和道に研修に来た人と一緒にウォーキングをしていた時です。その人は頸椎に腫瘍があって、慢性的な頭痛と首こり、肩こりに悩まされています。症状があるからやむを得ないのですが、私と一緒に歩いていても、事あるごとに「大変ですね」「大変ですね」という言葉が口から出てくるのです。自分の症状もさることながら、私の仕事のことを想ってくれても「大変ですね」というのです。自分のような難病の人のお世話をしてくれて「大変ですね」というのです。自分自身のことや私のことだけではありません。社会で話題になっていることが話しに出てきても、やはり「大変ですね」がよく出てくるのです。自分をみても、周りをみても、その人にとっては「大変」なことなのです。
その人だけではありません。食養指導を通して多くの人と関わり、強く感じていることがあります。私たちの口から出てくる言葉というのは、血液や細胞が変化したものではないかと思うのです。血液や細胞に「大変」をたくさん抱えていたら、口から出てくる言葉にも「大変」が多分に含まれているのです。人の悪口や、憎まれ口も同じように、言っている本人そのものに悪いものや憎まれるものを抱えているのです。これは多くの人をみてきて感じることです。
「大変ですね」という人と一緒に話しをしていて、私がこたえた言葉に、その人は驚いています。私の仕事も確かに大変なことも少なくありません。例えば、病気の人に生姜シップを何時間もするのですが、私は汗だくになりながら生姜シップをしますから、ある意味では重労働です。しかし、視点を変えると、生姜シップをさせてもらう私も血流が良くなるのです。先日、合宿の皆さんと温泉に行って、温泉施設にある血流測定器で血流を測ったら、私の血流は20代くらいだというのです。40半ばのおじさんがみんなのために生姜シップをしていたら、血流が良くなって20代の青年と同じくらいの血流になっているのですから、本当にありがたいことです。
このことを「大変」と見るか、「ありがたい」と見るかで人生は大きく変わってくるのです。「大変だ」「大変だ」と想っていれば、大変になってくるでしょう。「ありがたい」「ありがたい」と想っていたら、ありがたい人生になっていくのです。人生は想いどおりです。
この想いをどう人生を豊かにする方に持っていくか。これが問題です。
言葉は血液や細胞が変化したものではないかと言いましたが、言葉は想いが口から出てきたものですから、想いもやはり血液や細胞から生れているのではないかと思うのです。豊かな人生を育む想いが湧出するような食と生活を送ったらいいのです。自分自身の想いが人生を豊かにしてくれるようなそんなものであったならば、その人の食と生活はその人にとって合っているのです。
しかし、「大変だ」とか「死んでしまいたい」、「消えてなくなってしまいたい」などという想いが出てくるのであれば、想いの元になっている血液と細胞を変えていかなくてはなりません。それにはまず、食と生活を変えることです。食べ方と生き方の革命をすることです。そういう点では、ネガティブな想いが出てくるというのはチャンスでもあるのです。人生の方向転換ができるいいチャンスなのです。
和道では毎月、食養合宿をしています。これは人生転換のいい時になっています。人は体が変わってくると言葉が変わってきます。言葉が変わるということは、想いが変わってくるのです。人生想いどおりです。