貧血と断食

 和道で行う半断食は、登山のように、上りと下りがあります。上りがごく少量の玄米粥をよく噛み、下りは体に合わせた飲み物や食べ物を食べていくのです。この下りを回復食といっていますが、回復食の内容は人様々なのです。
 貧血の人は断食は辛いと感じてしまいますが、一時的に断食をしないと腸の消化吸収力が高まらず、貧血を根本的に改善するのは難しいのです。
 ある夏のことでした。鉄欠乏性貧血の女性が半断食合宿に参加した時のことです。丸一日、極少食の半断食を実践したら、顔から血の気が引いて、立っているのも大変なほどになりました。これは排毒反応とは違って、腸からの栄養吸収が抑えられたことで、元々の貧血がより強く出てきてしまったのです。このような状態なると半断食の上りの行はお終いにして、回復食を始めます。体に合った食事を徐々に増やしていくのです。この時に和道では、味覚のチェックをして、より美味しく感じるものを回復食の中に取り入れていきます。(多くの場合、半断食をすると3~4日目に排毒反応があらわれることが多いのですが、貧血の強い人はそれとは違う症状が出ることが少なくないのです)
 鉄欠乏性貧血の人で回復食の柱になるのが、味噌であることが多いのです。断食によって貧血が進んだこの女性も、回復食でとるみそ汁が今まで食べてきたものの中で一番おいしい、というほど美味しかったようです。みそ汁から始まり、徐々に味噌おじや、根菜のみそ煮込み、海藻のみそ煮込み等を、日を追うごとに増やしていきました。すると、半断食を開始する前の顔色よりも赤みが出てきたのです。下瞼の内側の血色も、半断食前よりも赤みが強くなり、元々あった立ち眩みも消えていました。
 鉄欠乏性貧血だけではなく、低血圧や痩せている人など、一見すると断食が合わなそうな人であっても、回復食を上手に取り組むことで症状を改善させるのです。一時的に極少食にして、玄米粥を徹底して噛むことが腸に良い刺激になっているのでしょう。生姜シップによって、お腹や背中から腸を含めた内臓を徹底して温めているのも大きな働きです。さらに、瞑想を伴った運動、ウォーキングも大きいと感じています。
 食養では味噌(みそ)は身礎(みそ)と考えています。味噌は大豆を麹によって発酵させた食品です。大豆は畑の肉とも呼ばれ、たんぱく質が豊富です。しかし、大豆のたんぱく質はそのままでは消化し難く、昔から味噌、醤油、納豆、豆腐など、ひと手間ふた手間、時間をかけて作られてきました。この加工の工程には微生物(細菌)が欠かせない働きをしてきたのです。
 もう一人、味噌に救われた人を紹介しましょう。子宮頸がんの女性で、大量の不正出血を起こし、急激な貧血になってしまった時です。食養では止血に、よもぎ、ごま塩、醤油入り三年番茶などを使います。これも、自分に合った止血法を見つけることです。この人には「よもぎ」がてきめんに効いたのです。
 大さじ一杯のよもぎの粉末をくず湯に溶いて飲んだだけで大量の不正出血が止まったのです。時間を空けて、もう二杯のよもぎ粉末を摂ったら、一日で出血は治まりました。その後は、前出の鉄欠乏性貧血の人と同じようにみそ料理を少しずつ増やしていったら、不正出血を起こす前よりも元気になっていったのです。
 この大量の不正出血も大きな症状であるのですが、ある種の排毒になって、その後の回復食を上手に進めることで症状を改善させていったのです。
 とはいえ、味噌を美味しく感じずに造血になるからと味覚欲求を無視して食べ続けるのはよくありません。美味しく感じるかどうかが、自分に合っているかどうかなのを忘れないでください。

