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2020年2月4日 : 新型コロナウイルスと食養
 連日、新型コロナウイルスの話題で持ちきりです。
 師の大森英桜(1919-2005)は21世紀はウイルスの時代だと生前事あるごとに言っていました。
 20世紀前半までは感染症においては細菌が中心でした。結核菌、ペスト菌、赤痢菌などはあまりに有名です。
 抗生物質の登場で細菌感染における死亡率は急激に少なくなったのですが、現在はその耐性菌が問題になりつつあるようです。
 とはいえ、現在は耐性菌よりも新型コロナウイルスの問題が急務です。
 新型コロナウイルスだけではありませんが、病原ウイルスは私たちの体のある種のたんぱく質をエサに増殖します。
 鳥インフルエンザが豚インフルエンザよりも強毒性があるといわれるのは、鳥インフルエンザは40度以上の発熱を伴うからだと言われています。それに対して豚インフルエンザでの発熱は38度ほどだというのです。
 これは鳥(鶏)と豚の体温とほぼ同じです。
 食養的にみると、鶏肉をたくさん食べて鶏のたんぱく質から造られた細胞をたくさん有していると鳥インフルエンザに罹りやすく、豚肉をたくさん食べて豚のたんぱく質から造られた細胞をたくさん有していると豚インフルエンザに罹りやすいと食養では考えています。
 もちろん、これらの肉類をたくさん食べていても、免疫力の高い人は大丈夫ですが、免疫力が落ちていて、過去の蓄積がたくさんあるようだと、これらのインフルエンザに罹ってしまうと思うのです。
 新型コロナウイルスの全容がまだつかめていませんから断定できなことは言えませんが、病原ウイルスに変わりないので、過剰な動物性の摂取は控えることでしょう。
 そして、免疫の七割が集まるといわれる腸の状態をよくすることです。快食快眠快便であれば、どんなウイルスであっても怖くありません。
 むしろ、ウイルスは体の中の不要なたんぱく質をエサにしてくれているわけですから、有難い存在であるのです。
 ウイルスに恐怖を感じ不安におののくよりも、体の中をきれいにしてくれてありがたさを感じている方が、精神衛生的にも免疫力を高めてくれるものです。
 食養的なウイルス対策は、腸の調子を整えるのに本葛を使うことをおすすめします。くず湯やくず練りが食養の代表ですが、リンゴジュースでくず湯やくず練りを作ってもいいでしょう。
 そして、過去にたくさん動物性を食べてきた人は、シイタケスープや野菜スープも飲んでみたらいいです。干しシイタケと干しマイタケをブレンドして煮出したスープもいいでしょう。これらのスープに大根おろしや生姜おろしを入れてもいいでしょう。おいしく感じるものを見つけてみてください。「おいしい、気持ちいい、心地いい」ことが免疫力を高めてくれます。
 また、今現在の情報では、新型コロナウイルスはそれほどの高熱にならずに咳を伴うようですから、食養的には強い陽性があるものではないかもしれません。そういった場合はネギみそやねぎ入りのみそ汁、上記に書いたスープ類に玉ねぎを入れて煮込んだり、長ネギを刻んで好みの醤油やみそで味付けしてもいいとおもいます。
 ともあれ、私たちの生命力はそうやわなものではないので、無用に不安になることはありません。お腹を温め、腸内環境を良くしておけば、どんな病もありがたく感じる心になっていくものです。
               令和2年2月4日 立春 磯貝昌寛
2019年12月20日 : 大森英桜・言行録「変わらないとは変化しているということ」
 「変われば変わるほど変わらない」という諺がフランスにあります。時代が変わっても物事の本質は変わるものではない、という哲学的な言葉ですが、食養的、無双原理的に考えてもおもしろい。
 マクロビオティックな生き方は、体と心にヨドミを作らないことにあります。胃腸などの臓器に負担をかけず、血液の流れを滞らせず、東洋医学で云われる「気血水」の流れをスムーズにする生活法がマクロビオティックです。
 桜沢如一は健康の七大条件で「万事スマート」と云いましたが、体の中に滞りがあったら本当のスマートは実感できません。
 心身ともにスマートであるということは、体の細胞の入れ替わりが順調で滞りないことを示しています。マクロビオティック実践者は年をとっても若々しい人が多いですが、体の中の細胞の変化がスムーズであるからでしょう。
