「死ぬ時節には死ぬがよく候」良寛和尚の有名な言葉である。良寛さんが71才の時、越後を襲った大地震で多くの人々が亡くなった。その時に、良寛さんが友人に宛てた手紙の中の一節である。「しかし災難に遭ふ時節には災難に遭ふがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 良寛」
災難にも目を背けず、あるがままを受け入れて、今できることを精一杯行う、それ以外にないではないか、というのが良寛さんなのだろう。
曹洞宗の開祖・道元禅師もあるがままを受け入れる大切さをある逸話で残している。病にかかった幼子を抱えた母がいた。母は何とか子どもを助けたいといろいろな医者に行くが、どの医者も打つ手がないという。そんな母に道元は、「病人が一切出たことのない家の井戸の水を飲ませなさい」という。母は必死になって病人が出たことのない家を探すが、そんな家はどこにもなかった。そして、幼子は残念ながら亡くなってしまう。道元禅師もまた良寛さんと同じように、死ななくてはならないときはそれを受け入れなくてはならない、といっているのかもしれない。一方で、本当に病人が出たことのない家の井戸は、磁場が良く、水のエネルギーが高く、どんな病気も癒す力があると道元禅師は知っていたのかもしれない。しかし、そんな井戸は滅多になく、なかなか探すことができなかったのかもしれない。
現代社会の少子化も、あるがままを受け入れているだけでいいのだろうか。物事には必ず、原因と結果がある。そして、自然現象と人工現象があるのも現代の特徴である。
私は、現代の少子化は多くの場合、人工的な問題だと考えている。地震などの自然災害とはまったく別物なのだ。
少子化の前提に未婚社会があるというけれど、男が女を求める力、女が男を求める力が低下しているのだと思う。男はある年齢になったら女性のことで頭がいっぱいになり、女はある年齢になったら男性のことで頭がいっぱいになるのが自然である。それが男女ともに、だいたい中高生の頃であるのが自然であるのだが、ちょうどその頃になると受験勉強が本格化する。勉強というものは本来、心身ともに元氣になるようなものでなければならない。それが現代教育の勉強は知識だけ増えて、けっして健康になるようなものではない。これは日本だけでなく、東アジアの中国、韓国ともにそうである。日本、中国、韓国ともに、少子化の問題が深刻である。国家ということを考えても、国家の中枢で仕事をする人たちの生命力が弱かったら、列強諸国に伍していくことはできない。数多くの健康相談をしていると、高学歴の女性に子どもが少ないことが多いが、これも現代教育の根本的な間違いではないかと思う。
桜沢如一は25才までは徹底した体づくりが大切だといった。伝統的な食事、それも一汁一菜から三菜の素食でいい。家の中や外を徹底的に掃除する力を身につけて、自分で自分の食べ物を作る。そして、調理する。これを昔から修身といって、自分のことは自分でする、ということを身につける。この修身は、実は自然な食をしていなければ、できることではない。
「男は男らしく、女は女らしく」ということを言ってはならない、という雰囲気があるが、これも大きな問題である。自然な食をしていたら、男は男らしくなり、女は女らしくなるのが、生物の本性である。
私は少子化の原因として、食の劣悪化、飽食(高カロリー、高たんぱく、白砂糖と人工甘味料)、化学物質の氾濫(農薬、化学肥料、合成洗剤、住宅、車、ワクチンなど)、電磁波の氾濫(スマホ、ゲーム、PCなど)、運動不足、危機感の喪失、偏った学校教育などではないかと考えている。世界でも飢餓状態が高いアフリカでは、出生率が高いという統計がある。命の危機感が強いほど、本能的に子孫を残さなければならないという生命力が湧いてくる。
和道をはじめて11年になるが、その間、妊活で断食に参加される人たちも多かった。私の感覚的なところになるが、断食の妊活成功率は限りなく100%に近い。1度の断食で妊娠した人もいる。断食は体の大掃除であるから、溜まった毒素のデトックスになり、かつ危機感が生命力を刺激するのかもしれない。断食で体を整え、伝統的な自然な食を日々の食生活としたら、男は男らしくなり、女は女らしくなる。私はこれを少子化問題の解決法だと信じている。
