精神の核

 昨年の正月休み、子どもたちに請われて映画を観に行ったのです。世界的大ヒットアニメ「鬼滅の刃」です。子どもたちの大はしゃぎに付き合う感じで観に行ったのですが、これがまた本当に面白かった。予想を裏切って映画にのめりこんでしまったのです。
 「鬼滅の刃」は現代版桃太郎で、いわゆる鬼退治なのですが、全てにおいて凝っている。観ているこちらの心にグイグイ入ってくるのです。私たちが観たのは無限列車編という映画であったのですが、そこに登場する鬼が妖術を使って人間を眠らしてしまいます。眠った人間は、眠りについたまま鬼にやられてしまう。眠ったままだから、痛くも怖くもなく、眠って夢心地のままあの世に送られてしまう。その鬼が言うのです。「人間は心の生き物だ。精神の核を壊せば、どんなに剣術に優れていようが、簡単にコントロールすることができる」。私も「そうだ、そうだ」と頷きながら観ていました。
 この鬼の妖術を、主人公である炭次郎が見破るのですが、その見破り方は呼吸を使うのです。呼吸を整えて、夢と現実を見定めるのです。鬼の妖術は夢と現実を混乱させて、人間を鬼の支配下に置くことなのです。この妖術を様々な呼吸を使って、夢は夢、現実は現実という正常な判断力を取り戻すのです。陰陽の見方でいえば、陰陽が混乱してしまったときに、呼吸という陰陽を鍛錬して、私たちの体と心の陰陽を調和させたのだと思うのです。
 「全集中の呼吸」というのも「鬼滅の刃」から有名な言葉になりました。足のつま先から全身の隅々にまで呼吸でエネルギーが行き渡った状態を全集中の呼吸で獲得するといいます。全集中の呼吸で私たちの精神の核は壊れずに済むというのです。
 精神の核とは一体何でしょうか?
 中心軸のない駒は回転しません。中心人物のいない会社や組織は機能しません。種(中心)のない植物も本来は存在しません。すべての生命に核(中心)があります。この核(中心)次第で、駒も会社(組織)も植物も、そのあり様が大きく違います。この核(中心)が壊されていたら、私たちの命はもう壊れているといってもいいかもしれません。
 私たちの精神の核というのは、環境によって作られたものだろうと思います。親や先生・先達たちからの影響も大きいでしょう。ご先祖からのエネルギーも膨大です。そして、日々の食べ物が肉体の栄養だけでなく、精神の核にまで時間を通して成長していくのだと思います。植物に種があるように、私たちの心の中心に核があります。しなやかで壊れない、たくましい精神の核は生命力ある食から育まれるのだと思うのです。生命力ある食から作られた精神の核を持っていなければ、全集中の呼吸をしても、精神の核は回復しないだろうと思うし、そもそも全集中の呼吸ができなかったと思うのです。
 翻って社会をぐるりと見渡すと、鬼滅の刃に出てくるような鬼の形相の鬼はいなくとも、私たちの精神の核を蝕むものはいかに多いことか。鬼滅の刃がヒットしたのも、世相を暗に表しているからではないかと、私は思ってしまったのです。しかし、炭次郎の所属する鬼殺隊のメンバーのように鬼を殺すだけでは根本的な解決にはならない。鬼にも子がいて、親鬼を殺せば、子鬼の憎しみをかうばかりです。鬼と人間の終わりのない戦いです。
 私が「鬼滅の刃」の作者ならば、最後に桜沢如一を登場させます。鬼の食い物を変えてしまうのです。食い物を変えて、鬼の心を変えるのです。鬼と人間の無限ループ的な戦いを食によって革命を起こすのです。簡単なことではないでしょう。簡単でないからこそやりがいがあります。
 マクロビオティックは食を通して世界の平和を実現させるものです。まずは私たちの家族から。