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2022年9月22日 : コメ一粒
 小さい頃、明治生まれの曾祖母と一緒にいることが多かったのですが、その曾祖母がしばしば、食事の後のご飯茶碗に一粒でもご飯粒が残っていると「罰が当たる」と言って、キツク注意されたことをよく覚えています。子どもながらにどんな罰が当たるのだろうかと思っていました。それが食養指導をやってきて、多くの人をみさせていただくなかで、コメ一粒の罰というものがどんなものなのか、わかるようになってきたのです。
 私の道場(和道)では毎月、断食合宿をしていますが、その合間に泊まり込みの食養個別指導をしています。個別指導に来られる人たちは、合宿についていけない人がほとんどですから、比較的病気の重い人が多いのです。歩くのがままならい人、付き添いの人がいないと動けない人も多く来られます。寝たきり完全介護の方は移動が難しいですから、今のところ和道にはご縁はないのですが、国が難病指定している病気をいくつも抱えていたり、病名もつかない難病奇病の人も来られます。
 これらの人たちをみていて共通するのが、食事の後のご飯茶碗をみると、コメ一粒どころでなく、沢山の食べ残しがあるのです。手指の動きがわるくて食べられない、という人もいるのですが、ほとんどの人が注意をすれば全部食べられるようになりますから、食べ残しが普段の習慣になってしまっているのです。子どもの病気で親や祖父母が付き添いで来られる方もいますが、その親や祖父母も食べ残しが習慣化している人も多いのです。病気の本人だけでなく、その親や祖父母にも食べ残しが多いのです。無意識のうちに食べ残し、平気で捨ててしまっているのです。
 そのような家庭で育ってくると、コメ一粒までキレイに食べるという習慣の方がむしろ奇異に感じられると言っている人もいました。
 コメ一粒まで大事にするという習慣のない人たちや、その子孫に難病・奇病が多いという傾向があるのに気づいてから、私はいろいろと考えました。その結論のひとつが、コメ一粒まで大事にできない人たちは、「本当の空腹」を知らないのです。それほどお腹が空かずとも、時間が来たら食べる、という感じなのです。飢えを知らないのです。食べ物のありがたさを知らないのです。
 オートファジー(自食細胞)理論では、細胞が飢えると古くなった自分の細胞の一部を食べて、新しいキレイな細胞に作り変えるといいます。コメ一粒まで大事にできない人たちはこのオートファジーの力が弱いと思うのです。だから、古くなった細胞が積み重なって、難病奇病を引き起こしていたのではないかと思うのです。
 昔の人はオートファジー理論は知らずとも、経験的、直感的に「コメ一粒」を大事にすることで子々孫々の健康を願っていたのではないでしょうか。
 一事が万事といいますが、コメ一粒を大事にすることは、命そのものを大事にすることに繋がると思うのです。大和言葉ではコメは込命(コメ)、命が凝縮して込められている状態をさします。コメは命そのものなのです。その命を軽視し、ないがしろにしていると、病気というものが与えられて、気づきを促しているのではないかと思うのです。
 病気は気づきです。生き方転換の気づきが病気だと思います。コメ一粒の罰というのは、罰は気づきであったのです。
2022年8月31日 : コメと日本人
 穀物のある所に人が集まり、人が集まるところに文明が発生しています。人類の歴史を見渡してみると、穀物と人間、穀物と文明は切っても切れない関係性にあるようです。この穀物の消費量が、世界全体では増えているのですが、日本においては減っているのです。お米の消費量はこの70年間で約1/3ほどにまで減りました。少子高齢化により食べ盛りの子どもの数が激減していますから、お米だけでなく、その他の食も減ってきています。穀物を浪費して作り出される食肉(家畜肉)の消費量も減りだしましたから、穀物の消費量は減少の一途です。
 肉食が減ることはいろいろな面からよいことですが、日本人においてはお米そのものの消費量が減ることは陰にも陽にも問題が出てきます。日本人の腸内環境はお米を食べることで安定してきました。腸内細菌の主たるエサになるのはお米です。お米を食べないと本来の腸内細菌の働きをしないのです。便秘の原因の主たるものもお米不足です。さらには日本人だけでなく、人間の遺伝情報の大きなところにお米が大きく関わっています。動物の遺伝情報と植物の遺伝情報は多くの部分で共通性があるようですが、その中でも特に、人間の遺伝情報はお米の遺伝情報と重なるところが人間と植物間では一番多いといわれます。
