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2023年9月10日 : 素直な心は素食から
 「あなたは私のアイドルです」ベトナムのマクロビオティックの友人から突然言われて赤面した。4年前(2019)、ベトナムからマクロビオティックの講義の依頼があり、その時に知り合ったマクロビオティックの仲間の一人であった。新婚ほやほやの、まだ娘の雰囲気を残す若い女性からのひと言であった。
 ベトナムの人は素直な人達が多い。屈託ない笑顔の人達も多い。マクロビオティックの友人以外でも、私の地元にはベトナムからの出稼ぎの人達も多く、その人たちとも時々話すことがある。先日、子どもたちを川遊びに連れて行ったら、ベトナムの人たちも川で遊んでいて、少し会話をした。そこでも感じたのだが、日本人よりもベトナム人の方が笑顔がやわらかい。顔を触っているわけではないが、笑顔と表情からその柔らかさがよくわかる。
 食養指導は人の顔を観る仕事でもあるから、私は多くの人の顔を見てきた。顔からその人が食べてきたものがよくわかる。両親やご先祖が食べてきたものも顔からよくわかる。笑顔がやわらかい、ということは素食で育ってきたということ。肉食が多くなると表情が硬くなる。特に、環境(身土不二)に合わない肉食は、表情が硬くなるだけでなく、イボ、ホクロ、ニキビ、ソバカス、肌の凹凸など肌トラブルが頻発する。欧米人は肉食多いがよく笑うのは、肉食の害をオーバージェスチャーで消しているのだ。英語を話す時の方が日本語を話す時よりも表情筋をよく使うといわれるが、これも肉食の害を運動(会話)で消しているのだ。そう考えると、日本語の無表情の会話は、和食がいかに毒素を生まない素食であったということがよくわかる。
 ところが、現代の日本の食はずいぶんと複雑怪奇になってきた。スーパーに行ってみると数えきれないほどの食品が所狭しと並んでいる。ショッピングモールなどにあるフードコートにも世界中の料理店が並ぶところもある。この複雑怪奇な食品から私たち日本人が出来ているとしたら大変なことだ。食料自給率40%の日本は、私たちの体の半分以上は日本以外の食物から出来ているわけだ。
 一昔前の日本の歌謡曲は単刀直入の歌詞が多かった。「好きだ」「愛している」などストレートな表現が多かった。ところが今は、遠まわしで複雑な表現の歌詞の歌が多いような気がする。感性が豊かになってきているという言い方もできるが、感情が複雑になってきている面も多分にある。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉がある。繊細かつ敏感で、神経過敏な面が強い人のことを指す言葉である。
 私たちの心も食物から来る。心身一如というように、心と体は表現方法が違うだけであって、その元は一緒である。
 素直な心はシンプルな食から生まれている。一方で、屈折して偏屈な心は、複雑怪奇な食から生まれている。多くの人の食養指導をしてきて心底そう思う。
 日本人はご飯とみそ汁と漬物で十分だと思う。日本人はこの素食を続けていれば、素直で素敵な生き方ができると思う。ベトナムの素直な彼女は、ベトナムの素食から造られているのだから。
 東南アジアの国々は、日本のよい所は学んだらいいが、近代的な食と生活は反面教師とした方がいい。世界の少子化のトップを行く韓国や日本の現代の食生活は、添加物まみれで身土不二から離れたものが普通になってしまった。
 マクロビオティックは日本の伝統的な食と生活を基本としている。日本の伝統的な食と生活こそ世界に誇る生き方である。素直であるかどうかは、運命が開けていくかカギになる。「笑う門には福来る」は「素直な心に福来る」であろう。
2023年8月5日 : 旅で調える
 14年前、ヨーロッパを旅した時の気づきは今でも忘れられない。ヨーロッパのマクロビオティック事情を知るための旅だったのだが、自分の内面の気づきも大きかった。旅の醍醐味はいろいろとあるが、現地の人達との交流や文化や環境に触れることはもちろん、非日常を体験することで心身が変わるきっかけになるのではないかと思う。
 旅は日常から一歩踏み出し心身ともに陽性化させてくれるものだということをあらためて気づかされた。日々の日常は体の動かし方、心の動かし方ともに習慣化・パターン化されている。習慣化されているからこそ日々の流れが滞りなく進むのだが、日常生活も必ず倦怠期がおとずれる。
