掃除のチカラ

 私がこくさいやで代表をしていた頃、こくさいやでは月曜、水曜、金曜日の朝30分、スタッフみんなで掃除をしていた。どんなに沢山の仕事が溜まっていようが、朝の30分は掃除の時間と決めて、みんなそれぞれが気になったところを整理したり掃除したりしていた。この掃除をはじめて気がついたことが沢山あった。そして、和道をはじめて掃除を柱にして運営していたら、掃除のチカラをいくつも目の当たりにした。その一部を紹介しようと思う。

①掃除をするとその場所がきれいになり、体をよく動かすから体もきれいになり、動いて血行がよくなるから気持ちもすっきりして心もきれいになる。さらにきれいになると周りの人たちも気分が良くなる。(身の回りがキレイになると身の内もキレイになる)

②どんなに忙しくても掃除をすることで、仕事と仕事の間ができる。大相撲にも仕切りがあるように、掃除は仕事前の仕切りといえる。

③性格が掃除にあらわれる。ひとつのことを根気よくやり通すタイプは掃除も一ヵ所を隅々まできれいにする。視野の広い人は、大きな部屋を掃除する能力が高い。

④掃除には終わりがないが、とりあえず「終わる」ことが重要。一日ですべてがキレイなることはなく、コツコツ続けていくことに意味がある。

⑤整理整頓、掃除をしていくと、本当に汚かったトコロがわかるようになる。(問題が明確化する)

⑥掃除が習慣化されて店舗(家、事務所、会社などでも)の風通しがよくなると、経済状況(家族関係、健康状態も)もよくなる。

⑦掃除にも「ほどほど」がある。

 仕事が溜まりに溜まると、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、という焦りが出てくるが、掃除はその焦燥感をも一掃する。身の回りが整うと、身の内である体や心が整うのを掃除が教えてくれる。
 どんなに素晴らしいことであっても、続けなくては物にならない。どんなことでも習慣化しないと続けられるものではない。掃除の習慣化は私たちが身につけるものの中で一番意味のあるものではないかと思う。戦前までは教育で一番重要とされていたのが「修身」であったという。修身の基本が掃除である。
 とはいえ、掃除にも「ほどほど」があるものだと気づいた出来事があった。ある日、和道の窓をキレイに磨き上げたことがあった。まるでそこには何もないくらいに磨き上げた。そうしたら、その日、鳩が窓に激突して、死んでしまった。カーテンを閉めておけばよかったのだが、あまりにキレイになったので、見惚れてそのままにしていた。「清流に魚住まず」といわれるが、掃除にも「ほどほど」があるものだと気づいた。キレイであること、清廉潔白であることを第一にしなくても良いと思う。ほどほどのキレイさが人は心地よいのかもしれない。「ほどほど」が大事であるということが気づけたことも「掃除のチカラ」ではないかと思う。