貧血と断食

 和道で行う半断食は、登山のように、上りと下りがあります。上りがごく少量の玄米粥をよく噛み、下りは体に合わせた飲み物や食べ物を食べていくのです。この下りを回復食といっていますが、回復食の内容は人様々なのです。
 貧血の人は断食は辛いと感じてしまいますが、一時的に断食をしないと腸の消化吸収力が高まらず、貧血を根本的に改善するのは難しいのです。
 ある夏のことでした。鉄欠乏性貧血の女性が半断食合宿に参加した時のことです。丸一日、極少食の半断食を実践したら、顔から血の気が引いて、立っているのも大変なほどになりました。これは排毒反応とは違って、腸からの栄養吸収が抑えられたことで、元々の貧血がより強く出てきてしまったのです。このような状態なると半断食の上りの行はお終いにして、回復食を始めます。体に合った食事を徐々に増やしていくのです。この時に和道では、味覚のチェックをして、より美味しく感じるものを回復食の中に取り入れていきます。(多くの場合、半断食をすると3~4日目に排毒反応があらわれることが多いのですが、貧血の強い人はそれとは違う症状が出ることが少なくないのです)
 鉄欠乏性貧血の人で回復食の柱になるのが、味噌であることが多いのです。断食によって貧血が進んだこの女性も、回復食でとるみそ汁が今まで食べてきたものの中で一番おいしい、というほど美味しかったようです。みそ汁から始まり、徐々に味噌おじや、根菜のみそ煮込み、海藻のみそ煮込み等を、日を追うごとに増やしていきました。すると、半断食を開始する前の顔色よりも赤みが出てきたのです。下瞼の内側の血色も、半断食前よりも赤みが強くなり、元々あった立ち眩みも消えていました。
 鉄欠乏性貧血だけではなく、低血圧や痩せている人など、一見すると断食が合わなそうな人であっても、回復食を上手に取り組むことで症状を改善させるのです。一時的に極少食にして、玄米粥を徹底して噛むことが腸に良い刺激になっているのでしょう。生姜シップによって、お腹や背中から腸を含めた内臓を徹底して温めているのも大きな働きです。さらに、瞑想を伴った運動、ウォーキングも大きいと感じています。
 食養では味噌(みそ)は身礎(みそ)と考えています。味噌は大豆を麹によって発酵させた食品です。大豆は畑の肉とも呼ばれ、たんぱく質が豊富です。しかし、大豆のたんぱく質はそのままでは消化し難く、昔から味噌、醤油、納豆、豆腐など、ひと手間ふた手間、時間をかけて作られてきました。この加工の工程には微生物(細菌)が欠かせない働きをしてきたのです。
 もう一人、味噌に救われた人を紹介しましょう。子宮頸がんの女性で、大量の不正出血を起こし、急激な貧血になってしまった時です。食養では止血に、よもぎ、ごま塩、醤油入り三年番茶などを使います。これも、自分に合った止血法を見つけることです。この人には「よもぎ」がてきめんに効いたのです。
 大さじ一杯のよもぎの粉末をくず湯に溶いて飲んだだけで大量の不正出血が止まったのです。時間を空けて、もう二杯のよもぎ粉末を摂ったら、一日で出血は治まりました。その後は、前出の鉄欠乏性貧血の人と同じようにみそ料理を少しずつ増やしていったら、不正出血を起こす前よりも元気になっていったのです。
 この大量の不正出血も大きな症状であるのですが、ある種の排毒になって、その後の回復食を上手に進めることで症状を改善させていったのです。
 とはいえ、味噌を美味しく感じずに造血になるからと味覚欲求を無視して食べ続けるのはよくありません。美味しく感じるかどうかが、自分に合っているかどうかなのを忘れないでください。