 倦怠期とは休養期といっていいかもしれない。活性期に対して休養期、心身に倦怠感があらわれている時は休養を必要としている。作家の五木寛之氏は「骨休め、気休め、箸休め」が心身の三大休養と言っている。そして、本来の旅もまた心身の休息に大きな働きがあるものだと、ヨーロッパの旅をとおして感じたのだ。
 日本でもその昔、いや数十年前までお伊勢参りとか出雲参りとか、全国の神社仏閣へお参りすることが旅だった。私は明治生まれの曾祖父母から生涯に何度かお伊勢参りをしたと聞かされた。新婚旅行もお伊勢様だったようだ。旅の原点は参拝にあったようだ。
 40代後半になると、いろいろな旅の経験が積み重なる。振り返ると、学びと気づきを得た旅というものは、飲み食い放題というものではなかった。もちろん、旅先での食は大きな醍醐味ではあるが、宴会放題の旅はろくなものでなかったと、反省することの方が多い。
 ともに病気を持ったサルとカエルの旅の物語がある。カエルが友達からお伊勢参りをしたら病気が治ったと聞いてサルを誘ってお伊勢様へ旅に出る話だ。
 最初のうちは二人(?)で歩いていくのだが、そのうちに二人とも疲れてきて交互に背負って行くことになった。カエルは素直で、サルを背負ってしっかりと歩く。サルは悪賢く、カエルを背負ってカエルに空を見ているように言う。カエルは素直に空を見ている。空の雲が動くものだから、歩いているように思わせてサルは立ち止まったまま一歩も歩かない。そんなこんなでカエルだけ歩いてサルは一歩も歩かずにお伊勢様へ着くのだ。お伊勢様へはカエルだけが歩いて来て、サルはカエルに連れて来てもらったのだ。
 そうしたらビックリ、カエルの病気はすっかりよくなっていた。一方、サルの病気はちっともよくなっていない。参拝の原点をおもしろおかしく伝える物語である。
 損得と苦楽は陰陽だと、自分の経験からもサルとカエルの伊勢参りからもよくわかる。損は得に変化し、得は損に変化する。苦も楽に変化し、楽も苦に変化する。陰陽は変化の法則でもある。日常の生活と非日常である旅も陰陽の関係である。呼吸も陰陽だから、吐いて吸うを繰り返して私たちが生きて行けるように、日常から離れた旅によって、私たちは日常を豊かにすることができる。
 現代の旅の種類はさまざまある。コロナも開けて世界中で旅の大キャンペーンをやっている。カエルに習うか、サルに習うか。昔の人は物語で私たちに陰陽の学びを残してくれている。
2023年7月30日 : 汗腺を開く
 アレルギーやアトピーのある人は汗のかき方が弱い、と思う。体に数万個あるといわれる汗腺の開きが弱いようだ。ある調査では日本人の汗腺は250万個もあるという。普通の人でも普段活性化している汗腺は150万個程度で、さらにアレルギーのある人は100万個程度しか働いていないという。私もアレルギーの人たちを数多く診てきて本当にそう実感する。汗腺は、体の中から外へと、毒素を運び出す最終出口である。その最終出口が塞がれている状態がアレルギー症状であるともいえる。
 余談であるが、ロシアやスウェーデンなど寒い地域の人々の汗腺は200万弱であり、インドやマレーシアなど赤道近くの暑い地域の人々は400万以上の汗腺を持っているという。これは、寒い陰性な地では、体に熱をこめる必要があるために、汗腺を少なくして熱の発散を控える。一方、暑い陽性な地では、体から熱を放散する必要があるから、汗腺を多くして放熱する。アレルギーやアトピーは、動物性食品の過剰が基本にある。肉食は、温暖多湿な日本の風土に合わず、体を陽性化して汗腺を塞いでしまう。
 塞がれた汗腺を開かせるのが、本当の生活だと思う。生活は生きた活動であるから、汗腺も活性化する。
 アレルギーのある人で汗をかくと「気持ち悪くてたまらない」という人が多い。これは汗をかききっていないから、毒素の排出が中途半端で、体に毒素が停滞しているのだと思う。肌に症状が出ていない人でも、中途半端に汗をかいた時は気持ちよいものではない。汗をかききったときに本当の爽快感がある。
 「うちの子は汗をほとんどかかないので気になっている」という相談が現代の小さい子を持つ母親から多い。また、「汗はあまりかかないのだけど、汗疹(あせも)はよく出る」という相談も多い。
 汗疹(あせも)は、本当にすばらしいもので、汗腺のつまりを開かせようとする自然な反応である。汗疹だけでなく、アトピーや湿疹も、肌の多くの症状は体に蓄積した毒素を排出しようとする自然な反応である。
