骨粗しょう症の食養と生活

 「さみしくて、さみしくて、いられない」と電話があった。遠距離恋愛をしている人ではなく、背骨を圧迫骨折した男性からであった。前回のコラムでも触れたが、60代の男性が圧迫骨折して、和道に養生に来ていた。その後、自宅に帰って、ひとり食養生活をしながらリハビリを続けているのだが、動きもままならなく、人との交流もあまりなく、どうしてもうつ的になってしまう。さみしさを訴える相手がいるだけまだいいが、もしそういった人がいなければ、本当にうつ病になってしまうかもしれない。
 人間は長いこと、大家族の中で日々の暮らしを営んできた。両親、祖父母、曾祖父母、そして兄弟姉妹と身を寄せ合って暮らしてきた。私が生まれた時のわが家もそれで、四世代同居であった。今では大家族は少なくなって、一人暮らしの世帯の方が多いという。大家族のストレスも無いとはいえないが、体と心への深刻なストレスは孤独な生活に勝るものはない。一人暮らしはそもそも、冷蔵庫、洗濯機、掃除機など、家電製品が登場した近現代になってはじめて生まれた。人類は何万年と集団生活を送っていたわけであるから、一人での孤独な生活に、私たちの脳と体は追いついていないし、これからも慣れるとも追いつくとも思えない。
 「独りは本当に虚しいものですね」圧迫骨折の男性は、体が思うように動かせず、その「さみしさ」から、人間の本質的な生き方を知ったという。ちゃぶ台ひとつを大家族で囲んでいたのが、そのちゃぶ台が切り売りされて、一人暮らしや核家族が誕生した。一つのちゃぶ台よりも、いくつものちゃぶ台になった方が経済効果は確かにあった。高度経済成長というものは、見方を変えると大家族が崩壊して、現代の独居老人をつくる下地になっていたのだ。
 人間が肉体的、心理的に健康を保つのに、人と人との交流は無くてはならないものだろうと思う。人は人と交流してこそ、体と心が動き出す。もちろん、山奥や無人島で独り自給自足的な生き方をしている人は、絶えず動いて健康を保っているだろうが、稀である。
 日本人は農的暮らしを基礎として、人間同士支えながら生きてきた歴史がある。そして、農的暮らしの中心に稲作があり、みそ、醤油などの発酵文化がある。日本と日本人は、稲作文化と発酵文化の二本立てで、これまでの長い歴史を生き抜いてきた。これは、私たちひとり一人の体をみても、おコメとみそ汁をいただくことが健康を保つ最も大事であることとシンクロする。骨粗しょう症を改善する食養生活は、おコメとみそ汁をいただき、この完全食からいかに栄養素を吸収するかにかかっている。骨を豊かにする方法は、おコメとみそ汁からいかにエネルギーを吸収するかである。この吸収力を高めることに尽きるのではないかと考えている。
 吸収力を高めるのに大事なことは、まずは唾液をよく出すこと。ドライマウスでは、おコメとみそ汁から上手に栄養を吸収することができない。口は体のオアシスでなくてはならない。そのためには、よく噛むこと、よく話すこと、重たいものを持つことである。重たいものを持つと、歯を食いしばったり、腕を使うことで喉から顎にかけての筋肉が活性化して、口呼吸が無くなっていく。口呼吸というのは、運動不足で口から首にかけての筋肉が未発達であることを物語る。望診では、口をあけているのは、「幼い気持ちが抜け切れていない」ということを示す。重たいものを持ったり、手足を使って体をよく動かすと、口から首にかけても筋肉が発達して口呼吸が改善する。
 唾液はさらに、細胞修復能力がある。口が潤うと、唾液が胃腸にも行き渡り、胃腸の機能が高まる。そして、定期的に本くずを食べることで、腸内環境が整い、栄養吸収が安定する。腸には何兆個ともいわれる腸内細菌が棲みついているといわれるが、腸内細菌の善玉菌のエサになるといわれるのが、おコメ、旬の野菜、海藻、発酵食品である。おコメ、みそ汁、時々のくず湯やくず練りに加えて、腸内細菌を活性化させる食物をいただくことが、骨にとっても大事である。