ネルソン・マンデラとアヒムサ

 南アフリカ共和国、黒人初の大統領ネルソン・マンデラは1918年7月18日に南アフリカで生を受けます。南アフリカは南半球ですから、7月といっても冬にあたります。ネルソンは、草が青々と生い茂り、なだらかにうねる丘が続き、川が流れる南アフリカの故郷の自然が大好きだったといいます。その川は東に向かって流れ、やがてインド洋にそそぐのです。夜になると、星座がひときわ明るく輝くアフリカの空のもと、村では大きなたき火の周りに皆が集まって、長老たちの話しに耳を傾けるのが日常の風景だったといいます。
 ネルソンは、あごひげを伸ばした老人たちがしてくれる物語を夢中で聞き入っていたといいます。「白人がやってくる前の古き良き時代」の話し。先祖たちが自分たちの国を守るために、ヨーロッパからやってきた侵略者と勇ましく戦った時の話し。こういう物語を聞きながら、ネルソンは自分も人々のために尽くしたいと思うようになっていったといいます。ネルソンが初めて通った学校は、アフリカ人だけの学校でしたが、歴史の教科書に書いてあるのはヨーロッパ人の英雄のことばかりだったといいます。時にアフリカ人のことが出てくると、「野蛮人」とか「ウシ泥棒」と書いてあるのを知り、ショックを受けました。
 しかし、ネルソンは学校の勉強だけなく、学校では教わらなかった南アフリカの歴史もいろいろと学びました。160年前に、鉄砲を持ったオランダ人やイギリス人が海の向こうからやって来て、槍しか持っていない黒人たちに戦争をしかけ、彼らの土地をほとんど全て取り上げてしまったこと。その後、ボーア戦争(ボーアというのはオランダ語で農民)でイギリス人がオランダ人を打ち負かし、それまでの敵だったオランダ人と権力を分かつようになったこと。イギリス人の政府は、南アフリカに対する完全な支配権を100万人の白人だけに与え、残りの450万人の非白人は政治に関われないようにしたのです。非白人とは、アフリカ人やアジア人、それに「カラード」と呼ばれる混血の人達のことです。
 白人だけの国会が、「白人」と「非白人」を切り離すための人種分離の法律を次々に通したのです。その狙いは、南アフリカの「非白人」を肉体労働者や使用人の地位に抑え込んでおくことにありました。この非人間的な政策を実行するのに、政府は暴力に頼りました。黒人はある一定の地域にしか住めないようにして、そこから出ようとする人たちを政府の飛行機で爆撃し、多くの黒人が命を落としたというのです。このような話をネルソンは、まだ小さい子どもの頃から聞いて育ちました。
 ネルソンが9才の時、父のヘンリー・マンデラが病気で亡くなります。父は自分の死期が近いことを知った時、ネルソンを大族長の所に預けます。そして、父の死後は大族長の養子になるのです。
 ネルソンは小さい時に父を亡くすという辛苦と、白人から迫害を受ける黒人としての苦難を一身に受けます。さらに、政治運動を志してから後に、政治犯・思想犯として28年にも及ぶ投獄生活は想像に余りある苦しみだったと思うのです。そんな状況にありながら、黒人と白人が共存するための融和をネルソン自身を含めて、白人への赦し(ゆるし)を中心にしたことは驚かざるを得ません。
 肉体を鍛えるのには体へ負荷をかける運動が大切です。一方で、心を鍛えるには、あつさ、ひもじさ、むずかしさ、さむさ、が必要だと思うのです。マクロビオティックを提唱した桜沢如一は頭文字をとって「あひむさ(アヒムサ)」といったのです。アヒムサはサンスクリット語で「アヒンムサ(不殺生)」に由来します。
 ネルソンへの教育は計らずもアヒムサ教育だったのです。アヒムサで鍛えられたネルソンは平和な社会の基礎には「ゆるし」がなくては存在しえないという想いに至るのです。

