オートファジー

 生理学・医学のノーベル賞に大隅良典さんが受賞された。大隅さんは細胞の自食作用・オートファジーを研究し解明された。オートファジーは古くなったタンパク質や異物であるゴミを集めて分解し、分解してできたアミノ酸を新たなタンパク質に再合成するシステムのことをいう。オートは自分、ファジーは食べるという意味で、自分自身を食べる、というのがオートファジー。
 ヒトの体の中では毎日300~400gのタンパク質が合成されているという。一方、食事から摂取するタンパク質の量は70~80g程度といわれる。不足分は、自分の体のタンパク質をアミノ酸に分解し、オートファジーの働きによって再利用することで補っている。私たちの体は80%ほどリサイクルのタンパク質で成り立っている。自給自足を体の中で実現させている。
 大隅さんがノーベル賞を受賞された理由の大きなひとつにオートファジーの医学への利用にある。オートファジーを活性化させ、ガンや神経疾患の症状が改善されるのではないかという。逆にオートファジーの機能を止めることでもガン治療に応用できるのではないかとも考えられているからオモシロイ。
 オートファジーは体内の自給自足システムである。この機能は体が飢餓状態の時に最も高まるという。断食状態の時にオートファジーの働きによって、体に蓄積されたタンパク質を再利用し、さらに体内の異物であるゴミ(老廃物)も再利用してしまうことから、オートファジーは体内の浄化システムとしての働きもある。
 しかし、一方でオートファジーはガンなどの腫瘍が増大した状態では、腫瘍の生き残りとしてオートファジーが使われることがあるという。腫瘍自身も自給自足し、自らの生きる道を必死に探している。
 病気治療としてマクロビオティック指導にあたる場合でもオートファジーの研究は大きな示唆がある。ガンの進行状況、患者の体力によって断食や半断食が合う場合と合わない場合がある。断食や半断食が合う場合はオートファジーの浄化システムが上手に働き、正常細胞を主に活性化させ生命力を高める。ところが、ガンの状況次第では断食や半断食が正常細胞よりもガン細胞を勢いづかせてしまう場合がある。この時にオートファジーは正常細胞よりもガン細胞に働いていると考えられる。
 オートファジーを体内の浄化機能として最大限発揮させるのは日々の生活ではないかと私は考えている。ガンの増殖を助けるオートファジーでなく、浄化システムとしてのオートファジーを優位にするのが各人にあった食事と手当て、運動を中心とした生活にある。日々の生活で生命力を高め、年に数回、半断食や断食を実践することで、ガンなどの生活習慣病が克服されていくと実感している。

顔晴る(がんばる)

 自然と調和した食をいただいていると、肉体は健康になり、こころは調和的になってきます。嫌いな人はいなく、すべての人を好きになって、人の良いトコロがたくさん見えてきます。
 人の問題点ばかり見える人というのは、血液がキタナイ人ですから、むしろ反省するのは自分自身であると気づく必要があります。とはいえ、よいトコロと問題のあるところは両面性もありますから、よいトコロだけ見えて問題点が見えないというのではこれもまた視野狭窄であるのです。
 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、ぜんぶわたしがわるいのよ」と言った噺家がいました。何か問題が起こると、悪いのはアイツだ、コイツだと批判を繰り返す人とは正反対です。
 問題が起きた時、すべて自分のせいだと自虐的になるのもよくありませんが、何か自分に問題があったろうと顧みることはとても大事なことです。陰陽でみれば、人のせいにばかりする人は極陽性、自虐的になりすぎる人は極陰性です。心の状態もまた中庸でバランス感覚をもつことが健康的であるのです。
 笑顔は最高のお布施というのは、仏教の教えです。お布施はカネばかりではないのです。
 多くの望診相談をさせていただいていると、病気が治る人と治らない人、それぞれに共通的なことがいくつかあります。そのひとつに、自然な笑顔があります。作り笑いではない自然な笑顔が出る人は病気が快癒されやすいのです。もちろん笑顔だけでなく他の要素もいくつかあります。それでも笑顔というものは、他の要素に増して意味深いものであると感じます。一昨年教えていただいたコトバに顔晴る(がんばる)という言葉があります。とてもよい真意のついた言霊です。