 昨今の円売りから日本離れ・日本の衰退があらわになってきましたが、これは元をたどれば米を食べなくなったことに端を発していると私は考えています。食養の祖・石塚左玄は、人間は穀食動物といいましたが、文明という点からしてもまさにその通りなのです。
 お米は炭水化物だから太るなどといわれていますが、和食を食べてきた伝統的日本人に肥満の人はいませんでした。和食の基本であるご飯、みそ汁、漬物を中心に食べていたら、肥満体になることはまずないのです。日本人の肥満の原因は、身土不二でみて日本の環境にあわない肉食や砂糖食(現代は人工甘味料食)、脂肪食から来るものです。そして何より、和食を基本にしていると体と心が軽くなりますから、運動習慣がつくのです。キビキビと動くことが心地よくなってくるのです。ご飯、みそ汁、漬物を中心に食していると、この三種から日々のエネルギーを得ようとしますから、お米は白米よりも玄米に近いものを欲するようになります。
 食養をこれから始める人は、お米は食べやすいものから始めたらいいのです。白米でもいいと思います。白米が玄米よりもおいしく感じたら白米から食養をはじめたらいいのです。そのうちに、白米ごはん、みそ汁、漬物では物足らなくなってきて、白米に雑穀を入れた方がおいしくなったり、分搗き米がおいしくなったりしてきます。さら年月を経ていくと、玄米ごはん、みそ汁、漬物がおいしくなってくるのです。もちろん、季節、体調、年齢、男女、いろいろな条件次第で主食は微妙に変わってきます。それでも、ご飯、みそ汁、漬物を中心にしていけば大きく間違うことはないのです。
 マクロビオティックはその土地の伝統的な食と生活を基本にして、陰と陽という見方を生活・生き方に応用したものです。伝統を活かすという保守的生き方であるのと同時に、陰陽思考という変化を恐れない考え方を持ち合わせた革新的思考でもあると私は考えています。保守と革新も陰陽の関係だと思いますが、保守と革新、陰陽を併せ持っているのがマクロビオティックではないかと思うのです。
 日本人が本来の生命力をもって生きていくその基礎となるところに、お米を中心とする生き方が欠かせないと食養指導を通して確信したのです。
2022年7月26日 : 虫刺されと食養
 虫の季節がやってきました。蚊やハチに刺されたり、山に行けばさまざまな虫の攻撃(?)にあう時季になりましたね。
 多くの虫は人間と違って腸内が酸性で調和しています。人間は弱アルカリ性が安定した形ですから、逆です。人間と虫はある意味において陰陽の関係です。好むものが逆ですから、地球上で棲み分けをしていると言ってもいいのです。地球を大きく見渡すと虫と人間は共存しています。食べ物も住環境も違うわけです。体そのものが違う。
虫は酸性食品を好むわけですから、虫に刺されるということは身体が酸性化していたということです。虫に刺されやすいということは、体の体液をアルカリ化しなくてはなりませんよという、虫を通しての天からのアドバイスです。
 体をアルカリ化させてくれる代表は日本人にとっては梅ではないかと思います。
 体の左側をよく刺される人は陰性な酸化食品が多く、右側を刺されやすい人は陽性な酸化食品が多かったと、食養指導の体験からわかったことです。陰性な酸化食品の代表は夏場であれば冷たいアイスクリームや清涼飲料水でしょうか。陽性な酸化食品は焼肉やハンバーグ、卵焼きなど肉類ではないかと思います。
 手当ての食品は細かく見れば多々ありますが、シンプルな食アドバイスでは、左側を刺されやすい人には梅干、右側を刺されやすい人には梅肉エキスがいいと思います。もっとシンプルには梅干と梅肉エキスを少量ずつ食べてみて、おいしい方を摂れば体はスムースにアルカリ化します。どちらもおしくなかった人には違ったものが必要です。両方おいしければ適度に両方を毎日少量ずつ摂っていけばいいのです。
 蚊は体から発せられる炭酸ガスを目当てに集まるといわれます。しかし、最近では炭酸ガスだけでなくプラスアルファがないと蚊は集まるものでない、と言われるようになりました。そのプラスアルファが酸化物とニオイだと私は想像しています。