2025年
男と女の和合の道
「磯貝君、これからの世の中で一番難しいことは、男と女が真に結ばれることだよ」大森英桜に師事して間もない時に言われたひと言である。20代の生意気な私は、「先生、この世はいつまでも陰陽だから、陰には陽、陽には陰、男女のそれも陰陽で乗り切れると思います!」と、今思えば恥ずかしくも、豪語していた。
日本人の出生数が下がる一方である。少子化の波は大波で、特に地方では集落の死活問題になっている。和道のある群馬・富岡市でも小中学校の統廃合が今年から実施される。隣の町では一年に一人の子も生まれなかったという地域がある。大森が言うように、男と女が実際に結ばれていない時代に私たちはもうすでに突入していた。
米国のトランプ大統領が就任式で「米国には男と女しかいない」と言ったようだ。当たり前のことである。この世には男と女しかいない。もちろん、同性が好きな男女は昔から一定数いるが、それでもその人たちも「男か女」である。ジェンダーフリーなどといって、男女の違いを曖昧にすることは、自然界から見ると滑稽である。もちろん、社会的には男女は同権であり、社会的な違いがあってはならない。しかし、生理的、生物的には違いがあり、その違いは尊重されないとならない。
妻の実家は会津の山奥である。15年ほど前、妻の祖母が亡くなった時、会津地方の伝統的な葬儀に驚いた。忌明けの食事が男女別であった。食べる場所も違う。男の席には魚があるが、女の席には魚がなく、野菜ばかりである。男と女で明白に分けている。男女の陰陽を明らかにしていることの証ではないかと思う。マクロビオティックの陰陽でみたら、素晴らしいことだと思う。会津の豪雪地帯では、男は男、女は女、陰陽が明白になっていなければ生きてこられなかったのではないかと思う。
大森の言う「難しい男女の結び合い」というのは、何千年と続く男女の陰陽観が崩壊したことを言っていたのである。大森は私の生意気な言葉を、ニコニコして聞いていた。一方の私は、今思うと、大森の言葉は当たっていたと、素直に思える。
「一姫二太郎」子どもを授かるならば、一番目に女児、二番目に男児が理想的だという諺である。女の子の方が体が強く、病気にも罹りにくい。実際、乳幼児死亡率は統計開始以来、女児の方が少なく、男児の方が高い。新米ママには生命力のある女の子の方が育てやすいというわけだ。子育てに慣れたところで男児を産んだ方が、男の子が育ちやすく、さらに上の女の子が下の男の子を面倒みてくれる。小さいママ(ホントのチーママ)が一番目の女児というわけだ。
私たちのダレひとりとして例外なく、父と母の精子と卵子が結ばれた受精卵を命の元としている。そして、母のお腹の中で十月十日育まれ、この世に誕生している。母のお腹の中での初期のころは男女の違いはないという。むしろ、元々、私たちはすべて、女であったようだ。その女である生命が、陰陽の働きによって、男は男になり、女は女にとどまったようなのだ。陰性は遠心力が強く、陽性は求心力が強い。陰陽の物理である。母のお腹の中で、初期の頃、遠心力という陰性なエネルギーを浴びて生殖器が体の外に飛び出したのが男児である。一方、女児は求心力という陽性なエネルギーが勝ったので、生殖器が体の中に留まり、女児となった。
赤子においては男が陰性で女が陽性ではないかと私は考えている。そして、それがゆえに、陰は陽を求め、陽は陰を求めるように、男は陽性を欲し、女は陰性を欲する。わが家の子育てでも、子どもへの食養指導でも、多くの場合、男児の方が陽性な食を欲することがとても多い。女の子がおいしく食べているみそ汁を、男の子は薄いと言って、味噌や醤油を足すことはしばしばである。さらに、男の子は動物性を欲することが多く、穀菜食の家の子でも、男の子は菜食では満足しない子も少なくない。食養の家庭で女の子は素直に育っている子は多いが、男の子では菜食に反発する子も少なくない。陰陽でみたら、よくわかる。
