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2024年3月6日 : 行き当たりバッチリ
 久しぶりに心躍る本を読んだ。「マクロビオティックで運が良くなる」とマクロビオティック実践者がよく言うけれど、その実際はなかなか公開されてきていなかった。それが、この本は赤裸々に全部を公開しているんじゃないかというくらい、「運が良くなるとはこういうことよ」という風に、軽やかに公開されている。
 『中島デコのサスティナブルライフ』(パルコ出版)中島デコさんの生き方・あり方が満載である。デコさんそのものがマクロビオティックだと思う。絶対肯定感に溢れている。身におこること、降り注ぐこと、すべてを受け入れて、「行き当たりバッチリ」な生き方だと、自画自賛しているが、私も傍らから見ていて、本当にそうだと思う。デコさんは中島デコという名前をかぶっているけれど、もう他人と自分の隔てのない、まさに自他一体の生き方をしている。この本を読むと、デコさんはもう、みんなと一体であって、みんながデコさんのようである。読んでいるだけで爽やかになる。そんな本はなかなかない。
 「あるもので暮らす」ということは、「あるものを生かす」という暮らし方。資源を生かし、野菜を生かし、環境を生かしていくように、私たちは自分も生かす暮らし方を選んで生きたい。とデコさん。
 人は社会で生きていると、どうしても社会の方を見過ぎてしまう。目が外を見るようになっているから致し方ないのだけど、学歴だとか、肩書だとか、収入だとか、そんなどうでもいいようなことに目を奪われて生きてしまう。そんな社会にあって、デコさんは、命をそのまま、命として受け入れて、澄んだ目で生きてきたから、デコさんの子ども達もデコさんと同じように生きているのだと思う。デコさんは「ごはんは人生の中心だ」と言って、それをそのまま、実行している。なかなかできることじゃない。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思いだした。デコさんは、時間泥棒から時間を取り返すモモのようだと思う。
 桜沢先生は『食養人生読本』という本を書いているけれど、デコさんのこの本は女性版の食養人生読本じゃないかと思うくらい、デコさんの人生の味を味わうことができる。ここ何年か、春にデコさんに和道に来てもらって合宿をしているのだけど、昨年は「女・母・妻・仕事・人間としてのデコさん」と題してお話しをしてもらった。圧巻だった。「私は二回も旦那に逃げられているから、女として妻としては失格よ」と事もなげに話していたけれど、本の最後には、そこにまで至る葛藤が、やはり赤裸々に告白されていた。表紙の笑顔からは想像もつかない苦しみがそこにあったのだと。
 どんなことがあっても人生はいいものだと思う。デコさんはそのものがマクロビオティックになったのは、その葛藤を含めて、人生丸ごとではないか。難があるから、「ありがとう」だと。
 デコさんは子だくさんでもあったから、今では孫だくさんになって、これからのマクロビオティックな生き方をまだまだ模索している。そんなデコさんは、いつまでも「子どもを中心に据えた」生き方が人生の基本だという。いい子を育てることでなく、やんちゃでもわんぱくでも、元気溢れる子を育てることが大事だと思う。学歴より食歴である。マクロビオティックは、今の行き詰った社会の処方箋になると思ってきたけど、その実際の生き方がデコさんの生き方から学べる。珠玉の一冊が誕生した。
2024年1月22日 : 掃除と創造
 和道では毎月、食養合宿と称して半断食の合宿を行っている。全国各地から様々な人が参加される。参加者の中ではマクロビオティック実践者は半分くらいで、これからマクロビオティックを実践したい人、マクロビオティックのことをまったく知らなかった人が半分くらいいる。断食で検索したら和道が出てきて、参加してみてはじめてマクロビオティックを知ったという人もいる。