骨粗しょう症の原因

 体はもともと、骨が豊かと書いて「體(からだ)」であった。私たちの骨は体の基礎中の基礎であって、骨がしっかりしていないと日常の生活をおくることが難しい。
 高齢化社会では、私たちの骨の問題も必然、多くなる。私のところにも骨粗しょう症の相談は多い。昨今では、骨粗しょう症から背骨を圧迫骨折し、一人での生活がままならなくなって和道に滞在して治療をする人も増えてきた。マクロビオティックを実践していても、骨粗しょう症になる人とならない人がいる。多くの人を観ていると、骨が豊かであり続けるためにはマクロビオティックの実践にもコツがあることがわかる。
 これはマクロビオティックに限ったことではないのであるが、骨粗しょう症になる人に共通していることの大きなひとつに運動不足がある。骨は刺激すればするほど、強靭になる。縄文時代の人骨は多くの場合、現代人の骨に比べて倍以上太いものが珍しくないという。骨への負荷が現代人に比べて縄文人は倍以上あったということらしい。骨粗しょう症は車社会の産物の一つと言っても言い過ぎではないだろう。車は便利であるが、ほどほどの利用にしなくてはならない。車だけではない。運動不足は、現代生活を普通におくっていると、ダレでも陥るワナのようなものである。
 先日、和道に滞在した圧迫骨折の人は、40年来食養を実践してきた60代の男性であった。彼の仕事はデスクワーク中心で、月に数回夜勤があったという。東京在住であったので車には乗らなかったようであるが、運動は通勤の徒歩くらい。家も職場も駅から離れていたので、それなりに歩いてはいたというが、縄文人や江戸人であったら家の前をほんの少し歩いた程度であっただろう。
 夜勤や屋内のデスクワークというのは、日光不足にもなるので、骨代謝にはマイナスである。運動不足と日光不足は骨代謝だけでなく、自律神経も乱す。私も苦学生であった若い頃は、夜勤の仕事もしたことがあるが、食養生活での夜勤はひと工夫もふた工夫も必要であるのを実感した。本来は眠るはずの夜に起きて活動するというのは、陰陽で考えると相当陽性でなくては動けるものではない。夜行性の動物の多くが肉食(雑食も含めて)であるのを考えるとよくわかる。栄養学的には、夜の活動は私たちの体の中で脂溶性ビタミンであるビタミンA・D・Eなどをより消費するという。脂溶性ビタミンは水溶性ビタミンに比べて陽性である。夜という陰性な環境では、陽性な食物をいただかないと活動できるものではない。
 現代社会の行き詰まりを考えると、健康革命を起こさなければならないと思う。圧迫骨折の彼の仕事は流通業であったのであるが、現代の物流を支える問題点が、こんなところにも出ているのである。ネットで注文したら次の日にモノが届く、という裏側には人間の健康問題が孕んでいることを肝に銘じなければならない。
 運動不足と日光不足という条件が大前提にあると、いくら骨が豊かであった人でも、年月とともに少しずつ骨が脆くなってくる。そして、骨が弱くなってくる人たちに共通する食生活もある。その一つがコメ不足である。おコメのご飯が少ないのである。ご飯の代わりに麺やパンなどの小麦製品が多いのも特徴である。運動不足は消化力の低下を招き、結果、おコメを噛むよりも麺ややわらかいパンの方が食べるのがラクなのだ。その他では、味噌や漬物などの発酵食品不足。海藻や乾物などの食養食品の中では陽性な食品の不足もある。運動不足と日光不足は、腸の機能を低下させ、消化吸収力、免疫力、判断力などの力が奪われていくのを骨粗しょう症の人たちを観ていると感じるのである。

何を目指して生きていくか

 先日、サッカーの日本代表戦を見ようとしてTVをつけたら、なんとビックリ、子嶺麻さん(デコさんの長女)がTVに出ているではないか!それも、1時間近く、子嶺麻さんたち家族を特集している。ガス水道代ゼロ円生活、限りなく自給自足に近い生活をしている子嶺麻さん家族に密着取材だ。
 キッチンの主役は竈(かまど)になるのだが、その竈をなんと巧みに子嶺麻さんが使いこなしていることか!かまど調理が五感と脳をいかに活性化するかを、子嶺麻さんが笑顔満載で伝えていた。
 旦那さんの洋介さんも素敵な人だった。自給自足的な生活が本当の命を輝かせることを悟って、家族みなでその暮らしを楽しく送っている。ディレクターの「大変じゃないですか?」という質問に、子嶺麻さんが「そこが目指しているとこだから」という笑顔には感無量になった。
 人は目指すものがあってはじめて力が発揮できる。目的なく、ぶらぶら歩くのもいいものだけど、目指すものがあってそこに向かって歩くことは人生の醍醐味じゃないかと思う。私たちは何を目指して生きているのだろうか。以前のブログでデコさんを取り上げて「行き当たりバッチリ」と題して書いた。デコさんは自分の人生を「行き当たりバッチリ」と言うのは、デコさんは自分の目指すものが明確にあり、そこを目指して歩いていたからこそだと思う。目指すものがなければ、それこそ「行き当たりばったり」になっていたのではないだろうか。
 そんな子嶺麻さんを育んだデコさんは、いったいどんな子育てをしてきたんだろうと、何年か前にデコさんに聞いたことがあった。そうしたら、「子育って何?」とデコさん。デコさんは子どもを育てるという感覚ではなく、ただ「くらし」を一所懸命にしてきただけだったらしい。この「くらし」を大事に暮らして来たら、子嶺麻さん達はちゃんとデコさん達の背中を見ていたんだろうな。「くらし」を大事にするということは、次に命を繋いでいくもっとも大切なものだと思う。本当は、私たちのダレもが、未来永劫、次に命をつなぐことが目指すものなんだろうと思う。命というものの性質は次にバトンをつなぐことであるのだから。
 そんなデコさんと子嶺麻さん家族が、今年も和道にやってくる。TVやスマホやSNS情報などで知った気、やった気になるのではなく、実際のデコさん子嶺麻さんに会ってほしい。リアルな二人に会えば、きっと何かに火がつくと思う。自分の目指すものがはっきりしてくるかもしれない。

