新しき世界へ

 文明の発展は人類の知能が発達したわけではなく、知識の集積によると云われています。
 現人類の脳容積の平均は1450ccといわれます。数千年前に存在した縄文人は1500cc、数万年前に存在したネアンデルタール人は1600ccもあったと考古学的にわかっています。脳の大きさと知能の相関にはさまざまなな説がありますから、ここでは触れません。しかし、現代は膨大な量の知識が過去から集積され、日々の生活はその恩恵をうけていますが、知恵や知能が縄文人よりも優れているかというと、疑わしいところが多々あります。
 わたしは脳の大きさは食物の硬さによるのではないかと考えています。硬い食べ物を噛んで噛んで噛みしめた結果、脳が大きくなったとおもうのです。脳が大きくなり高次な知能を獲得し生物の頂点に達したヒトは、盛者必衰のごとく、数万年の流れの中では、今衰亡の道を歩んでいるようにおもわれます。
 噛んで噛んで噛みしめて造られた人類の頭脳の中でもっとも尊い特徴は「慎み」ではないか、と私は思うのです。人類は苦労の連続によって文明を創ってきましたが、発達した文明は人類を怠惰へ向かわせました。歴史を数千年、数万年単位で見ても盛者必衰(陰陽)はあきらかです。その中でわたしたちは次の世代に永続的な生命の鎖を繋いでいくには「慎み」が大切なのではないかとおもうのです。
 車が発明されて人は歩くことが少なくなり、楽(ラク)になりました。電気が発明されて暗闇がなくなり、静かなはずの夜が昼間のようににぎやかになりました。しかし、車は体と脳を聡明にしてくれる歩行を奪い、生命力を貶めてしまいました。電気は、心身を浄化してくれる暗闇を人間から奪うことによって、さまざまな疾病を作り出してしまったのです。今わたしたちは、生命の輝きを失ってはじめて、物質に依存した文明の本質に気付いたのです。
 原発問題にゆれる昨今、エネルギー政策は太陽光などの自然エネルギーにも向かおうとしています。しかし、無公害といわれるエネルギーであっても、人間が慎みなくそれに過剰に依存するならば、必ず生命の滅亡を早めます。一見楽そうであってもその裏にある苦の面を見通すことこそが「慎み」ではないでしょうか。楽(ラク)を求めて生きてきましたが、その実は病気や災難などの落(ラク)が待っていたのです。本当の「楽しみ」は「慎み」の生活の中に存在することに気づかされた私たちは、これから新しき世界を築いていかなければなりません。