ただ自然に

 私たちは「ただ自然に」生きていれば、本来は、健康で自由で平和な生き方ができるのですが、悲しいかな、私たちの体の細胞には「不自然な」ものが多分に含まれています。以前も紹介しましたが、PATMという病気があります。石油化学物質が体に染み込み、ベンゼンやトルエンなどの石油化学物質の臭いが体から出ているというのがPATMという病気です。
 私たちは「ただ自然に」生きることがとても難しくなってしまった時代に生を受けています。もちろん、自然という解釈には様々あります。石油だって地下深くに眠っていた太古の動物の死骸ですから、自然という解釈を広げれば自然であるといえなくもありません。しかし、石油を私たちの肌に直接塗れば、私たちの細胞はガン化します。植物の油を塗っても私たちの細胞はガン化しませんが、石油ではガン化する。そんなシロモノを食品に使ったり、洗濯や衣料品、化粧品や香水などに使っているのです。口や鼻、肌を通して私たちは石油化学物質に晒されているのです。そんな時代が、明治からはじまる近代化であり、戦後日本が歩んできた工業国としての負の一面であったのです。
 そう考えると生命力(生理学的には免疫力)を高めるものが自然で、低下させるものが不自然と言っていいのではないでしょうか。
 PATMを発症していなくとも、私たちの体には石油化学物質が少なからず溜まっています。アレルギーや化学物質過敏症、糖尿病やガンなども大きく見れば石油化学物質の害といえます。これらでできた細胞を排毒させることが、現代では差し迫って一番重要なことだと、私は食養指導を通して強く感じるのです。
 体に溜まったこれらの毒素は、有難いかな、私たちの心身に様々な病気として表出させます。これらを私たちは排毒反応と言っています。体が痛くなったり、熱を持ったり、または逆に冷えたりします。これからの季節、花粉症が多くなりますが、鼻水や目のかゆみも、排毒反応です。心の面を見れば、自己中心的でワガママになったり、自己保身が過ぎて排他的になったりします。体においても心においても、周りの人を不愉快にするのが、排毒反応です。
 桜沢如一の健康の七大条件の一つに「万事スマート」というのがあります。体に毒素が溜まっていたら、決して実現できるものではありません。
 不自然なシロモノが体に溜まった現代人が「ただ自然に」生きようとすると、有難いかな、様々な排毒反応を経験させてくれます。これらの経験は心身を浄化させて、私たちの本来の生命力を湧きあがらせてくれます。人間本来の生命力は自分と他人の区別ない、自他ともに喜びあい、高めあう、それを自然に分かち合える命であるのです。貶めあったり、蔑みあうのは、体内の毒素を排泄しようとする排毒反応としての心理であるのです。貶めあったり、蔑みあったりすれば、必ず当事者に難しさが降りかかりますから、まさに難あり有難く、試練を経験させてくれるのです。そんな生き方が、現代のマクロビオティックです。
 平成の時代は、昭和に輪をかけて、毒素がより一層溜まった時代でした。しかし、平成の後半は、それらの浄化も少しずつではありますが目が向けられるようになってきました。平成の次の時代は、浄化にますます拍車がかからなければ、決して大げさなことでなく、人類の存続も危ぶまれるように感じています。排毒の時代をいかにオモシロ楽しく歩んでいくか。それもまた、マクロビオティックのひとつのアソビではないかと考えています。