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2023年5月9日 : 田植えの季節
 今年も田植えの季節がやってきました。田んぼに水が入り、水田が少しずつ増えてきます。毎年見慣れた風景ですが、何とも言えない心地よさです。実際にも、心象風景でも、水田は命の源です。
 全国の田園地帯にある小中学校では、昭和30年半ばころまで、田んぼの農繁期に休みを設けていた歴史があります。田植え休み、稲刈り休みを設けて、子どもたちが田んぼの手伝いをするのです。私の父も小学生の頃に、学校が休みなって、田植え、稲刈りを手伝っていたといいます。昭和30年代まで、一家総出でコメ作りに励んでいたのです。昭和30年後半になると、田植え機、稲刈り機などが出現し、コメ作りの機械化が少しずつ普及するようになってきます。現代では、一度に何列も苗を植えられる機械や、刈り取りと脱穀を同時にしてしまうコンバインという機械まであり、大幅な人的省力化を実現しています。
 昔は、刈り取った稲を稲架(はざ)にかけて天日干ししていたものを、現代は乾燥機にかけるのが一般的です。日本人全員が天日干し米を食べることは現代では不可能です。もしそれを実現しようとするならば、かなり多くの人々がコメ作りに関わらないと難しいでしょう。
 農業の機械化は、農作業の重労働から人々を解放して、工業化、商業化、金融化に社会と人を向かわせました。人々はそれを幸福の道と信じて疑わず、ひたむきに走り続けてきました。ところが、幸せの道と思っていたものが、本当だろうか?と考え直さざる得ない状況にあるのが、現代なのかもしれません。便利な世の中ではありますが、病気は多発し、子供が減って、不安と心配の種がつきないのも現代です。「オモテ大なれば、ウラもまた大なり」マクロビオティックを提唱した桜沢如一の言葉ですが、現代はまさにそれです。便利の裏側には、大変なものが潜んでいたのです。
 機械乾燥をしたコメを種にすると、発芽率が落ち、発病率が高まります。機械化は大量生産できるのですが、その種をずっと継承することはできないのです。機械という人工的なエネルギーは、大きな働きがあるのですが、それだけでは命の継承ができません。自然なエネルギーを基本として、人工的なエネルギーは命が継承できるくらいの程度でなくてはならないのでしょう。
 わが家では、手植え、手除草、手刈り、天日干しの稲を種用としています。この種が一粒万倍となって、私たちの命になって、皆さんの命になっています。
 世界のあらゆる文明は、水があり穀物があるところに発生しています。日本を瑞穂の国といいますが、世界の文明の基本は、水と穂(こくもつ)ですから、日本だけでなくあらゆる国は本来、「みずほ」の国であるはずなのです。その中でも特に、日本は水に恵まれ、穀物に恵まれた風光明媚な風土です。
 コメ作りは命を継承していくことですから、教育の根本と言ってもいいでしょう。人間が穀物から離れたら、命が継承されない、そんな事象を至るところで見てきました。日本人がコメを食べなくなったら、腸が本来の働きをせず、遺伝子も活性しないのです。
 田んぼは命の生まれる場所です。田んぼに支えられる虫や動植物も無数にいます。田んぼこそ、自然と人間の最高傑作と言っても言い過ぎではありません。神事の中心もコメ作りから来ています。まもなく始まる大相撲も、原点はコメ作りにあります。
 日本人にとってもっとも大事なコメ作りがこれから本格化する、いい季節になってきました。
2023年5月1日 : 共感と競争
 春は卒業や入学の季節でもあります。現代の日本人は、物心ついたときから、春は人生の仕切り直しの季節になってきました。暦(旧暦)の上での春は、太陽暦の一月下旬から二月上旬ですから寒さもあって、まだ強く春を感じることはできません。春爛漫はやはり、桜の咲く三月下旬から四月上旬の卒業と入学の季節です。
 先日、娘の卒業式に参加してきました。桜の開花にはまだちょっと早かったのですが、娘にとっても親にとってもよい仕切り直しになりました。学校生活は数年間と短い時間ですが、人生を駆け出したばかりの子どもたちにとっての数年間は、大人にとっての数年間よりもずっと濃い時間であったと思います。この濃い時間の中で子どもたちは、生きていく中での大事なことを陰に陽に学ぶのです。
 人は本能的に競い合うことが好きです。かけっこや相撲取り、メンコやベーゴマ(古いですが)など、友達どうしで競い合う遊びは競争の原点です。競い合うことはおもしろいものです。むしろ、競い合わない遊びは、特に男にとっては、あまり魅力のないものかもしれません。もちろん、子どもの性質によっては競争を好まない子もいます。人と競争するよりも、自分の世界に没頭していった方がいい、という子もいます。この性質や性格も陰陽です。