運命を開く

 父の食改善は今から35年ほど前にさかのぼります。
 祖父のパーキンソン病、父本人の病弱さ、そして仮死状態で生まれた私。男三代、病弱な家族は、マクロビオティックなくして存続しえなかった。
 陰極まって陽、とマクロビオティックではよく言います。病も極まらなくては健康に向かわないものです。祖父のパーキンソン病だけでは健康への道を歩みだせなかった。父の病弱さだけでもまだ足らなかった。わたしが仮死状態で生まれ、病弱な体であったからこそ、健康への道を歩みだすことができたのです。
 多くの食養相談をさせてもらってわかったことですが、健康への道を歩みだせるかどうかは、病の極みに到達したかどうかです。
 食の間違いによる病と不幸の悪循環から、食いあらためたことによって、良循環に転ずるまでには根気と時間がかかるものです。師の故石田英湾先生は「あせらず、あわてず、あきらめず」と事あるごとに言っていました。
 食事と生活を創意工夫を持って取り組んでいくことです。陰陽のモノサシを使い、時には陰陽にとらわれずに自分の感覚を大事にして食と生活に取り組むことです。
 陰陽を捨てることも陰陽です。思想家の吉本隆明が「知識は殺してこそ活かされる」と言っていました。昔から「論語読みの論語知らず」と云います。陰陽も頭で考えていることから、体に身についてこそ生きてくるものです。これには日々の食と生活が何と言っても一番大事です。
 そして、生活の良循環をなるべく早く身につけるのにある一定期間の半断食がスバラシ効果を発揮すると、わたしの体験から思い至ったのです。(つづく)

 昭和51年11月10日、わたしは生まれました。仮死状態で生まれたと、母から聞かされていたのですが、昨年、自分の母子手帳を母からはじめて見せてもらいビックリ、出産の状態として「仮死産」とあるのです。聞かされてはいたものの母子手帳を目の当たりにすると、自分のことながら、出生時の大変さに想いが巡りました。
 仮死産で生まれ、二日半、口から羊水を吐き続けて三日目にはじめて産声を上げて母乳を飲んだといいます。生まれて早々、二日半の断食だったのです。四十年近く経ち、今の私が断食に関わる仕事をしているわけですから、人生とはオモシロイものです。仮死状態から三日目に蘇生したのです。生い立ちというものは人生を大きく左右することもあると、今になって想います。
 母が分娩にかかった時間は丸々二日あったといいます。陣痛が48時間以上続いたというのですから大変なものです。150センチに満たない母の小さなからだ。骨盤の可動も小さく、陽性だったのでしょう。陽性がゆえに秋の果物をたくさん摂ったといいますから、お腹の中のわたしは陰性になって体は大きくなっていました。
 体重3400グラムで頭位は36センチ。36センチの頭位はかなり大きいですから、産道を通るのに長い時間を要したのも想像に難しくありません。
 48時間もお産に要したわけですから、生まれた直後の私はくたびれてグッタリしていたのかもしれません。弱さの中に強さがあると、無双原理では考えますが、私の生い立ちもまた、それだったわけです。
 陰は陽になり、陽は陰になる。15才に時に陰陽を知ることができたのは、生い立ちの苦労があったからこそだと、今になっておもいます。
 「若い時の苦労は買ってでもしろ」本当のことです。
 苦労の中を歩んでいることこそが幸せだと桜沢如一は云います。苦労の中を歩むことができるかどうか、それは食にかかっているのです。(つづく)

