以前私が代表を務めていた「こくさいや」で働いていた男性スタッフが父の天恵の里(自然農園)に手伝いに来た時のことです。春のうららかな日でしたが、北からはまだ冷たい風が吹いていました。
そんな時季には、麦がしっかり根を張るように「麦踏み」をするのです。麦はまだ青く、葉は地上から10~20cmほどしか伸びていません。その時期に大切な作業なのです。麦はまだ若葉の、いわゆる青少年の、時季に踏まれないとしっかり根を伸ばすことができません。人間も同じで、昔から「若い時の苦労は買ってもせよ」というのは、本当ではないかと思います。こくさいやの男性スタッフと私たち数人で「麦踏み」をしたのですが、彼はその作業にいたく感動しているのです。麦を踏むという単純な作業なのですが、何とも言えない幸福感があったというのです。
彼はその「麦踏み」に感動を覚えて、その後、農的暮らしを志すようになったのです。その数年後にこくさいやを辞めた彼は、長野で子育てをしながら夫婦で農的暮らしをするようになります。麦を踏むという感覚が農的暮らしに導いていったのです。
私たちの感覚の主だったものは五感であるのですが、この五感は自然と私たちを繋ぐ道ではないでしょうか。もっといえば、五感は私たちの核とつながる道であると思うのです。この五感を通して得たものこそが、私たちの本当の力になると思うのです。それも五感をフル活動させるような行動が大切です。見る(視覚)、聞く(聴覚)、嗅ぐ(嗅覚)、触れる(触覚)、味わう(味覚)、この五つの感覚をまんべんなく活性化させることが大事なのです。
自然の中で生活するとこの五感が開かれていくのを感じることができるのです。生活ということですから、生きた活動でなくてはなりません。生き活き、とした活動です。行動することであるのです。行動することが五感を活性化させ、私たちの閉じてしまった感性を開かせてくれるのです。五感が開放されてくると、私たちは自然とのつながりをより強く感じることができるようになります。
空気を読むとか、空気が読めない、などと言われます。ここでいう空気というのは身の回りの人々の意識・感覚であり、ある種の集合意識・集合感覚ということではないかと思います。この空気というのも大きく見ると自然という見方もできると思うのです。ですから私たちの感性が自然とつながったものになったならば、この空気というものへの感度も上がるはずなのです。空気を読むこともできるようになると思うのです。
動くことは静かにとどまることに比べて陽性です。静と動は陰陽の関係です。私たちの身体は、体は陽性、頭は陰性で調和的と考えます。いわゆる頭寒足熱。山も上に行けば行くほど涼しくなってきます。体はキビキビと動き、頭は冷静に考えることができるのが理想です。スポーツでいうゾーンという状態は、ものすごく冷静でいながら、体は不思議とどんな動きもできる状態です。心技体すべてが一つになった状態です。
行動は陽性です。体は行動によって陽性化します。体を陽性化させていくと、食は本来、陰性なものを欲するのです。本来と言ったのは、私たちは何か目的を作りますから、例えばスポーツで筋肉をつけようと考えてたんぱく質を必要以上に摂ると、本当は陰性なものを体は欲しているのに、陽性なものを摂ってしまうということが、この一例以外にも数多くあるのです。食は本来、感覚的であるのですが、知識的に考えてしまうのです。体の声を聴かずに、他の声を聴いてしまっているのです。
私たちの核心を変えてくれるのが実際の行動です。行動こそが運命を開くものです。行動して体が陽性化してくると、自然に陰性な食を欲して、頭は陰性になってくるのです。ですから私たちは自分が思っている以上に動いた方がいいのです。動いて動いて、ただひたすらに行動していると、不思議と運命が開いていきます。