習慣とは大事なものだと思う。習慣化されたものは、いつでもどこでも出てくるものだ。英語を話す習慣のある人は、どこであっても自然に口から英語が飛び出してくる。掃除の習慣のある人は、どこにいっても身の回りをきれいにすることができる。旅先の宿でも、部屋をきれいに使うことができ、帰る時も掃除が必要ないくらいである。
体の習慣も同じように、笑顔の習慣がないと自然に笑顔が出てこない。顔の筋肉も、他の筋肉と同様に、日々習慣的に使っていないと硬くなってしまう。ニコッと笑う習慣が身についたならば、顔の筋肉は柔らかくなり、肌の血行もよくなり、若返り、美人となる。
多くの人の望診(食養相談)をしていて、笑顔の習慣のある人は肌の艶がよく、キレイで、笑顔の習慣のない人にシミそばかすが多いのに気づいた。笑顔になることによって顔の血行がよくなり、シミもそばかすも消えてゆくのだろう。もちろん血液がキレイであるから血行が良くて笑顔が絶えないということでもある。笑顔と血液循環は相関的なものだ。
この夏、フランスで五輪が開催されたが、各競技で表彰台に立つ人たちも、顔の艶がよくキレイで均整がとれている。運動選手は体を動かすことが習慣化しているから、血液循環はよく、「流水腐らず」のように、キレイな血液が流れているのだろう。
笑顔は最大のお布施といわれる。笑顔は人によい気分を与える。周りの人だけでなく、実は自分自身に最大最高の健康と幸福をもたらせている。作り笑いでもあっても、笑うとホルモンが活性化するのだ。まさに「笑う門には福来る」である。笑顔ひとつみてもこの世とは自他一体であることに気づかされる。笑顔で幸福を与えていながら自分に返ってくる健康と幸福。なんと素晴らしいものだろう。
食を調えてキレイな血液を流したならば、笑顔が自然に出てくるのだが、凝り固まった顔の筋肉を解すのは簡単なことではない。作り笑顔でもよい。笑顔は血流を良くするマッサージのようなものであるのだから。体が本当にキレイになったならば意識せずとも笑顔が出てくる。同時に本当にキレイになったならば意識せずとも調和的な食事ができるようになる。笑顔もまったく一緒、作り笑顔がそのうちに本当の笑顔になってくる。
詩人の坂村真民さんは「念ずれば花ひらく」という。想いは必ず通じるということ。想っておもって、想い切るとかならず行動に現れる。私たちの行動はみな想いに裏付けられている。楽しいタノシイ想いをもって行動すれば軽やかな行動になるが、嫌だなーという想いを抱いて行動したならば足に重しをつけたような行動になるだろう。仕事を楽しんでやれたならば有形無形のすばらしい報酬があるが、嫌々ながらの仕事では何の報酬もないばかりか、かえってその人の不平不満を増幅させて心身とも疲弊してしまう。
この世は損得を超えたまったくの平等の世界だと、歴史や多くの人の人生を見ているとそう思わざるをえない。ミクロにみるとこの世は平等には見えないが、マクロに大きく大きくみるとまったくの平等の世界とわかる。
私たちは想念のとおりの人生を歩んでいる。想念以外のことはおとずれないといってもいいくらい、想い通りの人生を歩んでいる。その想いは意識と無意識に関わらないものだから、一見すると思いの外の現実も多々ある。想定外とは、そもそも意識的な思いの外のことをいっている。この世は意識と無意識、それに超意識(宇宙意識)によって成り立っている。この三つの意識がすべてつながると、人生は想い通りの道を歩むこととなる。私たちの意識と無意識、超意識を通りの良いものにするには、食と生活を調え、この世とは自他一体であることを想い実践する心の鍛錬が必要なのではないかと思う。真民さんの「念ずれば花ひらく」を実現するにはマコトの生活をコツコツと歩んでいくのが一番の近道のようだ。