陰性な男児は陽性を求めて陽性な男になり、陽性な女児は陰性を求めて陰性な女になる。食養ではこの陰陽を理想としている。しかし、現代はこの陰陽がバラバラ、または極陰極陽という不調和になっていることがとても多い。大森が「現代で男女が真に結ばれることこそ難しい」というのは、この陰陽の乱れを言っていたのだ。(つづく)
日本人の出生数が下がる一方である。少子化の波は大波で、特に地方では集落の死活問題になっている。和道のある群馬・富岡市でも小中学校の統廃合が今年から実施される。隣の町では一年に一人の子も生まれなかったという地域がある。大森が言うように、男と女が実際に結ばれていない時代に私たちはもうすでに突入していた。
米国のトランプ大統領が就任式で「米国には男と女しかいない」と言ったようだ。当たり前のことである。この世には男と女しかいない。もちろん、同性が好きな男女は昔から一定数いるが、それでもその人たちも「男か女」である。ジェンダーフリーなどといって、男女の違いを曖昧にすることは、自然界から見ると滑稽である。もちろん、社会的には男女は同権であり、社会的な違いがあってはならない。しかし、生理的、生物的には違いがあり、その違いは尊重されないとならない。
妻の実家は会津の山奥である。15年ほど前、妻の祖母が亡くなった時、会津地方の伝統的な葬儀に驚いた。忌明けの食事が男女別であった。食べる場所も違う。男の席には魚があるが、女の席には魚がなく、野菜ばかりである。男と女で明白に分けている。男女の陰陽を明らかにしていることの証ではないかと思う。マクロビオティックの陰陽でみたら、素晴らしいことだと思う。会津の豪雪地帯では、男は男、女は女、陰陽が明白になっていなければ生きてこられなかったのではないかと思う。
大森の言う「難しい男女の結び合い」というのは、何千年と続く男女の陰陽観が崩壊したことを言っていたのである。大森は私の生意気な言葉を、ニコニコして聞いていた。一方の私は、今思うと、大森の言葉は当たっていたと、素直に思える。
「一姫二太郎」子どもを授かるならば、一番目に女児、二番目に男児が理想的だという諺である。女の子の方が体が強く、病気にも罹りにくい。実際、乳幼児死亡率は統計開始以来、女児の方が少なく、男児の方が高い。新米ママには生命力のある女の子の方が育てやすいというわけだ。子育てに慣れたところで男児を産んだ方が、男の子が育ちやすく、さらに上の女の子が下の男の子を面倒みてくれる。小さいママ(ホントのチーママ)が一番目の女児というわけだ。
私たちのダレひとりとして例外なく、父と母の精子と卵子が結ばれた受精卵を命の元としている。そして、母のお腹の中で十月十日育まれ、この世に誕生している。母のお腹の中での初期のころは男女の違いはないという。むしろ、元々、私たちはすべて、女であったようだ。その女である生命が、陰陽の働きによって、男は男になり、女は女にとどまったようなのだ。陰性は遠心力が強く、陽性は求心力が強い。陰陽の物理である。母のお腹の中で、初期の頃、遠心力という陰性なエネルギーを浴びて生殖器が体の外に飛び出したのが男児である。一方、女児は求心力という陽性なエネルギーが勝ったので、生殖器が体の中に留まり、女児となった。
赤子においては男が陰性で女が陽性ではないかと私は考えている。そして、それがゆえに、陰は陽を求め、陽は陰を求めるように、男は陽性を欲し、女は陰性を欲する。わが家の子育てでも、子どもへの食養指導でも、多くの場合、男児の方が陽性な食を欲することがとても多い。女の子がおいしく食べているみそ汁を、男の子は薄いと言って、味噌や醤油を足すことはしばしばである。さらに、男の子は動物性を欲することが多く、穀菜食の家の子でも、男の子は菜食では満足しない子も少なくない。食養の家庭で女の子は素直に育っている子は多いが、男の子では菜食に反発する子も少なくない。陰陽でみたら、よくわかる。
陰性な男児は陽性を求めて陽性な男になり、陽性な女児は陰性を求めて陰性な女になる。食養ではこの陰陽を理想としている。しかし、現代はこの陰陽がバラバラ、または極陰極陽という不調和になっていることがとても多い。大森が「現代で男女が真に結ばれることこそ難しい」というのは、この陰陽の乱れを言っていたのだ。(つづく)
体の大掃除、できていますか?