 年相応、あるいは年齢以上に老けて見えるのは、細胞の代謝がわるく、変わらない細胞が過剰に蓄積されているからです。フランスの諺とは逆に、「変わらないから変わってしまう」というのが老いの真相。人生は生老病死を免れることはできませんが、フランスの諺のように「変われば変わるほど変わらない」を実践するのがマクロビオティックといえます。
 病気を治し、健康を増進し、平和を導くのは、根気のいることです。一朝一夕に成し遂げられるものではありません。むしろ、健康や平和は一生求め続けるものであるのかもしれません。求め続け、心身ともに変化に挑戦し続けていくことが人生の醍醐味です。病は体の中の革命です。心身の変化が病として表れているのだから、「変われば変わるほど変わらない」の序章が病です。
 病に悲観することはありません。病はむしろ、健康と若さのプロローグです。この世の本態は変化です。変わらないものはありません。病は健康の入り口であるから、その入り口を閉ざすことなく、健康への道をただ黙々と歩んでいけばいいのです。
(大森英桜・言行録「変わらないとは変化しているということ」を2002年10月に磯貝昌寛が解説しました)
2019年10月7日 : 笑顔の習慣
 習慣とは大事なものです。笑顔の習慣がないと自然に笑顔が出てきません。顔の筋肉も、他の筋肉と同様に、日々習慣的に使っていないと硬くなってしまいます。ニコッと笑う習慣が身についたならば、顔の筋肉は柔らかくなり、肌の血行もよくなり、若返り、美人になります。美しい人というのは男女とわず、血行がよい人と言ってもよいでしょう。
 わたしは数多くの人の望診(食養相談)をさせていただいていて、笑顔の習慣のある人に肌の艶がよくキレイで、笑顔の習慣のない人にシミそばかすが多いのに気づきました。笑顔になることによって顔の血行がよくなり、顔だけでなく全身の血行がよくなるために、シミもそばかすも消えてゆくのでしょう。もちろん血液がキレイであるから血行が良くて笑顔が絶えないということでもあります。笑顔と血液循環は相関的なものです。
 笑顔は最大のお布施といわれます。人によい気分を与えているのです。赤ちゃんや子どもの笑顔に触れると、何とも言えない幸せな気分になります。笑顔はさらに、人に喜びや幸せを与えているだけでなく、自分自身に最大最高の健康と幸福をもたらせてくれます。笑う門には福来るです。笑顔ひとつみてもこの世とは自他一体であることに気づかされます。笑顔で幸福を与えていながら自分に返ってくる健康と幸福。なんと素晴らしいものかとおもいます。
 食を正してキレイな血液を流したならば、笑顔が自然に出てくるのですが、凝り固まった顔の筋肉を解すのは簡単なことではありません。作り笑顔でもよいでしょう。からだが本当にキレイになったならば意識せずとも笑顔が出てきます。同時に本当にキレイになったならば意識せずとも正しい食をしています。意識して正しい食をするのは、誰しもみな最初はそうです。笑顔もまったく一緒です。作り笑顔がそのうちに本当の笑顔になってきます。正しき食は顕在意識から潜在意識、そして超意識まで、すべてを浄化してくれます。
 想いが先か食が先か、これはオモシロイ問題です。
 どちらが先かは人によって違います。心の鍛錬から食が正される人もいれば、食を正して心が鍛えられ磨かれる人もいます。人によって入り口は様々です。しかし、どんな入り口からであっても、人は笑顔という最高のお布施を自他に与えて生きていけるかどうか、それはどんな出口にも共通することでしょう。入り口はどこであっても、健康と幸せの出口が一つであることは、おもしろいことです。
2019年9月9日 : すべてはひとつ
 食とは何かをあらためて考えてみました。
 日に何度も人は食べものを口に運びます。口に入った食べものはからだの神秘的なはたらきによって人の細胞に転化されます。この世に生まれて、一切の食を摂らずに生きている人は誰もいません。例外なく人は食物を食べています。
 ある昼下がり、わたしは弁当をいただきながら、食とは一体なんだろうと、しみじみと想ったのです。
 そう、食は人が自然とつながっていることを一番身近で教えてくれているものだということに気づいたのです。食物を育てる人、食物を流通する人、食物を食品に加工する人、食物・食品を販売する人、料理をする人、そして食べる人。みな食物・食品を通じてつながっています。
 繋がりはもっともっと深い。食物は土と太陽と水の産物だから、人は土にも太陽にも水にもつながっています。太陽は地球に不断に光を降り注いでいます。大地は何億年をかけて地球の中を隆起しては沈降してを繰り返しています。まさに壮大なる陰陽で大地は動いています。水は大地よりもずっと速いスピードで世界を巡り、さらに早く天地を巡っています。
