ブログ

最新のお知らせ (下から上に日付が若くなります。日付順にお読みいただくと順序ただしく読めます)


2023年2月1日 : 果報は寝て待て
 「果報は寝て待て」といいます。試験の結果などをハラハラドキドキしながら指をくわえて待っている、さらにはそれが高じて気を患って待っているよりも、寝て待っていたほうが体にも心にもよい、という諺です。しかし、さらに広げて考えると、私たちの生命の秩序を表現した言葉でもあると思うのです。
 例えば、病気を患い早く回復したいと願う気持ちは誰にもあるでしょう。回復したいという気持ちがなくては元も子もないわけですが、早く早くという焦り(アセリ)は禁物です。一般的には風邪をひいたぐらいでも病院にいってクスリを処方してもらい飲んでしまう。風邪の症状から一刻も早く逃れたい、ひどくなりたくないという気持ちがそうさせるのでしょうし、社会全体がそれらをよしとしている。しかし本来の生命は治る時がこなければ治らないし、治る状態にならなければ治らない。
 風邪ひとつとってみても、治るということは体の掃除がひと段落しなければ症状は治まらないわけです。症状だけ消したところで掃除が済んでいなければ治ったということにならない。せっかく風邪というありがたい反応で体の毒素を体外へ排出しようと細胞や組織に蓄積した毒素を血液に溶け出させて、セキ、鼻水、熱などの症状を出させてくれているのに、西洋医学のクスリは毒素を細胞や組織に戻して排毒をストップさせてしまう。結果、汚れた体をきれいにするという大きな問題(排毒)を先送りしているに過ぎないのです。
 「果報は寝て待て」といいますが、「排毒(症状)も寝て待て」というのが生命の秩序です。もちろん食っては寝て、食っては寝て腹いっぱいにして寝ることではありません。少食にして、というよりも排毒の時は自然と食べられなくなりますが、食養的な手当て・自然療法を適切に施して寝て待つということが肝腎ですし、排毒症状の緩和は“待つ”以外にありません。どんな病気でも“待つ”ことは一番重要なことなのです。
 将棋の羽生善治さんも将棋の対局で迷った時は、一見意味のないと思われるようなところに「歩」を打って、「待つ」ことが大事だといいます。英文学者でもあった故・外山滋比古さんは文章を書いたら、少し寝かせることが必要だと言います。書き上げてすぐに世に出すのではなく、一晩でもいいから寝かせて、次の日にでももう一度読み返してみることが重要だというのです。一日でも経つと頭が整理されて、客観的な視点が加味されるのです。文章の推敲に「寝待ち」を活用するのです。
 病気だけでなく、人生の様々な場面においても「寝て待つ」ことには意味があると思うのです。
 ところが、現代では先手必勝とばかりに、待つどころではなく、人間の持つ「転ばぬ先の杖」的な心理を利用したことがあまりに多いのに驚かされます。アメリカの有名な女優がガンになるリスクが遺伝的に高いからという理由で、ガンになってもいない臓器を摘出したというニュースは世間を騒がせました。コロナワクチンにおいても、まだ治験中だというのに、コロナ怖いを煽りに煽って、全国民に打とうとしています。コロナも風邪ですから、罹ることは、その人にとっては必要であったのです。そして、コロナも他の風邪と同様に、体が治る状態にならなければ治らないです。コロナにおいても「果報は寝て待て」ではないかと思います。
2023年1月7日 : 人生想いどおり
 和道に研修に来た人と一緒にウォーキングをしていた時です。その人は頸椎に腫瘍があって、慢性的な頭痛と首こり、肩こりに悩まされています。症状があるからやむを得ないのですが、私と一緒に歩いていても、事あるごとに「大変ですね」「大変ですね」という言葉が口から出てくるのです。自分の症状もさることながら、私の仕事のことを想ってくれても「大変ですね」というのです。自分のような難病の人のお世話をしてくれて「大変ですね」というのです。自分自身のことや私のことだけではありません。社会で話題になっていることが話しに出てきても、やはり「大変ですね」がよく出てくるのです。自分をみても、周りをみても、その人にとっては「大変」なことなのです。