「やっぱり時々、断食は必要よ」と奥さんから忠告されて、和道に3年ぶりに来てくれた男性がいた。エントロピー増大の法則にあるように、万物は秩序ある状態から少しずつ無秩序に向かうというけれど、私たちの体も年をとるということはだんだんいろんなものにほころびが出てくる。家も掃除をせずに放っておくといつの間にかほこりが溜まり、蜘蛛の巣が張り、床や壁、天井までも色が褪せてくる。私たちの体も同じで、放っておくと老廃物が溜まって汚くなる。
断食は体の大掃除だと、つくづく感じる。そして、定期的な大掃除は家も体も絶対に必要だと思う。自分の体をみても、多くの人たちをみてきても、掃除ほど大切なものはないと思う。
握りこぶし大の子宮筋腫が七つあった女性が、8年ほど前に和道の食養合宿に参加した。子どもをなかなか授からなくて、病院で診てもらったら、「ホルモン剤を入れて子宮筋腫を小さくして、筋腫を切除して筋腫を半分くらいに減らしてから人工授精すれば、子どもが産めるかもしれない」と言われた。ホルモン剤に手術、人工授精、三重にも人工的なことをしないと子どもを授からないといわれて彼女は「嫌だな」と思ったという。
それならばダメもとで、一年間真面目に食養をやって、断食を定期的・集中的に取り入れて、旦那さんからの後押しもあって、実践した。そうしたらびっくり仰天、筋腫が小さくなって数が減って、受精卵が着床できるような子宮になった。そして、2年後には赤ちゃんが自然に授かって生まれた。彼女が断食の他にも取り組んだのが掃除だった。和道に来ては毎回毎回掃除、自宅でも徹底的に掃除をして、体の中も家の中もすっかり綺麗にした。特にトイレ掃除には熱をこめた。
断食は体の大掃除。体が掃除されると、そこで下す判断はまず間違えない。
もう一人、別の女性の話。結納した後に同棲を始めたら、彼との間で価値観の違いがいろいろ出てきてしまった。あれも違う、これも違う。ワクチンのこと、コロナのこと、食養のこと。まだ結婚もしていないし、赤ちゃんも授かっていないのに、子どもの教育はどうするのかまで話が及んで、あまりに堅物な考えの彼女に、とうとう彼が嫌になって、「結婚は無理だな。別れよう」って言われてしまった。そうしたら彼女は何をしたか。普通、大人は嫌な事があったりすると、やけ酒といってお酒を飲む人が多いけれど、彼女は断食をした。やけ断食(笑)。妹さんの家に転がり込んで一週間のやけ断食が終わって、彼の元に帰ってみたら、彼との関係性が変わっていた。彼の方が折れた。「もう一回仲直りしてやってみようか」って。
以前、すべては関係性であるとコラムに書いたけれど、自分の体の中が変わると人間関係も変わる。やけ断食を終えて家に帰った彼女の顔や仕草、言葉が彼の中の何かを解きほぐしたのかもしれない。
行き詰まらない生き方を身につけたら人生よりよく回っていく。それでも、もし行き詰ってしまったら、断食をしたらいい。食を断って体を芯から休めてみたら、私たちは案外、底力が湧いてくる。
奥さんから「断食は必要よ」と言われて断食に来た男性は、特別病気があったわけではないが、自分の中で何かパッとしないものを抱えていたようだ。それが何であったのか、断食前には気づかなかったのが、断食をしてみたら、それが明確になったという。年の暮れに大掃除をするのも、「これでおしまい」だからではなく、次の年を迎えるために大掃除をしている。私たちもまた、次のステージに進むために断食という大掃除をするような気がする。
断食は体の大掃除だと、つくづく感じる。そして、定期的な大掃除は家も体も絶対に必要だと思う。自分の体をみても、多くの人たちをみてきても、掃除ほど大切なものはないと思う。
握りこぶし大の子宮筋腫が七つあった女性が、8年ほど前に和道の食養合宿に参加した。子どもをなかなか授からなくて、病院で診てもらったら、「ホルモン剤を入れて子宮筋腫を小さくして、筋腫を切除して筋腫を半分くらいに減らしてから人工授精すれば、子どもが産めるかもしれない」と言われた。ホルモン剤に手術、人工授精、三重にも人工的なことをしないと子どもを授からないといわれて彼女は「嫌だな」と思ったという。
