鼻タレ小僧とワクチン

 鼻タレ小僧が少なくなったような氣がする。昔は冬になると子供は鼻水を垂らしているのが当たり前だったように思う。
 その昔、私が幼少の頃から成人する頃まで、わが家は自然養鶏をしていた。いわゆる平飼いのニワトリから有精卵をいただき生計を立てていた。養鶏はニューキャッスル病、コクシジウムといった病気に感染する可能性が高いので、雛のうちにワクチン投与されるのが一般的だという。この2種類のワクチンだけは「打たないと養鶏できない」とさえ言われている。
 そんな中で父は一切のワクチンを接種させずに自然養鶏をしていた。そして、父の友人で同じく自然卵養鶏を実践する高橋丈夫さんもこれらのワクチンを打たずに今まで病気で鶏が大量死することなく長年養鶏を続けていた。
 ところがある日、地元の保健所の人がやってきて、抗体検査をするとのことで、何羽かの鶏から血液サンプルを採取して持ち帰った。丈夫さんは、ワクチンを打っていないことがバレて、保健所から指導を受け、ついに無投薬の自然卵養鶏に終止符を打たなければならない、そうなる覚悟をしたという。
 しかし、後日保健所から連絡があり、検査結果はすべて良好だったという。驚くことに、無投薬で育った鶏がそれらの病気の抗体を獲得していたのだ。さまざまな菌に触れることによって、細菌やウイルスとの調和が計られていたのだ。
 十年以上前、鹿児島県出水のナベヅル・マナヅル越冬地で強毒性鳥インフルエンザが発生した。1万3000羽のツルの中で感染が確認されたのは6羽のみ。一方、養鶏場の鶏は300羽以上が死亡し、数羽の感染確認をした後にむごいことにもすべて殺処分されてしまった。
 野鳥と養鶏を比べると、あきらかに感染の広がりとスピードが違う。ツルたちと鶏では、鳥同士の距離や移動可能な面積など、条件は違うが、自然の中でさまざまな菌に触れ、自然なエサを食べてきたツルと、無菌に近い状態で無菌に近いエサを食べてきた鶏とに、免疫力の違いがあるのは明らかである。
 鼻タレ小僧の鼻水は体のなかで細菌やウイルスが活発に動き回った後の残り物である。鼻タレ小僧だけでなく、花粉症の鼻水も同じである。
 日本はかつて麻疹(はしか)の輸出国であるといわれ、欧米の先進諸国から非難を浴びていた。それが今は輸入国に転じ、フィリピンや中国、タイなどアジア諸国から麻疹(はしか)が輸入されているといわれる。はしかの輸出入とは感染の源と経路のこと。はしかの輸出国と烙印を押された国々では「公衆衛生の向上」などと銘打って、国を挙げてワクチン接種が盛んになる。かつて日本も半強制的に様々なワクチン接種がなされていて、今はすべてのワクチンが任意であるが、様々な圧力からワクチン接種が推奨されている。統計上で調べたわけではないが、ワクチン接種の増加に反比例するように鼻タレ小僧は減少しているはずだ。鼻タレ小僧に代わって今は、花粉症などのアレルギー症状が多発している。
 そもそも麻疹(はしか)は、両親を含めご先祖様から良くもわるくも全てひっくるめて頂いた遺伝子の清掃反応である。大森英桜は麻疹(はしか)について「妊娠中も授乳中も100%動物食だろ。その排毒をはしかがしてくれてるんだよ。ありがたいよな」とよく言っていた。
 ところが今、ありがたいはずのはしか、いや麻疹だけでなく毎年排毒を促してくれるような風邪(インフルエンザ)でさえも悪(あく)とみなしてワクチン接種が勧められている。私たちは例外なく皆、母親の胎内という無菌状態の中で育まれてきた。そして、産道という「この世への道」を通ってさまざまな菌がいる世界に産まれ落とされる。産まれ落とされた赤ちゃんはこの世のさまざまな菌と調和することが生きるうえでもっとも大事なことなのだ。鼻タレ小僧の流す鼻水は「今ボクはこの世と一生懸命、調和に励んでいます」というお知らせなのだ。汗は労働の結晶といわれるが、鼻水は生存の結晶と呼んでよい。
 父が自然養鶏に終止符を打ったのは30年ほど前になる。父の油断からだった。学校給食で残ったごはんとコッペパンを鶏のエサに使わないかと給食センターから連絡があり、無料でもらえるものだから、ごはんとコッペパンくらいだから大丈夫だろうと考え、引き受けてしまった。
 そうしたら1年も経たないうちに、法定伝染病であるニューカッスル病に罹ってしまった。この感染症に罹るとすべての鶏は殺処分になる。かわいそうなことをした。わが家も火の車になったが、鶏の無念に比べたらなんて事はない。そんな経験があったから、学校給食がいかに免疫力を落とすものかというのを痛感した。
 今もまだ、様々なワクチンが子どもにも大人にも接種されている。現代は食や生活で免疫力を下げておきながら、ワクチンで予防するという。本末転倒的な教育がされている。不登校の子ども達はそんな教育に声なきNOを突き付けているのではないかと思う。もうこれ以上、鼻タレ小僧を減らすわけにはいかない。

