ブログ

最新のお知らせ (下から上に日付が若くなります。日付順にお読みいただくと順序ただしく読めます)


2020年7月27日 : ウイルスと人間
 人間とウイルスは本来、共存関係にあります。胎児の胎盤を作るのにもウイルスは重要な役割を果たしているようですから、私たち人間はウイルスなしには存在しえないのです。胎盤だけではありません。血液や血管、様々な臓器に至るまで、ウイルスの働きなしに人間は存在しないのです。
 ウイルスは宿主である動物に住み着いて命を継承していきます。細菌はエサがあれば自己増殖できるのですが、ウイルスは宿主がいないと生存できないのです。寄生した動物が死んでしまえばウイルス自らも死んでしまいますから、ウイルスにとっても宿主である動物には長生きしてもらいたいのです。ウイルスが生命の進化に不可避的であった理由がそこにあります。
 ではなぜ新型コロナウイルスは私たちの命を脅かす存在だと言われるのでしょうか?
 ウイルスと宿主には相性の良い悪いがあると言います。「宿主の壁」と言って、人間に適したウイルスと豚や牛、鳥、コウモリなど、それぞれの動物に適したウイルスは違うというのです。生物は昔から棲み分けをしてきたのには理由があったのです。この壁が低くなってしまうと、ウイルスは壁を乗り越えて、他の動物に安易に侵入するようになります。するとウイルス同士の生存競争がはじまり、かつウイルスと生物の適合反応が勃発するのです。生物にとってはそのウイルスを迎え入れるか、追い払うかの判断をしなくてはなりません。この時に私たちは様々な症状を発症するのです。それが、発熱、炎症、痰、咳、下痢、倦怠感など諸症状です。
 この時に、すでに体の中で症状が出ていたら、火に油を注ぐように、体全体がものすごい炎症を起こすでしょう。新型コロナウイルスが引き金になって亡くなっている人の多くが基礎疾患を持っているというのはこのような理由からです。
 宿主の壁を低くしてきたのが、家畜制度と肉食です。安易に想像できるように、異種動物である家畜が人間の近くに居れば、ウイルスは飛び越えやすいものです。さらにはその家畜を食べてしまったならば、ウイルスはさらに侵入してくるでしょう。昔から、家畜動物を神様に見立てて、清潔感を保ち、労働の手助けとして共に暮らしていたのは、宿主の壁をある一定に保ち、ウイルスの侵入を防いでいたと考えられます。さらに伝統的な宗教の多くは肉食を禁じているのは無秩序なウイルスの交換を防いでいたとも考えられるのです。聖書や仏典を読むと、「すべからず」が多いのですが、ウイルスとの関係を今回のように痛感すると多くが納得いくものばかりなのです。
 人間がウイルスと共存してくのには、人間本来の食性を基本とすることです。人間は穀食動物です。穀物と旬の野菜や海藻、伝統的な発酵食品を中心に食していくことです。簡素で豊かな食生活を日々の基本としていれば、どんなウイルスでも怖いものではなく、ありがたいものです。新型コロナウイルスは人間の本来の生き方を気づかせてくれているのです。
2020年5月28日 : 感染症の食養手当て法
 新型コロナウイルスが蔓延するといわれる社会からは多くの気づきが与えられます。
 戦後の社会は自由主義経済のもと、多くの国々で食糧が増産され飽食となり、工業製品も大量生産されて物質的に豊かになりました。車や電車、飛行機などの移動技術が向上し、石油などのエネルギーの効率化によって、人間は地球上のどこにでも簡単に行くことができるようになりました。おカネさえあれば人間はどこへでも行け、何不自由なくできるような、そんな錯覚を持てる社会を作り出してきました。自由主義経済は開放系社会を構築する上では、とても便利な社会システムであったのです。
 ところが、今回の新型コロナウイルスのような病原ウイルスがひとたび蔓延すれば、開放系社会だけあって、世界中が病原ウイルスに戦々恐々とさせられる社会でもあったのです。マクロビオティックを提唱した桜沢如一は、無双原理のひとつに「オモテ大なれば、ウラまた大なり」といっていますが、まさに今の社会も大きな自由というオモテのウラには大きな不自由というものがあったのです。いや、それだけではありません。現在の社会では、新型コロナウイルスで亡くなるよりもずっと多くの人々がガンなどの生活習慣病で亡くなっているのです。多死社会といわれて久しくなりますが、多くの人々が食と生活の間違いからくる病気で亡くなっているのです。
 感染症もその実態をつぶさに見ていけば生活習慣病といっても大きな間違いはありません。キレイな血液では病原ウイルスは繁殖することはないのです。むしろ、病原ウイルスは血液の汚れを浄化しようとしていると東洋医学では考えています。発熱するのは体の中で燃やさなくてはならない毒素があるのです。痰が絡むのは、体の中で白血球が病原菌や病原ウイルスを浄化し、その残りかすが痰として排泄されているのです。咳も同じように白血球の血液浄化活動の副産物が肺から熱を放散させているのです。
 食養ではこれらの症状を抑え込むのではなく、体の浄化反応に寄り添って、排毒を促し、新しい血液を造る手助けをしてあげるのです。例えば、発熱があれば、体の中で燃やさなくてはならない毒素があるわけですから、飲み物や食べ物でそれらの毒素の分解を手伝ってあげるのです。食養手当て法の発熱の排毒を促す一般的なものとして、シイタケスープや大根湯があります。干しシイタケの煮出した汁は体の中の不要な脂肪分を分解するのにとても役立つのです。大根もたんぱく質を分解する力が非常に強く、その力を最大限引き出す方法として大根湯があります。大根湯は大根おろしを主に、生姜おろしを少々加え、好みでしょうゆ味をつけて、熱々の三年番茶を注いだものです。三年番茶の代わりに椎茸スープを注いでもいいでしょう。
