ハジメあればオワリあり

 「磯貝さん、自然食品店を経営してみない?」と声をかけられたのが、1999年の暮れだった。ノストラダムスの大予言が外れて、ホッとしていた時だった。
 1996年に大森英桜に弟子入りしてから、大森が会長をしていた宇宙法則研究会(宇宙研)で働いていた。当時はまだ、宇宙研は法人化しておらず、任意の団体だった。私は大学(夜学)を卒業して出版社で仕事をしながら、宇宙研ではボランティアとして働いていた。そんな中、宇宙研の委員だった石田英湾と話している中で、出版社を辞めて宇宙研で本格的に働くことになった。その際に、宇宙研も法人化しようという話しになり、利益追求をしない、お金のかからない法人化ということで、合資会社という形になった。
 宇宙研の法人化と一緒に、「こくさいや」を運営することになった。「こくさいや」は「ななくさ」という自然食品店を譲り受けて始まった。宇宙研の普及活動で全国の自然食品店を私が歩いて回っている時、練馬の「ななくさ」に寄り、「ななくさ」を経営していた橋本政憲さん夫妻と知り合いになった。橋本夫妻は「ななくさ」を経営して6年、そろそろ一線から退き、田舎に引っ越しをしようと考えていた。
 「ななくさ」は元々、松田のマヨネーズを作った松田さんが1980年頃に作った自然食品店だった。松田さんは自然食品店の草分け「天味」での仕事を経て、独立した。「ななくさ」で扱っていた有精卵で手作りマヨネーズを作って販売したところ、それが大好評になり、埼玉の神川町に移住しマヨネーズ工場を作った。今は松田さんの娘さん夫妻が経営を引き継ぎ、松田のマヨネーズ(ななくさの郷)を作っている。
 松田さんが埼玉に引っ越す際に、橋本さん夫妻が「ななくさ」の経営を引き継いだ。橋本政憲さんは「ななくさ」を経営する前、日本CI協会の事務局長をしていた。当時の雑誌「新しき世界へ」の編集長も兼務していた。橋本さんのCIでの功績は大きく、書籍も何冊か出版されている。月刊誌「新しき世界へ」も面白く、会員数は橋本さんが編集長をしていた時が一番多かったようだ。石塚左玄から始まる食養の系譜をまとめたのも橋本さんだった。大森先生の代名詞にもなった「半断食」も、「半断食」と名付けたのは実は橋本政憲さんだった。
 橋本さんから「ななくさ」を引継ぎ、「こくさいや」に改名してマクロビオティックの専門店として店をはじめたのが2000年9月だった。動物性食品、砂糖類(黒砂糖や甜菜糖も)は一切なし、松田さんには申し訳なかったがマヨネーズも扱わなかった。その代わり、野菜は自然農法にこだわり、食材は世界一のものをそろえた。そして、大森先生から学んだ食養指導を店の柱にした。
 今思えば、本当に理念先行の店だった。最初の月の売り上げは最悪だった。開店セールをしたにも関わらず50万円ほどだった。最初の開店セール3日間はそれなりにお客さんは来てくれたが、その後は、本当に閑古鳥が鳴いていた。それでも、開店セールに来ていただいたお客さんには感謝感激だった。その時に来ていただいたお客さんで今もこくさいやで買い物をしてくれている方がいるから本当に言葉にあらわせないくらい感謝している。そういったお客さんに支えられてきた。
 開店後、なかなか黒字にならなかった。一年間やってみて赤字が数百万になっていた。宇宙研で経営をしていたが、大森先生ご夫妻には迷惑かけられなかったので、私の会社員時代に貯めていた200万と石田先生に借りた200万を元手に「こくさいや」を始めたが、その資金も底をつきそうだった。そんな時、雑誌オレンジページの取材が舞い込んだ。「玄米がおいしい」オレンジページの別冊ムックで「こくさいや」を紹介してくれた。
 「玄米がおいしい」が発売されるやいなや、問い合わせが相次いだ。1年で2000件近い方々からカタログを送ってほしいという連絡があった。石の上にも三年、といわれるが、2年目の後半には赤字もなくなり、3年目には黒字化することができた。本当に運がよかった。(つづく)