 汗腺のつまりを開かせようとするには、詰まった箇所へ血液を集めなくてはならない。血液が細胞や組織をきれいに掃除してくれる。汗疹や湿疹で肌がかゆくなれば、それ自体でも血液がその部分に集中する。さらに、痒ければ痒い部分を掻く。その掻くという行為そのものが自然治癒力でもある。掻けばそこには血液が集中する。ちょっとした痒みの時に、ちょっと掻けば痒みが収まるのは、掻いて痒い患部に血液を集めて、その血液が痒みの毒素を処理したからなのだ。さらにアトピーなどで痒みがひどければ、掻き毟(むし)ることにより出血することもある。出血すれば、痒みを引き起こしている毒素を持った血液が排出されるだけでなく、きれいな血液が患部により集まってくることにもなる。痒みの強弱に関わらず、掻くことはそれ自体が自然治癒力である。
 突発性発疹や蕁麻疹(じんましん)なども汗腺を開かせてくれる有り難い反応である。こういう発疹の後は、体の中から外へと向かう、毒素を処理する汗腺という“道”が広く、そしてたくさん増えている。アレルギーやアトピーのある人が、全身から汗を大いにかけるようになると、もう治ったといっていい。東洋では“道”という言葉が尊ばれるが、体の中にもさまざまな道があるということを食養は教えてくれる。
2023年7月18日 : あせもと難病
 10年以上前、東京に住んでいる頃です。家で一人でいるとき、みそ汁が急に食べたくなり、冷蔵庫で具材を探していました。そこにエンサイらしき葉物があったのですが、随分と水分が飛んで硬くなっていました。妻が冷蔵庫に入れっぱなしにしたなあ、と思い、もったいない気持ちと半分腹を立てつつ、そのエンサイらしき葉物を使うことにしました。包丁で切りはじめたのですが、これまた随分硬いのです。普通の葉物だったらザクザクと簡単に切れる筈なのに、これは一切れ切るにも大変で、上から体の重みを包丁にあずけてなんとか切れる始末です。どれほど冷蔵庫にほったらかしにされていたのかと腹を立てつつ、何とか小切りにしたのです。そして、出汁に葉物を入れてサッと煮てから味噌を溶いてみそ汁ができました。作っている途中でも、箸に葉物が当たる感覚と鍋から立ち昇る香りからして、ちょっとおかしな葉物だなあと思いつつ、最初のひと口を口にしました。口に入れた途端、苦味とエグミが口に広がりまったく飲める代物ではなかったのです。それでもエンサイがこんな風に変わってしまったのかと相変わらず思っていたのですが、そのうちに妻が帰ってきて妻へみそ汁の話をすると、何とも怪訝な顔で「それは桃の葉よ!!バカッ」と一喝・・・。
 何とも男(わたし)はバカな生き物だとおもいつつ、昔から桃の葉は「汗疹(あせも)に効く」と云われる所以(ゆえん)が口を通してわかったものです。
 苦味の陽性に対してエグミは陰性です。万物陰陽あわせ持ち、陽大なれば陰また大なりの如く、桃の葉は陰陽のエネルギーをともに多くもっているのだなーと口を通して本能に響いてきたのでした。
 これだけの力があるがゆえに汗疹(あせも)という排毒に充分対処しうるのだなあーとおもったのです。実際に陽性の排毒である背中の汗疹、陰性の排毒である胸側の汗疹、両方に桃の葉は効果があります。桃の葉は、特にこの時期の皮膚の痒みの排毒には特効を示します。桃の葉を水に入れて、沸騰したら15分くらい煮出します。その煮出した汁で汗疹や痒い患部を洗うのです。桃の葉がたくさん取れるようならば、沢山煮出して、風呂に入れたらいいでしょう。
 子どもはよく汗疹を作ります。子どもは血液が濃く、肝臓がまだ未熟で、血液をアルカリ化する能力がまだ未発達ですから、汗疹を作って、皮膚から老廃物を排出させているのです。汗疹だけではありません。皮膚疾患全般、大小便や汗で排出しきれない老廃物を肌の表面積を増やして、排毒させてくれているのです。かゆければその分、患部を?きむしりますから、そこから余計に排毒します。
 それと、皮膚疾患が現れる人の多くが、汗腺が未発達です。日本人であれば、全身の汗腺は250万ほどあるようです。それがアトピーの人は半分以下ほどしか働いていないといわれます。中には80万も汗腺が働いていない人もいるようです。汗腺の働きは3才くらいまでに大方決まるといわれるのですが、私の経験ではいくつになってからも発達させることはできます。体に合った日々の食養と手当て、運動を基本に、時に断食を取り入れることで、汗をかけなかった人も、しっかり汗をかけるようになります。
 10年ほど前に、突発性後天性全身性無汗症という病気の青年が来ました。全身の汗腺が働かなくなって、汗をかくことができなくなってしまったのです。汗をかけないわけですから、夏は体中が火照り、常に水を浴びていないといられません。その青年が体に合った食養と手当て、そして断食の実践で、3カ月ほどで汗がかけるようになったのです。当時はまだ難病指定されていませんでしたが、今では患者数が増えて、難病指定されている病気です。そんな病気であっても、陰陽の理を解して、食を変えれば治っていくのです。