和道・スペシャル合宿&お話し会『中島デコのサステナブルライフ』出版おめでとうの集い&合宿 4月27~28日(土~日) 
詳しくは和道HPでhttps://www.m-wado.jp/   お話し会のオンライン参加(録画視聴もOK)もあります
申込みはメールでお願いしますmacrobiotic_wadou@yahoo.co.jp

花粉症の食養生

 先日まで半断食合宿を和道で行っていた。今回の合宿に参加した方のひとりが、「気がついたら花粉症が治っていた」という。その人は6年前に食養に出会い、ちょくちょく和道に来て体調管理をしている。日常は、東京でフツーのOLをしているので、付き合いやら誘惑やらで一般的な食事もしているのであるが、それでも「ほどほどの食養」を心がけ、年に何度か和道に来て半断食を習慣にしているお陰なのだろうか、着実に体と心が強くなってきている。6年前に出会った時は、体調不良のオンパレードで、春先になると花粉症に悩まされていた。それが、今ではこの時季になっても、鼻水も出ず、目も痒くならず、元気に過ごせている。
 先のコラムで花粉症は血液の酸性化ということを書いたが、血液の弱アルカリが恒常的になれば、花粉症からも卒業できる。
 もちろん、杉や檜に偏った日本の林業の見直しも大事なことである。杉や檜ばかりでなく、多種多様な落葉樹が生い茂る日本本来の里山が復活することが大切なことであると思う。そのうえで、私たちの食生活を見直し、体質改善をすることが国民病と化した花粉症からの警鐘ではないかと思う。
 花粉症の人たちを見ていると、あることに気づく。ごはん(おコメ)、みそ汁、漬物、お茶(できたら三年番茶)の習慣がないか薄い人に花粉症が多い。花粉症はアレルギーのひとつであるが、アレルギーのある人は、日本においては日本の伝統的な食習慣から離れていることがひじょうに多いのだ。
 身土不二、身体と環境(土)は切っても切り離せない。日本の風土に育まれた食物をベースに生きることが、日本人であれば血液を弱アルカリに保つことができる。さらに、日本の風土に合った腸内細菌が私たちの腸に棲みつく。
 自然に育った野菜を塩で揉んで、重しをして数時間置いておくと発酵が始まる。塩が空気中の有用菌を取り込んで、野菜に付着する菌との相乗効果で、私たちにとって必要不可欠な腸内の善玉菌を増やしてくれる。そういう点においても塩は私たちになくてはならない貴重な食物である。
 そして、日本人や東洋人の腸内細菌にとって最も大事なものがおコメである。おコメの食べる量が減ってくると、腸内の善玉菌も減ってくる。腸内細菌はおコメによって活性化してくる。糖質制限食は、ある種の断食になって、体の老廃物を排泄してくれるのであるが、長期間に及ぶ糖質制限は腸の善玉菌が減少して、腸が健全に働かなくなってしまう。動物食を多食する糖質制限はなおさら、悪玉菌を増やす動物性食品を食べ続けるわけであるから、腸内も血液も酸性に偏り、さまざまな弊害が出てくる。
 花粉症にも陰陽の症状がある。鼻水が水のように出てくるのは陰性である。鼻づまりは陽性。鼻水が水のように出てくるのと鼻づまりが共存するのは、陰陽両方。目の痒みは比較的陽性のことが多い。陰性が強い場合は、梅生番茶、みそ汁を一日2~3回摂ってみたらいい。喉が渇くようならば塩気の摂り過ぎだから、量は加減する。鼻づまり、目の痒みが強い陽性の方ならば、第一大根湯、しいたけスープ、野菜スープを美味しいだけ飲んだらいい。花粉症は、腸を良くするほか、肝臓と腎臓を活性化することも大事である。腹部や腰を生姜シップで温めたら、腸と肝臓と腎臓が活性化する。生姜シップが難しければ、こんにゃくシップや湯たんぽで温めるのでもいい。そして、体を温めるのに最も大事なことは運動である。よく動く人に花粉症はない。

