戦争が文明の変遷のターニングポイントになってきたことは歴史を見れば明らかです。歴史における「陰極まって陽、陽極まって陰」の「極まり」の多くが「戦争」であったことは否定しようのない事実です。しかし、その極まりを智慧によって乗り越えた歴史もあります。それがインドにおけるガンジーの行動です。
英国からの独立を非暴力と不服従、そして断食によって乗り越えたのです。国同士の全面戦争に突入することなく、大いなる陰の力によって陽を静めたのです。
戦争という外側からの危機感を、断食や非暴力という内面からの危機感を心身に与えることによって、戦争を回避したのではないかと思うのです。人間の歴史では危機が訪れないことは決してありません。危機感は生命現象には無くてはならないものです。断食によって心身に危機感を与えることで、「陰極まって陽、陽極まって陰」という体と心の状態を意図的に湧出させて、陰陽の調和を計ったと思うのです。
断食は戦争を回避するうえでも、もっとも意味のある行いではないかと私は思うのです。戦争は陽性と陽性のぶつかり合いです。その陽性を陰性に静めるものに断食があると思うのです。
イスラム教におけるラマダン(断食月)の断食は、熱帯・乾燥帯に住む人々の生理的、心理的な健康法にとどまらず、平和の基礎になっていたのではないでしょうか。キリスト教、イスラム教、仏教、神道、世界のそれぞれの宗教にはみな断食があります。慎みの最たるものが断食です。断食は憎しみや恨み妬み、憎悪の心を転換するものでもあるのです。
断食による生命の危機感が喜びと楽しみを涌出します。「泥中の蓮」とはこういうことをも示しているのではないかと思うのです。
何度も言いますが、戦争は陽性と陽性のぶつかり合いです。物欲の強い者同士の奪い合い、殴り合いの最たるものが戦争です。
自己免疫疾患といわれる病気は、自分の細胞を自分の細胞が攻撃してしまう病気ですから、体の中で戦争が起こっていると言ってもいいでしょう。
家庭の中でも女性があまりに物欲が強いと家庭を破壊します。女性が陰性を帯びなければ家庭生活はうまくいかない、と多くの人を見てきて思うのです。一方で男性が陰性すぎると、外で食べ物もお金も獲得できませんから、これまた家庭はまわっていかない。男は陽性をもってこそ力を発揮する、と思うのです。こんなことを書くと、いかにも古典的・封建的な考えと一蹴されそうですが、「いのち」を陰陽の目で観ると男女には本来の陰陽があるのです。
陰性同士ならば戦争にはなりませんが、冷たい家庭生活と社会になります。家庭においても社会においてもほどほどの陰陽が中庸であって、平和であるのです。また中庸は陰陽ともに孕むものですから、世界の歴史はイロイロなことがあって中庸を保ってきたともいえます。とはいえ、今は何としても戦争に向かう矛(ほこ)をおさめなければなりません。
食と生活、言葉によって陽の気はかならず陰に向かいます。食を正す人がひとりでも多く増えることで、社会のバイブレーションが中庸へと導かれると思うのです。禾本科である穀物を口にすることが平和への礎です。肉や卵、乳製品を摂れば摂るほど、陽性に偏り、体の内外の戦争を呼び込むと思うのです。とはいえ、動物食をする人を攻撃してはいけません。どんな人でも何かの縁によって今の食があるのですから。