モモを現代に

 「時間がない、時間がない」、よく聞くフレーズである。洗濯機や食洗器、掃除機のお陰で、本当は時間が十分あるはずなのだけど、なぜだか時間がないと感じている人が多いという。実際の時間もどんどん短くなっている。東京、大阪間も新幹線では3時間弱、飛行機を使えば1時間とちょっとで行ってしまう。20年以上前、鈍行電車で日本を旅したときは、大阪まで1日では着かなかったのを覚えている。今話題の超電導リニアが開通してしまったら、東京大阪間は30分になるようだ。ヨーロッパに行ったときも、成田からパリまで12時間あまりで着いてしまった。
 科学技術の発達が時間をどんどん短くしている。時間がドンドン短くなるがゆえに、私たち現代人は「時間がない、時間がない」というジレンマにおちいっている。能率、効率を求めれば求めるほど時間は短縮していくのだが、結果「時間がなくなっていく」。科学技術が結果的に時間ドロボウになっている。まさにミヒャエル・エンデの「モモ」のようなことが現代でおこっている。科学技術の発達は、時間を短縮するのと並行して、私たちの時間までも短縮してしまっているのかもしれない。
 ひるがえって、「時間がない」ことは私たちの体でも同じようなことがおこっているのかもしれない。
 体の中の飽和エネルギーを処理する時間がないのだ。処理とは消化吸収、分解排毒である。消化するにはあまりに多い空虚なカロリー。空虚であるからこそ多大なカロリーを摂取しているともいえる。さらに分解排毒がされにくい自然から離れた食品の氾濫。多くの化学調味料は石油から作られている。石油は地球が何万年もかけても分解されずに地下深くに溜まった動植物の死骸の油だ。何万年もかけて分解されなかったものが、私たちの体で数十年のうちに分解されるはずがない。
 人類が初めて人工的に作ったガンは、ラットの背中に石油を塗っていたらガンができたという。そんな石油を食品や化粧品、シャンプーやリンスで体に使用していたらガンが国民病になるのは当たり前である。ガンこそ体の中で分解排毒できなかった細胞であるのだから。
 体の中で飽和になったエネルギーの処理する時間がないがために、万事「時間がない」現象が生理的にも心理的にも引き起こされているのではないかと思う。
 断食は時間ドロボウから時間を奪い返すモモではないかと私は思う。まずは胃腸を疲れから開放してあげることである。胃腸の疲れが解消し、細胞の疲れが解消されてくると、時間はどんどん生まれてくる。時間があるかないか、それは私たちの体のなかにその秘密がある。
 断食を体験した人の多くは、体と心の中が整理されて、自分の本当の時間を取り戻している。
 「合宿に来る直前までは、頭の中がごちゃごちゃでパンパン。気持ちもソワソワ、ずっと何かに追われているようで、ここ数日は何も考えたくない、と思っていました。それが今、合宿を振り返ると、ちゃんとできていて、頭の中はスッキリ、体も心も軽くなっています。本当に断食で自分を取り戻したようです」
 断食を体験した人の多くがこのような感想が湧いてくる。そして、時間ドロボウから時間を取り戻したら、人は自然と夢や希望が湧きおこってくる。「ごちゃごちゃ、ソワソワの原因を作っていたのは、今やっていることが何に向かっているのかが明確になっていないからだと気づくことができた」と前述の人。時間を取り戻すには胃腸を軽くすることは「はじめの一歩」なのだと思う。

ライオンとゴリラの間

 「肉をやめたら体力がなくなって、結局マクロビが続けられなかった」という人が少なくない。前回のブログで登場した圧迫骨折の男性も親戚から「肉や牛乳を摂らないから骨がもろくなるんだ」と言われて不安になったという。
 戦後の日本は、動物食が増えても骨粗しょう症になる人が多いのであるが、動物性たんぱく質やカルシウムを摂らないと骨や体は造られないという栄養教育が多くの日本人にしみついてしまっている。そして、日本人は毎日のように動物性食品を食べるようになって60年以上が経つ。
 多くの人の食養指導をしてきて、現代の日本人は、ライオンほどではないが、肉食によって血液やたんぱく質を造る腸内環境になってきているのを感じる。では、このままライオンのような腸になって、肉ばかり食べたらいいのではないかという人がいるのだが、問題はそう簡単ではない。
 野生のライオンは毎日食事ができるわけでない。7~10日に一度しか食にありつくことができないという。むしろ、毎日肉食をしたら、腸をはじめとして臓器は疲弊してしまう。それよりなにより、肉食動物は寿命が短い。ライオンだけでなく、トラやチーター、ヒョウなども草食動物に比べたら寿命が短い。さらには、食物連鎖の関係で肉食動物が草食動物よりも個体数が多くなることは決してない。もしも人間が完全な肉食動物になったならば、肉食動物の宿命を同時に受け入れないとならない。
 マクロビオティックは菜食主義ではないが、菜食を基本とした生き方を勧めている。20世紀初頭にヨーロッパに渡った桜沢如一は、西欧の侵略思想が肉食から来ていることを看破した。侵略思想だけでなく、西洋人の多くの病気も、過剰な肉食に起因していることを突きとめた。そして、桜沢は西欧に日本文化を伝えつつ、日本の食養をマクロビオティックと称して西欧人に指導するようになった。フランスでは桜沢の功績に文化勲章を与えていることからもその活躍がいかに大きかったがわかる。ヨーロッパでは桜沢のことを「西洋人を助ける東洋人」と言われていたという。
 日本人の2人に1人が海藻からたんぱく質を造ることができる腸内細菌を持っているという研究がある。西欧人からはそれらの腸内細菌が見つかっていないという。これは、日本人が海藻をよく食べてきた証拠であり、肉食が少なかったという証でもある。
 ベルギーを拠点にヨーロッパ全土でマクロビオティックを普及した大西恭子さんは、西欧人に海藻を食べてもらおうとヨーロッパで海藻料理の研究をした。ベルギーのテレビでは「マダム海藻」として紹介されるほどであったという。肉食を減らすのに、海藻を食べる習慣をつけることは意味のあることである。大西恭子さんも桜沢先生の妻・リマ先生から薫陶を受け、リマ先生からの使命でヨーロッパでマクロビオティックの普及に励まれていた。
 霊長類最強といわれるゴリラは菜食である。葉っぱや果物ばかり食べて、180cm、200kgもの体を造っている。葉っぱや果物から血液やたんぱく質を造ることができる腸内細菌を有しているという。人間はライオンにはなれないから、菜食を極めてゴリラになったらいいのかというと、そういうことでもない。
 人間は本来の人間になったらいいのだ。人間の特徴は穀物を中心に生きていくことである。日本人はご飯(コメ)、みそ汁、漬物である。西欧人は地域にもよるが、フランスではパン、チーズ、ワインである。これらの伝統食で私たちの腸内細菌は活性化する。それが、現代の日本は、過剰な動物食と食品添加物、砂糖や人工甘味料、身土不二を離れた食品の数々で病気を多発させている。「肉を止めたら体力がなくなった」というのは、腸内細菌が変化しようとしたからなのだ。肉から血液を造るのではなく、おコメや野菜から血液を造るようにシフトしようとする移行期に私たちは一時的に貧血になるのだ。
 この移行期を上手に乗り切るのに、断食は大きな力になる。一時的に食を断つことで、体に蓄積した必要度の低いものが排泄される。そして、断食の明けの食事・回復食の時、乾いた砂に水をまくように、私たちの腸は回復食を吸収する。日本人であれば回復食に、おコメ、旬の野菜、海藻、本くず、発酵食品を食べることで、それらに相性のよい腸内細菌が棲みつく。この断食を習慣化すると、私たちは日本の伝統的な食生活で十分に血液やたんぱく質を造ることができる。ライオンでもなく、ゴリラでもなく、人間として生きることができる。