花粉症と海の酸性化

 先日、ウォーキング合宿があり、参加の皆さんと一緒に群馬と長野の県境である碓氷峠を目指して歩いていた。ロッククライミングの聖地といわれる裏妙義を左手に見ながら、春の強風に向かって隊列を組んで歩いていた。裏妙義から碓氷峠に向かっても山が連なっているのであるが、その山は杉も多く、春の強風に吹かれて黄色の塊が東や南に移動していた。たぶん、いや間違いなく、黄色の塊は花粉である。山で生まれた花粉が、人が住まう平地に舞い降りるのだろう。花粉症のひどい人は、このコラムを読んでいるだけで鼻がムズムズしてくるかもしれない。少しの間、ご容赦いただき、最後まで付き合ってもらいたい。
 春の彼岸のこの時季、現代の日本でもっとも注意を要するのは花粉症だろう。「暑さ寒さも彼岸まで」というように、寒さが和らいでくるこの時季は、花粉が一気に拡散してくる。しかし、花粉症とはいえ、私たちは花粉だけに反応しているわけではなさそうだ。花粉と一緒にPM2.5などの微粒子の化学物質に体が反応している場合がひじょうに多いらしい。毛穴よりも小さい微粒子の化学物質が、皮膚から体に侵入して、皮膚トラブルを招いていることも少なくない。
 花粉症の症状は、実のところ、体の酸性化を改善しようとして起こっている自然な反応である。鼻水、目の痒み、皮膚の痒みなどは酸性に傾いた血液を排泄しているにすぎない。海もまた、酸性化しているといわれる。私たちの血液も海水も、本来は弱アルカリ性を保っている。ところが現代は、海も血液を酸性化してきている。
 酸性化の原因は、石油の使い過ぎである。現代社会は、衣食住だけでなく、道路、ガソリン、クスリに娯楽、ありとあらゆる暮らしの細部にまで石油で作られたもので満たされている。とはいえ、脱炭素を謳って原発を推奨する向きもあるが、原発から出る放射能や放射性廃棄物も強烈な酸性化物質である。現代の便利な生活を支えるエネルギーの多くが、私たちの体と私たちを取り巻く環境を酸性化させている。
 三年番茶、梅生番茶、梅干し、たくあん、浅漬け、とろろ昆布、わかめ。これらの食物は花粉症の症状に効く食養生である。これらの食物はみな、自然が生んだ植物である。人は植物から命をいただき生かされている。植物の多くは、私たちの体をアルカリ化してくれる。私たちの血液が弱アルカリであるというのは、長年、植物をベースに生きてきたことの証である。
 簡素な食と生活で私たちは十分生きていける。むしろ、簡素な食と生活でないと生きていけないのかもしれない。マクロビオティックな食と生活は、現代の革命である。マクロビオティックを自給自足、良妻賢母、一汁一菜に置き換えてもいい。花粉症が簡素な食と生活で改善することは、決して大冝な事でなく、革命の一歩である。「一日一個の梅干しはその日の難逃れ」などといわれた。花粉症で鼻水が止まらない人が、梅干しを1日1個いただき、種を何時間も舐めていたら、数日で鼻水が出なくなったという。梅干し習慣で花粉症改善した人も少なくない。 令和6年3月18日 記す