 マクロビオティックを断食を通して知る人は幸福であると思う。むろん、断食以外のご縁でマクロビオティックを知ることがわるいわけではない。しかし、断食は人生の大掃除であるから、掃除という人生でもっとも大事な行為を身につけるという点において、幸福であると思う。
 コロナが流行り出してからよりも、ワクチンを打ち出すようになってからの方が食養相談が増えている。統計的にも死亡者が増えているようだ。
 インフルエンザにしろ、コロナにしろ、感染症そのものが体内の大掃除であるのだから、それをワクチンで予防しようという発想そのものが不自然である。インフルエンザやコロナが流行ったら、自然生活をしながら、どんどん罹ったらいい。体の大掃除になって、自然に治せば、罹る前よりもずっと元気になる。
 コロナが流行り出したといわれて一年後くらいに、わが家の子どもたちがどこからともなくコロナらしき風邪を持ってきた。上の子たちは中高生であったので、外の食べ物もけっこう食べるようになっていた。そうしたら案の定、コロナらしき風邪にかかり、高熱を出して寝込んでしまった。しかし、まだ幼稚園児や小学生の下の子たちは、給食でなく食養弁当、さらに外食もないから、上の子たちの持ってきたコロナらしき風邪もなんのその、いたって元気に過ごしている。食養生活で体を大きく汚すことがなければ、感染症ほどの大掃除は必要ないのだろう。
 とはいえ、生きている限り人間は体だけでなく、いろんなものを汚しながら生きていく生き物なのかもしれない。だからこそ掃除をし続けないと生き長らえることができないような気がする。
 半断食の合宿を通して、日々の掃除がいかに大切か、ということを気づく人は多い。朝の掃除がいかに気持ちよいものか、ということを知る人も多い。朝の掃除の気持ちよさを知って、そこから朝の掃除が習慣化する人も多い。掃除ほど大切なものはないと日々その想いを強くする。私たちの体も、細胞レベルで常に掃除が行われているようだ。オートファジー(自食細胞)の研究でノーベル賞をとった大隅良典さんの研究では、オートファジーの機能を止めたマウスは、一日で細胞に毒素が溜まって、死んでしまったという。オートファジーこそ、細胞の掃除的働きも持つ細胞だけに、私たちの体は一日でも掃除ができなければ生きていくことができないのだ。
 世の中を見渡すと、社会にあまたある仕事は、掃除的働きが強いか、創造的働きが強いか、そのどちらでないかと思う。建設業や製造業など、ものづくりを担う仕事は、創造的働きの強い仕事である。一方、医療や福祉は掃除的働きの強い仕事ではないかと思う。社会もまた、私たちの体と同じように、掃除と創造が調和してこそ、よりよく回っていく。
 想像力が失われたり、新しいことにチャレンジできなくなったら、私は掃除をすることを心がけている。人生に行き詰まったら掃除をすればいいと思う。掃除こそ人生のリセットに最適である。掃除の中にこそ創造性が隠されている。5年ほど前に、不妊の改善で食養合宿に来た人は、トイレ掃除の気持ちよさに目覚めて、食養と断食の実践とともに、トイレ掃除の実践を日々休みなく行った。そうしたら一年後に、専門医から絶対無理といわれた自然妊娠に至って、元気な赤ちゃんを授かった。この人の行為はまさに、掃除の中から想像を実現させた好例である。掃除と創造は陰陽の関係であるから、常に相対的・相補的な関係の流れの中にある。
 迷ったら掃除、悩んだら掃除、生きづらさを感じたら掃除。掃除こそ運命を開く最大のものであると思う。
2024年1月9日 : 食後30分は水分とるな
 新年早々、能登では大地震にみまわれ、羽田では日航機と海保機の衝突事故。二日続けて大きなニュースが飛び込んできた。