骨粗しょう症の食養と生活

 「さみしくて、さみしくて、いられない」と電話があった。遠距離恋愛をしている人ではなく、背骨を圧迫骨折した男性からであった。前回のコラムでも触れたが、60代の男性が圧迫骨折して、和道に養生に来ていた。その後、自宅に帰って、ひとり食養生活をしながらリハビリを続けているのだが、動きもままならなく、人との交流もあまりなく、どうしてもうつ的になってしまう。さみしさを訴える相手がいるだけまだいいが、もしそういった人がいなければ、本当にうつ病になってしまうかもしれない。
 人間は長いこと、大家族の中で日々の暮らしを営んできた。両親、祖父母、曾祖父母、そして兄弟姉妹と身を寄せ合って暮らしてきた。私が生まれた時のわが家もそれで、四世代同居であった。今では大家族は少なくなって、一人暮らしの世帯の方が多いという。大家族のストレスも無いとはいえないが、体と心への深刻なストレスは孤独な生活に勝るものはない。一人暮らしはそもそも、冷蔵庫、洗濯機、掃除機など、家電製品が登場した近現代になってはじめて生まれた。人類は何万年と集団生活を送っていたわけであるから、一人での孤独な生活に、私たちの脳と体は追いついていないし、これからも慣れるとも追いつくとも思えない。
 「独りは本当に虚しいものですね」圧迫骨折の男性は、体が思うように動かせず、その「さみしさ」から、人間の本質的な生き方を知ったという。ちゃぶ台ひとつを大家族で囲んでいたのが、そのちゃぶ台が切り売りされて、一人暮らしや核家族が誕生した。一つのちゃぶ台よりも、いくつものちゃぶ台になった方が経済効果は確かにあった。高度経済成長というものは、見方を変えると大家族が崩壊して、現代の独居老人をつくる下地になっていたのだ。
 人間が肉体的、心理的に健康を保つのに、人と人との交流は無くてはならないものだろうと思う。人は人と交流してこそ、体と心が動き出す。もちろん、山奥や無人島で独り自給自足的な生き方をしている人は、絶えず動いて健康を保っているだろうが、稀である。
 日本人は農的暮らしを基礎として、人間同士支えながら生きてきた歴史がある。そして、農的暮らしの中心に稲作があり、みそ、醤油などの発酵文化がある。日本と日本人は、稲作文化と発酵文化の二本立てで、これまでの長い歴史を生き抜いてきた。これは、私たちひとり一人の体をみても、おコメとみそ汁をいただくことが健康を保つ最も大事であることとシンクロする。骨粗しょう症を改善する食養生活は、おコメとみそ汁をいただき、この完全食からいかに栄養素を吸収するかにかかっている。骨を豊かにする方法は、おコメとみそ汁からいかにエネルギーを吸収するかである。この吸収力を高めることに尽きるのではないかと考えている。
 吸収力を高めるのに大事なことは、まずは唾液をよく出すこと。ドライマウスでは、おコメとみそ汁から上手に栄養を吸収することができない。口は体のオアシスでなくてはならない。そのためには、よく噛むこと、よく話すこと、重たいものを持つことである。重たいものを持つと、歯を食いしばったり、腕を使うことで喉から顎にかけての筋肉が活性化して、口呼吸が無くなっていく。口呼吸というのは、運動不足で口から首にかけての筋肉が未発達であることを物語る。望診では、口をあけているのは、「幼い気持ちが抜け切れていない」ということを示す。重たいものを持ったり、手足を使って体をよく動かすと、口から首にかけても筋肉が発達して口呼吸が改善する。
 唾液はさらに、細胞修復能力がある。口が潤うと、唾液が胃腸にも行き渡り、胃腸の機能が高まる。そして、定期的に本くずを食べることで、腸内環境が整い、栄養吸収が安定する。腸には何兆個ともいわれる腸内細菌が棲みついているといわれるが、腸内細菌の善玉菌のエサになるといわれるのが、おコメ、旬の野菜、海藻、発酵食品である。おコメ、みそ汁、時々のくず湯やくず練りに加えて、腸内細菌を活性化させる食物をいただくことが、骨にとっても大事である。

