食べた物は体のどこへ行くか

 「食べた物は小腸で吸収されて栄養素として全身に運ばれる」と、人間が食べた物は体のどこへ行くかと問われたら、現代生理学ではそのような答えになるでしょう。もちろんその答えが間違っているわけではないのですが、より深く考えると、もっとダイナミックな生理現象が体の中では起こっているようです。
 生物学者の福岡伸一さんが紹介したことで有名になったルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)の動的平衡論は、示唆に富んだヒントを私たちに与えてくれます。
 ルドルフ・シェーンハイマーはラットに食べ物を与える時、食べ物の中のそれぞれの窒素(たんぱく質)に特殊な方法で染色をして、染色された窒素(たんぱく質)がラットの体の中でどのような動きをするかということを調べました。種類の異なるたんぱく質には黄色や緑色、赤色、それぞれ違った色をつけてラットに食べさせました。その結果、それぞれのたんぱく質は体のある部分に一定期間留まり、そしてまた他のたんぱく質と入れ替わるように排出されていったというのです。例えば、肝臓には同じ色のたんぱく質が一定期間留まり、そして、抜けていき、また同じ色のたんぱく質が定着し、また抜けていく、これを繰り返しているといいます。腎臓にはまた違ったたんぱく質が一定期間留まり、抜けていき、膵臓にはまた違ったたんぱく質が同じように入れ替わっているといいます。シェーンハイマーの研究から、ラットは1年もするとすべての細胞が入れ替わるほど細胞レベルでは劇的な変化が起きていたというのです。
 私たちの体も代謝によって常に入れ替わっています。皮膚の細胞は28~42日くらいでターンオーバー(代謝)しているといいます。小腸の上皮細胞は24時間で入れ替わっているようですから、まさに一日一生、毎日新鮮な状態をキープしているのです。骨の細胞も3~5年もするとすべて入れ替わるようです。マクロビオティックでは全身の細胞は7年もすると全て入れ替わると言っていましたが、最新の研究では、全てというのはちょっと大げさで、10年くらいかかる細胞もあれば、20年してもなかなか入れ替わらない細胞もあるようです。とはいえ、私たちの細胞の大半は7年もすると入れ替わっているのです。
 「ゆく河の流れは絶えずして、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の方丈記の世界観が、私たちの体の中でも起こっていたのです。フランスにも「変われば変わるほど変わらない」という諺がありますが、これも私たちの体の動的平衡を言ったものでしょう。生命は常に流れの中にあって、その一時の現象が今であるのです。
 マクロビオティックを提唱した桜沢如一は無双原理12の定理という理論を提唱していて、その中のひとつに「万物万象は一時的な安定の陰陽の集合体である」という論理があります。これはまさにルドルフ・シェーンハイマーの動的平衡と同じことなのです。
 動的平衡は、「食が命」を基本とするマクロビオティックをある意味で裏付けるものだと思います。さらに、細かいところでは、それぞれの病気の原因が特定の食べ物の過剰にあるということも示唆しています。例えば、胆のうをX線撮影する時、生卵を飲んで撮影すると胆のうが鮮明になるということは、卵が胆のうへ集中するということであり、卵の過剰摂取は胆のうや胆のうに隣接して密接に関係する肝臓への影響が大きいということも推察できます。実際に、胆のうの病気を発症した人の食歴をみると卵や卵を使った料理をよく食べてきた傾向が強いのです。
 現代人は、多種多様な食べ物を食べています。過去の歴史上でもっとも多種多様な食べ物を食べているのが現代の人々です。そのため、病気の種類も多種多様で、原因不明の難病も数知れません。鴨長明がいうように、私たちの体の細胞も、川の流れのように滞りなく流れていたら、健康であるはずです。流水腐らず、というように、流れに障りがなかったら健康であるのです。私たち日本人の体の流れを滞りなく流すことができる食べ物が、ごはん(おコメ)、みそ汁、漬物(野菜)です。伝統的に何千年と食べられてきた食べ物は、時代の検証を受けています。日本人には和食が、日本人の動的平衡を維持するとても大切な食生活であるのです。