 その人だけではありません。食養指導を通して多くの人と関わり、強く感じていることがあります。私たちの口から出てくる言葉というのは、血液や細胞が変化したものではないかと思うのです。血液や細胞に「大変」をたくさん抱えていたら、口から出てくる言葉にも「大変」が多分に含まれているのです。人の悪口や、憎まれ口も同じように、言っている本人そのものに悪いものや憎まれるものを抱えているのです。これは多くの人をみてきて感じることです。
 「大変ですね」という人と一緒に話しをしていて、私がこたえた言葉に、その人は驚いています。私の仕事も確かに大変なことも少なくありません。例えば、病気の人に生姜シップを何時間もするのですが、私は汗だくになりながら生姜シップをしますから、ある意味では重労働です。しかし、視点を変えると、生姜シップをさせてもらう私も血流が良くなるのです。先日、合宿の皆さんと温泉に行って、温泉施設にある血流測定器で血流を測ったら、私の血流は20代くらいだというのです。40半ばのおじさんがみんなのために生姜シップをしていたら、血流が良くなって20代の青年と同じくらいの血流になっているのですから、本当にありがたいことです。
 このことを「大変」と見るか、「ありがたい」と見るかで人生は大きく変わってくるのです。「大変だ」「大変だ」と想っていれば、大変になってくるでしょう。「ありがたい」「ありがたい」と想っていたら、ありがたい人生になっていくのです。人生は想いどおりです。
 この想いをどう人生を豊かにする方に持っていくか。これが問題です。
 言葉は血液や細胞が変化したものではないかと言いましたが、言葉は想いが口から出てきたものですから、想いもやはり血液や細胞から生れているのではないかと思うのです。豊かな人生を育む想いが湧出するような食と生活を送ったらいいのです。自分自身の想いが人生を豊かにしてくれるようなそんなものであったならば、その人の食と生活はその人にとって合っているのです。
 しかし、「大変だ」とか「死んでしまいたい」、「消えてなくなってしまいたい」などという想いが出てくるのであれば、想いの元になっている血液と細胞を変えていかなくてはなりません。それにはまず、食と生活を変えることです。食べ方と生き方の革命をすることです。そういう点では、ネガティブな想いが出てくるというのはチャンスでもあるのです。人生の方向転換ができるいいチャンスなのです。
 和道では毎月、食養合宿をしています。これは人生転換のいい時になっています。人は体が変わってくると言葉が変わってきます。言葉が変わるということは、想いが変わってくるのです。人生想いどおりです。
2022年12月5日 : 行動は運命を変える
 以前私が代表を務めていた「こくさいや」で働いていた男性スタッフが父の天恵の里(自然農園)に手伝いに来た時のことです。春のうららかな日でしたが、北からはまだ冷たい風が吹いていました。
 そんな時季には、麦がしっかり根を張るように「麦踏み」をするのです。麦はまだ青く、葉は地上から10~20cmほどしか伸びていません。その時期に大切な作業なのです。麦はまだ若葉の、いわゆる青少年の、時季に踏まれないとしっかり根を伸ばすことができません。人間も同じで、昔から「若い時の苦労は買ってもせよ」というのは、本当ではないかと思います。こくさいやの男性スタッフと私たち数人で「麦踏み」をしたのですが、彼はその作業にいたく感動しているのです。麦を踏むという単純な作業なのですが、何とも言えない幸福感があったというのです。
 彼はその「麦踏み」に感動を覚えて、その後、農的暮らしを志すようになったのです。その数年後にこくさいやを辞めた彼は、長野で子育てをしながら夫婦で農的暮らしをするようになります。麦を踏むという感覚が農的暮らしに導いていったのです。
 私たちの感覚の主だったものは五感であるのですが、この五感は自然と私たちを繋ぐ道ではないでしょうか。もっといえば、五感は私たちの核とつながる道であると思うのです。この五感を通して得たものこそが、私たちの本当の力になると思うのです。それも五感をフル活動させるような行動が大切です。見る(視覚)、聞く(聴覚)、嗅ぐ(嗅覚)、触れる(触覚)、味わう(味覚)、この五つの感覚をまんべんなく活性化させることが大事なのです。
 自然の中で生活するとこの五感が開かれていくのを感じることができるのです。生活ということですから、生きた活動でなくてはなりません。生き活き、とした活動です。行動することであるのです。行動することが五感を活性化させ、私たちの閉じてしまった感性を開かせてくれるのです。五感が開放されてくると、私たちは自然とのつながりをより強く感じることができるようになります。