 能登には20年来のマクロビオティックの友人がいて、昨日まで連絡が取れずに心休まらなかったが、やっと連絡がついて、家族みな無事だとわかった。ただ、家は全壊状態になってしまい、今は避難所で家族みなで肩を寄せ合っているという。
 他の友人からの情報では、世界各地でも新年早々にテロ事件が頻発しているともいう。一年の計は元旦にあり、といわれるが、令和6年(2024年)はなんと大変な年になるのではないかと多くの人がそう思わずにいられないのではないか。
 しかし、歴史を振り返ってみると、人類は幾多の厳しい状況を乗り越えてきた。先の大戦では、日本が戦闘地になり、多くの人達が犠牲になった。日本を含めて世界では、10年に一度の頻度で戦争があり、大きな自然災害はそれ以上の頻度である。それでも私たちの先祖は、危機的状況をくぐり抜け、たくましく生きてきた。記憶に新しい東日本大震災からも、私たちは立ち直り、力強く生きてきた。
 私は断食指導と食養指導がライフワークになっているけれど、人間は危機的状況に遭遇すると生命力が高まる生きものであることに疑いの余地がない。先の大戦で日本は完膚なきまでに叩きのめされても、這い上がり、人口は増えて経済は発展した。
 今年の干支は辰である。辰は登り龍である。登には屈まなければ大きく登ることはできない。能登で被災された皆さんも、今は屈む時期と考えて耐え忍んでほしい。きっと能登という地名のごとく、登り龍が復活するに違いない。
 WHOが沼田法として認めている「食後30分は水分を摂取しない」というだけで感染症は大幅に防ぐことができる。これは食養の大先輩、沼田勇先生が後世に伝えたことである。唾液は津液といって、体の隅々を潤す神秘の液体である。殺菌効果、ホルモン活性、免疫力向上、精神安定、様々な効能があるのも唾液である。その唾液は食事の時に「よく噛む」ことで 沢山出てくる。被災地ではなおさら、「よく噛む」ことが大事である。そして、よく噛み唾液を沢山出して、その唾液を薄めないために食後30分は水分を摂らない。これだけで大幅に感染症リスクが減る。先の大戦で陸軍の軍医であった沼田先生が、食養の食法を軍人に指導したところ、沼田先生が指導した軍は他の軍に比べて感染症に罹る率が大幅に少なかったという。
 他にも唾液を出すために、「よくしゃべる」「口周りをマッサージする」「よく動いて筋肉を活性化する」ことも大事である。足腰や手足の筋肉も、口周りの筋肉と連動し、繋がっている。
 ともあれ、私たちは危機感によって生命力が高まる。能登地震でも羽田の事故でも、危機に遭遇した人たちはものすごく生命力が高まっているはずである。ニュースを見聞きする私たちは恐怖に慄く必要はない。被災された人たちと共に「災い転じて福となす」行動をしたらいい。

 被災した友人に何か支援が出来ないかといろいろと情報収集しているのだけど、個別的に物資を届けることは難しいようです。東日本大震災の時には、「ポンセンキャラバン」と銘打って、多くの方々の募金を元に、東北に玄米ポンセンや玄米せんべいを何十トンと送ることができた。熊本地震の時には、自然食のレトルト食品を送らせてもらった。今回も能登版のポンセンキャラバンをしたいと考えています。その際は皆さんからのご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
2023年12月13日 : 冬の断食・寒い季節の体質改善
 和道のある群馬(富岡市)は、冬であっても雪はめったに降ることはないが、真冬はそれなりに寒くなる。わが家の子どもたちは冬になると、庭にある水道のところでバケツに水を張って、毎朝できる氷の厚さを測るのが日課になっている。12月の中旬くらいから氷ができることが多いから、大体そのあたりから真冬ということになるのだろう。(今年は暖冬気味で霜は降りたが、氷はまだ張らない)