農的感性と食糧危機

 世間一般的な農法を慣行農法といいます。化学肥料と化学農薬を使う農業が慣行農法です。化学肥料の主原料は窒素、リン酸、カリウムです。リン酸はリン鉱石を原料に作られています。リン鉱石は、太古の昔の動物の糞尿が固まったものです。何万年の歳月をかけて鉱石になっているので、リン濃度の高い石になっているのです。鶏糞、豚糞、牛糞などを肥料として活用する有機農法は、これらの糞尿からリン酸や窒素を活用しているのです。
 自然栽培では化学肥料も有機肥料も使わず、土本来のエネルギーを活用しています。土は微生物、植物の腐食、鉱物のまじりあいであるのですが、外から肥料を持ち込まなくても、草が生い茂っています。その草は時期が来れば枯れて、微生物と水と光のお陰でまた土に還って行きます。土は本来、光と水と微生物によって循環し、植物を育むことができるのです。光と水と微生物が土の中で循環的に活性化することで、適量の窒素、リン酸、カリウムが生まれるのです。外から持ち込む必要は本来ないのです。
 ところが、膨大な量を収穫しようと、肥料が過剰になると、過剰な肥料分をエサにする微生物や虫が大量発生して、病気が発現します。植物の病的現象は、過剰な肥料分の解毒反応といえるのです。虫食い野菜は過剰肥料が原因なのです。慣行農法だけでなく、有機農法でも肥料が過剰になってくると、植物に虫がついたり、病気が出てきます。自然栽培でも過去に使用した肥料分が田畑に残っていると、病気が出ることが珍しくありません。植物の病気は土を本来の状態に戻そうとする自然な反応と見ることもできます。自然栽培で3~7年ほどすると、過去の肥料分が分解解毒され、土本来の力で植物が育つようになってきます。何十年、何百年と自然栽培で土作りをしていくと、その土地にあった植物が自然にできてくるのです。
 慣行農法では、窒素、リン酸、カリウムを高濃度で田畑に施しますから、それらのエネルギーばかりになって、その他のミネラルや微生物が育ちにくい土になってしまいます。特に、ドロクロといって、クロルピクリンという消毒剤で畑を消毒すると、多くの微生物が死滅します。消毒された土壌に化学肥料を投入すると、植物は高濃度の肥料を吸い上げ、見た目は大きくなるのですが、ミネラル分がほとんどない、まさに空虚な植物が育つのです。実際に、1950年代の野菜と2000年以降の野菜では、ビタミンやミネラルが1/10以下に減少しています。
 1940~60年代にかけて化学肥料が世界に出回り、食糧の生産量が飛躍的に伸びました。この時期の農業改革を緑の革命といいます。緑の革命によって、人口が急激に増えるのですが、同時に様々な病気が出現することにもなります。オモテ大なればウラもまた大です。
 化学肥料の主原料になっているリン鉱石は有限の資源です。埋蔵量も限られています。リン鉱石の産出国は、中国、米国、モロッコ、ロシアとなどの限られた国にしかないといわれます。政治的、戦略的に出荷量を調整しているという情報もあります。実際のところは不明なのですが、現代の食糧事情は、リン鉱石に左右されているのです。リン鉱石の世界的価格が高騰し、化学肥料も高騰しています。慣行農法の農家は悲鳴をあげているのです。化学肥料の高騰も物価高に拍車をかけています。
 さらに異常気象などの環境異変が加わり、食糧危機はいつ来てもおかしくないというのです。現代の一般的な食糧事情は、慣行農法の大規模農業に支えられています。そのような状況だと、ちょっとした歯車の狂いで、突如として食糧危機が来る可能性もあります。そんな時に私たちは、農的感性を働かせて、土作りをして農作物を育てることができたならば、食糧危機を柔軟的に回避することができるのです。野にある野草を活用することも大切なことです。
 中島みゆきが言うように、自分の船は自分で漕ぐことです。人に任せていてはドコに連れて行かれるかわかりません。食糧危機に対峙するのは、私たちに眠る農的感性を活性化することが大切です。自然栽培や自然農の基本になっているのが、私たちの農的感性です。そして、この農的感性が私たちの原始的な感性になって、生きる土台になっているのです。