 空気を読むとか、空気が読めない、などと言われます。ここでいう空気というのは身の回りの人々の意識・感覚であり、ある種の集合意識・集合感覚ということではないかと思います。この空気というのも大きく見ると自然という見方もできると思うのです。ですから私たちの感性が自然とつながったものになったならば、この空気というものへの感度も上がるはずなのです。空気を読むこともできるようになると思うのです。
 動くことは静かにとどまることに比べて陽性です。静と動は陰陽の関係です。私たちの身体は、体は陽性、頭は陰性で調和的と考えます。いわゆる頭寒足熱。山も上に行けば行くほど涼しくなってきます。体はキビキビと動き、頭は冷静に考えることができるのが理想です。スポーツでいうゾーンという状態は、ものすごく冷静でいながら、体は不思議とどんな動きもできる状態です。心技体すべてが一つになった状態です。
 行動は陽性です。体は行動によって陽性化します。体を陽性化させていくと、食は本来、陰性なものを欲するのです。本来と言ったのは、私たちは何か目的を作りますから、例えばスポーツで筋肉をつけようと考えてたんぱく質を必要以上に摂ると、本当は陰性なものを体は欲しているのに、陽性なものを摂ってしまうということが、この一例以外にも数多くあるのです。食は本来、感覚的であるのですが、知識的に考えてしまうのです。体の声を聴かずに、他の声を聴いてしまっているのです。
 私たちの核心を変えてくれるのが実際の行動です。行動こそが運命を開くものです。行動して体が陽性化してくると、自然に陰性な食を欲して、頭は陰性になってくるのです。ですから私たちは自分が思っている以上に動いた方がいいのです。動いて動いて、ただひたすらに行動していると、不思議と運命が開いていきます。
2022年11月9日 : コメと判断力
 江戸時代から比べると現代人のコメの消費量は約1/3ほどに減ってきていることが統計からわかるのですが、このことは単に食生活が変化したという一言では済まされない大きな問題を孕んでいるのです。それは、下の図で示すように、咀嚼回数が減ることで判断力が鈍くなることをマウスとラットの研究からわかっているのです。
 人間においても柔らかいものばかりを食べていると咀嚼回数が少なくなり、脳への刺激が少なく、脳の神経細胞の発達が鈍くなるのではないかと思うのです。
 精米技術が発達したのは元禄時代(西暦1700年前後)の江戸といわれます。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代に江戸の中心では精米技術が発達したことで玄米から白米に変わっていったといいます。とはいえ、現代ほどの精米技術はなく、白米といっても実際は現代でいう分搗き米(五分搗き位ではないかといわれています)を食べていたといいます。
 「江戸わずらい」と呼ばれる脚気が流行りだしのは江戸の中心部からでした。江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調が悪くなることが多くなったのが元禄時代なのです。そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことから、この病を「江戸わずらい」といったのです。地方(故郷)では玄米食が中心だったのです。
 江戸の中心では白米(分搗き米)であっても、全国的には玄米か少しだけ精白した一分搗き米を食べていたようです。コメが十分とれない地域ではコメに雑穀を混ぜて食べていたといわれます。江戸時代は日本人全体がいわゆる茶色い飯を食べていたのです。精米技術の発達が全国に及び、白米が食べられるようになったのは明治になってからといわれます。それでも、貧しい地域では白米にしたら多くの糠を捨ててしまうことから、戦後の高度経済成長期くらいまで茶色っぽい飯を食べていたのが現実なのです。
 江戸時代までは年間一人一石(約160キロ)の玄米を食べていたということは、ものすごい咀嚼回数だったと想像できます。現代ではその主食が白米になり、さらにコメの消費量は1/3に減り、コメの代わりに小麦の麺やパン(やわらかい)になりましたから、その咀嚼回数たるや、江戸時代からは激減したことは想像に難しくありません。そんな現代人の判断力はどんなものでしょうか?