行き当たりバッチリ

 久しぶりに心躍る本を読んだ。「マクロビオティックで運が良くなる」とマクロビオティック実践者がよく言うけれど、その実際はなかなか公開されてきていなかった。それが、この本は赤裸々に全部を公開しているんじゃないかというくらい、「運が良くなるとはこういうことよ」という風に、軽やかに公開されている。
 『中島デコのサスティナブルライフ』(パルコ出版)中島デコさんの生き方・あり方が満載である。デコさんそのものがマクロビオティックだと思う。絶対肯定感に溢れている。身におこること、降り注ぐこと、すべてを受け入れて、「行き当たりバッチリ」な生き方だと、自画自賛しているが、私も傍らから見ていて、本当にそうだと思う。デコさんは中島デコという名前をかぶっているけれど、もう他人と自分の隔てのない、まさに自他一体の生き方をしている。この本を読むと、デコさんはもう、みんなと一体であって、みんながデコさんのようである。読んでいるだけで爽やかになる。そんな本はなかなかない。
 「あるもので暮らす」ということは、「あるものを生かす」という暮らし方。資源を生かし、野菜を生かし、環境を生かしていくように、私たちは自分も生かす暮らし方を選んで生きたい。とデコさん。
 人は社会で生きていると、どうしても社会の方を見過ぎてしまう。目が外を見るようになっているから致し方ないのだけど、学歴だとか、肩書だとか、収入だとか、そんなどうでもいいようなことに目を奪われて生きてしまう。そんな社会にあって、デコさんは、命をそのまま、命として受け入れて、澄んだ目で生きてきたから、デコさんの子ども達もデコさんと同じように生きているのだと思う。デコさんは「ごはんは人生の中心だ」と言って、それをそのまま、実行している。なかなかできることじゃない。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思いだした。デコさんは、時間泥棒から時間を取り返すモモのようだと思う。
 桜沢先生は『食養人生読本』という本を書いているけれど、デコさんのこの本は女性版の食養人生読本じゃないかと思うくらい、デコさんの人生の味を味わうことができる。ここ何年か、春にデコさんに和道に来てもらって合宿をしているのだけど、昨年は「女・母・妻・仕事・人間としてのデコさん」と題してお話しをしてもらった。圧巻だった。「私は二回も旦那に逃げられているから、女として妻としては失格よ」と事もなげに話していたけれど、本の最後には、そこにまで至る葛藤が、やはり赤裸々に告白されていた。表紙の笑顔からは想像もつかない苦しみがそこにあったのだと。
 どんなことがあっても人生はいいものだと思う。デコさんはそのものがマクロビオティックになったのは、その葛藤を含めて、人生丸ごとではないか。難があるから、「ありがとう」だと。
 デコさんは子だくさんでもあったから、今では孫だくさんになって、これからのマクロビオティックな生き方をまだまだ模索している。そんなデコさんは、いつまでも「子どもを中心に据えた」生き方が人生の基本だという。いい子を育てることでなく、やんちゃでもわんぱくでも、元気溢れる子を育てることが大事だと思う。学歴より食歴である。マクロビオティックは、今の行き詰った社会の処方箋になると思ってきたけど、その実際の生き方がデコさんの生き方から学べる。珠玉の一冊が誕生した。

掃除と創造

 和道では毎月、食養合宿と称して半断食の合宿を行っている。全国各地から様々な人が参加される。参加者の中ではマクロビオティック実践者は半分くらいで、これからマクロビオティックを実践したい人、マクロビオティックのことをまったく知らなかった人が半分くらいいる。断食で検索したら和道が出てきて、参加してみてはじめてマクロビオティックを知ったという人もいる。
 マクロビオティックを断食を通して知る人は幸福であると思う。むろん、断食以外のご縁でマクロビオティックを知ることがわるいわけではない。しかし、断食は人生の大掃除であるから、掃除という人生でもっとも大事な行為を身につけるという点において、幸福であると思う。
 コロナが流行り出してからよりも、ワクチンを打ち出すようになってからの方が食養相談が増えている。統計的にも死亡者が増えているようだ。
 インフルエンザにしろ、コロナにしろ、感染症そのものが体内の大掃除であるのだから、それをワクチンで予防しようという発想そのものが不自然である。インフルエンザやコロナが流行ったら、自然生活をしながら、どんどん罹ったらいい。体の大掃除になって、自然に治せば、罹る前よりもずっと元気になる。
 コロナが流行り出したといわれて一年後くらいに、わが家の子どもたちがどこからともなくコロナらしき風邪を持ってきた。上の子たちは中高生であったので、外の食べ物もけっこう食べるようになっていた。そうしたら案の定、コロナらしき風邪にかかり、高熱を出して寝込んでしまった。しかし、まだ幼稚園児や小学生の下の子たちは、給食でなく食養弁当、さらに外食もないから、上の子たちの持ってきたコロナらしき風邪もなんのその、いたって元気に過ごしている。食養生活で体を大きく汚すことがなければ、感染症ほどの大掃除は必要ないのだろう。
 とはいえ、生きている限り人間は体だけでなく、いろんなものを汚しながら生きていく生き物なのかもしれない。だからこそ掃除をし続けないと生き長らえることができないような気がする。
 半断食の合宿を通して、日々の掃除がいかに大切か、ということを気づく人は多い。朝の掃除がいかに気持ちよいものか、ということを知る人も多い。朝の掃除の気持ちよさを知って、そこから朝の掃除が習慣化する人も多い。掃除ほど大切なものはないと日々その想いを強くする。私たちの体も、細胞レベルで常に掃除が行われているようだ。オートファジー(自食細胞)の研究でノーベル賞をとった大隅良典さんの研究では、オートファジーの機能を止めたマウスは、一日で細胞に毒素が溜まって、死んでしまったという。オートファジーこそ、細胞の掃除的働きも持つ細胞だけに、私たちの体は一日でも掃除ができなければ生きていくことができないのだ。
 世の中を見渡すと、社会にあまたある仕事は、掃除的働きが強いか、創造的働きが強いか、そのどちらでないかと思う。建設業や製造業など、ものづくりを担う仕事は、創造的働きの強い仕事である。一方、医療や福祉は掃除的働きの強い仕事ではないかと思う。社会もまた、私たちの体と同じように、掃除と創造が調和してこそ、よりよく回っていく。
 想像力が失われたり、新しいことにチャレンジできなくなったら、私は掃除をすることを心がけている。人生に行き詰まったら掃除をすればいいと思う。掃除こそ人生のリセットに最適である。掃除の中にこそ創造性が隠されている。5年ほど前に、不妊の改善で食養合宿に来た人は、トイレ掃除の気持ちよさに目覚めて、食養と断食の実践とともに、トイレ掃除の実践を日々休みなく行った。そうしたら一年後に、専門医から絶対無理といわれた自然妊娠に至って、元気な赤ちゃんを授かった。この人の行為はまさに、掃除の中から想像を実現させた好例である。掃除と創造は陰陽の関係であるから、常に相対的・相補的な関係の流れの中にある。
 迷ったら掃除、悩んだら掃除、生きづらさを感じたら掃除。掃除こそ運命を開く最大のものであると思う。

