早期教育はダレのためか?

 「磯貝さんのところは何で子どもが6人もいるんですか?」オモシロイ質問をしてくる人が時々ある。
 「ナンデダロウネ~笑」とお茶を濁すわけではないのだが、いるものはいるのだから、しょうがない。昔の日本人は10人以上も子がいる人たちも少なくなかったが、この少子化時代に6人というのは珍しい。稼げど稼げど、どんどん出ていくから、私の財布は山を流れる渓流の川である。血液の流れもいいが、お金の流れもいい。少しはたまってほしいと思うが、血液によどみがないのがよくないのか、お金も一向にたまらない。
 昔の鍼灸では「とめ鍼」といって、子どもができて出来てしょうがないご婦人に鍼をさして妊娠しない体にしていたのだが、現代は不妊鍼灸といって、不妊の人たちに鍼灸をするわけだから、ここ数十年で人々の身体はコロッと変わってしまった。肉、卵、乳製品、人工甘味料、食品添加物など、戦前は口にしないものが当たり前の社会になってしまった。さらに、現代の動物性食品はホルモン漬けで急成長させられたものばかり。
 どこかの作家が、今の親は「早くしなさい、早くしなさい」と急かすけれど、その教育を煎じ詰めると「早く死になさい」になるんじゃないかと皮肉的に書いていた。単なるアイロニー的文章というわけではなく、世の真理をついた言葉ではないかと思う。促成栽培的に急かされて造られた動物食ばかり食べていると、「早く、早く」という心理になってしまう。食べ物が体をつくり、心をつくる。
 日本や韓国、中国、この東洋の国々は、稲作文化が根底にある。稲作は一人で行うことはできなく、共同作業を基本とする。稲作になくてはならない水は、隣り合う田んぼどうし仲良く平等に使ってきた。稲作を中心とした百姓暮らしは、周りの人々との調和的生き方が根幹にあった。時が巡って社会が変わっても、この稲作文化の横並び心理は変わらずあるように思う。隣の子どもが塾やピアノ、サッカー、テニス、英会話など習い事をしていたら、ウチの子にもというのが親の常だ。
 多くの人たちに競争心というものがあるから、隣の子よりも少しでもデキがいい方がいいから、「早くしなさい、早くしなさい」となるのかもしれない。現代の促成的肉食と稲作文化の心理が、変に絡み合って現代の早期教育を流行らせているのかもしれない。やはり、コメにはみそ汁と漬物が合うのだ。コメに肉をつけて食べると、体も心も変になることは、食養指導を通して確信している。
親はどこをみて子育てしているのだろうか?
子どもをみて子育てしるのだろうか?
世間や隣近所をみてはいないだろうか?
親は健康で幸せで自由なのだろうか?
 ダレだって子ども達には幸せになってもらいたいと思っている。食べるもの、住むところ、お金に不自由しない生活を送ってほしいと思っている。だけれども、昔の人達は「子に美田は残すな」と言って、自分の家族だけの繁栄という私利私欲を強く戒めている。桜沢如一も同じことを言っている。「よその子を育てることが、自分の子を育てることにつながる」
 中学生や高校生で「生きることに疲れた」といって私のところに来る子がいる。ほとんどの場合、経済的には裕福な家の子である。教育熱心な親に育てられた子が疲れて私のところに来る。私たちはこの世に遊びに来ているはずである。奴隷のように好きでもないことをやらされる人生をおくりにこの世に生まれてきたわけでない。健康で自由で、本氣が湧きおこってくるような人生を歩む、そんな生き方をしたい。そのためにはどんな食べ物を食べて、どんな生活をしたらいいのか、探求することである。本来の教育というものはそういうもではないかと思う。