 鶏肉を食べ過ぎた時の体のニオイと、卵を食べ過ぎた時の体のニオイには違いがあります。動物性食品は体を酸化させますが、それぞれの種類によってニオイも違えば、発散される体の場所まで違うのです。
 トリの手羽を食べれば、それらのタンパク質は腕に優位に集まり、肩ロースを食べれば肩に優位に集まるものです。魚のタンパク質は下半身、特に足に集まりやすい。身体の特定の場所を集中的に刺されたなんていう時は、ある種の排毒反応をしていたと想像できるのです。
 肌からの手当て(外用手当て)をいくつか紹介します。
 蜂に刺されたら生の玉ねぎの汁を塗るとよいです。生の玉ねぎをすりおろし、絞って汁を取り出します。その汁をハチに刺された部分にすり込みます。針が残っているようならば取り除く必要があります。玉ねぎだけではありません。ごぼう、れんこん、大根の汁もよいです。長ねぎの青い部分のヌメリもよいです。ネギに含まれる硫化アリルが蜂の毒が引き起こす炎症や痛みを抑えるといわれます。よもぎ、オオバコ、ドクダミなどの野草を揉んで患部に貼っておくだけでも十分手当てできます。柿の葉を揉んで貼るのもよいです。蜂に刺された時はすぐに梅干を口にしたり、生姜を入れない梅生番茶を飲むと安心です。蜂に刺される前には果物や糖分を摂り過ぎていたことが多いのです。
2022年7月19日 : デコさんの生き方Part2
 中島デコさんの自然体と命の全体観はどのように培われてきたのでしょうか?
 デコさんは東京生まれの東京育ちです。都会で育ってきたデコさんは学生時代に演劇をしていたといいます。演劇の先輩からマクロビオティックのことを教わり、十代からマクロビオティックを実践し始めたというのです。その先輩は橋本宙八さんといって、今ではマクロビオティックの重鎮・大御所の人です。橋本宙八さんのマクロビオティックの熱い想いがデコさんにもひそかに伝わったのではないかと思うのですが、当のデコさんは、どこ吹く風、自分の感性がマクロビオティックにビビッと来たというのです。
 デコさんはリマ先生(桜沢如一の妻)から食養料理を習っているのですが、お話し会前の打ち合わせの時に私が「リマ先生からの影響がマクロビオティックを続けてきた原動力になっていますか?」という質問をしたら、即答で「全然」とあっけらかんとして言うのです。私はこれがデコさんの素晴らしいところだと感じ入ったのです。私などは、文章や講演から、桜沢如一や大森英桜から大きな影響を受けて、マクロビオティックの道が始まりました。そして今も、その影響は大きく、自分の基礎を成していると思うのです。ところがデコさんは、そういったロジカルなところは「ほどほど」に、あくまで感性でそれを成してきたのです。ですからリマ先生への感想も、八十を過ぎたご高齢でありながらも「しなやかにかわいらしく、それでいて力強い女性」に驚き、マクロビオティックをしていたらこんな女性になれるんだという憧れを抱いたというのです。とはいえ、それよりもっと大事なことは感性だとデコさんは言いたいのです。
 東京生まれ東京育ちのデコさんが千葉の田舎で農的暮らしを営むようになったのは、感性優位のマクロビオティック生活をしていたからだといいます。マクロビオティックの基礎となっているのは、自然の植物であり、自然の植物から造られる食物です。日本人であれば田んぼからとれるお米や畑からとれる大豆や野菜、そして、みそ、しょうゆ等の発酵食品が私たちの食生活の基本になります。ただマクロビオティックを実践していたら、より自然に生きたいという想いが強くなってきて、それを実現したに過ぎないというのです。デコさんの自分の感性を実行に移すところに多くの人が憧れるのです。
 自分の感性を大切にマクロビオティックを実践していたらいつの日か、自然な農的暮らしをして、出産も育児も自然に行っていたというのです。その中で、人間関係も自然体、一期一会、「こだわらず、とらわれず、かたよらず」、Let it be「あるがまま」に暮らしてきたといいます。もちろん中島デコさんも人間ですから、喜怒哀楽あったといいます。それでも喜怒哀楽のすべてがいとおしく、中島デコという人間を作っていったのだと思います。人間の喜怒哀楽そのものが陰陽であり、自然であるのですから。