 民主主義とはいっても、その民たる私たちがしっかりとした判断力を持っていなければ、政治は本来の働きをしないのではないかと思うのです。

2022年10月24日 : コメ一粒からみえる景色
 日本人にとってのコメは単なる食糧ではなく、命そのものだと私は感じています。明治生まれの曾祖母が「コメ一粒を大事にしなければ罰があたる」と言ったのは、「命を大事にしなさい」という戒めだったと思うのです。それを私は、多くの病気の人をみてきて、コメ一粒を大事にすることがいかに大事かということを気づかせていただきました。コメ一粒への私たちの姿勢が、自分の病気だけでなく、子々孫々へ影響しているのです。不思議なことですが、本当のことだと思います。
 日本人にとってのコメは中庸を代表する食物ではないかと食養(マクロビオティック)では考えています。お米を中心に食べていると陰にも陽にも偏らず、中庸を維持することがとても安易だと思うのです。栄養学的にもコメは、穀物の中では飛びぬけて、必須アミノ酸やビタミン・ミネラルが豊富です。実際に食養指導を通して、コメを中心に食べていると心身ともに安定するのですが、コメが少なくなったり、コメを食べない食事を長く続けていると心身の問題が大きくなってくるのを数多く目の当たりにしています。
 前回のブログで、コメ一粒を大事できない人や家族に難病・奇病が多いということを書きましたが、体が陰陽どちらからに大きく偏ってくるとおコメが入りづらくなるのです。おコメをおいしく食べられるということは中庸な体であるのですが、陰陽どちらかに偏ってくるとおコメがおいしくなくなってくるのです。陰に偏ってくると陽のものがおいしくなり、陽に偏ると陰のものがおいしくなるのです。中庸は陰陽両方を孕む、という点もありますから、おコメは中庸なので、陰陽どちらかに偏ってもそれなりにおコメは食べられるのですが、それでもおコメばかり食べて満足するということにはなりません。その結果、おコメは少量になり、おかずが多くなるのです。これは現代人の少なくない人たちがそのような食生活になってしまっているのです。
 食養では昔から、ご飯三箸にお菜(おかず)一箸、と言って、お米を中心に食べることを基本としていました。おコメが三に対しておかずが一です。昔の日本では一汁一菜が日々の食事の基本であったのです。これだけみると何とも貧しい時代だと感じるかもしれませんが、この食事で日本人は永続的に健康を保ってきたのです。現代のように多発する病気はほとんどなかったのです。
 このコメ中心の食生活は第二次世界大戦前まで続いていましたが、思想信念をもって続けてきたのは幕末までです。明治維新以降は、西洋的な思想が大きくなって、コメの代わりに肉食が少しずつ増えてきました。おコメは食糧としても安定的に収穫できるだけでなく、栄養学的にも生理学的にも心身の安定を保つのに最も優れた食べ物です。ですから、おコメを中心に食べる民族は短兵急に変化することはなく、その変化もゆっくりとしているのです。日本人の気質として、急激な変化を好まず、ゆるやかな変化を好むというのは、おコメを食べてきた民族の特徴といえるのです。
 このおコメの消費量が戦後ものすごい勢いで減ってきているのです。戦後直後から比べると現代は一人換算で約1/2にまで減ってきているようです。戦後直後は一人年間120キロ近く食べていたようですが、現代はそれが50キロほどです。その昔、おコメの単位で一石というのがありましたが、一石というのは一人が一年間食べていける量を指したといいます。一石は一升ますが百ですから、百升ということになります。一升は現代では1.6キロくらいですから、一石は約160キロになります。江戸時代までは一年間一人160キロくらいのコメを食べていたのです。現代人は江戸人と比べると1/3ほどしかおコメを食べていないのです。その代わりに陽性な肉・乳製品・卵などの動物性がものすごい増えて、その反動で砂糖や人工甘味料・果物などの陰性食品も激増したのです。