それならばダメもとで、一年間真面目に食養をやって、断食を定期的・集中的に取り入れて、旦那さんからの後押しもあって、実践した。そうしたらびっくり仰天、筋腫が小さくなって数が減って、受精卵が着床できるような子宮になった。そして、2年後には赤ちゃんが自然に授かって生まれた。彼女が断食の他にも取り組んだのが掃除だった。和道に来ては毎回毎回掃除、自宅でも徹底的に掃除をして、体の中も家の中もすっかり綺麗にした。特にトイレ掃除には熱をこめた。
断食は体の大掃除。体が掃除されると、そこで下す判断はまず間違えない。
もう一人、別の女性の話。結納した後に同棲を始めたら、彼との間で価値観の違いがいろいろ出てきてしまった。あれも違う、これも違う。ワクチンのこと、コロナのこと、食養のこと。まだ結婚もしていないし、赤ちゃんも授かっていないのに、子どもの教育はどうするのかまで話が及んで、あまりに堅物な考えの彼女に、とうとう彼が嫌になって、「結婚は無理だな。別れよう」って言われてしまった。そうしたら彼女は何をしたか。普通、大人は嫌な事があったりすると、やけ酒といってお酒を飲む人が多いけれど、彼女は断食をした。やけ断食(笑)。妹さんの家に転がり込んで一週間のやけ断食が終わって、彼の元に帰ってみたら、彼との関係性が変わっていた。彼の方が折れた。「もう一回仲直りしてやってみようか」って。
以前、すべては関係性であるとコラムに書いたけれど、自分の体の中が変わると人間関係も変わる。やけ断食を終えて家に帰った彼女の顔や仕草、言葉が彼の中の何かを解きほぐしたのかもしれない。
行き詰まらない生き方を身につけたら人生よりよく回っていく。それでも、もし行き詰ってしまったら、断食をしたらいい。食を断って体を芯から休めてみたら、私たちは案外、底力が湧いてくる。
奥さんから「断食は必要よ」と言われて断食に来た男性は、特別病気があったわけではないが、自分の中で何かパッとしないものを抱えていたようだ。それが何であったのか、断食前には気づかなかったのが、断食をしてみたら、それが明確になったという。年の暮れに大掃除をするのも、「これでおしまい」だからではなく、次の年を迎えるために大掃除をしている。私たちもまた、次のステージに進むために断食という大掃除をするような気がする。
素食文化にマクロビオティック
正月早々、台湾に断食合宿と講演に行ってきた。この断食合宿と講演は、数年前からお付き合いのある日本語が流暢な台湾人の女性・法樺さんがコーディネートしてくれた。法樺さんは日本でマクロビオティックを学び、私の講座や断食合宿にもたびたび来てくれて、無双原理と食養を身につけていた。法樺さんはヨガの指導者としても有名で、台湾の新竹(しんちく)という都市でマクロビオティックのレストランとヨガスタジオを経営している。さらに、日本語、中国語、英語が堪能で、今回の断食や講演では完全に私の通訳に徹してくれた。八面六臂という言葉は彼女のためにあるのではないかと思うくらい、多方面で活躍している。
そんな法樺さんのお陰で、素食文化が息づく台湾でマクロビオティックを普及することできた。素食とはある種の精進料理である。日本でも明治以前は肉食は禁忌だったから、日本も独自の菜食文化が発展していた。日本では禅宗(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)が精進料理を守ってきたが、台湾でも仏教や道教のお陰で菜食文化が今も根づいている。
桜沢如一は西欧でマクロビオティックを禅の現代版として普及した。禅とは言葉のとおり、単純(シンプル)を示す。Simple is best(単純こそ尊い)。単純とは素直である。日本での素食は一汁一菜の簡素な食をいうが、台湾での素食は、より多くの人たちが満足する菜食のご馳走である。いわゆるもどき料理が発展している。肉、魚、卵、乳製品のもどき料理は、ホンモノそっくりでビックリする。さらに、台湾は日本よりも添加物の規制が厳しいから、台湾で有名な夜市(よるいち)でも楽しめる素食があるから素晴らしい。日本のお祭りなどで並ぶ露店では考えられない。