食後30分は水分とるな

 新年早々、能登では大地震にみまわれ、羽田では日航機と海保機の衝突事故。二日続けて大きなニュースが飛び込んできた。
 能登には20年来のマクロビオティックの友人がいて、昨日まで連絡が取れずに心休まらなかったが、やっと連絡がついて、家族みな無事だとわかった。ただ、家は全壊状態になってしまい、今は避難所で家族みなで肩を寄せ合っているという。
 他の友人からの情報では、世界各地でも新年早々にテロ事件が頻発しているともいう。一年の計は元旦にあり、といわれるが、令和6年(2024年)はなんと大変な年になるのではないかと多くの人がそう思わずにいられないのではないか。
 しかし、歴史を振り返ってみると、人類は幾多の厳しい状況を乗り越えてきた。先の大戦では、日本が戦闘地になり、多くの人達が犠牲になった。日本を含めて世界では、10年に一度の頻度で戦争があり、大きな自然災害はそれ以上の頻度である。それでも私たちの先祖は、危機的状況をくぐり抜け、たくましく生きてきた。記憶に新しい東日本大震災からも、私たちは立ち直り、力強く生きてきた。
 私は断食指導と食養指導がライフワークになっているけれど、人間は危機的状況に遭遇すると生命力が高まる生きものであることに疑いの余地がない。先の大戦で日本は完膚なきまでに叩きのめされても、這い上がり、人口は増えて経済は発展した。
 今年の干支は辰である。辰は登り龍である。登には屈まなければ大きく登ることはできない。能登で被災された皆さんも、今は屈む時期と考えて耐え忍んでほしい。きっと能登という地名のごとく、登り龍が復活するに違いない。
 WHOが沼田法として認めている「食後30分は水分を摂取しない」というだけで感染症は大幅に防ぐことができる。これは食養の大先輩、沼田勇先生が後世に伝えたことである。唾液は津液といって、体の隅々を潤す神秘の液体である。殺菌効果、ホルモン活性、免疫力向上、精神安定、様々な効能があるのも唾液である。その唾液は食事の時に「よく噛む」ことで 沢山出てくる。被災地ではなおさら、「よく噛む」ことが大事である。そして、よく噛み唾液を沢山出して、その唾液を薄めないために食後30分は水分を摂らない。これだけで大幅に感染症リスクが減る。先の大戦で陸軍の軍医であった沼田先生が、食養の食法を軍人に指導したところ、沼田先生が指導した軍は他の軍に比べて感染症に罹る率が大幅に少なかったという。
 他にも唾液を出すために、「よくしゃべる」「口周りをマッサージする」「よく動いて筋肉を活性化する」ことも大事である。足腰や手足の筋肉も、口周りの筋肉と連動し、繋がっている。
 ともあれ、私たちは危機感によって生命力が高まる。能登地震でも羽田の事故でも、危機に遭遇した人たちはものすごく生命力が高まっているはずである。ニュースを見聞きする私たちは恐怖に慄く必要はない。被災された人たちと共に「災い転じて福となす」行動をしたらいい。

