ネルソン・マンデラと陰陽

 2019年ラグビーワールドカップが日本で開催された時のことです。開会式の数日前に民放のテレビで「インビクタス/負けざる者たち」という映画が放映されました。私はこの映画を観るまで南アフリカ共和国、初の黒人大統領ネルソン・マンデラのことを詳しく知らなかったのです。南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)に立ち向かったネルソン・マンデラは有名ですが、その実態はなかなか知られていないのではないでしょうか。
 南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)は世界で一番長く残っていた人種差別政策といわれます。アパルトヘイトが撤廃されてもなお、白人の間では人種差別が残り、現実でも経済格差が強く残っていたといいます。
 1994年、ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国初の黒人大統領になります。翌年の1995年には南アフリカ共和国でラグビーワールドカップが開催されるのですが、マンデラ大統領は、民衆の間で残るアパルトヘイトによる人種間の恐怖と憎悪にラグビーを通して払拭しようとします。黒人と白人の共同チームを作り、人種間の高かった垣根を低いものとしようと試みるのです。
 アパルトヘイトによって虐げられてきた黒人の間では、アパルトヘイトの撤廃とネルソン・マンデラという黒人大統領の誕生で、南アフリカ共和国を黒人の国にしようという機運が盛り上がります。百年以上に渡って白人からの迫害を強いられてきた黒人の感情はそのようになって致し方ないものだと思います。しかし、マンデラ大統領は、あえては黒人の人達に白人の人達を「ゆるす」ことを説くのです。殴られたら殴り返していては、長く続く負の連鎖を断ち切ることができません。黒人と白人が協調して南アフリカ共和国を築いていくにはどのようにしたらよいか、マンデラ大統領はラグビーに希望の光を託すのです。
 黒人と白人が一緒のチームで戦うことの難しさは想像以上であったことでしょう。チームキャプテンの重責も計り知れません。白人の側も、黒人にすり寄ることを良しとしない人々が多かったというのです。分断の歴史を統合するのは時間のかかることです。そんな状況下でマンデラ大統領は白人に憎悪を向ける黒人に、憎悪を捨てて赦しの行為を呼びかけるのです。
 マンデラ大統領自身、大統領になる前、28年間にわたって投獄されていたのです。政治犯、思想犯として、アパルトヘイト政策の下では犯罪者として刑務所に閉じ込められていたのです。愛する家族と引き離され、閑に耐え続けたネルソン・マンデラが白人を赦すということは理解を超えたことではあるかもしれません。しかし、マンデラ大統領は人種の壁を越えて平和な社会を築いていくには、自らの「赦し・ゆるし」がなくては、人種の壁を越えられないという想いに至ったといいます。
 このことを理解するには、人間としてのネルソン・マンデラを知らなければわかりません。次回、ネルソン・マンデラの人生を観ていきますが、人種の陰陽と世界情勢を観てみても、有色人種が白色人種を陰性で包み込まなければ世界平和は訪れないと思うのです。熱帯という陽性な環境下では陰性な植物が育ち、それらの陰性な食によって陰性な人間が育まれます。一方、寒冷という陰性な環境下では陽性な肉食をせざるをえなく、それらの陽性な食によって陽性な人間が育つのです。
 赦しという行為は陰性な要素がなければできることではありません。陰性が陽性を包み込んでこそ、世界平和が実現するのだと、陰陽でみると理解できるのです。