「先生にお会いするのは正直怖かったです」という人が時々いる。望診法のことを知っている人なのだが、私に自分の顔を見られて、欠点を指摘されるのではないかと戦々恐々としていたというのだ。
望診法というのは、人相や手相でその人の内面を探りだすことにある。人相や手相に血液や細胞、内臓の状態が表れる。心身一如であるから、心の状態も人相手相に表れる。自分では意識していない、潜在意識も顔や手に表れる。そのことを知って、望診・食養相談を受ける人は、自分の欠点をこれでもかというくらい列挙されるのではないかと思って怖かったというのだ。
ところが、いざ来てみたら、自分のよい所を誉めてもらって、「うれしくてうれしくて、飛んで跳ねるような気分になった」という。
人相や手相には、上相・中相・下相がある。上相というのは、周りの人にいい氣を発していて、見ていて癒されるような、そんな気分にさせてくれる。赤ちゃんの笑顔を見ると気分が良くなるのは、そんな赤ちゃんの顔は上相の氣を発している。和顔施(わがんせ)といって、お布施の中の最も高貴なものは笑顔だというのは、自然な笑顔は上相である所以である。
実はどんな人も、その人の中には上相・中相・下相を持っている。どんな悪人であっても、すべてが下相ということはなく、ほんのわずかでも何らかの上相を持っているものである。今、世間を賑わす、兵庫県知事は、私の目から見たら上相がたくさんある。いい人相をしている。マスコミが揃いもそろって大バッシングしているけれど、実際の仕事は兵庫県政の大改革をしていたわけだ。ある情報によると、神戸港湾の利権にメスを入れたことが今回の騒ぎに発展したという。(このコラムは2024.9.30に書いていました)
人相はウソをつかない。人相や手相はウソをつけない。
兵庫県知事を持ち出して恐縮だが、人相に上相がたくさんあるのであるが、それでも線の細さは否めない。私も含めて現代人は、若い人になればなるほど線が細くなる。線が細いというのは、言葉通り、顎や首が細いことを表す。望診では昔から、線が細いのは大事を成さない、と言われて、大事業を完成させることは難しいといった。ところが、人はハンマリング(叩かれる)を受けることで、線が太くなる。兵庫県知事は、あれだけのハンマリングを受けても、引かずに立ち向かっていく。今はまだ線が細くても、今のハンマリング(叩かれること)できっと大人物になるはずである。
一方で、周りの人に嫌な気をまいたり、不安にさせたり、心配させたりするのを下相という。恐怖感を抱かせることも下相である。下相がまったく無いという人は聖人君子以外にはなかなかいないが、それでも下相の顔がちょくちょく出てくるのは問題である。顔色がわるく、血色がうすいのも下相である。よい血液が流れていないことが下相である。
和道にちょくちょく来る人で、手の指の爪が全指黒色になっていた人があった。70代後半の女性であった。手の指の爪がすべて黒色になるのは、死相といって、死が近いことを表している。ところが、和道に毎月のように来て、生姜シップで手当てをして食を正しているうちに、少しずつ黒色が薄くなってピンク色が出てきた。高齢なので、家での食事は完全に食養はできなく、和食を心がける程度であった。それでも、毎朝欠かさずくず湯をとっていた。
自分の出来ることを日々コツコツと実践していたら、齢80を超えて、死相が消えたのである。今でも毎月のように会っているが、日々血行が良くなっている。人は高齢になっても、小さなことでも日々の精進を怠らなければ、下相を上相に変えることができるのである。
下相を上相に変える日々の実践を中相という。中相というのは日々の精進・努力のことをいう。努力は天才に勝るとよくいわれるが、これは中相の極意である。人相でも上中下というと、中相は中間の相と思われがちであるが、中庸の相である。特別な能力を備えることを中相というのではなく、ダレでもできる日々の小さな実践をコツコツ続けていくことが中相である。
人相や手相だけではない。言葉や立ち居振る舞い、家やその場の雰囲気にも上相・中相・下相がある。日々の中相の実践で、上相が大きくなり、下相が小さくなる。そんな日々を送ることそのものに大きな意味がある。