 学校生活でもこの競い合いがもちろんあるわけです。徒競走や持久走など、体育では目に見える競争をするわけですが、数学や理科、社会などの一般教科でも点数を競い合って競争をしているのです。部活動においても、多くの部活動では競争が多分にあるのです。一方で、競争とは対極にある共感もまた、学校生活には沢山あります。友達との関わり合いはむしろ、競争よりも共感の方が強いかもしれません。友達どうしの触れ合いで競争が主であったら息苦しいものです。共感があるからこそ一緒にいて安心感が湧くのかもしれません。
 この共感と競争は陰陽の関係にあると、私は思うのです。共感力と競争力をともにバランスよく持つことが人間力に繋がっていくのではないかと思うのです。
 共感力とは、他者の感情を読む力でもあり、相手の立場になって考える力でもあります。自分と他人の境を薄くして、他者に溶け込む力でもありますから、私は陰性の力が共感力ではないかと思うのです。一方で競争力は、相手よりも一歩先に行く力、相手よりも深く、または高い所へ踏み込んでいく力です。時には、他者を蹴落としでも自分が行く力が競争力です。陰性な共感力に対して、競争力は陽性ではないでしょうか。
 人類の歴史を振り返ると、この陰陽相反する二つのエネルギーがあったからこそ、人類は生き延びてきたのです。競争力という陽性なエネルギーで厳しい環境を克服し、共感力という陰性なエネルギーで厳しい環境を助け合って生きてきたのです。
 私の今までの食養生活の大半は、子どもたちとの生活が中心にありました。そこに体質改善を求める人たちが来られて、その人々との生活が私の食養生活の中心になっています。子どもから大人まで、多くの人々をみてきて、人間の本能である共感と競争を調和的に成長していくことこそ、生きる上でとても大切なことだと思うのです。
 潰瘍性大腸炎を抱えた青年が道場に来た時です。最初はその青年と私の二人きりでの生活だったのですが、その後、食養合宿がはじまり、何人もの人が合流しました。その中で同世代の女性も参加していたのです。きれいな女性でした。潰瘍性大腸炎の彼もまんざらではない感じです。私と二人きりでの生活の時には感じられないエネルギーを彼は発するのです。朝、二人だけの時は私が彼を起こすのですが、彼女たちが参加してからは自分で起きてくるのです。女性に触れあったことで、彼の中の競争力が自然治癒力に火をつけたのかもしれません。感動、感謝、感激という感情は、共感力や競争力を高めようとした行動から生まれたものではないかと思います。
 春は人生の仕切り直しによい季節です。人生を振り返って、共感と競争、自分はどちらかに偏ってきてなかったどうかをあらためて考えてみるにもよい季節です。
2023年4月18日 : 日本の言葉と歌のチカラ
 1980年代の日本の音楽が世界で人気だといいます。松任谷由実や山下達郎、竹内まりや、松山千春などの歌謡曲が日本語のまま世界中で聴かれているというのです。インターネットの時代ですから、世界中の音楽を聴くことができるのです。80年代の日本の歌謡曲のリズムが、私たちが心地よく感じるリズムであるといいます。1分間に100回程度が80年代の日本の歌謡曲の平均的なリズムで、このリズムは私たちが心地よくウォーキングや軽い運動をするときの心拍数と一緒だというのです。
 さらに、これらの曲を聴いていると、血圧や自律神経が安定してきて、穏やかな気持ちにさせるというのです。以前からクラシック音楽が自律神経の安定によいとされてきましたが、クラシック音楽以上に80年代の日本の歌謡曲は自律神経を安定させるといいますからすごいことです。
 ウクライナとロシアの紛争から世界中で軍備拡張の動きがあります。以前からの紛争の火種が、世界中で勃発してもおかしくないという状況でもあります。そんなきな臭い社会が、世界中で同時進行しているわけです。否が応でも不安と緊張に包まれます。そんな交感神経優位の社会にあって、80年代の日本の音楽が癒しになっているのです。
 リズムだけではありません。日本語そのものも癒される雰囲気があるといいます。世界中の人々の多くが、日本語を理解して聞いているわけではないのですが、リズムだけでなく、日本語の響きそのものに癒しを感じるというのです。ロシア人で日本に長く住んでいるアリシア・フォードさんという女性がいます。アリシアさんは元々、ロシア語と英語を話していたのですが、日本に来て日本語を勉強するうちに自分自身の内面が変わっていくことを感じるようになったといいます。日本語を話していると、心が穏やかになっていくというのです。ロシア語や英語では感じることのできなかった感性が日本語にあるというのです。