 痰の切れが悪い時は、玉ねぎや長ねぎ、ニンニク、ニラなどのネギ科の野菜を多用したらいいでしょう。ネギ類は五葷ですから、避けたい人は、生姜や胡椒、山椒なども痰の毒素のもとになっているものを解毒分解してくれます。
 咳においては、肺炎のような強い炎症が肺にある時は、胸からまたは背中から里芋パスターを貼るといいでしょう。里芋パスターを貼る前にキャベツや小松菜などの葉っぱを胸や背中に当ててみて気持ち良いようならば里芋パスターを貼ってみてください。キャベツや小松菜などが気持ちよくない場合は、お腹を湯たんぽで温めるだけでも咳が楽になる場合もあります。
 食に気を付けることは一見すると小さな(ミクロ)なことですが、食こそ命であると気づくと、食こそ大きな(マクロ)ことであると思い至ります。
 食に気をまわすことは一見すると不自由なことのようですが、食こそ命であると気づくと、食に気をまわさなければ自由はないと思い至ります。
 そんな気づきを与えてくれたのも新型コロナウイルスです。
2020年5月7日 : 感染症と動物食
 テレビ、新聞、インターネット、情報という情報から、新型コロナウイルスの地球規模での感染が広がっているようです。今のところ実体感なき感染というのが一般市民の率直な感想ではないでしょうか。ヨーロッパに何人か知人がいるので様子を聞いてみたのですが、みんな揃って自分たちの周りでは感染者はいないと言うのです。
 感染が広がってきているとはいえ、5.7現在で日本では感染者は約1.5万人ですから人口1億2千万に対して0.00012%、世界では約370万人の感染者ですから人口約70憶に対して0.00053%です。身近に新型コロナウイルスに罹患した人を見かけることはまずないというのが確率論から言ってもうなずけます。
 とはいえ、ひとつの感染症で病院に多くの患者が押しかけたら、世間で言われるような医療崩壊が起こってもおかしくはないでしょう。
 新型コロナウイルスの問題の底辺にあるのが私たちの生き方ではないかと思うのです。身体の症状が出たら何でも病院に行くという姿勢では病気は治るべくもないのです。病は本質的には自分で治す以外にはないのです。自らの治癒力を免疫力とも自然治癒力ともいいますが、この力を信じて高める以外に、病は治らないです。むしろ、病は身体を良くしようという働きで出ていますから、病という体の働きを邪魔しないことであるのです。
 今回は自然治癒力についてのことに触れるのではなく、新型コロナウイルスから今後の生き方を考えていきたいと思います。
 感染症が蔓延した歴史は枚挙にいとまがありません。天然痘は仏教伝来とともに大陸から日本に入ってきたとされ、奈良時代には平城京で大流行したといわれています。コロンブスの新大陸発見以降も様々な伝染病が旧大陸から持ち込まれ、先住民が壊滅的被害を受けたとも伝えられています。中世ヨーロッパがペストの流行で壊滅的状況に陥ったのも、主要国の都市同士で人の往来が活発化したところにアジアから菌が持ち込まれ、一気に広がったというのです。
 今回の新型コロナウイルスの広がりも世界の交流が活発になり、世界が一つになりつつある状況下で引き起こされています。私たちは、国や都市、そして私たちひとり一人が、さまざまな形でつながる開放系の社会の中で生きています。近年の歴史も開放系社会の構築そのものが歴史になっています。ウイルスを専門とする多くの学者は、感染症との戦いは開放系社会の宿命であると言っています。
 人と人の交流は気の交流であり、それが濃密になれば血液の交流になりさえします。
 開放系社会に暮らす私たちは、開放しても差し支えない、周りの人に振りまいても問題のない、そんな気を振りまかなくてはなりません。食養的に考えると気は血から生まれています。力(ちから)は「血から」といわれています。病原ウイルスが繁殖するような血液を持っていたら開放系社会では、個人の問題にとどまらず、社会全体の問題にまで広がってしまうことを新型コロナウイルスが教えてくれているのではないでしょうか。
 世界はひとつになりつつあります。以前紹介したようにウイルスは生命の進化を促すものです。世界がよりよくひとつになるためにウイルスは働いているのではないかとおもうのです。
 病原ウイルスが繁殖するような血液は、身土不二という自然を無視した食生活から造られる血液ではないかと私は考えています。今回の新型コロナウイルスの感染が拡大している地域をみると肉食が多いところであるのです。陰陽(無双原理)で見れば、陽性な人間と陽性な動物は結ばれないのです。生物学的には人間は動物ですから、植物に比べたら陽性です。その陽性な動物である人間が陽性な動物を食すことにはどうしても無理があるのです。感染症は動物食からの警告と言ってもいいでしょう。
2020年4月9日 : ウイルスは生命の進化に不可避的な一部
 信頼する学者の一人に福岡伸一さんがいます。生物学者である福岡さんの命に対する洞察は深く、東洋の叡智である無双原理(易)にも通じ、興味深いのです。