 冬は太陽という陽性の影響が少ないので、寒さは温かさに比べ陰性だ。陰陽は巡り巡ることが本質だから、陰性は陽性をひきつけ、陽性は陰性をひきつける。二十四節気では、立冬から本格的な陰性な季節が始まる。そして、冬至ごろから陰性がより強くなり、大寒で陰が極まる。
 大寒を過ぎると陽が芽吹きだし、節分、立春と続いて陽が少しずつ大きくなっていく。「陰極まって陽」というのが大寒の時季でもある。これも陰陽の巡り巡る本質を言いあらわす。とはいえ、絶対的な陰も陽もないのが宇宙の理であるから、立冬や冬至の陰の中に陽があり、陰の極みである大寒の中にさえ陽がある。
 では、この陰の大きい寒さで凍てつく季節に陽をどこで見つけることができるだろうか。
 寒さに凍えて震える心身は、ひたすら温かさ・温もりを求める。それこそが陽であり、生命でないかと思う。寒さ増すこの時季に冬の菜っ葉は甘みを増す。これもまた陰極まって陽を体現しているのではないか。冬の菜っ葉は春夏の菜っ葉に比べてずっと根が太い。太陽の力が弱いからこそ、大地の力をより吸収しようとして根をグングン張る。寒さという陰によって陽を増しているともいえる。冬は殖ゆ(ふゆ)とも昔からいわれるようだが、これも陰の中に陽が隠されているような気がする。
 古くから寒の時季の修行として冷たい海や川に入って身を清める水行が行われていた。冷たい水による禊の行である。これもまた陰極まって陽を体現した心身の健康増進行事と言っていい。植物が寒さによって根の張りを増すのと同じように、私たちの精根は寒さによって鍛えられる。大寒の時期は精・生命力の根を張る時であったのだ。
 何度も言うように、大寒は陰性が極まる時である。環境が陰性であれば、私たちは陽性を強くして生きていく。寒い冬に体を冷す陰性なものをたくさん摂れば命の危険性すらある。陰性な時季には体を温める陽性なものがおいしい。秋が深まり冬を迎える頃から陽性の食物の摂取が増えていく。陽性の代表である塩気も増えていく。おせち料理はその最たるものである。塩気と油気を充分使い、さらに時間をかけて煮込んだものが多い。手間をかけて作ったお餅など陽性な食品が冬に合う。寒い陰性な時季には特に、陽性な食品が大事なのだ。
 陰性な寒い冬には、私たちの体は陽性になって対応しようとする。そのために陽性な食物がおいしく感じるのだ。では、そんな季節に断食をしたらどうなるのだろうか。
 寒い陰性な冬に断食をすると、私たちの体は、体の中に眠っている陽性な細胞をエネルギーに変えて環境と調和しようとする。過去に摂ったり、ご先祖から受け継いだ、陽性な食物から作られた細胞をエネルギーに変えるのだ。
 肉、卵、乳製品、魚介類を沢山食べてきた人は、陽性な細胞を過剰に抱えているので、冬に断食をすると、それらの細胞を排毒しようとする。昔から、寒の時季の行を大切にしてきたのは、陽性な毒素を抜くのは至難の業であることを知っていたのかもしれない。現に、冬の方が代謝が上がるわけだから、デトックスに持って来いなのが冬である。
 冬は体質改善の季節である。冬にしっかり排毒をすることが、後の季節、春や夏を乗り越える肝腎なことである。
2023年12月1日 : 平和運動としてのマクロビオティック
 10年以上前、輸入汚染米が問題になったことがあった。酒、菓子、給食、コンビニのおにぎりなどへの輸入汚染米の混入が明るみになったのだ。
 日本は減反政策(コメの栽培禁止)をしながら、なぜ外国産米を輸入するようになったのか。1990年、アメリカはイラクとの戦争直前、イラクへの経済制裁でイラクへの米の輸出を禁止したのだ。イラクはアメリカ米の一番の輸入国であった。アメリカの米農家は、行き場をなくした米の在庫を大量にかかえてしまったのだ。アメリカ政府は日本政府に農業の面でも圧力をかけるようになる。そのひとつが減反政策であったのだ。日本は減反を増やして米の在庫を少なくし、並みの不作でも米不足になり輸入しなければならないように恣意的に操作していたのだ。そして、1993年(平成5年)日本は大冷害となり、米の大不作となる。40代以上の日本人は記憶にある人も少なくないと思うが、タイ米が輸入されるというニュースが世間を騒がせた。しかし、本当の狙いはタイ米の輸入ではなく、アメリカから米を輸入する名目が立ち、77万トンものアメリカ米が輸入されたのだ。それもアメリカで何年も眠っていた在庫米(古米)が輸入されたのだ。