骨粗しょう症の原因

 体はもともと、骨が豊かと書いて「體(からだ)」であった。私たちの骨は体の基礎中の基礎であって、骨がしっかりしていないと日常の生活をおくることが難しい。
 高齢化社会では、私たちの骨の問題も必然、多くなる。私のところにも骨粗しょう症の相談は多い。昨今では、骨粗しょう症から背骨を圧迫骨折し、一人での生活がままならなくなって和道に滞在して治療をする人も増えてきた。マクロビオティックを実践していても、骨粗しょう症になる人とならない人がいる。多くの人を観ていると、骨が豊かであり続けるためにはマクロビオティックの実践にもコツがあることがわかる。
 これはマクロビオティックに限ったことではないのであるが、骨粗しょう症になる人に共通していることの大きなひとつに運動不足がある。骨は刺激すればするほど、強靭になる。縄文時代の人骨は多くの場合、現代人の骨に比べて倍以上太いものが珍しくないという。骨への負荷が現代人に比べて縄文人は倍以上あったということらしい。骨粗しょう症は車社会の産物の一つと言っても言い過ぎではないだろう。車は便利であるが、ほどほどの利用にしなくてはならない。車だけではない。運動不足は、現代生活を普通におくっていると、ダレでも陥るワナのようなものである。
 先日、和道に滞在した圧迫骨折の人は、40年来食養を実践してきた60代の男性であった。彼の仕事はデスクワーク中心で、月に数回夜勤があったという。東京在住であったので車には乗らなかったようであるが、運動は通勤の徒歩くらい。家も職場も駅から離れていたので、それなりに歩いてはいたというが、縄文人や江戸人であったら家の前をほんの少し歩いた程度であっただろう。
 夜勤や屋内のデスクワークというのは、日光不足にもなるので、骨代謝にはマイナスである。運動不足と日光不足は骨代謝だけでなく、自律神経も乱す。私も苦学生であった若い頃は、夜勤の仕事もしたことがあるが、食養生活での夜勤はひと工夫もふた工夫も必要であるのを実感した。本来は眠るはずの夜に起きて活動するというのは、陰陽で考えると相当陽性でなくては動けるものではない。夜行性の動物の多くが肉食(雑食も含めて)であるのを考えるとよくわかる。栄養学的には、夜の活動は私たちの体の中で脂溶性ビタミンであるビタミンA・D・Eなどをより消費するという。脂溶性ビタミンは水溶性ビタミンに比べて陽性である。夜という陰性な環境では、陽性な食物をいただかないと活動できるものではない。
 現代社会の行き詰まりを考えると、健康革命を起こさなければならないと思う。圧迫骨折の彼の仕事は流通業であったのであるが、現代の物流を支える問題点が、こんなところにも出ているのである。ネットで注文したら次の日にモノが届く、という裏側には人間の健康問題が孕んでいることを肝に銘じなければならない。
 運動不足と日光不足という条件が大前提にあると、いくら骨が豊かであった人でも、年月とともに少しずつ骨が脆くなってくる。そして、骨が弱くなってくる人たちに共通する食生活もある。その一つがコメ不足である。おコメのご飯が少ないのである。ご飯の代わりに麺やパンなどの小麦製品が多いのも特徴である。運動不足は消化力の低下を招き、結果、おコメを噛むよりも麺ややわらかいパンの方が食べるのがラクなのだ。その他では、味噌や漬物などの発酵食品不足。海藻や乾物などの食養食品の中では陽性な食品の不足もある。運動不足と日光不足は、腸の機能を低下させ、消化吸収力、免疫力、判断力などの力が奪われていくのを骨粗しょう症の人たちを観ていると感じるのである。

