コメと判断力

 江戸時代から比べると現代人のコメの消費量は約1/3ほどに減ってきていることが統計からわかるのですが、このことは単に食生活が変化したという一言では済まされない大きな問題を孕んでいるのです。それは、下の図で示すように、咀嚼回数が減ることで判断力が鈍くなることをマウスとラットの研究からわかっているのです。
 人間においても柔らかいものばかりを食べていると咀嚼回数が少なくなり、脳への刺激が少なく、脳の神経細胞の発達が鈍くなるのではないかと思うのです。
 精米技術が発達したのは元禄時代(西暦1700年前後)の江戸といわれます。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代に江戸の中心では精米技術が発達したことで玄米から白米に変わっていったといいます。とはいえ、現代ほどの精米技術はなく、白米といっても実際は現代でいう分搗き米(五分搗き位ではないかといわれています)を食べていたといいます。
 「江戸わずらい」と呼ばれる脚気が流行りだしのは江戸の中心部からでした。江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調が悪くなることが多くなったのが元禄時代なのです。そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことから、この病を「江戸わずらい」といったのです。地方(故郷)では玄米食が中心だったのです。
 江戸の中心では白米(分搗き米)であっても、全国的には玄米か少しだけ精白した一分搗き米を食べていたようです。コメが十分とれない地域ではコメに雑穀を混ぜて食べていたといわれます。江戸時代は日本人全体がいわゆる茶色い飯を食べていたのです。精米技術の発達が全国に及び、白米が食べられるようになったのは明治になってからといわれます。それでも、貧しい地域では白米にしたら多くの糠を捨ててしまうことから、戦後の高度経済成長期くらいまで茶色っぽい飯を食べていたのが現実なのです。
 江戸時代までは年間一人一石(約160キロ)の玄米を食べていたということは、ものすごい咀嚼回数だったと想像できます。現代ではその主食が白米になり、さらにコメの消費量は1/3に減り、コメの代わりに小麦の麺やパン(やわらかい)になりましたから、その咀嚼回数たるや、江戸時代からは激減したことは想像に難しくありません。そんな現代人の判断力はどんなものでしょうか?
 民主主義とはいっても、その民たる私たちがしっかりとした判断力を持っていなければ、政治は本来の働きをしないのではないかと思うのです。