日本人にとってのコメは単なる食糧ではなく、命そのものだと私は感じています。明治生まれの曾祖母が「コメ一粒を大事にしなければ罰があたる」と言ったのは、「命を大事にしなさい」という戒めだったと思うのです。それを私は、多くの病気の人をみてきて、コメ一粒を大事にすることがいかに大事かということを気づかせていただきました。コメ一粒への私たちの姿勢が、自分の病気だけでなく、子々孫々へ影響しているのです。不思議なことですが、本当のことだと思います。
日本人にとってのコメは中庸を代表する食物ではないかと食養(マクロビオティック)では考えています。お米を中心に食べていると陰にも陽にも偏らず、中庸を維持することがとても安易だと思うのです。栄養学的にもコメは、穀物の中では飛びぬけて、必須アミノ酸やビタミン・ミネラルが豊富です。実際に食養指導を通して、コメを中心に食べていると心身ともに安定するのですが、コメが少なくなったり、コメを食べない食事を長く続けていると心身の問題が大きくなってくるのを数多く目の当たりにしています。
前回のブログで、コメ一粒を大事できない人や家族に難病・奇病が多いということを書きましたが、体が陰陽どちらからに大きく偏ってくるとおコメが入りづらくなるのです。おコメをおいしく食べられるということは中庸な体であるのですが、陰陽どちらかに偏ってくるとおコメがおいしくなくなってくるのです。陰に偏ってくると陽のものがおいしくなり、陽に偏ると陰のものがおいしくなるのです。中庸は陰陽両方を孕む、という点もありますから、おコメは中庸なので、陰陽どちらかに偏ってもそれなりにおコメは食べられるのですが、それでもおコメばかり食べて満足するということにはなりません。その結果、おコメは少量になり、おかずが多くなるのです。これは現代人の少なくない人たちがそのような食生活になってしまっているのです。
食養では昔から、ご飯三箸にお菜(おかず)一箸、と言って、お米を中心に食べることを基本としていました。おコメが三に対しておかずが一です。昔の日本では一汁一菜が日々の食事の基本であったのです。これだけみると何とも貧しい時代だと感じるかもしれませんが、この食事で日本人は永続的に健康を保ってきたのです。現代のように多発する病気はほとんどなかったのです。
このコメ中心の食生活は第二次世界大戦前まで続いていましたが、思想信念をもって続けてきたのは幕末までです。明治維新以降は、西洋的な思想が大きくなって、コメの代わりに肉食が少しずつ増えてきました。おコメは食糧としても安定的に収穫できるだけでなく、栄養学的にも生理学的にも心身の安定を保つのに最も優れた食べ物です。ですから、おコメを中心に食べる民族は短兵急に変化することはなく、その変化もゆっくりとしているのです。日本人の気質として、急激な変化を好まず、ゆるやかな変化を好むというのは、おコメを食べてきた民族の特徴といえるのです。
このおコメの消費量が戦後ものすごい勢いで減ってきているのです。戦後直後から比べると現代は一人換算で約1/2にまで減ってきているようです。戦後直後は一人年間120キロ近く食べていたようですが、現代はそれが50キロほどです。その昔、おコメの単位で一石というのがありましたが、一石というのは一人が一年間食べていける量を指したといいます。一石は一升ますが百ですから、百升ということになります。一升は現代では1.6キロくらいですから、一石は約160キロになります。江戸時代までは一年間一人160キロくらいのコメを食べていたのです。現代人は江戸人と比べると1/3ほどしかおコメを食べていないのです。その代わりに陽性な肉・乳製品・卵などの動物性がものすごい増えて、その反動で砂糖や人工甘味料・果物などの陰性食品も激増したのです。