ネルソン・マンデラと陰陽

 2019年ラグビーワールドカップが日本で開催された時のことです。開会式の数日前に民放のテレビで「インビクタス/負けざる者たち」という映画が放映されました。私はこの映画を観るまで南アフリカ共和国、初の黒人大統領ネルソン・マンデラのことを詳しく知らなかったのです。南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)に立ち向かったネルソン・マンデラは有名ですが、その実態はなかなか知られていないのではないでしょうか。
 南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)は世界で一番長く残っていた人種差別政策といわれます。アパルトヘイトが撤廃されてもなお、白人の間では人種差別が残り、現実でも経済格差が強く残っていたといいます。
 1994年、ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国初の黒人大統領になります。翌年の1995年には南アフリカ共和国でラグビーワールドカップが開催されるのですが、マンデラ大統領は、民衆の間で残るアパルトヘイトによる人種間の恐怖と憎悪にラグビーを通して払拭しようとします。黒人と白人の共同チームを作り、人種間の高かった垣根を低いものとしようと試みるのです。
 アパルトヘイトによって虐げられてきた黒人の間では、アパルトヘイトの撤廃とネルソン・マンデラという黒人大統領の誕生で、南アフリカ共和国を黒人の国にしようという機運が盛り上がります。百年以上に渡って白人からの迫害を強いられてきた黒人の感情はそのようになって致し方ないものだと思います。しかし、マンデラ大統領は、あえては黒人の人達に白人の人達を「ゆるす」ことを説くのです。殴られたら殴り返していては、長く続く負の連鎖を断ち切ることができません。黒人と白人が協調して南アフリカ共和国を築いていくにはどのようにしたらよいか、マンデラ大統領はラグビーに希望の光を託すのです。
 黒人と白人が一緒のチームで戦うことの難しさは想像以上であったことでしょう。チームキャプテンの重責も計り知れません。白人の側も、黒人にすり寄ることを良しとしない人々が多かったというのです。分断の歴史を統合するのは時間のかかることです。そんな状況下でマンデラ大統領は白人に憎悪を向ける黒人に、憎悪を捨てて赦しの行為を呼びかけるのです。
 マンデラ大統領自身、大統領になる前、28年間にわたって投獄されていたのです。政治犯、思想犯として、アパルトヘイト政策の下では犯罪者として刑務所に閉じ込められていたのです。愛する家族と引き離され、閑に耐え続けたネルソン・マンデラが白人を赦すということは理解を超えたことではあるかもしれません。しかし、マンデラ大統領は人種の壁を越えて平和な社会を築いていくには、自らの「赦し・ゆるし」がなくては、人種の壁を越えられないという想いに至ったといいます。
 このことを理解するには、人間としてのネルソン・マンデラを知らなければわかりません。次回、ネルソン・マンデラの人生を観ていきますが、人種の陰陽と世界情勢を観てみても、有色人種が白色人種を陰性で包み込まなければ世界平和は訪れないと思うのです。熱帯という陽性な環境下では陰性な植物が育ち、それらの陰性な食によって陰性な人間が育まれます。一方、寒冷という陰性な環境下では陽性な肉食をせざるをえなく、それらの陽性な食によって陽性な人間が育つのです。
 赦しという行為は陰性な要素がなければできることではありません。陰性が陽性を包み込んでこそ、世界平和が実現するのだと、陰陽でみると理解できるのです。