 失敗と成功は陰陽です。成功したからといってぬか喜びに喜んでいると、またいつか失敗します。失敗は成功の母と云いますが、陰と陽は男女とも親子ともいえます。
 苦労の中を歩むことができるかどうか、人生の醍醐味です。
 苦労の中を自暴自棄になったり、失意と嫉妬で自分を見失ったりすることは、もったいないことです。苦労そのものが自分を鍛えてくれるわけですから、手をたたいて喜び勇んだらよいのです。
 人生は選択の連続です。やさしい道とむずかしい道の選択。これもまた陰陽。やさしい道を選べば、苦労というフロクがついてきて、むずかしい道を選ぶとヨロコビというオマケがついてくる。人生を何十年もやってきた人にはよくわかることです。
 人生は選択を繰り返して、わたしたちは心身ともに洗濯されてキレイになっていきます。
 ムズカシイ道を選択することを精進というのですが、精進の道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっています。精進料理の本当の意味は、ムズカシイ道を歩むことのできる心身を養い育む料理ということです。
 そして、人生の洗濯をしっかり修めると、人生は選択する必要が無くなってくる。すべてのことを受け入れて、心身のヨドミが無くなっている。
 心と体にヨドミのあるうちは、人生の選択がたくさん訪れます。その選択をいつも、やさしい道ばかり選択していると、人生の選択はいつまでたっても終わらない。ついには亡くなる直前まで、人生の選択に迫られて、失意と絶望とともに亡くならざるをえないものです。
 ムズカシイ道を選択している人はとても潔く、清々しく生きています。潔く、清々しいからむずかしい道を選択できているともいえます。人生の開運法は、ムズカシイ道の選択です。そして、ムズカシイ道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっているわけですから、人生の開運法の最大のものは食であるのです。

過去も変わる

 過去の出来事は変わらないけれど、過去の出来事に対すると捉え方は変わることが多々あります。過去にいじめられた記憶が鮮明にあっても、それらの過去を広く大きく見てみたら、自分にも悪いことがあったなあ~と内省するところも少なくないのです。
 私には現在、祖母がふたり、健在でいます。父方の祖母は今年91才、母方の祖母は87才、ともに超元気ばあーさんです。特に、近くにいる父方の祖母は、和道の庭の草むしりや掃除をしてくれて、本当に助かっています。このばあーさんがいなければ和道は保てない。
 母方の祖母は少し離れたところに居るので、それほど会う機会はありませんが、実はこの二人の祖母と私は血は繋がっていないのです。
 父の母は父が生まれると同時に亡くなり、母の母は、母が4歳の頃、亡くなりました。父と母のところに継母として嫁いできたのが、今の二人の祖母なのです。
 継母と子の関係は、想像に難しくなく、簡単なものではなかったようです。昔ながらの大家族の中で育った両親は、継母からのさまざまな仕打ちに耐えて生きてきたと云います。特に、父の父、わたしの祖父は若い頃からパーキンソン病を患っていましたから、父は両親から可愛がられた記憶がまったくないといいます。
 父は昭和25年の生まれですから、当時はまだ加工ミルクのない時代です。生まれると同時に母が亡くなったので父はヤギの乳で育ったと言います。そして、寝るのも面倒を見られるのもすべて自分の祖父母からであったのです。そんな父にとって、継母は怖いだけの存在であったと言います。パーキンソン病の祖父は父を可愛がることも出来ず、継母から守ることも出来なかったので、父は自分の祖父母から守られて育ったのです。
 私も今の祖母との想い出は、小さい時にさかのぼれば遡るほど、辛いことが多くなります。言葉に出せないこともあります。しかし、今おもうと、祖母は祖母で不運な境遇に育ち、大変な家に嫁に来たのです。(つづく)

 祖母が嫁いで早々、祖父はまだパーキンソン病と診断されていなかったのですが、パーキンソン病の症状があったと言います。無表情、無感覚はパーキンソン病の一症状ですが、父が生まれた直後からそれらはあったというのです。
 農業をなりわいにしていましたが、動きのおぼつかない祖父に代わって祖母は一生懸命畑仕事をしていたのです。祖母もわたしの両親と同じように小さい頃に自分の母を亡くし、さらに父までも早くに亡くしていました。父親代わりの兄に育てられたといいます。祖母も幼少の頃から苦労の連続だったでしょう。そこへ嫁ぎ先の婿が病気がちだったわけですから、やるせない気持ちになるのも無理はありません。
 そのような状況下で、嫁ぎ先の子を可愛く思えなかったことは、無理のないことだったかもしれません。
 成人した父は、家を飛び出そうとおもったことは一度や二度ではないようです。しかし、男兄弟はおらず、育ててもらった自分の祖父母も高齢で、家を出ることは結局できなかったと言います。そんな中で父も結婚し、わたしが生まれるのですが、血の繋がらないわたしを祖母は受け入れるはずもありません。
 幼少期の私は、家の中の不和を常に感じていました。父と祖母が会話したことを見たことがなかったのです。
 祖父のパーキンソン病は進行し、言葉はほとんど出なくなりました。そして、ある初冬の日、肺炎をこじらせて、ついに植物状態になってしまったのです。祖父の植物状態は3年間続くのですが、この介護は祖母が中心に自宅で行うのです。祖母は幼少の頃から苦労の連続だったのですが、50代になってもその苦労が消えないのですから、人生とはいかに無情なものだとおもってしまいます。
 しかし、その頃、父がマクロビオティックとの出会いがあったのです。人生の病気と不幸は食べ間違いから来ることを知った父は、食生活の見直しに取り組みだすのです。(つづく)