 その福岡さんが4月3日の朝日新聞に「ウイルスは生命の進化に不可避的な一部」と題する記事を寄稿していました。非常に重要な内容であったので紹介したいとおもいます。
 ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではなく、むしろ利他的な存在であるといいます。ウイルスは自らの内部の遺伝物質を私たちの細胞内に注入するというのですが、それはウイルスが一方的に私たちに襲い掛かってくるのではなく、私たちが極めて積極的にウイルスを招き入れているというのです。
 これはどういうことかというと、ウイルスの起源をみるとよくわかるといいます。
 ウイルスは高等生物が登場した後に現れたというのです。それも、高等生物の遺伝子の一部が外部に飛びしたものがウイルスであるというのです。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだったのです。それが家出し、また、どこからか流れてきた家出人を宿主である私たちは優しく迎え入れているのです。なぜそのようなことをするのかというと、ウイルスこそが進化を加速してくれるからだというのです。
 親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わりません。しかし、ウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を越えて、立体的にさえ伝達しうるというのです。子育てに置き換えて考えたらよく分かります。親だけの価値観を植え付けていたのでは親のコピー人間にしかなりませんが、多様な人たちに関わることによって、個性豊かな人物になってゆくのと同じかもしれません。
 ウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたといいます。私たちに全く気付かれず私たちの内部に潜り込むウイルスは数多く存在しているようです。現に、新型コロナウイルスが出現する前と今の世界の死亡率は変化していないのです。
 ウイルスの活動はときに私たちに病気をもたらし、死をもたらすこともあります。しかし、ウイルスからもたらされる遺伝情報がなければ、私たち人間はこれほどまでに多様な生き方ができなかったのです。今の私たちの存在はウイルスなしには成り立たなかったのです。
 ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれないのです。病気は免疫システムのバランスを揺らしますが、同時にそれは新しい調和を求めることに役立つのです。環境の変化に対応するのが病気であり、それを担っているのがウイルスであるのです。
 ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできません。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に調和的に生きていくしかないのです。

2020年4月9日 : 新型コロナウイルスと掃除
 新型コロナウイルスの影響で三月に入って早々、公立の小中高校が休みになったのは前代未聞の出来事です。3.11の東日本大震災の時でさえ、被災地は別にしても、全国でこれだけ長い休みを取ることはありませんでした。
 大人の心配をよそに、子どもたちは長期の春休みに大喜びです。
 災い転じて福となす、という諺がありますが、今回の新型コロナウイルスを福に転じるにはどうしたらよいか?
 私はどうしても食養的に考えてしまうのですが、外出自粛の出る騒ぎですから、家の中を徹底して掃除したらいいとおもうのです。もちろん家の外まで掃除をしたらなお良いでしょう。三月は掃除月間として、家の中を徹底して掃除したらいいのです。
 「身の回りがきれいになると身の内がきれいになる」ものです。掃除ほどいい運動はありません。
 マクロビオティックは食と掃除が二本柱です。
 多くの人や家庭を観させてもらっていると、掃除がおろそかになると人は病気になり、家庭は何らかの問題が出てきているのがよくわかります。企業でもそうです。掃除がおろそかになった会社や組織は多くの場合、経営困難に直面しています。不思議のようですが、本当の事実です。
 私は生き方には二つのタイプがあると考えています。創造と掃除です。新しいものを作り出していく人と、掃除をしてキレイさや機能を維持していく人。
 私たちの細胞も新しい細胞が作られながら、古いものが掃除されていきます。むしろ、古い細胞が掃除されることによって新しい細胞が生まれてくるのです。
 私たちの体は腸疲労からはじまり、脳疲労、細胞疲労の三重疲労が慢性化しています。社会に目を転じても制度疲労が極まりつつあります。
 時代は掃除を必要としています。今は掃除の時代です。
 心身を徹底して掃除するのは、身の回りを掃除することも大事ですが、やはり断食です。断食しながら身の回りを掃除したら、それこそ人生の大掃除になります。断食は体の掃除です。
 断食を国民運動にしなければ日本はもたない、と私は考えています。世界の伝統的な宗教にはすべて断食があります。
 21世紀に入って未曾有の出来事がいくつ訪れたかしれません。掃除の必要性を大自然はすでに警告していたのです。掃除ほど大切なものはありません。