 デコさんは農的暮らしを基本にマクロビオティックを実践しながら、都会の生活では難しかった土と一体となる生活を実現していきます。デコさんの命の全体観は土と繋がる生活の中ら醸し出されてきたのではないかと思うのです。私たちはこの大きな大宇宙の中で生きています。地球という大地はこの宇宙を絶え間なく動いています。大きく見れば、大地そのものが宇宙であり、そこに住む私たちも宇宙そのものだと思うのです。土に触れ、土から育まれた植物の命をいただく生活を通して、「命はひとつ」であるという感性が育まれるものだと思います。
 都会的暮らしは農的暮らしが命を継続していくうえでなくてはならないものだと認識させてくれます。暮らしという点においては陰陽の関係でもあります。デコさんはこの都会的暮らし、農的暮らし、陰陽両方の暮らしを体験してきたのです。この陰陽の暮らしから感性を高め、自然体と命の全体観が培われてきたのではないかと思うのです。
2022年5月19日 : デコさんの生き方
 去年の秋、マクロビオティックの先輩である中島デコさんがはじめて和道に来てくれて、ゆっくりいろいろとお話しする機会がありました。その時の話の中で、私がデコさんに「自然な生活しながら子育てしてきて、子育て大変でなかったですか?」と聞いたら、デコさんは「子育てって何?」と言うのです。「子育てそのものが生活だから、そんなに大変だったらできないよ」と言うのです。
 ライフワークバランスなんて言葉がありますが、ライフとワークが別物になっていると、その中のジレンマで、子育てや仕事が辛くなってくることがとても多いのではないかと思うのです。デコさんはライフでもなくワークでもなく、ただ生活を丁寧にしてきて、その中で生まれて来てくれた子どもたちと一緒に生活してきたのです。その生活の積み重ねの中で子どもたちは自然に成長して大人になっていったのではないかと思うのです。
 マクロビオティックを普及している人の中で、自分の子どもがその普及に携わることはなかなか珍しいのですが、デコさんは家族ぐるみでマクロビオティックの普及をしているのです。当の本人のデコさんは、マクロビオティックと言えるものでないと謙遜しますが、考え方・生き方はずばりマクロビオティックそのものだと思うのです。そんな生き方を成人した子どもたちも巻き込んで実践しているその秘密を知りたくて、先日「中島デコさんの自然な暮らし方・生き方」と称するお話し会と合宿を和道で開いたのです。当初はデコさんひとりで来るはずだったのですが、長女の子嶺麻さんも来てくれることになり、親子でのお話し会&合宿が実現したのです。子嶺麻さんには5人(二男三女)のお子さんがいて、そのうちの女の子3人を連れて来てくれました。デコさんチーム女子三世代で和道に来てくれたのです。
 合宿を通して、デコさんと子嶺麻さんの関係性、デコさんのお孫さん達との関わり、そしてデコさんの他の方への接し方をみていてあることに気づきました。デコさんの子どもたちがマクロビオティックという自然な暮らし方・生き方を実践するようになっているワケが、私なりにわかったのです。
 それはデコさんが人を魂のレベルで関わり、接しているからだと感じたのです。
 私たちは学歴や職歴、経歴、肩書などで人を判断しがちなところがあります。自分の子どもにさえ、いや自分の子どもだからこそ、学歴を積んで、いい職業に就き、いい経歴を積ませて、いい肩書を持たせて人並み以上の収入を得てほしい、などと考える親は少なくありません。ところがデコさんは、もちろん学歴や職歴を無意味・無価値と考えているわけではないと思うのですが、もっと大きな命としての魂の視点で子どもを含めて周りの人たちを見ているのです。この視点は、はじめ塾の和田先生もそうなのです。人の根源的な幸せというものを一番大事にしているのです。人間を含めてすべての動物がハダカで生れてきて、幸せになるために生きているのです。この根源的な命の視点を持っているのが自然なのです。
 多くの人が自然に接すると癒されるように、自然体の人に接すると人は癒されます。マクロビオティックも自然体で実践するところに、自然と人が集まってくるのです。それが自分の子どもであれば、継承していくことも自然であると思うのです。
 デコさんの無理のない自然な生活の積み重ねを見てきた子どもたちは、社会に出てそれぞれの人生を歩みながらも、いつしかデコさんと同じような生活に戻って、デコさんと同じようでいて違った感性でマクロビオティックを実践するようになっていったと思うのです。