旅で調える

 14年前、ヨーロッパを旅した時の気づきは今でも忘れられない。ヨーロッパのマクロビオティック事情を知るための旅だったのだが、自分の内面の気づきも大きかった。旅の醍醐味はいろいろとあるが、現地の人達との交流や文化や環境に触れることはもちろん、非日常を体験することで心身が変わるきっかけになるのではないかと思う。
 旅は日常から一歩踏み出し心身ともに陽性化させてくれるものだということをあらためて気づかされた。日々の日常は体の動かし方、心の動かし方ともに習慣化・パターン化されている。習慣化されているからこそ日々の流れが滞りなく進むのだが、日常生活も必ず倦怠期がおとずれる。
 倦怠期とは休養期といっていいかもしれない。活性期に対して休養期、心身に倦怠感があらわれている時は休養を必要としている。作家の五木寛之氏は「骨休め、気休め、箸休め」が心身の三大休養と言っている。そして、本来の旅もまた心身の休息に大きな働きがあるものだと、ヨーロッパの旅をとおして感じたのだ。
 日本でもその昔、いや数十年前までお伊勢参りとか出雲参りとか、全国の神社仏閣へお参りすることが旅だった。私は明治生まれの曾祖父母から生涯に何度かお伊勢参りをしたと聞かされた。新婚旅行もお伊勢様だったようだ。旅の原点は参拝にあったようだ。
 40代後半になると、いろいろな旅の経験が積み重なる。振り返ると、学びと気づきを得た旅というものは、飲み食い放題というものではなかった。もちろん、旅先での食は大きな醍醐味ではあるが、宴会放題の旅はろくなものでなかったと、反省することの方が多い。
 ともに病気を持ったサルとカエルの旅の物語がある。カエルが友達からお伊勢参りをしたら病気が治ったと聞いてサルを誘ってお伊勢様へ旅に出る話だ。
 最初のうちは二人(?)で歩いていくのだが、そのうちに二人とも疲れてきて交互に背負って行くことになった。カエルは素直で、サルを背負ってしっかりと歩く。サルは悪賢く、カエルを背負ってカエルに空を見ているように言う。カエルは素直に空を見ている。空の雲が動くものだから、歩いているように思わせてサルは立ち止まったまま一歩も歩かない。そんなこんなでカエルだけ歩いてサルは一歩も歩かずにお伊勢様へ着くのだ。お伊勢様へはカエルだけが歩いて来て、サルはカエルに連れて来てもらったのだ。
 そうしたらビックリ、カエルの病気はすっかりよくなっていた。一方、サルの病気はちっともよくなっていない。参拝の原点をおもしろおかしく伝える物語である。
 損得と苦楽は陰陽だと、自分の経験からもサルとカエルの伊勢参りからもよくわかる。損は得に変化し、得は損に変化する。苦も楽に変化し、楽も苦に変化する。陰陽は変化の法則でもある。日常の生活と非日常である旅も陰陽の関係である。呼吸も陰陽だから、吐いて吸うを繰り返して私たちが生きて行けるように、日常から離れた旅によって、私たちは日常を豊かにすることができる。
 現代の旅の種類はさまざまある。コロナも開けて世界中で旅の大キャンペーンをやっている。カエルに習うか、サルに習うか。昔の人は物語で私たちに陰陽の学びを残してくれている。