2023年6月29日 : 食べた物は体のどこへ行くか
 「食べた物は小腸で吸収されて栄養素として全身に運ばれる」と、人間が食べた物は体のどこへ行くかと問われたら、現代生理学ではそのような答えになるでしょう。もちろんその答えが間違っているわけではないのですが、より深く考えると、もっとダイナミックな生理現象が体の中では起こっているようです。
 生物学者の福岡伸一さんが紹介したことで有名になったルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)の動的平衡論は、示唆に富んだヒントを私たちに与えてくれます。
 ルドルフ・シェーンハイマーはラットに食べ物を与える時、食べ物の中のそれぞれの窒素(たんぱく質)に特殊な方法で染色をして、染色された窒素(たんぱく質)がラットの体の中でどのような動きをするかということを調べました。種類の異なるたんぱく質には黄色や緑色、赤色、それぞれ違った色をつけてラットに食べさせました。その結果、それぞれのたんぱく質は体のある部分に一定期間留まり、そしてまた他のたんぱく質と入れ替わるように排出されていったというのです。例えば、肝臓には同じ色のたんぱく質が一定期間留まり、そして、抜けていき、また同じ色のたんぱく質が定着し、また抜けていく、これを繰り返しているといいます。腎臓にはまた違ったたんぱく質が一定期間留まり、抜けていき、膵臓にはまた違ったたんぱく質が同じように入れ替わっているといいます。シェーンハイマーの研究から、ラットは1年もするとすべての細胞が入れ替わるほど細胞レベルでは劇的な変化が起きていたというのです。
 私たちの体も代謝によって常に入れ替わっています。皮膚の細胞は28~42日くらいでターンオーバー(代謝)しているといいます。小腸の上皮細胞は24時間で入れ替わっているようですから、まさに一日一生、毎日新鮮な状態をキープしているのです。骨の細胞も3~5年もするとすべて入れ替わるようです。マクロビオティックでは全身の細胞は7年もすると全て入れ替わると言っていましたが、最新の研究では、全てというのはちょっと大げさで、10年くらいかかる細胞もあれば、20年してもなかなか入れ替わらない細胞もあるようです。とはいえ、私たちの細胞の大半は7年もすると入れ替わっているのです。
 「ゆく河の流れは絶えずして、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の方丈記の世界観が、私たちの体の中でも起こっていたのです。フランスにも「変われば変わるほど変わらない」という諺がありますが、これも私たちの体の動的平衡を言ったものでしょう。生命は常に流れの中にあって、その一時の現象が今であるのです。
 マクロビオティックを提唱した桜沢如一は無双原理12の定理という理論を提唱していて、その中のひとつに「万物万象は一時的な安定の陰陽の集合体である」という論理があります。これはまさにルドルフ・シェーンハイマーの動的平衡と同じことなのです。
 動的平衡は、「食が命」を基本とするマクロビオティックをある意味で裏付けるものだと思います。さらに、細かいところでは、それぞれの病気の原因が特定の食べ物の過剰にあるということも示唆しています。例えば、胆のうをX線撮影する時、生卵を飲んで撮影すると胆のうが鮮明になるということは、卵が胆のうへ集中するということであり、卵の過剰摂取は胆のうや胆のうに隣接して密接に関係する肝臓への影響が大きいということも推察できます。実際に、胆のうの病気を発症した人の食歴をみると卵や卵を使った料理をよく食べてきた傾向が強いのです。
 現代人は、多種多様な食べ物を食べています。過去の歴史上でもっとも多種多様な食べ物を食べているのが現代の人々です。そのため、病気の種類も多種多様で、原因不明の難病も数知れません。鴨長明がいうように、私たちの体の細胞も、川の流れのように滞りなく流れていたら、健康であるはずです。流水腐らず、というように、流れに障りがなかったら健康であるのです。私たち日本人の体の流れを滞りなく流すことができる食べ物が、ごはん(おコメ)、みそ汁、漬物(野菜)です。伝統的に何千年と食べられてきた食べ物は、時代の検証を受けています。日本人には和食が、日本人の動的平衡を維持するとても大切な食生活であるのです。