心と体は陰陽の関係だと思う。以前にも書いたように、心は陰性の力(冷、苦、煩、閑)によって鍛えられ、体は陽性な力(熱、重、動、忙)によって鍛えられる。
しかし、多くの人たちを見ていると、体を鍛えることが心を鍛え、心を鍛えることが体を鍛えている、という面が多分にある。
昔から心身一如とか物心一如、文武両道などといわれる。心と体は相反するものでありながら、根は同一なるものであることを古人は感じていた証拠ではないかと思う。現に私たちの心の状態は肉体の状態にいかに同調していることか。近年、腸は第二の脳と呼ばれ、腸内環境が脳に決定的な影響を与えていることがわかっている。
マクロビオティックを実践すると、心と体は切っても切り離せないものだと実におもしろいように体感する。食べた物によって、体は陰に陽に変化するが、心も同じように陰に陽に変化する。
果物や砂糖の入ったものを食べたら、鼻水が垂れてくるのはマクロビオティックを実践している人は顕著だ。心も湿って、ウジウジと煮え切らず、大事な決断をしなければならない時には、陰性食は要注意である。
一方で、動物性の肉や卵や魚を食べたら、体と心は陽性になり、食べ過ぎたら極陽性になる。体にはコリや炎症などが起こり、心ではイライラしたり、他者を支配したくなったりする。
心と体の陰陽を調和させるのに最も簡単な方法が中庸な食べ物を中心に食べることである。それが穀物である。穀物を表す禾(のぎ)に口(くち)と書いて和。私たちは穀物を食べることで自分の内側も外側も和んだ世界を創り出すことができる。東洋の日本ではその穀物がお米(コメ)である。
では、その穀物を安定的に生み出すにはどのようなことが必要なのであろうか?
米作りをしていると何が大事であるかはスグにわかる。体力である。体に力が無ければ米作りはできない。そして、コメを食べると力が出る。
引きこもりの人たちをみていると、ほとんどの人がコメよりパンやメンがいいという。家にひきこもって動かないとコメを噛む力が衰え、菓子パンのようなやわらかいパンやツルツルと飲み込めるようなメンばかりになり、さらに咀嚼力がおとろえるという悪循環に陥る。
日本人は米を作り、コメを食べることで体と心を養ってきた。日本の国技の大相撲は田んぼ作りから始まった。田んぼには硬盤といって、土中30~40cmほどのところに保水のために土を硬く踏み固める。それはまさに土俵づくりと同じである。小柄で軽い人が行うよりは、大柄で重い人がやった方が効率的である。その硬盤作りに駆り出された人たちがその力をより増させるために相撲をとりだしたのだ。
とはいえ、自分一人の力では米作りはできない。周りの仲間と協力して田んぼに水を引かなければならない。我田引水では米作りはできない。
ここにも陰陽がある。自分の体を鍛えることと、周りの人たちと協力していくこと、これも陰陽の調和ではないかと思う。
桜沢如一は健脚でも知られていたようだ。強靭な精神力は強靭な足腰に宿るように思う。空海も法然も親鸞も、みな健脚だったようだ。キリストだって世界津々浦々を足で巡って健脚だったといわれる。足腰を鍛えることはこの地球の大地に根を降ろすことであり、結果として花を咲かせることなのではないかと思う。
今、私は先人の歩いてきた道のりにあまりにも安々と乗ってしまっているのではないかと思う。私たちも先人が氣づいた体と心の一体性を足掛かりに生きるとすれば、足腰を鍛えて根を張り巡らさねばならない。今しっかりと根を張らずして10年後、20年後に花を咲かせるなんてことはできるはずない。
心身の病気においてもまったく同じことが言える。みずからの足で、みずからの手で病気を治していかなくては、一体ダレが治してくれるというのか?ダレもあなたの代わりに歩くことはできない。ダレもあなたの代わりにお米を噛むこともできない。ダレもあなたに代わって病を治すことはできない。心身の健康と自由は自らだけが確立する術をもっている。
コメ不足になりつつある社会にあって、今私たちは生き方を見直す最後の局面に来ているような氣がする。