 被災した友人に何か支援が出来ないかといろいろと情報収集しているのだけど、個別的に物資を届けることは難しいようです。東日本大震災の時には、「ポンセンキャラバン」と銘打って、多くの方々の募金を元に、東北に玄米ポンセンや玄米せんべいを何十トンと送ることができた。熊本地震の時には、自然食のレトルト食品を送らせてもらった。今回も能登版のポンセンキャラバンをしたいと考えています。その際は皆さんからのご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

冬の断食・寒い季節の体質改善

 和道のある群馬(富岡市)は、冬であっても雪はめったに降ることはないが、真冬はそれなりに寒くなる。わが家の子どもたちは冬になると、庭にある水道のところでバケツに水を張って、毎朝できる氷の厚さを測るのが日課になっている。12月の中旬くらいから氷ができることが多いから、大体そのあたりから真冬ということになるのだろう。(今年は暖冬気味で霜は降りたが、氷はまだ張らない)
 冬は太陽という陽性の影響が少ないので、寒さは温かさに比べ陰性だ。陰陽は巡り巡ることが本質だから、陰性は陽性をひきつけ、陽性は陰性をひきつける。二十四節気では、立冬から本格的な陰性な季節が始まる。そして、冬至ごろから陰性がより強くなり、大寒で陰が極まる。
 大寒を過ぎると陽が芽吹きだし、節分、立春と続いて陽が少しずつ大きくなっていく。「陰極まって陽」というのが大寒の時季でもある。これも陰陽の巡り巡る本質を言いあらわす。とはいえ、絶対的な陰も陽もないのが宇宙の理であるから、立冬や冬至の陰の中に陽があり、陰の極みである大寒の中にさえ陽がある。
 では、この陰の大きい寒さで凍てつく季節に陽をどこで見つけることができるだろうか。
 寒さに凍えて震える心身は、ひたすら温かさ・温もりを求める。それこそが陽であり、生命でないかと思う。寒さ増すこの時季に冬の菜っ葉は甘みを増す。これもまた陰極まって陽を体現しているのではないか。冬の菜っ葉は春夏の菜っ葉に比べてずっと根が太い。太陽の力が弱いからこそ、大地の力をより吸収しようとして根をグングン張る。寒さという陰によって陽を増しているともいえる。冬は殖ゆ(ふゆ)とも昔からいわれるようだが、これも陰の中に陽が隠されているような気がする。
 古くから寒の時季の修行として冷たい海や川に入って身を清める水行が行われていた。冷たい水による禊の行である。これもまた陰極まって陽を体現した心身の健康増進行事と言っていい。植物が寒さによって根の張りを増すのと同じように、私たちの精根は寒さによって鍛えられる。大寒の時期は精・生命力の根を張る時であったのだ。
 何度も言うように、大寒は陰性が極まる時である。環境が陰性であれば、私たちは陽性を強くして生きていく。寒い冬に体を冷す陰性なものをたくさん摂れば命の危険性すらある。陰性な時季には体を温める陽性なものがおいしい。秋が深まり冬を迎える頃から陽性の食物の摂取が増えていく。陽性の代表である塩気も増えていく。おせち料理はその最たるものである。塩気と油気を充分使い、さらに時間をかけて煮込んだものが多い。手間をかけて作ったお餅など陽性な食品が冬に合う。寒い陰性な時季には特に、陽性な食品が大事なのだ。
 陰性な寒い冬には、私たちの体は陽性になって対応しようとする。そのために陽性な食物がおいしく感じるのだ。では、そんな季節に断食をしたらどうなるのだろうか。
 寒い陰性な冬に断食をすると、私たちの体は、体の中に眠っている陽性な細胞をエネルギーに変えて環境と調和しようとする。過去に摂ったり、ご先祖から受け継いだ、陽性な食物から作られた細胞をエネルギーに変えるのだ。
 肉、卵、乳製品、魚介類を沢山食べてきた人は、陽性な細胞を過剰に抱えているので、冬に断食をすると、それらの細胞を排毒しようとする。昔から、寒の時季の行を大切にしてきたのは、陽性な毒素を抜くのは至難の業であることを知っていたのかもしれない。現に、冬の方が代謝が上がるわけだから、デトックスに持って来いなのが冬である。
 冬は体質改善の季節である。冬にしっかり排毒をすることが、後の季節、春や夏を乗り越える肝腎なことである。