 その後、毎年需要もないのに77万トンから100万トンに拡大して米を輸入している。WTO(世界貿易機構)で約束させられた日本の米輸入量は「日本の米生産の10%にあたる量」を海外から輸入してほしいといういわば口約束で、義務ではないのだが。日本は日本の米だけでも充分まかなえ、さらに今では余るほどなのに、毎年100万トンものアメリカ米などの海外米が輸入されている。1990年からすでに30年以上経った今は1000万トン以上もの古米を在庫しているのだ。それも、保存の効く籾米ではなく、数年もすると劣化してカビが生えてしまう玄米で保存している。もちろん農薬漬け、保存薬漬けの玄米だから、カビが出だしたら止まらない。
 この日本の農業政策は一体何なのかというと、自動車などの工業製品を海外に売るための交換条件として、義務ではなく、いわば商慣習として米を輸入している。命である食を売り物にした本末転倒政策なのだ。
 5月(2023年)に広島で行われたG7首脳会議でも、表面上のことしかニュースに上がっていなかったが、裏では大変なことが話し合われていたようだ。世界はすでに第三次世界大戦に突入していると、エマニュエル・トッドという歴史家が言っている。G7諸国対中露諸国という対立。
 日本はG7のひとつだから、G7寄りの情報しか見聞きすることは稀だが、実際の世界情勢は中露に傾きつつあるといわれる。グローバルサウスといわれるインド、ブラジルなどの国々は、アメリカ主導の世界秩序に辟易しているのだ。先に挙げたアメリカの日本への汚染米の輸入にあるようなことが、世界の国々に対しても行われているのだ。
 ロシアとウクライナの戦争も、戦争をしたいアメリカの思惑通りのことが起こっている。軍需産業は世界で一番大きな産業といわれるが、その大半がアメリカにあり、アメリカの軍需産業は定期的に戦争が起こらないと経済が回らないのだ。厳密にいえば、戦争を起こさないと、と言った方がいいだろう。
 アメリカの中でも、意識ある人たちが立ち上がって、アメリカを正常なアメリカに戻そうという人たちもかなり多くいる。その代表がトランプ前大統領。トランプが大統領時代は、アメリカは戦争をしていなく、加担もしていないのだ。それが、軍需産業の後ろ盾をもつバイデンが大統領になってからは、表立っての戦争はないが、ウクライナに軍事支援をして後方から戦争を煽っているのだ。戦争中毒の人々が牛耳るアメリカなどと、アメリカ国内でも皮肉る人々がいる。
 戦争をしないと回らない経済というのは、もうすでにそれだけで破綻しているといっていい。心が病んでいるのだ。20世紀初頭、ヨーロッパに渡った桜沢如一は、軍需産業のための戦争(第一次世界大戦)を目の当たりにする。人が死ぬことで経済を回す発想そのものを病んでいると感じた桜沢如一は、ヨーロッパでこそ食養を広めなければならないと決意する。食を調えることによって体が調うだけでなく、心が穏やかに調う。マクロビオティックを平和運動としたのは、桜沢の切なる願いが込められている。
 ロシアとウクライナの戦争が終わる前に、パレスチナとイスラエルの戦争が始まってしまった。現代の世界情勢は平和とは程遠い、むしろ逆行しているのではないかとさえ思える状況にある。
 しかし、世界ではヴィーガンやベジタリアンの人々がものすごい勢いで増えてきている。菜食を基本とする人々がある一定以上になった時、世界から紛争が減っていくはずなのだ。人は体も心も食次第である。お互いをゆるし合える心が湧きおこってくるのも食次第である。