何を目指して生きていくか

 先日、サッカーの日本代表戦を見ようとしてTVをつけたら、なんとビックリ、子嶺麻さん(デコさんの長女)がTVに出ているではないか!それも、1時間近く、子嶺麻さんたち家族を特集している。ガス水道代ゼロ円生活、限りなく自給自足に近い生活をしている子嶺麻さん家族に密着取材だ。
 キッチンの主役は竈(かまど)になるのだが、その竈をなんと巧みに子嶺麻さんが使いこなしていることか!かまど調理が五感と脳をいかに活性化するかを、子嶺麻さんが笑顔満載で伝えていた。
 旦那さんの洋介さんも素敵な人だった。自給自足的な生活が本当の命を輝かせることを悟って、家族みなでその暮らしを楽しく送っている。ディレクターの「大変じゃないですか?」という質問に、子嶺麻さんが「そこが目指しているとこだから」という笑顔には感無量になった。
 人は目指すものがあってはじめて力が発揮できる。目的なく、ぶらぶら歩くのもいいものだけど、目指すものがあってそこに向かって歩くことは人生の醍醐味じゃないかと思う。私たちは何を目指して生きているのだろうか。以前のブログでデコさんを取り上げて「行き当たりバッチリ」と題して書いた。デコさんは自分の人生を「行き当たりバッチリ」と言うのは、デコさんは自分の目指すものが明確にあり、そこを目指して歩いていたからこそだと思う。目指すものがなければ、それこそ「行き当たりばったり」になっていたのではないだろうか。
 そんな子嶺麻さんを育んだデコさんは、いったいどんな子育てをしてきたんだろうと、何年か前にデコさんに聞いたことがあった。そうしたら、「子育って何?」とデコさん。デコさんは子どもを育てるという感覚ではなく、ただ「くらし」を一所懸命にしてきただけだったらしい。この「くらし」を大事に暮らして来たら、子嶺麻さん達はちゃんとデコさん達の背中を見ていたんだろうな。「くらし」を大事にするということは、次に命を繋いでいくもっとも大切なものだと思う。本当は、私たちのダレもが、未来永劫、次に命をつなぐことが目指すものなんだろうと思う。命というものの性質は次にバトンをつなぐことであるのだから。
 そんなデコさんと子嶺麻さん家族が、今年も和道にやってくる。TVやスマホやSNS情報などで知った気、やった気になるのではなく、実際のデコさん子嶺麻さんに会ってほしい。リアルな二人に会えば、きっと何かに火がつくと思う。自分の目指すものがはっきりしてくるかもしれない。

和道・スペシャル合宿&お話し会『中島デコのサステナブルライフ』出版おめでとうの集い&合宿 4月27~28日(土~日) 
詳しくは和道HPでhttps://www.m-wado.jp/   お話し会のオンライン参加(録画視聴もOK)もあります
申込みはメールでお願いしますmacrobiotic_wadou@yahoo.co.jp

