判断力は直観力、感覚力、考察力、思考力、決断力、行動力、そして生命力を統合した力ではないかとおもう。
以前まで代表を務めていた「こくさいや」では生産者から届いた野菜を袋詰めする仕事がある。人参やジャガイモを1キロ、2キロなどと正確に袋に詰めなくてはならない。セイカクには1キロであれば1キロにプラスニ~三十グラム余計に袋詰めしなくてはならない。
慣れない者が行うと人参を1キロにするのに時間がかかる。1キロ60グラムになったり、980グラムになったりと中々1キロプラスαが難しい。ところが、慣れた者が行うと、躊躇なくピッタリ1キロ30グラムに計ることが出来る。何度かやり直ししながらというのはまだプロの域ではなく、人参やジャガイモを見たり手で触ったりしながら、計り直すことなく、一回の計測で目的の重さに計ってしまう。
これは感覚力のたまものである。視覚と手の感覚で野菜の重さを瞬時に判断しているのだろう。
競馬の武豊騎手は、騎乗している馬が石を踏むと、自分も石を踏んだような感覚になると云う。まさに人馬一体である。
体操の一流選手は自分で演技しながらも、客観的に自分の演技を見ている自分がいるという。
サッカー選手も一流になると、ピッチで駆け回っていながらも、グランド全体を見渡している自分もいるという。サッカーボールを自由自在におもいのままに動かすのは人玉一体というのか。。。
大工や伝統工芸の職人も、工具が自分の一部になって、家や工芸品を作ってしまう。
人間の感覚力はAI(人工知能)ではまだまだ到達しえない能力と領域が存在する。
人工では決してできない生命を誕生させることは、これは女性にしかできない。男性の力をかりて、女性にしか、命を生むことはできない。命があった上での競争は男性やAIの得意とすることかもしれないが、命を生むことは男性にもAIにも絶対にできないことである。
いつの世でも生命が生きていくのに一番大事なことは、判断力を高める努力を、面白く、楽しく、生活の中で実践していくことである。楽しいものでなくては続かない。
マクロビオティックは判断力を高める生き方である。
判断力はさまざまな生きる力の総称である。競馬でもサッカーでも家造りや伝統工芸でも、それぞれに生きる道の中で、食と生活を通して判断力を高めていくことである。AIであっても、AIを生み出す技術者も食と生活がなくてはAIを生み出すことはできない。AIも間接的には食と生活があってこそである。
すべての道で、その道を究めようとするならば、食と生活が秩序あるものでなくては、極めることはできない。むしろ私たちは、それぞれの道を歩まさせていただきながら、その道を通して、食と生活の真理を学びにこの世に降り立っているのかもしれない。食と生活は大自然につながった、自然そのものと言っていいのだから、私たちは自然というものの中で生かされていることを様々な道を通して認識するために生きているのだろう。
判断力を高めることは本当に易しいことである。好きなことをコツコツと実践することである。秩序ある食と生活で無かったら、好きなことも道半ばまでしか続かない。秩序ある食と生活を伴って好きなことをコツコツ続けていくことが、判断力を高めるコツである。
判断力を高めることを、運命を開くと云ってもいい。行き詰まりを解消する道といってもいい。好きなことを実践することが判断力を高める。