鍛錬の年

 あけましておめでとうございます。
 昨年からのコロナ騒動はまだ先が見えず、コロナによる自粛生活が今後数年続くのではないかという意識が私達の中にすでに定着しつつあるのではないでしょうか。マスク着用が日常になり、毎日、目や耳に飛び込んでくるコロナ情報で私達の脳は非日常が日常になった現実を淡々と受け止めています。新型コロナウイルスという、本当にわけのわからないものによって、私達の生活は大きく揺さぶられています。密集地でのマスク着用は半ば義務になっていますが、これから出てくるコロナワクチンも、条件付きとはいえ義務的になっていくだろうということは想像に難しくありません。
 私は二十歳で食養生活をはじめて以来二十四年間、ワクチンはもとより一切の医療行為を受けていません。医療費の負担を日本国にかけたことがないのです。
 七年前までは医療制度そのもの、日本の医療に対する考え方そのものに反対する意味も込めて、医療保険に加入していませんでした。しかし、子どもたちが成長するにつれて、子どもたちの社会活動を円滑に進めていくには、制度の中に入らないと難しい面が多々出てきました。和道の活動も宿泊を伴ったものですから、保健所の許可を得ています。社会の中ではどこかで折り合いを付けて行かないと事が進まない現実に直面したのです。
 これらの事情で七年前からは医療保険に加入し、毎年それなりの負担をしています。とはいえ、わが家では食養生のお陰で大きな病気をしませんから、医療費にお世話になることがないのです。四年前に九十一才で亡くなった祖母も亡くなる直前まで十年以上も病院とは無縁でしたから、毎年敬老の日になると自治体から医療費抑制に貢献したとして表彰されていました。
 不思議なことに健康保険税を負担するようになってからは、医療関係者との交流が盛んになって、医学博士の先生たちともコラボ講演などをさせていただく機会が増えたのです。わが家の健康保険税は、ある意味においては交際費としての面が多分にあります。昔から無駄なお金はないといいますが、本当にそうだと実感します。
 コロナで重症化している人の大半が基礎疾患がある人です。ワクチン購入に使う費用の何十分の一でも、マクロビオティックな食養生を普及する費用に当てたら、国民の健康度は上がって、コロナだけでなく感染症そのものへの抵抗力が増すと思うのです。
 マクロビオティックに出会うというのは、多くの人が何らかの肉体的精神的不調があることが多いですから、食養生を始めて間もない頃は、健康への道はなかなか遠いと感じるかもしれません。しかし、数年もそれなりに実践していくと、もの凄く元気になっていきます。何年も実践していても一向に心身の調子が上向かないというのは、どこかに間違いがあるかもしれないので、そういう方は早くに食養生の指導を受けた方がいいでしょう。
 コロナワクチンの接種は全国民への義務化にはならないと思いますが、半ば義務的な風潮になっていくのではないかと思います。そんな中で自分の生き方を貫いてくのは簡単なことではありません。体調が安定しなければ、心も不安になりますから、社会の流れに乗った方が楽に思えてくるかもしれません。
 しかし、私達は視野を大きく持てば、ウイルスは宿主である私達を死に至らしめることはないのです。新型コロナウイルスであっても、宿主である私達には長く生きていてほしいのです。ウイルスは宿主抜きには生きていけないのです。早急にワクチンで強制的に免疫力をつけなくても、自然にしていればいずれ免疫力を獲得するのです。インフルエンザウイルスに関しては、ワクチンで免疫力をつけるよりも、自然についた免疫力の方がずっと強くて長持ちするという疫学的データがあります。
 今年は新型コロナワクチンが日本でも出てくることでしょう。国により国民の意識に温度差がありますから世界では一様ではありませんが、新型コロナワクチンへの警戒度は世界的にひじょうに強いと感じます。私もこれまでと変わらず、医療費のお世話になることなしに生きていく覚悟です。
 昨年はミネルヴァ書房から『自然治癒力を高めるマクロビオティック基礎編』を出版しました。今年は引き続き『実践編』が間もなく出版予定です。実践編には新型コロナウイルスに代表される感染症のことを一章丸々載せています。ガンについても一章丸ごと書いています。実践編のタイトルは『運命を開く断食』。断食によるガンへのアプローチ、断食と感染症の意外な関係にも触れています。
 今年はコロナ、ワクチン、経済の低迷が三重にありますが、辛抱忍耐、鍛錬の年と思って過ごすのが賢明ではないかと思います。心身の鍛錬は始める前は辛いと感じますが、始めてしまえばオモシロク、心身が活性化しているのを感じると喜びに転化するものです。本年もどうぞよろしくお願い致します。 令和3年1月5日 磯貝昌寛