耳をすませば

 わたしの道場(和道)から2キロほど離れたところに私鉄(上信電鉄)が走っています。1時間に往復それぞれ1回ずつしか走らない超ローカルな鉄道です。
 昼間の時間は電車の走る音はまったく聞こえなのですが、早朝や夜静かになった時、ガタンゴトンとかすかではありますが、電車の走る音が聞こえます。昼間も早朝も夜も、電車の音は変わらないのに、私たちの耳は早朝と夜しか電車の音を捉えることができません。昼間は車の音や工場の音が、私たちの耳で捉えているわけではないのですが、電車の音を掻き消しているのだとおもいます。
 私たちの身体もまた同じで、静かに耳をすませば聞けえるものが、さまざまな雑音で認識できていないところが少なからずあります。
 食と呼吸を静めると体を流れる血液の音まで聞こえてきます。体を静めたら耳鳴りがしたとか、イライラしたというのは、それ自体が排毒反応ですから、有難いものです。食と呼吸を慎んで体と心を静めるということは、いわゆる瞑想にあたるのですが、特別なことはなく、ダレでもドコでもイツでもできることです。
 私たちの体はさまざまな情報が詰まっています。人間は一度あたまに入ったことは、絶対に無くなりはしないと云われます。ボケの前兆で「あれ、あれ」発言が多くのなるのは、頭から出てこないだけで、頭から消えてしまっているわけではないのです。
 ご先祖さんからの情報もまた同じです。私たちの遺伝子にはあらゆる先祖の情報が書き込まれていると云われます。
 食と呼吸を慎み、瞑想が深くなってくると、さまざまな記憶がよみがえってきます。小さい頃の想いでも、先祖の体験した遺伝子の記憶も時にパッと出てくることさえあるのが生命の不思議です。
 そして、私たちの血液がキレイになってくると、その記憶のヨミガエリにあるおもしろい変化があることを体験することができるのです。(つづく)