観を育てる

 我が家の子どもたちは、夜、時に布団の上で大運動会をすることがあります。起きている間はもちろん、大騒動ですが、寝静まってからも一呼吸置いて大運動会がはじまることがあるのです。あっちへ行き、こっちへ行き、と部屋を一周することもあります。これはもちろん寝相のことです。
 普段はそれほど動き回らないのですが、時にもの凄い寝相で親の顔の上に足が乗ってくることもあります。
 数年前に観た芸者さんが主人公の映画がありました。その中で夜寝ている間中寝返りを打たずに微動だにしないよう寝相においても鍛錬する場面がありました。これは昼間の稽古で心身ともに力を出し切ったその結果として、質のよい深い睡眠の表層現象として寝ている間微動だにせず、ということがあらわれるのです。
 寝相も心身の浄化作用です。昼間溜め込んだ余剰エネルギーを夜寝ている間に無意識に発散しているのが寝相における動です。一方、心身ともに無理なく、無駄なく、ムラのない状態にあると寝ている間であっても微動だにしないのです。これは静。メリハリという言葉があります。これは陰陽の別名ともいえます。
 子どもたちは日中に十分に遊び疲れないと夜にその余ったエネルギーを寝相で発散させているのです。それが大人になると不眠症になってしまうのです。
 心身ともに「出し惜しみせず」その場その場でまさに一所懸命、ちからを使い切る。そうすると何よりも心もからだもスッキリして身が洗われる。力を出し切ることによってからだに滞っていたものが流れ出し、浄化されていくのです。さらにはカンが育ってくる。小さな子供であれば感が育ち、もう少し大きな子供であれば勘が育ち、大人であっても観が育ってくるのです。カンを育てるとは心身の浄化のことなのです。
 和田重宏さんの『観を育てる』(地湧社)という本があります。その中で「出し惜しみしない生き方は行き詰らない生き方の基本だ」とあります。食養的に解釈してもとても納得する言葉です。
 出し惜しみしないとはちからを使いきる、やりきる、ということであり、食とからだの関係の上では食べた食物を消化しきる、吸収しきる、排泄しきる、ということです。
 消化吸収、排泄がしきれない食物をからだに摂り入れているとからだはコリや痛みや痒みとなって生理的症状としてあらわれます。心理的にも怒り、恨み、妬みなどの心のコリとして表出するのです。
 「疲れ」というものを考えてみてもそうです。疲れは心身のコリです。ちからを出し切らない、発散しきらない、コリを解消しきらない、それが疲れの本当の原因です。
 熱い夏、ただそこに居るだけで汗をかくとおもいます。汗をかくと皮膚がベタベタして嫌な感じになることもあります。しかし、からだを充分動かし、汗をかききるととても清々しく、爽快感がでてきます。汗ひとつとっても「かききる」とコリがほぐれてからだが浄化されていくのです。
 陽性な人ではからだを弱アルカリ化させるお茶や椎茸スープや野菜スープなどを摂りつつ汗をかききることが重要です。一方陰性な人では梅干や梅生番茶、醤油番茶などの塩気を摂りつつ汗をかききると心身ともにすっきりします。
 行き詰るとは心身にコリがあるそのことを行き詰って教えてくれているのです。「からだと心にコリがあるよ」と行き詰り自体が教えているのです。行き詰まりは「生き詰まり」であり「息の詰まり」です。
 行き詰ってしまったら、呼吸という陰陽を調え、食の陰陽を調え、断食や塩断ち(無塩食)をして胃腸のコリをほぐすことです。何もしないことでからだの中では溜まった毒素を「排毒しきる」ちからが強くはたらきます。仕事にしても遊びにしても家事にしても子育てにしても「やりきる」こと、一方、からだの中では毒素を「排毒しきる」こと、それが行き詰らないコツであり、観を育てるコツであるとおもうのです。