平和運動としてのマクロビオティック

 10年以上前、輸入汚染米が問題になったことがあった。酒、菓子、給食、コンビニのおにぎりなどへの輸入汚染米の混入が明るみになったのだ。
 日本は減反政策(コメの栽培禁止)をしながら、なぜ外国産米を輸入するようになったのか。1990年、アメリカはイラクとの戦争直前、イラクへの経済制裁でイラクへの米の輸出を禁止したのだ。イラクはアメリカ米の一番の輸入国であった。アメリカの米農家は、行き場をなくした米の在庫を大量にかかえてしまったのだ。アメリカ政府は日本政府に農業の面でも圧力をかけるようになる。そのひとつが減反政策であったのだ。日本は減反を増やして米の在庫を少なくし、並みの不作でも米不足になり輸入しなければならないように恣意的に操作していたのだ。そして、1993年(平成5年)日本は大冷害となり、米の大不作となる。40代以上の日本人は記憶にある人も少なくないと思うが、タイ米が輸入されるというニュースが世間を騒がせた。しかし、本当の狙いはタイ米の輸入ではなく、アメリカから米を輸入する名目が立ち、77万トンものアメリカ米が輸入されたのだ。それもアメリカで何年も眠っていた在庫米(古米)が輸入されたのだ。
 その後、毎年需要もないのに77万トンから100万トンに拡大して米を輸入している。WTO(世界貿易機構)で約束させられた日本の米輸入量は「日本の米生産の10%にあたる量」を海外から輸入してほしいといういわば口約束で、義務ではないのだが。日本は日本の米だけでも充分まかなえ、さらに今では余るほどなのに、毎年100万トンものアメリカ米などの海外米が輸入されている。1990年からすでに30年以上経った今は1000万トン以上もの古米を在庫しているのだ。それも、保存の効く籾米ではなく、数年もすると劣化してカビが生えてしまう玄米で保存している。もちろん農薬漬け、保存薬漬けの玄米だから、カビが出だしたら止まらない。
 この日本の農業政策は一体何なのかというと、自動車などの工業製品を海外に売るための交換条件として、義務ではなく、いわば商慣習として米を輸入している。命である食を売り物にした本末転倒政策なのだ。
 5月(2023年)に広島で行われたG7首脳会議でも、表面上のことしかニュースに上がっていなかったが、裏では大変なことが話し合われていたようだ。世界はすでに第三次世界大戦に突入していると、エマニュエル・トッドという歴史家が言っている。G7諸国対中露諸国という対立。
 日本はG7のひとつだから、G7寄りの情報しか見聞きすることは稀だが、実際の世界情勢は中露に傾きつつあるといわれる。グローバルサウスといわれるインド、ブラジルなどの国々は、アメリカ主導の世界秩序に辟易しているのだ。先に挙げたアメリカの日本への汚染米の輸入にあるようなことが、世界の国々に対しても行われているのだ。
 ロシアとウクライナの戦争も、戦争をしたいアメリカの思惑通りのことが起こっている。軍需産業は世界で一番大きな産業といわれるが、その大半がアメリカにあり、アメリカの軍需産業は定期的に戦争が起こらないと経済が回らないのだ。厳密にいえば、戦争を起こさないと、と言った方がいいだろう。
 アメリカの中でも、意識ある人たちが立ち上がって、アメリカを正常なアメリカに戻そうという人たちもかなり多くいる。その代表がトランプ前大統領。トランプが大統領時代は、アメリカは戦争をしていなく、加担もしていないのだ。それが、軍需産業の後ろ盾をもつバイデンが大統領になってからは、表立っての戦争はないが、ウクライナに軍事支援をして後方から戦争を煽っているのだ。戦争中毒の人々が牛耳るアメリカなどと、アメリカ国内でも皮肉る人々がいる。
 戦争をしないと回らない経済というのは、もうすでにそれだけで破綻しているといっていい。心が病んでいるのだ。20世紀初頭、ヨーロッパに渡った桜沢如一は、軍需産業のための戦争(第一次世界大戦)を目の当たりにする。人が死ぬことで経済を回す発想そのものを病んでいると感じた桜沢如一は、ヨーロッパでこそ食養を広めなければならないと決意する。食を調えることによって体が調うだけでなく、心が穏やかに調う。マクロビオティックを平和運動としたのは、桜沢の切なる願いが込められている。
 ロシアとウクライナの戦争が終わる前に、パレスチナとイスラエルの戦争が始まってしまった。現代の世界情勢は平和とは程遠い、むしろ逆行しているのではないかとさえ思える状況にある。
 しかし、世界ではヴィーガンやベジタリアンの人々がものすごい勢いで増えてきている。菜食を基本とする人々がある一定以上になった時、世界から紛争が減っていくはずなのだ。人は体も心も食次第である。お互いをゆるし合える心が湧きおこってくるのも食次第である。