台湾の菜食人口は10%以上という。これはインドの菜食人口30%に次いで多い。台湾の人口は約2300万人だから、300万人位の人たちが菜食ということになる。インドは熱帯地域、台湾は熱帯~亜熱帯地域に属する。このような温かい、暑い地域では菜食がベストである。
台湾でのマクロビオティックの歴史は詳しく調べていないのでまだはっきりしないが、以前に田中愛子先生から、台湾でマクロビオティックを教えたことがあると聞いた覚えがある。それでも、ここ数十年はマクロビオティックの普及はなく、今回のイベントは画期的なことだったのではないかと思う。断食合宿や講演会にそれぞれ30人以上の台湾人が参加してくれた。多くの人が、日々の食や生活で実用的に応用できる陰陽を、マクロビオティックを通して知ることとなった。「自分の病気は自分で治す」という自然界では当たり前のことに、台湾の皆さんも日本の人たちと同じように驚いていた。
マクロビオティックは身土不二、一物全体、陰陽調和を基本としているが、これは地球を一つの生命体として見た時に、当たり前の現象を言っているに過ぎない。マクロビオティックの原理原則は、地球上、ドコでもダレでも、イツでも実践できる、ホントに簡素な食と生活法である。この禅的な生き方を陰と陽という考え方に乗せて普及したのが桜沢如一である。そして、この生き方を追求していく先に世界平和がある。台湾でもそのことを何度もみんなに語り掛けた。平和な社会は私たちの一口から始まる。
台湾では今年、正食食養協会が発足する。台湾でマクロビオティックが盛り上がることは、日本人を大いに刺激する。台湾だけでなく、南米でも東南アジアでも、そしてヨーロッパでもマクロビオティックは息づいている。桜沢如一の蒔いた種は、着実に根を張り、実っている。「素直な心は素食から」を忘れずに、日本も台湾も、そして世界でもマクロビオティックの普及に精進したい。
そんな法樺さんのお陰で、素食文化が息づく台湾でマクロビオティックを普及することできた。素食とはある種の精進料理である。日本でも明治以前は肉食は禁忌だったから、日本も独自の菜食文化が発展していた。日本では禅宗(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)が精進料理を守ってきたが、台湾でも仏教や道教のお陰で菜食文化が今も根づいている。
桜沢如一は西欧でマクロビオティックを禅の現代版として普及した。禅とは言葉のとおり、単純(シンプル)を示す。Simple is best(単純こそ尊い)。単純とは素直である。日本での素食は一汁一菜の簡素な食をいうが、台湾での素食は、より多くの人たちが満足する菜食のご馳走である。いわゆるもどき料理が発展している。肉、魚、卵、乳製品のもどき料理は、ホンモノそっくりでビックリする。さらに、台湾は日本よりも添加物の規制が厳しいから、台湾で有名な夜市(よるいち)でも楽しめる素食があるから素晴らしい。日本のお祭りなどで並ぶ露店では考えられない。
台湾の菜食人口は10%以上という。これはインドの菜食人口30%に次いで多い。台湾の人口は約2300万人だから、300万人位の人たちが菜食ということになる。インドは熱帯地域、台湾は熱帯~亜熱帯地域に属する。このような温かい、暑い地域では菜食がベストである。
台湾でのマクロビオティックの歴史は詳しく調べていないのでまだはっきりしないが、以前に田中愛子先生から、台湾でマクロビオティックを教えたことがあると聞いた覚えがある。それでも、ここ数十年はマクロビオティックの普及はなく、今回のイベントは画期的なことだったのではないかと思う。断食合宿や講演会にそれぞれ30人以上の台湾人が参加してくれた。多くの人が、日々の食や生活で実用的に応用できる陰陽を、マクロビオティックを通して知ることとなった。「自分の病気は自分で治す」という自然界では当たり前のことに、台湾の皆さんも日本の人たちと同じように驚いていた。
