運命を開く

 父の食改善は今から35年ほど前にさかのぼります。
 祖父のパーキンソン病、父本人の病弱さ、そして仮死状態で生まれた私。男三代、病弱な家族は、マクロビオティックなくして存続しえなかった。
 陰極まって陽、とマクロビオティックではよく言います。病も極まらなくては健康に向かわないものです。祖父のパーキンソン病だけでは健康への道を歩みだせなかった。父の病弱さだけでもまだ足らなかった。わたしが仮死状態で生まれ、病弱な体であったからこそ、健康への道を歩みだすことができたのです。
 多くの食養相談をさせてもらってわかったことですが、健康への道を歩みだせるかどうかは、病の極みに到達したかどうかです。
 食の間違いによる病と不幸の悪循環から、食いあらためたことによって、良循環に転ずるまでには根気と時間がかかるものです。師の故石田英湾先生は「あせらず、あわてず、あきらめず」と事あるごとに言っていました。
 食事と生活を創意工夫を持って取り組んでいくことです。陰陽のモノサシを使い、時には陰陽にとらわれずに自分の感覚を大事にして食と生活に取り組むことです。
 陰陽を捨てることも陰陽です。思想家の吉本隆明が「知識は殺してこそ活かされる」と言っていました。昔から「論語読みの論語知らず」と云います。陰陽も頭で考えていることから、体に身についてこそ生きてくるものです。これには日々の食と生活が何と言っても一番大事です。
 そして、生活の良循環をなるべく早く身につけるのにある一定期間の半断食がスバラシ効果を発揮すると、わたしの体験から思い至ったのです。(つづく)

 昭和51年11月10日、わたしは生まれました。仮死状態で生まれたと、母から聞かされていたのですが、昨年、自分の母子手帳を母からはじめて見せてもらいビックリ、出産の状態として「仮死産」とあるのです。聞かされてはいたものの母子手帳を目の当たりにすると、自分のことながら、出生時の大変さに想いが巡りました。
 仮死産で生まれ、二日半、口から羊水を吐き続けて三日目にはじめて産声を上げて母乳を飲んだといいます。生まれて早々、二日半の断食だったのです。四十年近く経ち、今の私が断食に関わる仕事をしているわけですから、人生とはオモシロイものです。仮死状態から三日目に蘇生したのです。生い立ちというものは人生を大きく左右することもあると、今になって想います。
 母が分娩にかかった時間は丸々二日あったといいます。陣痛が48時間以上続いたというのですから大変なものです。150センチに満たない母の小さなからだ。骨盤の可動も小さく、陽性だったのでしょう。陽性がゆえに秋の果物をたくさん摂ったといいますから、お腹の中のわたしは陰性になって体は大きくなっていました。
 体重3400グラムで頭位は36センチ。36センチの頭位はかなり大きいですから、産道を通るのに長い時間を要したのも想像に難しくありません。
 48時間もお産に要したわけですから、生まれた直後の私はくたびれてグッタリしていたのかもしれません。弱さの中に強さがあると、無双原理では考えますが、私の生い立ちもまた、それだったわけです。
 陰は陽になり、陽は陰になる。15才に時に陰陽を知ることができたのは、生い立ちの苦労があったからこそだと、今になっておもいます。
 「若い時の苦労は買ってでもしろ」本当のことです。
 苦労の中を歩んでいることこそが幸せだと桜沢如一は云います。苦労の中を歩むことができるかどうか、それは食にかかっているのです。(つづく)

 失敗と成功は陰陽です。成功したからといってぬか喜びに喜んでいると、またいつか失敗します。失敗は成功の母と云いますが、陰と陽は男女とも親子ともいえます。
 苦労の中を歩むことができるかどうか、人生の醍醐味です。
 苦労の中を自暴自棄になったり、失意と嫉妬で自分を見失ったりすることは、もったいないことです。苦労そのものが自分を鍛えてくれるわけですから、手をたたいて喜び勇んだらよいのです。
 人生は選択の連続です。やさしい道とむずかしい道の選択。これもまた陰陽。やさしい道を選べば、苦労というフロクがついてきて、むずかしい道を選ぶとヨロコビというオマケがついてくる。人生を何十年もやってきた人にはよくわかることです。
 人生は選択を繰り返して、わたしたちは心身ともに洗濯されてキレイになっていきます。
 ムズカシイ道を選択することを精進というのですが、精進の道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっています。精進料理の本当の意味は、ムズカシイ道を歩むことのできる心身を養い育む料理ということです。
 そして、人生の洗濯をしっかり修めると、人生は選択する必要が無くなってくる。すべてのことを受け入れて、心身のヨドミが無くなっている。
 心と体にヨドミのあるうちは、人生の選択がたくさん訪れます。その選択をいつも、やさしい道ばかり選択していると、人生の選択はいつまでたっても終わらない。ついには亡くなる直前まで、人生の選択に迫られて、失意と絶望とともに亡くならざるをえないものです。
 ムズカシイ道を選択している人はとても潔く、清々しく生きています。潔く、清々しいからむずかしい道を選択できているともいえます。人生の開運法は、ムズカシイ道の選択です。そして、ムズカシイ道を喜びとともに歩めるかどうかは食にかかっているわけですから、人生の開運法の最大のものは食であるのです。