耳をすませば

 わたしの道場(和道)から2キロほど離れたところに私鉄(上信電鉄)が走っています。1時間に往復それぞれ1回ずつしか走らない超ローカルな鉄道です。
 昼間の時間は電車の走る音はまったく聞こえなのですが、早朝や夜静かになった時、ガタンゴトンとかすかではありますが、電車の走る音が聞こえます。昼間も早朝も夜も、電車の音は変わらないのに、私たちの耳は早朝と夜しか電車の音を捉えることができません。昼間は車の音や工場の音が、私たちの耳で捉えているわけではないのですが、電車の音を掻き消しているのだとおもいます。
 私たちの身体もまた同じで、静かに耳をすませば聞けえるものが、さまざまな雑音で認識できていないところが少なからずあります。
 食と呼吸を静めると体を流れる血液の音まで聞こえてきます。体を静めたら耳鳴りがしたとか、イライラしたというのは、それ自体が排毒反応ですから、有難いものです。食と呼吸を慎んで体と心を静めるということは、いわゆる瞑想にあたるのですが、特別なことはなく、ダレでもドコでもイツでもできることです。
 私たちの体はさまざまな情報が詰まっています。人間は一度あたまに入ったことは、絶対に無くなりはしないと云われます。ボケの前兆で「あれ、あれ」発言が多くのなるのは、頭から出てこないだけで、頭から消えてしまっているわけではないのです。
 ご先祖さんからの情報もまた同じです。私たちの遺伝子にはあらゆる先祖の情報が書き込まれていると云われます。
 食と呼吸を慎み、瞑想が深くなってくると、さまざまな記憶がよみがえってきます。小さい頃の想いでも、先祖の体験した遺伝子の記憶も時にパッと出てくることさえあるのが生命の不思議です。
 そして、私たちの血液がキレイになってくると、その記憶のヨミガエリにあるおもしろい変化があることを体験することができるのです。(つづく)

断食・半断食は体と心の中掃除

 年の瀬の大掃除、日本では恒例ですが、大掃除でケガをしたり、疲れ切って寝正月になってしまったりすることが時にあります。
 大掃除は日々の掃除と時に行う中掃除があってはじめて成り立ちます。日々の掃除がおろそかで、時の中掃除ができていないと、暮れの数日だけの大掃除では家の中はキレイになりません。
 ひるがえって、私たちの体も同じです。日々の食事と生活が秩序正しいものであれば、時に風邪をひいても治りが早く、かえって風邪の効用があって、ひく前よりも元気になります。風邪は万病の元といわれますが、これは日々の食と生活が無秩序の人に当てはまる言葉であって、日々の食と生活が秩序正しい人には風邪は厄落としそのものです。
 ですから、日々の食と生活に秩序のある人には特別、断食や半断食は必要ないのです。断食や半断食が必要な人は、日々の身心への掃除が十分でなく、過去からの毒素の蓄積が多く、掃除が追いつかない人に重要な意味を持つのです。あるいは、何か自分への満足感が薄く、いわゆる自己肯定感が弱く、自己否定感の強い人には、人生革命の一歩としてはとても大きな一歩になるものです。
 人生の大掃除というものは、毎年あるものではなく、メグリあわせによって、人さまざまに突然引き起こされるものです。病であったり、事故であったり、事件であったり、人によりそれぞれです。これらの人生の大掃除を乗り切っていくには、やはり日々の秩序正しい食と生活が基礎となります。その上で、年に一度、あるいは病を抱えている人であれば年に数回、断食や半断食の中掃除をしておくと、しっかりと大掃除を乗り越えて、人生が晴れて、運が開けてくるものです。