マクロビオティックは身土不二、一物全体、陰陽調和を基本としているが、これは地球を一つの生命体として見た時に、当たり前の現象を言っているに過ぎない。マクロビオティックの原理原則は、地球上、ドコでもダレでも、イツでも実践できる、ホントに簡素な食と生活法である。この禅的な生き方を陰と陽という考え方に乗せて普及したのが桜沢如一である。そして、この生き方を追求していく先に世界平和がある。台湾でもそのことを何度もみんなに語り掛けた。平和な社会は私たちの一口から始まる。
台湾では今年、正食食養協会が発足する。台湾でマクロビオティックが盛り上がることは、日本人を大いに刺激する。台湾だけでなく、南米でも東南アジアでも、そしてヨーロッパでもマクロビオティックは息づいている。桜沢如一の蒔いた種は、着実に根を張り、実っている。「素直な心は素食から」を忘れずに、日本も台湾も、そして世界でもマクロビオティックの普及に精進したい。
悪寒がするときは大根湯
インフルエンザが流行っているようだ。悪寒から始まって、発熱、咳がなかなか良くならないという相談が暮れからとても多い。コロナの最中は、多くの人が風邪に氣をつけて、外出も控えめにしていたので、流行性感冒はコロナ流行時であっても少なかった。コロナがあけて人の動きが活性化したというのも、インフルエンザを流行らせている要因かもしれない。とはいえ、コロナの時も言っていたが、ウイルスは人がいなければ生きていけない存在だから、インフルエンザウイルスであっても、人を弱らせて死に至らしめるものではない。体とウイルスの調和反応が、いわゆる風邪であるから、症状に沿って自然な手当てをしていけばそれで大丈夫。無理な解熱や咳止めは必要ない。
悪寒を感じたら、大根湯を飲んだらいい。大根おろし、生姜おろし、好みで醤油を入れて、三年番茶やしいたけスープ(干し椎茸を煮だしたスープ)を注ぐだけで出来る。大根と生姜の簡単なスープで体のデトックスができる。
昨年の暮れから風邪をひいている人たちを見ていると、ひとつ共通していることがある。運動不足で冷えがあり、お米や漬物をあまり食べていない人がとても多い。今回の風邪に限ったことでなく、風邪体質の人に、そのような傾向がある。よく動き、お米のごはんに漬物をよく食べる人は風邪知らず、である。
私は「雑用という名のトレーニング」と称して、暇さえあれば雑用をこなして体を動かす。ジムに行かずとも、日常の生活の中で体を鍛えることは十分できる。一見すると面倒な雑用も、体を動かして免疫力を高めるトレーニングであれば、こんな有り難いことはない。
世の中の本当のことは、ドコニモあり、ダレデモそれをつかむことができる。観察し咀嚼することで私たちは判断力を高めることができる。特別な能力を有しない限り、真実を知ることができないなんていうことは、ない。自然界にそんなケチな根性は一切ない。自然を観察し、自然に生きることで私たちは健康で自由に、そして平和に生きていくことができる。シンプルイズベスト。
簡素な生活の中にこそ本質がある。行き詰ったり、悩んだり、病気や不幸が訪れたら、簡素な生活に戻ることである。
今年はどんな年になるか、楽しみである。米国では大統領が変わり、政策も大きく転換されるだろう。軍事も医療も大きな変化があると思う。世界の紛争も一氣に収束するかもしれない。コロナワクチンもネガティブな情報が沢山出てきて、ワクチンをきっかけにガラッと自然な生き方が見直されるかもしれない。
情報が一瞬で地球の裏側にまで飛んでしまう時代、私たちは判断力さえそれなりにあれば、ダレからも支配されずに自由に生きていくことができるはずである。グローバルな視点でものをみて、ローカルに地に足をつけて生きていく、これがこれからの自由な生き方のスタンダードになるような氣がする。地球も一物全体であるから、一物全体な視点で、身土不二という地に足をつけた生き方がグローバルスタンダードになるように努めることがマクロビオティック運動ではないかと思う。