 今の日本語は、日本に元々あった大和言葉と中国から伝来した漢の言葉などが融合したものといわれます。大和言葉は漢字のとおり、大きな和の言葉です。言葉そのものに和するチカラがあると、アリシアさんの体験から納得するのです。私たちが日常、なにげなく使う日本語は、知らず知らずのうちに和する心を振りまいているのかもしれません。和する波動を持った日本語を、心地よいリズムで響かせたら、それを聴く人の多くが穏やかになっていくのでしょう。それが今、80年代の日本の歌謡曲が流行する理由ではないかと思うのです。
 そして、この言葉とリズムを生み出した日本の風土というものが、和する心の基礎にあると私は思うのです。文化と文明は、その表現に言葉があって、その基礎に風土があります。「所変われば品変わる」ように、風土が変われば食が変わり、言葉が変わるのです。日本語という心を穏やかにする言葉は、風光明媚で四季に富んだ日本の風土から生まれる食べ物あってこそではないかと思うのです。日本の食を和食というのも、和する食であるからです。
 マクロビオティックを提唱した桜沢如一は生前、世界を日本化してはじめて、世界は平和になるといいました。日本は戦後、米国化(アメリカナイズ)され、世界の多くの国々もアメリカナイズされました。自由と民主主義を標ぼうしながら、物質的には豊かになりました。しかし、一方で体の健康と心の安定は置き去りにされてきました。アメリカナイズされた人々の国々は、経済成長とともに医療費も高騰し、病人大国になっているのです。自由という名の暴力が、私たちの心と体を蝕んでいるのではないかとさえ私は思うのです。桜沢如一のいう日本化というのは、経済的利益を日本に誘導するものではありません。世界の国々がそれぞれの風土にあった繁栄をしていくことを後押しすることです。それぞれの風土に合った栄養学と経済学を確立することが大事なのです。日本の食養でいう身土不二は、そのことを言っているのです。
 世界は新しい境地に進もうとしています。日本の言葉と歌が世界の人々の心に響くのは、世界が日本化していくことを暗示しているのではないかと思うのです。
2023年4月7日 : 肝臓の食養生
 現代人の多くは肝臓が悲鳴を上げています。
 肝臓で毒素を消化分解できなくなってくると、肌が黒ずんだり、シミ、そばかす、吹き出物が増えてきます。毛穴が目立つのも肝臓の悲鳴から、心臓に負担のかかっていることを表します。常にイライラしていたり、焦燥感が強く、何かに追い立てられているような感覚で日々過ごすのも肝臓からの悲鳴です。
 マクロビオティックでは玄米菜食が基本ですが、肝臓に問題のある人は玄米の食べ方を注意しなくてはなりません。圧力鍋で炊いた玄米を一日三食食べていると、副食との組み合わせ次第では、さらに肝臓に負荷をかけます。玄米のぬかの部分に脂肪分が豊富ですから、いくら良質な脂肪であっても「過ぎたれば及ばざるに危うし」です。
 肝臓に問題のある人は、玄米に大麦を混ぜて土鍋で炊いたり、玄米に大根を入れて炊くのもよいです。玄米100%のご飯よりも麦入り玄米や大根入り玄米ごはんの方がおいしいようであれば、その方がよいでしょう。お粥にすればさらに肝臓の負担は減ります。
 玄米そのものを「おいしく」感じない人は、分搗き米を主体に食べるのもよいでしょう。分搗き米にも押し麦や丸麦などの大麦を入れてもよいです。めん類を食べるのであれば、日本の伝統的な在来の地粉で作っためん類が一番です。海外のものであれば古代小麦のめん類がよいでしょう。
 さらに肝臓が悲鳴をあげている人は、マクロビオティックの基本食ではなく、野菜を大量に摂る陽性向けの排毒食が合っています。旬の野菜をサラダで食べたり、蒸したり、茹でたり、煮たり、好きな調理法で大量に食べます。野菜スープや野菜ジュースもよいでしょう。飲み物の方が野菜をたくさん摂れるのでお茶代わりに飲むのもよいです。干しシイタケや干しマイタケを煮出したスープも肝臓の解毒にはとても合っています。
 進行した肝臓がんの人がこのキノコのスープと野菜スープを大量に摂ることで、肝臓の炎症が消えて、諸症状が緩和したこともあります。数カ月命が持つかわからない、といわれたのが、もう10年以上になりますが、すっかり元気になってしまったのです。
 三年番茶やハーブティーも口に合うものをたくさん飲んでもよいでしょう。
 マクロビオティックを10年以上続け、B型肝炎のキャリアが消えたという人もいます。一般的にはB型もC型も一度罹ると、発症はしなくてもキャリアは消えない、ということになっています。しかし、実際に消えた人がいるのです。
