むずかしい道を選ぶとヨロコビというオマケがついてくる。人生を何十年もやってきた人にはよくわかることです。
 人生は選択を繰り返して、わたしたちは心身ともに洗濯されてキレイになっていきます。
 ムズカシイ道を選択することを精進というのですが、精進の道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっています。精進料理の本当の意味は、ムズカシイ道を歩むことのできる心身を養い育む料理ということです。
 そして、人生の洗濯をしっかり修めると、人生は選択する必要が無くなってくる。すべてのことを受け入れて、心身のヨドミが無くなっている。
 心と体にヨドミのあるうちは、人生の選択がたくさん訪れます。その選択をいつも、やさしい道ばかり選択していると、人生の選択はいつまでたっても終わらない。ついには亡くなる直前まで、人生の選択に迫られて、失意と絶望とともに亡くならざるをえないものです。
 ムズカシイ道を選択している人はとても潔く、清々しく生きています。潔く、清々しいからむずかしい道を選択できているともいえます。人生の開運法は、ムズカシイ道の選択です。そして、ムズカシイ道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっているわけですから、人生の開運法の最大のものは食であるのです。