支配しようとか、コントロールしようとか、そんな無理なことは続かない。支配する側も、される側も、疲れてしまう。ただ自然に生きていく、こんな楽しいことはない。Let it be、あるがままに生きていくことは無上の喜びである。そのためには、一物全体、身土不二、そして陰陽調和な生き方・考え方は基本になるだろう。
マクロビオティックはどんな宗教の人も、企業の人も、女性も男性も、老いも若きも、ダレもが実践できるものである。そんなマクロビオティックを普及する人たちを一人でも多く輩出したいとも思う。今年も一歩一歩、コツコツと歩んでいきたい。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
3月9日(日)21:00~(日本時間)ホセ・ルイスさん(アルゼンチンの食養指導家)と対談講演(オンライン・録画視聴可)をします。ご興味ある方は私のFacebookからご覧ください。
悪寒を感じたら、大根湯を飲んだらいい。大根おろし、生姜おろし、好みで醤油を入れて、三年番茶やしいたけスープ(干し椎茸を煮だしたスープ)を注ぐだけで出来る。大根と生姜の簡単なスープで体のデトックスができる。
昨年の暮れから風邪をひいている人たちを見ていると、ひとつ共通していることがある。運動不足で冷えがあり、お米や漬物をあまり食べていない人がとても多い。今回の風邪に限ったことでなく、風邪体質の人に、そのような傾向がある。よく動き、お米のごはんに漬物をよく食べる人は風邪知らず、である。
私は「雑用という名のトレーニング」と称して、暇さえあれば雑用をこなして体を動かす。ジムに行かずとも、日常の生活の中で体を鍛えることは十分できる。一見すると面倒な雑用も、体を動かして免疫力を高めるトレーニングであれば、こんな有り難いことはない。
世の中の本当のことは、ドコニモあり、ダレデモそれをつかむことができる。観察し咀嚼することで私たちは判断力を高めることができる。特別な能力を有しない限り、真実を知ることができないなんていうことは、ない。自然界にそんなケチな根性は一切ない。自然を観察し、自然に生きることで私たちは健康で自由に、そして平和に生きていくことができる。シンプルイズベスト。
簡素な生活の中にこそ本質がある。行き詰ったり、悩んだり、病気や不幸が訪れたら、簡素な生活に戻ることである。
今年はどんな年になるか、楽しみである。米国では大統領が変わり、政策も大きく転換されるだろう。軍事も医療も大きな変化があると思う。世界の紛争も一氣に収束するかもしれない。コロナワクチンもネガティブな情報が沢山出てきて、ワクチンをきっかけにガラッと自然な生き方が見直されるかもしれない。
情報が一瞬で地球の裏側にまで飛んでしまう時代、私たちは判断力さえそれなりにあれば、ダレからも支配されずに自由に生きていくことができるはずである。グローバルな視点でものをみて、ローカルに地に足をつけて生きていく、これがこれからの自由な生き方のスタンダードになるような氣がする。地球も一物全体であるから、一物全体な視点で、身土不二という地に足をつけた生き方がグローバルスタンダードになるように努めることがマクロビオティック運動ではないかと思う。
支配しようとか、コントロールしようとか、そんな無理なことは続かない。支配する側も、される側も、疲れてしまう。ただ自然に生きていく、こんな楽しいことはない。Let it be、あるがままに生きていくことは無上の喜びである。そのためには、一物全体、身土不二、そして陰陽調和な生き方・考え方は基本になるだろう。
マクロビオティックはどんな宗教の人も、企業の人も、女性も男性も、老いも若きも、ダレもが実践できるものである。そんなマクロビオティックを普及する人たちを一人でも多く輩出したいとも思う。今年も一歩一歩、コツコツと歩んでいきたい。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
3月9日(日)21:00~(日本時間)ホセ・ルイスさん(アルゼンチンの食養指導家)と対談講演(オンライン・録画視聴可)をします。ご興味ある方は私のFacebookからご覧ください。