世間一般的な農法を慣行農法といいます。化学肥料と化学農薬を使う農業が慣行農法です。化学肥料の主原料は窒素、リン酸、カリウムです。リン酸はリン鉱石を原料に作られています。リン鉱石は、太古の昔の動物の糞尿が固まったものです。何万年の歳月をかけて鉱石になっているので、リン濃度の高い石になっているのです。鶏糞、豚糞、牛糞などを肥料として活用する有機農法は、これらの糞尿からリン酸や窒素を活用しているのです。
自然栽培では化学肥料も有機肥料も使わず、土本来のエネルギーを活用しています。土は微生物、植物の腐食、鉱物のまじりあいであるのですが、外から肥料を持ち込まなくても、草が生い茂っています。その草は時期が来れば枯れて、微生物と水と光のお陰でまた土に還って行きます。土は本来、光と水と微生物によって循環し、植物を育むことができるのです。光と水と微生物が土の中で循環的に活性化することで、適量の窒素、リン酸、カリウムが生まれるのです。外から持ち込む必要は本来ないのです。
ところが、膨大な量を収穫しようと、肥料が過剰になると、過剰な肥料分をエサにする微生物や虫が大量発生して、病気が発現します。植物の病的現象は、過剰な肥料分の解毒反応といえるのです。虫食い野菜は過剰肥料が原因なのです。慣行農法だけでなく、有機農法でも肥料が過剰になってくると、植物に虫がついたり、病気が出てきます。自然栽培でも過去に使用した肥料分が田畑に残っていると、病気が出ることが珍しくありません。植物の病気は土を本来の状態に戻そうとする自然な反応と見ることもできます。自然栽培で3~7年ほどすると、過去の肥料分が分解解毒され、土本来の力で植物が育つようになってきます。何十年、何百年と自然栽培で土作りをしていくと、その土地にあった植物が自然にできてくるのです。
慣行農法では、窒素、リン酸、カリウムを高濃度で田畑に施しますから、それらのエネルギーばかりになって、その他のミネラルや微生物が育ちにくい土になってしまいます。特に、ドロクロといって、クロルピクリンという消毒剤で畑を消毒すると、多くの微生物が死滅します。消毒された土壌に化学肥料を投入すると、植物は高濃度の肥料を吸い上げ、見た目は大きくなるのですが、ミネラル分がほとんどない、まさに空虚な植物が育つのです。実際に、1950年代の野菜と2000年以降の野菜では、ビタミンやミネラルが1/10以下に減少しています。
1940~60年代にかけて化学肥料が世界に出回り、食糧の生産量が飛躍的に伸びました。この時期の農業改革を緑の革命といいます。緑の革命によって、人口が急激に増えるのですが、同時に様々な病気が出現することにもなります。オモテ大なればウラもまた大です。
化学肥料の主原料になっているリン鉱石は有限の資源です。埋蔵量も限られています。リン鉱石の産出国は、中国、米国、モロッコ、ロシアとなどの限られた国にしかないといわれます。政治的、戦略的に出荷量を調整しているという情報もあります。実際のところは不明なのですが、現代の食糧事情は、リン鉱石に左右されているのです。リン鉱石の世界的価格が高騰し、化学肥料も高騰しています。慣行農法の農家は悲鳴をあげているのです。化学肥料の高騰も物価高に拍車をかけています。
さらに異常気象などの環境異変が加わり、食糧危機はいつ来てもおかしくないというのです。現代の一般的な食糧事情は、慣行農法の大規模農業に支えられています。そのような状況だと、ちょっとした歯車の狂いで、突如として食糧危機が来る可能性もあります。そんな時に私たちは、農的感性を働かせて、土作りをして農作物を育てることができたならば、食糧危機を柔軟的に回避することができるのです。野にある野草を活用することも大切なことです。
中島みゆきが言うように、自分の船は自分で漕ぐことです。人に任せていてはドコに連れて行かれるかわかりません。食糧危機に対峙するのは、私たちに眠る農的感性を活性化することが大切です。自然栽培や自然農の基本になっているのが、私たちの農的感性です。そして、この農的感性が私たちの原始的な感性になって、生きる土台になっているのです。