令和8年(2026)の抱負

 ここ数年、年の初めは台湾での半断食合宿から始まることが恒例になってきた。すっかり台湾の人達と交流が深まっている。年に2回私が台湾に行き半断食合宿と講演会を行い、また年に2回台湾の人達が日本に来て、和道で半断食合宿をしている。台湾の人達も半断食による体質改善を大いに実感している。
 台湾で正食食養協会(マクロビオティックの団体)が発足し、これから食養の普及が本格化する。台湾で食養を普及するメンバーの中心は30代とまだ若く、これから本当に楽しみだ。
 昨年秋には、ヨーロッパの人たちとも交流があった。同志の永井邑なかさんの計らいで、ヨーロッパの人たち向けに私の集中講義を日本で企画してくれた。そこにもやはり若い人たちが参加してくれた。
 どんな世界でも黎明期には若い人たちが活躍している。私も自分では若いと思っていたが、気づけば今年は50才。初老をすっかり超えて、次世代を援護射撃する年代になりつつある。
 いつでも、どこでも、だれでも、マクロビオティックは実践できる。セレブでないと実践できないなんてものはマクロビオティックじゃない。むしろ、冷や飯にさえもありつけない、そんな境遇こそがマクロビオティックで運命を開く条件を与えてくれている。
 マクロビオティックが新しい時代に、新たな黎明期が到来しているのではないかと予感される。日本でも意気のある若い人たちが出てきている。マクロビオティックは絶望を希望に変えるものである。絶望の多い社会になればなるほど、マクロビオティックは光り輝く。
 
 巷でも大きな騒動になったコメ問題はどこに行きつくのだろうか。
 一年で米価格が倍ほどになったのは、消費者の懐は痛くなったが、コメ生産者には一筋の光が見えた人もいるのではないかと思う。かく言うわが家もコメ生産者の端くれであるから、お米を直接販売することができれば、お米で食っていける(当たり前のことなのだけど)という状況ができるのではないかと思わなくもない。
 しかし、事の重大さはもっと大きなところにある。
 現在、日本人のコメ消費量は一人年間約50キロ(私の世間の実感としてそんなに食べてないのではないかと思っている)。60年前の昭和30年代は一人年間約120キロ食べていたから、半分以下に落ち込んでいる。
 米国のマクガバン報告(1977年に公表された米国の食事目標)では、理想的な食生活は1960年以前(昭和30年代以前)の日本の食生活だと言っている。私も食養指導をしてきて、現代の人たちがコメの食べる量を増やすだけで多くの問題が解決することを数多く目の当たりにしている。コメの量が増えれば、パンや麺や菓子類が減る。おかずも減る。脂肪や砂糖類、食品添加物も減る。これだけでかなり健康的になる。コメを中心に食べていると、体が安定する。
 江戸時代までは一人が一年間に必要とするコメの量を一石(こく)といっていた。加賀百万石というのは加賀地方では百万人養うことができるくらいの米生産量があった。一石は約150キロだから、江戸時代までの人たちがいかにコメを沢山食べていたか。重労働の時代というのもあるが、私たちはいかにコメを食べなくなり、本当の意味での力を無くしてしまっているのではないかと思う。
 時の政府次第でコメは増産か減産(調整)かと舵取りが変わるが、日本人の健康を考えると、増産以外に選択肢はないと思う。
 師の石田英湾は「お米を食べよう運動」と銘打って、お米の大切さを事あるごとに伝えていた。コメは主食なわけだから、主として食べることは、食事の大半がコメであるのが自然である。
 令和の米騒動をきっかけに日本人本来の食である「米を中心とした食生活」に回帰していきたいと切に願う。

 私の両親も70代後半にさしかかり、流石の食養実践でも、老いを感じるようになってきた。
 両親と私で1ヘクタールほどの田んぼで自然栽培の米づくりをしている。この田んぼの草とりがもの凄い修行になる。とはいえ、80才に近づく老いた両親には過酷すぎる。昨年から、草とり合宿と称して、和道の仲間に草とり応援をお願いした。これがまた本当に助かった。和道のみなさんが入れ替わり立ち替わり田んぼに入って草取りをしてくれたおかげで、おいしいおコメが収穫できた。
 今年も田植え後の6月中旬から7月いっぱいくらいまで田んぼの草とりに注力したいと思う。また今年も草とり合宿に参加していただけることを切に願っている。