 自然は常に絶え間なく変化しています。変化の流れの中から生まれた食物によってわたしたちは命を繋いでいるのです。この世はすべてがつながっている。自然界に壁はなく、今ここでも、皆さんのいるそこでも、同じ空気が流れています。呼吸は空気を通じてみなが繋がっていることを教えてくれます。人は出会った時に握手をしたり、抱き合ったりします。これも私達生命はみなつながっていますよ、ということ。
 食はすべてが繋がっていることを様々なことで教えてくれます。健康であれば、人が自然と正しくつながっている証拠。一方で病は、自然と正しくつながっていないことの警告でもあります。自然との正しいつながりを健康と病が教えてくれているわけだから、病と闘ったり、病を排除しようという姿勢では決して本当の健康が訪れません。
 食正しければ、この世はすべてが繋がっていることが体感できます。自他一体がこの世のマコトの相(スガタ)と食から教わることができるのです。もちろん食からだけでなく、呼吸からも掃除からも家事からも、どんな仕事からだって知ることができます。どんなことからもすべては繋がっていると体感できるのです。
2019年7月28日 : 人生の4つの段階
 人生の歩みには4つの段階があります。仕事、学業、結婚、研究、様々な人間関係においても4つの段階があるとおもうのです。
 例えば仕事では「やらされている」「やってあげている」「やっている」「なっている」この4つの段階があります。やらされていたり、やってあげていたりするのは、自分の意志よりも他者の意志が強く、嫌々やっていたり、食べるためにしょうがなくやっていたりと、やらされている中にもさらに細かな段階があるでしょう。一方、自らの意志で「やっている」のは難しい中にも楽しさと充実感があり、自分の足で歩みを進めているわけですから不平不満がありません。さらに「なっている」状態になれば、すべては楽しく、創意工夫しながら取り組んでいます。いわゆる三昧という心境が「なっている」状態です。仕事三昧の人は、仕事こそ人生という生き方です。
 「やらされている」「やってあげている」段階では、その中にもさらなる細かなレベルがありますが、心へのストレスは決して小さいものではないでしょう。
 実はこの4つの段階は食養そのものにも当てはまるのです。体質改善するために自らの意志で食養を「やっている」ならばいいのですが、妻や親から(あるいは子ども達から)強く勧められて、やらされていたり、やってあげていたり、するのでは、その効用も弱いものです。食養が長く続かないのは「やらされている」「やってあげている」この感覚が強いからにほかなりません。自らの意志で食養をやっているのであれば、困難の中にも楽しさがあって、継続できるでしょう。さらに、生活すべてが食養になっていたら、続ける続けないということではなく、食養人生そのものです。食養三昧、陰陽三昧というと特殊な世界に入り込んだ趣がありますが、当の本人は泰然自若、ただ自然に食養人生を歩んでいるでしょう。
 この4つの段階は、人生のレベルをあらわしたものでないことを、私たちは肝に銘じなくてはなりません。「やらされている」「やってあげている」人達がレベルが低く、「やっている」「なっている」人達がレベルが高いわけではありません。「やらされている」「やってあげている」状態から「やっている」「なっている」状態に変化していくこともよくあり、場合によっては逆の方へ進むことさえあります。
 「やらされている」「やってあげている」人達は人生のアクセルよりもブレーキの方が効きがよく、「やっている」「なっている」人達はブレーキよりもアクセルの方が効いているのですが、社会全体をぐるりと見渡すと、これで調和をとっているのです。地球上に「やっている」「なっている」人達ばかりになり、その方向性が万が一環境に合わないものになってしまったら、私たち人類は一族郎党いっぺんに消え失せてしまうかもしれません。
 人間は陰陽が調和した生命体であるのですが、これば人類全体を見た時にも、陰陽が調和しているのです。
 今の自分自身がさまざまな生き方において、「やらされている」「やってあげている」「やっている」「なっている」のか俯瞰したとき、自分の目指す方向にただ自然に歩んでいくことが何より大切なことです。「やらされている」「やってあげている」人達も、なぜ「やらされている」「やってあげている」のかを考えたとき、人生は転換していきます。また他者を「やっている」「なっている」状態に引き上げてあげようなどというのは傲慢の極みです。どんな時でも、どんな状態でも、ただ同行することが、人が生きていくということなのだとおもうのです。