春は卒業や入学の季節でもあります。現代の日本人は、物心ついたときから、春は人生の仕切り直しの季節になってきました。暦(旧暦)の上での春は、太陽暦の一月下旬から二月上旬ですから寒さもあって、まだ強く春を感じることはできません。春爛漫はやはり、桜の咲く三月下旬から四月上旬の卒業と入学の季節です。
先日、娘の卒業式に参加してきました。桜の開花にはまだちょっと早かったのですが、娘にとっても親にとってもよい仕切り直しになりました。学校生活は数年間と短い時間ですが、人生を駆け出したばかりの子どもたちにとっての数年間は、大人にとっての数年間よりもずっと濃い時間であったと思います。この濃い時間の中で子どもたちは、生きていく中での大事なことを陰に陽に学ぶのです。
人は本能的に競い合うことが好きです。かけっこや相撲取り、メンコやベーゴマ(古いですが)など、友達どうしで競い合う遊びは競争の原点です。競い合うことはおもしろいものです。むしろ、競い合わない遊びは、特に男にとっては、あまり魅力のないものかもしれません。もちろん、子どもの性質によっては競争を好まない子もいます。人と競争するよりも、自分の世界に没頭していった方がいい、という子もいます。この性質や性格も陰陽です。
学校生活でもこの競い合いがもちろんあるわけです。徒競走や持久走など、体育では目に見える競争をするわけですが、数学や理科、社会などの一般教科でも点数を競い合って競争をしているのです。部活動においても、多くの部活動では競争が多分にあるのです。一方で、競争とは対極にある共感もまた、学校生活には沢山あります。友達との関わり合いはむしろ、競争よりも共感の方が強いかもしれません。友達どうしの触れ合いで競争が主であったら息苦しいものです。共感があるからこそ一緒にいて安心感が湧くのかもしれません。
この共感と競争は陰陽の関係にあると、私は思うのです。共感力と競争力をともにバランスよく持つことが人間力に繋がっていくのではないかと思うのです。
共感力とは、他者の感情を読む力でもあり、相手の立場になって考える力でもあります。自分と他人の境を薄くして、他者に溶け込む力でもありますから、私は陰性の力が共感力ではないかと思うのです。一方で競争力は、相手よりも一歩先に行く力、相手よりも深く、または高い所へ踏み込んでいく力です。時には、他者を蹴落としでも自分が行く力が競争力です。陰性な共感力に対して、競争力は陽性ではないでしょうか。
人類の歴史を振り返ると、この陰陽相反する二つのエネルギーがあったからこそ、人類は生き延びてきたのです。競争力という陽性なエネルギーで厳しい環境を克服し、共感力という陰性なエネルギーで厳しい環境を助け合って生きてきたのです。
私の今までの食養生活の大半は、子どもたちとの生活が中心にありました。そこに体質改善を求める人たちが来られて、その人々との生活が私の食養生活の中心になっています。子どもから大人まで、多くの人々をみてきて、人間の本能である共感と競争を調和的に成長していくことこそ、生きる上でとても大切なことだと思うのです。
潰瘍性大腸炎を抱えた青年が道場に来た時です。最初はその青年と私の二人きりでの生活だったのですが、その後、食養合宿がはじまり、何人もの人が合流しました。その中で同世代の女性も参加していたのです。きれいな女性でした。潰瘍性大腸炎の彼もまんざらではない感じです。私と二人きりでの生活の時には感じられないエネルギーを彼は発するのです。朝、二人だけの時は私が彼を起こすのですが、彼女たちが参加してからは自分で起きてくるのです。女性に触れあったことで、彼の中の競争力が自然治癒力に火をつけたのかもしれません。感動、感謝、感激という感情は、共感力や競争力を高めようとした行動から生まれたものではないかと思います。
春は人生の仕切り直しによい季節です。人生を振り返って、共感と競争、自分はどちらかに偏ってきてなかったどうかをあらためて考えてみるにもよい季節です。