花粉症の食養生

 先日まで半断食合宿を和道で行っていた。今回の合宿に参加した方のひとりが、「気がついたら花粉症が治っていた」という。その人は6年前に食養に出会い、ちょくちょく和道に来て体調管理をしている。日常は、東京でフツーのOLをしているので、付き合いやら誘惑やらで一般的な食事もしているのであるが、それでも「ほどほどの食養」を心がけ、年に何度か和道に来て半断食を習慣にしているお陰なのだろうか、着実に体と心が強くなってきている。6年前に出会った時は、体調不良のオンパレードで、春先になると花粉症に悩まされていた。それが、今ではこの時季になっても、鼻水も出ず、目も痒くならず、元気に過ごせている。
 先のコラムで花粉症は血液の酸性化ということを書いたが、血液の弱アルカリが恒常的になれば、花粉症からも卒業できる。
 もちろん、杉や檜に偏った日本の林業の見直しも大事なことである。杉や檜ばかりでなく、多種多様な落葉樹が生い茂る日本本来の里山が復活することが大切なことであると思う。そのうえで、私たちの食生活を見直し、体質改善をすることが国民病と化した花粉症からの警鐘ではないかと思う。
 花粉症の人たちを見ていると、あることに気づく。ごはん(おコメ)、みそ汁、漬物、お茶(できたら三年番茶)の習慣がないか薄い人に花粉症が多い。花粉症はアレルギーのひとつであるが、アレルギーのある人は、日本においては日本の伝統的な食習慣から離れていることがひじょうに多いのだ。
 身土不二、身体と環境(土)は切っても切り離せない。日本の風土に育まれた食物をベースに生きることが、日本人であれば血液を弱アルカリに保つことができる。さらに、日本の風土に合った腸内細菌が私たちの腸に棲みつく。
 自然に育った野菜を塩で揉んで、重しをして数時間置いておくと発酵が始まる。塩が空気中の有用菌を取り込んで、野菜に付着する菌との相乗効果で、私たちにとって必要不可欠な腸内の善玉菌を増やしてくれる。そういう点においても塩は私たちになくてはならない貴重な食物である。
 そして、日本人や東洋人の腸内細菌にとって最も大事なものがおコメである。おコメの食べる量が減ってくると、腸内の善玉菌も減ってくる。腸内細菌はおコメによって活性化してくる。糖質制限食は、ある種の断食になって、体の老廃物を排泄してくれるのであるが、長期間に及ぶ糖質制限は腸の善玉菌が減少して、腸が健全に働かなくなってしまう。動物食を多食する糖質制限はなおさら、悪玉菌を増やす動物性食品を食べ続けるわけであるから、腸内も血液も酸性に偏り、さまざまな弊害が出てくる。
 花粉症にも陰陽の症状がある。鼻水が水のように出てくるのは陰性である。鼻づまりは陽性。鼻水が水のように出てくるのと鼻づまりが共存するのは、陰陽両方。目の痒みは比較的陽性のことが多い。陰性が強い場合は、梅生番茶、みそ汁を一日2~3回摂ってみたらいい。喉が渇くようならば塩気の摂り過ぎだから、量は加減する。鼻づまり、目の痒みが強い陽性の方ならば、第一大根湯、しいたけスープ、野菜スープを美味しいだけ飲んだらいい。花粉症は、腸を良くするほか、肝臓と腎臓を活性化することも大事である。腹部や腰を生姜シップで温めたら、腸と肝臓と腎臓が活性化する。生姜シップが難しければ、こんにゃくシップや湯たんぽで温めるのでもいい。そして、体を温めるのに最も大事なことは運動である。よく動く人に花粉症はない。

