生老病死

 人間の生老病死は、この世に生を受けたものには必ずおとずれる。生まれたものは、老いて、病んで、亡くなっていく。皆ダレにも死がおとずれるから、生がイキイキとしたものになる。生まれるだけで、死がなければ、一生死ねない苦しみに苛まれるのは想像に難しくない。
 現代の人々の生老病死をみていると、生病老死または生病死がいかに多いことかと考えさせられる。
 人間は老いて病が出てくるのは自然である。ところが現代は老いずして病がでてくることが非常に多い。人間の本来の生老病死であれば、老と病は短い期間であるのだが、病院の延命措置は病と老が引き延ばされて、命の本来からはずっと遠いものになっている現実がある。
 現代一般の食と生活では、老いずして病気を発生させていることに気づかなくてはならない。
 私の祖父は、私が生まれる前の四十代の頃からパーキンソン病を患い、病んでいる期間が長かった。私は祖父と会話した記憶さえなく、私が物心つく頃には、祖父のパーキンソン病は重篤なものであった。私が小学6年の時、祖父は肺炎になったのをきっかけに、脳の機能が急激に低下し、ついには植物状態になってしまった。
 当時わが家は4世代同居の大家族であった。明治生まれの曾祖母、大正生まれの祖父母、昭和生まれの両親、そして私と弟。曾祖母は、実の息子が植物状態になり、家で寝たきりになっているのをどんな心境でいたのだろうか。祖父の完全介護を三年、祖母が中心となって自宅で続けた。
 祖父の人生は病の長い、生病死であった。
 祖父の人生があったからこそ、私はマクロビオティックの素晴らしさに気づいた。生老病死でいう病は、死の前段階にあるが、老いる前の病気は本来、からだの健全なハタラキとして体を健康に向かわせる。発熱も腹痛も、痒みも体を調整しようと起こっている反応にすぎない。祖父の病を長引かせた一番の原因は、体の反応を無視した、クスリの服用であった。パーキンソン病を患う以前から、ちょっとした不調でもクスリを服用する習慣がついていたという。
 祖父の経験を糧としてマクロビオティックを実践すると、本来の生老病死というものがよく理解できる。
 今年の二月、祖母が91才で亡くなったが、その死は本当に穏やかなものであった。眠るように、ダレ一人として迷惑をかげず、まさに飛ぶ鳥跡を濁さず、という状態で家族に見守られながら亡くなった。
 マクロビオティックは世界の伝統的な食事法と生活法が基本である。日本であれば日本の伝統的な食事と生活が基本となる。陰陽というモノサシで伝統的な生き方を実践することがマクロビオティックである。難あり、有り難しの心持ちで生きていたら、すべての困難に感謝して、生老病死の人生を生きていける。