 和道をはじめて今年で丸12年。食養合宿も160回を超える。その間、多くの人たちが半断食を体験してくれた。
 半断食はごく少量の玄米粥を徹底して噛むことからはじめて、その人の体の反応に応じて回復食をしていく。体の反応が陰性であれば陽性な食で回復していき、体の反応が陽性であれば陰性な食で回復していく。
 ある夏の食養合宿で、陰性な反応があらわれた人がいた。その人は回復食で味噌を中心とした食で体が整っていった。みそ汁、みそおじや、海藻や根菜の味噌煮などで体が整った。ところが、次の年の春、その人がまた和道の半断食に参加した時、排毒反応が夏の時とはまったく違い、陽性な反応が出たのだ。味噌をまったく受けつけず、他の塩気も受け付けない。そして、その人は塩断ち(無塩食)を好み、回復食は塩断ち食で体を整えた。
 同じ人であっても、半断食をする時の体調、季節、溶け出しやすい毒素の如何によって体の反応が違う。
 世界が丸ごと市場化された社会にあって、世界中のものが一国で食べられるという不自然な社会では、私たちの体は極陰極陽を体現してしまう。現代社会は体の中に不自然な陰陽を抱え込んでいる人がいかに多いか。
 そういった体に抱え込まれた不自然な極陰極陽を半断食によって整える。その結果としてあらわれた陰陽の反応は体の自然性である。
 今年もまた食養合宿(半断食)を通して、体と心をじっくり見つめていきたいと思う。

 昨年は食養合宿の中で柱になっている生姜シップを施術として始める人が出てきた。それも同時多発的に何人も出てきた。
 生姜シップを一度体験した人はよくわかるが、本当に気持ちいい。自然治癒力を高める要素に「おいしい、心地いい、気持ちいい」というものがあるが、生姜シップは体を芯から温めて、極楽を実感する。この生姜シップを定期的に体験することは治療につながると私は確信している。そして、生姜シップを力強く後押ししてくれる「ぎゅっと君」の存在が大きい。ぎゅっと君がなければ施術にはならなかっただろうと思う。ぎゅっと君のお陰で徹底的に体を温められ、それを継続することができる。
 ぎゅっと君を活用して生姜シップの施術をしてくれる人が増えてきた。私ひとりでは対応しきれなかったのが、生姜シップ仲間が出てきてくれたことで一人でも多くの人に食養療法が伝わるようになっていくのではないかと予感している。

 昨年は世界中の仲間との縁が深まった年であった。台湾、南米、ヨーロッパの人たちと交流が深まった。日本では和道で探求してきた食養療法が外に出て活躍する年になった。これらすべて、マクロビオティックの同志と妻のお陰である。私はただただ、今までの歩みをコツコツ歩んでいくだけ。その歩みの中に、多くの人が関わってくれることは本当にありがたいことである。
 今年は、今までの自分の歩みを、仲間にもっともっと公開していこうと思う。和道の内外で食養指導の実際をみんなに触れてもらいたいと思う。食と手当て、運動と呼吸で多くの問題が解決されることを知ってほしいと思う。そして、「それでもダメならそれが自然」という覚悟を身につけてもらいたい。
 農的暮らしを通して自然な生き方を深めつつ、無尽蔵な創造力を仲間と分かち合うそんな年にしたいと祈っている。

 時の流れは速いもので、わが家の6人の子ども達も3人が成人した。今年の春は、真ん中の子ども達がそれぞれ小中高を卒業し、そしてまた次の代に入学する。子ども達はそれぞれによく努めている。
 「このご時世に6人の子育ては本当に大変ですね」とよく言われるが、子どもと一緒に生活することは本当に楽しい。子どもこそ創造力の源泉だと思う。自分の人生を振り返ると子どもとの関りほど楽しかったものはない。
 子育てを通して、わが家では「はじめ塾」は大きな柱になっている。はじめ塾から学ばせていただいていることは計り知れない。子ども達だけでなく、むしろ私たち大人の方が大きな学びになっている。はじめ塾は現代の希望ではないかと思う。
 はじめ塾の歴代の塾長夫妻は本当に陰陽が整っていた。今の塾長夫妻の陰陽も驚くほど陰陽が整っている。中心の陰陽が整うことが、いかに素晴らしいことか。はじめ塾で多くの子ども達が伸び伸びと育って行っている中心に塾長夫妻の陰陽調和がある。
 食養指導を通して感じることは、病というものは目立つものである一方、健康というのは地味で目立たないことである。極陰極陽というものは目立つのだけど、陰陽の調和したものは目立つものではない。中庸というのは実は地味なことである。中庸というのは平凡なことであるのかもしれない。平凡な中にこそ本当の幸せがるような気がする。