花粉症と海の酸性化

 先日、ウォーキング合宿があり、参加の皆さんと一緒に群馬と長野の県境である碓氷峠を目指して歩いていた。ロッククライミングの聖地といわれる裏妙義を左手に見ながら、春の強風に向かって隊列を組んで歩いていた。裏妙義から碓氷峠に向かっても山が連なっているのであるが、その山は杉も多く、春の強風に吹かれて黄色の塊が東や南に移動していた。たぶん、いや間違いなく、黄色の塊は花粉である。山で生まれた花粉が、人が住まう平地に舞い降りるのだろう。花粉症のひどい人は、このコラムを読んでいるだけで鼻がムズムズしてくるかもしれない。少しの間、ご容赦いただき、最後まで付き合ってもらいたい。
 春の彼岸のこの時季、現代の日本でもっとも注意を要するのは花粉症だろう。「暑さ寒さも彼岸まで」というように、寒さが和らいでくるこの時季は、花粉が一気に拡散してくる。しかし、花粉症とはいえ、私たちは花粉だけに反応しているわけではなさそうだ。花粉と一緒にPM2.5などの微粒子の化学物質に体が反応している場合がひじょうに多いらしい。毛穴よりも小さい微粒子の化学物質が、皮膚から体に侵入して、皮膚トラブルを招いていることも少なくない。
 花粉症の症状は、実のところ、体の酸性化を改善しようとして起こっている自然な反応である。鼻水、目の痒み、皮膚の痒みなどは酸性に傾いた血液を排泄しているにすぎない。海もまた、酸性化しているといわれる。私たちの血液も海水も、本来は弱アルカリ性を保っている。ところが現代は、海も血液を酸性化してきている。
 酸性化の原因は、石油の使い過ぎである。現代社会は、衣食住だけでなく、道路、ガソリン、クスリに娯楽、ありとあらゆる暮らしの細部にまで石油で作られたもので満たされている。とはいえ、脱炭素を謳って原発を推奨する向きもあるが、原発から出る放射能や放射性廃棄物も強烈な酸性化物質である。現代の便利な生活を支えるエネルギーの多くが、私たちの体と私たちを取り巻く環境を酸性化させている。
 三年番茶、梅生番茶、梅干し、たくあん、浅漬け、とろろ昆布、わかめ。これらの食物は花粉症の症状に効く食養生である。これらの食物はみな、自然が生んだ植物である。人は植物から命をいただき生かされている。植物の多くは、私たちの体をアルカリ化してくれる。私たちの血液が弱アルカリであるというのは、長年、植物をベースに生きてきたことの証である。
 簡素な食と生活で私たちは十分生きていける。むしろ、簡素な食と生活でないと生きていけないのかもしれない。マクロビオティックな食と生活は、現代の革命である。マクロビオティックを自給自足、良妻賢母、一汁一菜に置き換えてもいい。花粉症が簡素な食と生活で改善することは、決して大冝な事でなく、革命の一歩である。「一日一個の梅干しはその日の難逃れ」などといわれた。花粉症で鼻水が止まらない人が、梅干しを1日1個いただき、種を何時間も舐めていたら、数日で鼻水が出なくなったという。梅干し習慣で花粉症改善した人も少なくない。 令和6年3月18日 記す

行き当たりバッチリ

 久しぶりに心躍る本を読んだ。「マクロビオティックで運が良くなる」とマクロビオティック実践者がよく言うけれど、その実際はなかなか公開されてきていなかった。それが、この本は赤裸々に全部を公開しているんじゃないかというくらい、「運が良くなるとはこういうことよ」という風に、軽やかに公開されている。
 『中島デコのサスティナブルライフ』(パルコ出版)中島デコさんの生き方・あり方が満載である。デコさんそのものがマクロビオティックだと思う。絶対肯定感に溢れている。身におこること、降り注ぐこと、すべてを受け入れて、「行き当たりバッチリ」な生き方だと、自画自賛しているが、私も傍らから見ていて、本当にそうだと思う。デコさんは中島デコという名前をかぶっているけれど、もう他人と自分の隔てのない、まさに自他一体の生き方をしている。この本を読むと、デコさんはもう、みんなと一体であって、みんながデコさんのようである。読んでいるだけで爽やかになる。そんな本はなかなかない。
 「あるもので暮らす」ということは、「あるものを生かす」という暮らし方。資源を生かし、野菜を生かし、環境を生かしていくように、私たちは自分も生かす暮らし方を選んで生きたい。とデコさん。
 人は社会で生きていると、どうしても社会の方を見過ぎてしまう。目が外を見るようになっているから致し方ないのだけど、学歴だとか、肩書だとか、収入だとか、そんなどうでもいいようなことに目を奪われて生きてしまう。そんな社会にあって、デコさんは、命をそのまま、命として受け入れて、澄んだ目で生きてきたから、デコさんの子ども達もデコさんと同じように生きているのだと思う。デコさんは「ごはんは人生の中心だ」と言って、それをそのまま、実行している。なかなかできることじゃない。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思いだした。デコさんは、時間泥棒から時間を取り返すモモのようだと思う。
 桜沢先生は『食養人生読本』という本を書いているけれど、デコさんのこの本は女性版の食養人生読本じゃないかと思うくらい、デコさんの人生の味を味わうことができる。ここ何年か、春にデコさんに和道に来てもらって合宿をしているのだけど、昨年は「女・母・妻・仕事・人間としてのデコさん」と題してお話しをしてもらった。圧巻だった。「私は二回も旦那に逃げられているから、女として妻としては失格よ」と事もなげに話していたけれど、本の最後には、そこにまで至る葛藤が、やはり赤裸々に告白されていた。表紙の笑顔からは想像もつかない苦しみがそこにあったのだと。
 どんなことがあっても人生はいいものだと思う。デコさんはそのものがマクロビオティックになったのは、その葛藤を含めて、人生丸ごとではないか。難があるから、「ありがとう」だと。
 デコさんは子だくさんでもあったから、今では孫だくさんになって、これからのマクロビオティックな生き方をまだまだ模索している。そんなデコさんは、いつまでも「子どもを中心に据えた」生き方が人生の基本だという。いい子を育てることでなく、やんちゃでもわんぱくでも、元気溢れる子を育てることが大事だと思う。学歴より食歴である。マクロビオティックは、今の行き詰った社会の処方箋になると思ってきたけど、その実際の生き方がデコさんの生き方から学べる。珠玉の一冊が誕生した。

