テンパる転じ、、、

 「テンパる」という言葉は俗語と云われるが、若者世代では広く認知されている。麻雀の聴牌(てんぱい:もう一枚の牌が入れば上がれる状態になること)が語源になって、最初は「準備万全の状態になる」という意味から、「余裕がなくなる」「あわてて動揺する」「焦る」などの意味に変わっていったという。
 藪(やぶ)医者も元は、藪(やぶ)に住む腕のいい医者が広く知られるようになって、そのうちに腕の立たない下手な医者までもが、藪医者と名乗るようになってから、藪(やぶ)医者は下手な医者になったという。言葉はその発生から意味が逆になることが少なくない。言葉も生き物であって、陰陽の変化が激しい様を物語っている。
 テンパった状態では物事はうまく進まない。何事も余裕のない状態で続けていると、どこかで必ずほころびが生じる。
 時々テンパるのはしょうがない。人は言葉に出して、自分の置かれた状況と状態を把握する生き物である。若者が「テンパってる」と言うのは、自分の状況と状態を客観視して、本能的に冷静になろうと努めているのだろう。ある種のストレス発散でもある。
 幼子はもっとすごい。嫌な時にはオギャーと泣いて、ストレスから解放されたら、ケロッとしてニコニコしている。子どもは友達や兄弟とケンカしても仲直りが早い。大人はひとたび大人同士ケンカをしたら、修復は難しいから、そう簡単にケンカすることはないし、できない。嫌なことがあってもググッと奥歯をかみしめて、ガマンすることがいかに多いか。
 子どもと大人の心の中を覗いてみたら、どっちの方が「テンパっているか」、一目瞭然だろう。
 テンパっているのは心だけではない。からだの細胞と臓器に余裕がないからテンパってしまう。からだの状態を心が鏡に映し出している。脳にはミラーニューロン(鏡の神経細胞)があるといわれる。習うは「倣う」ことからというのも、このミラーニューロンが脳を刺激するからである。ミラーニューロンは視覚などの感覚からの刺激だけでなく、からだに溜った毒素を脳の中に鏡写ししているのかもしれない。
 断食をしたことのある人はテンパった状態がいつの日か転じているのを感じたことがあるだろう。「禍を転じて福と為す」と云われるが、断食は禍を招く前に、福に転ずる生き方である。マクロビオティックそのものがそのような生き方であるが、断食を組み入れることは、その生き方を確固とする
 テンパっている人、テンパらない生き方をしたい人、ご縁ある方に断食(半断食)をおすすめしたい。現代社会そのものがテンパっている今、断食が社会の変革を促すものだと確信している。