 無双原理は「変わらないものはない」という原理です。変化の原理です。この世は絶対のない世界です。常に「うつりかわる」世界です。 
 要は、B型肝炎ウィルスが住めない肝臓になればいいのです。肝臓はとても活発な代謝の良い臓器です。食養指導の経験上、肝臓の病気は治りやすい、ということを実感しています。肝炎も肝硬変も肝臓がんも食養で治った人がとても多いのです。
 肝臓の病気のほとんどが動物性食品の摂り過ぎですから、肝臓の食箋は、穀物菜食が一番です。肝炎に関しては特に、一切の動物性食品を摂らないことが大事です。
 動物性食品や添加物食品から作られた細胞が肝臓から消えれば、肝炎ウィルスは肝臓に必要ありません。肝炎ウィルスは肝臓の毒素を浄化しようとして存在してくれているのですから、有り難い存在です。自分の体に合ったマクロビオティックを根気よく続けていれば肝炎のキャリアも消えることを、その方は証明してくれたのです。
2023年3月28日 : 春と肝臓
 肝臓には主に三つの働きがあるといわれます。
①胆汁の生産
②養分の貯蔵と流通
③毒素の分解
 食物中の脂肪分はすい臓から分泌される膵液によって消化分解されるのですが、脂肪分は炭水化物やタンパク質などよりも分解されにくく、その分解を補助するのが胆汁です。膵液によって消化分解された脂肪酸を腸内でより吸収しやすい形に変えるのも胆汁の働きです。脂肪分の摂り過ぎが肝臓に負担をかけるというのは、このためです。
 脂肪は植物性脂肪と動物性脂肪がありますが、圧倒的に消化分解が難しいのが動物性脂肪です。さらに動物性脂肪に含まれるホルモン剤や抗生物質などの毒素が肝臓に強烈なダメージを与えます。
 小腸で造られた血液と小腸から吸収された養分は門脈を通って肝臓に送られます。肝臓はそれらの血液と養分を貯蔵したり、必要に応じて全身に巡らせます。さらに肝臓は細胞から出た有害なアンモニアを害の少ない尿素に作り替える働きもしています。尿素はその後、腎臓に運ばれ、ろ過されて尿として排泄されます。肝臓と腎臓は血液をきれいにするうえでもっとも重要な臓器です。血液をきれいに保つうえで肝臓と腎臓はまさに「肝腎かなめ」なのです。
 肝臓に余力のある時は、食物から取り込まれた毒素は肝臓が分解してしまいますが、肝臓の余力が少なくなってくると毒素は肝臓に溜め込まれます。さらに肝臓の余力がなくなってくると毒素を消化分解できなくなってしまいます。「かなめ」である臓器が機能しなくなったら、私たちは日常を平穏に暮らしていけません。
 中国の陰陽五行説では春と肝臓は密接な関係があると説かれています。経験的、直感的に優れた古代の中国の人々が確立した五行説ですが、現代的に解釈しても春と肝臓の関係も強いものだと納得させられます。春は寒い冬が過ぎ、木々が次々と芽吹くように体の細胞も動きが活発になります。肝臓は体の中で一番大きな臓器であり、細胞がぎっしりと詰まった臓器です。心臓、腎臓、すい臓などとも比べても倍以上大きな臓器です。大きな臓器であればあるほど、春になり動きが活発となる細胞の数も増えるというものです。結果的に、腎臓の細胞よりも肝臓の細胞の方が、動きが活発になる量が圧倒的に多いのです。
 肝臓は英語でLiver。生き生きとした活動をつかさどる臓器が肝臓といってもいいでしょう。食肉でもおなじみのレバーも肝臓ですが、血液が多く、赤黒い色をしています。春になって血液循環が良くなれば、血液を大量に貯蔵する肝臓が活性化するのはよく理解できます。
 また、肝臓は肌のキメの細かさとも関係しています。肝臓がきれいな人は肌のキメも細かく、肝臓が悪い人はキメが荒いものです。黄疸になると肌が痒くなるということは現代医学的にもいわれているように、肝臓の状態と肌の状態は密接関係しています。ちなみに肌の色や血色に関しては腎臓との関係が深いのです。肝臓をいたわることは肌をいたわることで、肌をいたわる生活をすることは肝臓をいたわる生活をすることと等しいのです。
 肝臓と肌をいたわるのに、まず大事なことは睡眠です。肌の代謝が一番活発になるのは夜22:00~深夜2:00といわれています。この時間帯は、生命の何万年の営みにより、心臓や筋肉の動きが低下し、肝臓、腎臓、肌の代謝が高まる時間なのです。またこの間は副交感神経が優位となり毛細血管が開き、肌の血液循環が良くなり代謝が活発となる時間でもあります。このため夜22:00~深夜2:00の4時間は睡眠をとり、心臓や筋肉の働きを休め、副交感神経の働きを促すことが肌をきれいに保ち、かつ心身を安定させる生活上のコツなのです。早寝早起きは肝臓にとっても肌にとってもひじょうに大切なことです。