掃除と創造

 和道では毎月、食養合宿と称して半断食の合宿を行っている。全国各地から様々な人が参加される。参加者の中ではマクロビオティック実践者は半分くらいで、これからマクロビオティックを実践したい人、マクロビオティックのことをまったく知らなかった人が半分くらいいる。断食で検索したら和道が出てきて、参加してみてはじめてマクロビオティックを知ったという人もいる。
 マクロビオティックを断食を通して知る人は幸福であると思う。むろん、断食以外のご縁でマクロビオティックを知ることがわるいわけではない。しかし、断食は人生の大掃除であるから、掃除という人生でもっとも大事な行為を身につけるという点において、幸福であると思う。
 コロナが流行り出してからよりも、ワクチンを打ち出すようになってからの方が食養相談が増えている。統計的にも死亡者が増えているようだ。
 インフルエンザにしろ、コロナにしろ、感染症そのものが体内の大掃除であるのだから、それをワクチンで予防しようという発想そのものが不自然である。インフルエンザやコロナが流行ったら、自然生活をしながら、どんどん罹ったらいい。体の大掃除になって、自然に治せば、罹る前よりもずっと元気になる。
 コロナが流行り出したといわれて一年後くらいに、わが家の子どもたちがどこからともなくコロナらしき風邪を持ってきた。上の子たちは中高生であったので、外の食べ物もけっこう食べるようになっていた。そうしたら案の定、コロナらしき風邪にかかり、高熱を出して寝込んでしまった。しかし、まだ幼稚園児や小学生の下の子たちは、給食でなく食養弁当、さらに外食もないから、上の子たちの持ってきたコロナらしき風邪もなんのその、いたって元気に過ごしている。食養生活で体を大きく汚すことがなければ、感染症ほどの大掃除は必要ないのだろう。
 とはいえ、生きている限り人間は体だけでなく、いろんなものを汚しながら生きていく生き物なのかもしれない。だからこそ掃除をし続けないと生き長らえることができないような気がする。
 半断食の合宿を通して、日々の掃除がいかに大切か、ということを気づく人は多い。朝の掃除がいかに気持ちよいものか、ということを知る人も多い。朝の掃除の気持ちよさを知って、そこから朝の掃除が習慣化する人も多い。掃除ほど大切なものはないと日々その想いを強くする。私たちの体も、細胞レベルで常に掃除が行われているようだ。オートファジー(自食細胞)の研究でノーベル賞をとった大隅良典さんの研究では、オートファジーの機能を止めたマウスは、一日で細胞に毒素が溜まって、死んでしまったという。オートファジーこそ、細胞の掃除的働きも持つ細胞だけに、私たちの体は一日でも掃除ができなければ生きていくことができないのだ。
 世の中を見渡すと、社会にあまたある仕事は、掃除的働きが強いか、創造的働きが強いか、そのどちらでないかと思う。建設業や製造業など、ものづくりを担う仕事は、創造的働きの強い仕事である。一方、医療や福祉は掃除的働きの強い仕事ではないかと思う。社会もまた、私たちの体と同じように、掃除と創造が調和してこそ、よりよく回っていく。
 想像力が失われたり、新しいことにチャレンジできなくなったら、私は掃除をすることを心がけている。人生に行き詰まったら掃除をすればいいと思う。掃除こそ人生のリセットに最適である。掃除の中にこそ創造性が隠されている。5年ほど前に、不妊の改善で食養合宿に来た人は、トイレ掃除の気持ちよさに目覚めて、食養と断食の実践とともに、トイレ掃除の実践を日々休みなく行った。そうしたら一年後に、専門医から絶対無理といわれた自然妊娠に至って、元気な赤ちゃんを授かった。この人の行為はまさに、掃除の中から想像を実現させた好例である。掃除と創造は陰陽の関係であるから、常に相対的・相補的な関係の流れの中にある。
 迷ったら掃除、悩んだら掃除、生きづらさを感じたら掃除。掃除こそ運命を開く最大のものであると思う。