感染症と動物食

 テレビ、新聞、インターネット、情報という情報から、新型コロナウイルスの地球規模での感染が広がっているようです。今のところ実体感なき感染というのが一般市民の率直な感想ではないでしょうか。ヨーロッパに何人か知人がいるので様子を聞いてみたのですが、みんな揃って自分たちの周りでは感染者はいないと言うのです。
 感染が広がってきているとはいえ、5.7現在で日本では感染者は約1.5万人ですから人口1億2千万に対して0.00012%、世界では約370万人の感染者ですから人口約70憶に対して0.00053%です。身近に新型コロナウイルスに罹患した人を見かけることはまずないというのが確率論から言ってもうなずけます。
 とはいえ、ひとつの感染症で病院に多くの患者が押しかけたら、世間で言われるような医療崩壊が起こってもおかしくはないでしょう。
 新型コロナウイルスの問題の底辺にあるのが私たちの生き方ではないかと思うのです。身体の症状が出たら何でも病院に行くという姿勢では病気は治るべくもないのです。病は本質的には自分で治す以外にはないのです。自らの治癒力を免疫力とも自然治癒力ともいいますが、この力を信じて高める以外に、病は治らないです。むしろ、病は身体を良くしようという働きで出ていますから、病という体の働きを邪魔しないことであるのです。
 今回は自然治癒力についてのことに触れるのではなく、新型コロナウイルスから今後の生き方を考えていきたいと思います。
 感染症が蔓延した歴史は枚挙にいとまがありません。天然痘は仏教伝来とともに大陸から日本に入ってきたとされ、奈良時代には平城京で大流行したといわれています。コロンブスの新大陸発見以降も様々な伝染病が旧大陸から持ち込まれ、先住民が壊滅的被害を受けたとも伝えられています。中世ヨーロッパがペストの流行で壊滅的状況に陥ったのも、主要国の都市同士で人の往来が活発化したところにアジアから菌が持ち込まれ、一気に広がったというのです。
 今回の新型コロナウイルスの広がりも世界の交流が活発になり、世界が一つになりつつある状況下で引き起こされています。私たちは、国や都市、そして私たちひとり一人が、さまざまな形でつながる開放系の社会の中で生きています。近年の歴史も開放系社会の構築そのものが歴史になっています。ウイルスを専門とする多くの学者は、感染症との戦いは開放系社会の宿命であると言っています。
 人と人の交流は気の交流であり、それが濃密になれば血液の交流になりさえします。
 開放系社会に暮らす私たちは、開放しても差し支えない、周りの人に振りまいても問題のない、そんな気を振りまかなくてはなりません。食養的に考えると気は血から生まれています。力(ちから)は「血から」といわれています。病原ウイルスが繁殖するような血液を持っていたら開放系社会では、個人の問題にとどまらず、社会全体の問題にまで広がってしまうことを新型コロナウイルスが教えてくれているのではないでしょうか。
 世界はひとつになりつつあります。以前紹介したようにウイルスは生命の進化を促すものです。世界がよりよくひとつになるためにウイルスは働いているのではないかとおもうのです。
 病原ウイルスが繁殖するような血液は、身土不二という自然を無視した食生活から造られる血液ではないかと私は考えています。今回の新型コロナウイルスの感染が拡大している地域をみると肉食が多いところであるのです。陰陽(無双原理)で見れば、陽性な人間と陽性な動物は結ばれないのです。生物学的には人間は動物ですから、植物に比べたら陽性です。その陽性な動物である人間が陽性な動物を食すことにはどうしても無理があるのです。感染症は動物食からの警告と言ってもいいでしょう。