行き当たりバッチリ

 久しぶりに心躍る本を読んだ。「マクロビオティックで運が良くなる」とマクロビオティック実践者がよく言うけれど、その実際はなかなか公開されてきていなかった。それが、この本は赤裸々に全部を公開しているんじゃないかというくらい、「運が良くなるとはこういうことよ」という風に、軽やかに公開されている。
 『中島デコのサスティナブルライフ』(パルコ出版)中島デコさんの生き方・あり方が満載である。デコさんそのものがマクロビオティックだと思う。絶対肯定感に溢れている。身におこること、降り注ぐこと、すべてを受け入れて、「行き当たりバッチリ」な生き方だと、自画自賛しているが、私も傍らから見ていて、本当にそうだと思う。デコさんは中島デコという名前をかぶっているけれど、もう他人と自分の隔てのない、まさに自他一体の生き方をしている。この本を読むと、デコさんはもう、みんなと一体であって、みんながデコさんのようである。読んでいるだけで爽やかになる。そんな本はなかなかない。
 「あるもので暮らす」ということは、「あるものを生かす」という暮らし方。資源を生かし、野菜を生かし、環境を生かしていくように、私たちは自分も生かす暮らし方を選んで生きたい。とデコさん。
 人は社会で生きていると、どうしても社会の方を見過ぎてしまう。目が外を見るようになっているから致し方ないのだけど、学歴だとか、肩書だとか、収入だとか、そんなどうでもいいようなことに目を奪われて生きてしまう。そんな社会にあって、デコさんは、命をそのまま、命として受け入れて、澄んだ目で生きてきたから、デコさんの子ども達もデコさんと同じように生きているのだと思う。デコさんは「ごはんは人生の中心だ」と言って、それをそのまま、実行している。なかなかできることじゃない。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思いだした。デコさんは、時間泥棒から時間を取り返すモモのようだと思う。
 桜沢先生は『食養人生読本』という本を書いているけれど、デコさんのこの本は女性版の食養人生読本じゃないかと思うくらい、デコさんの人生の味を味わうことができる。ここ何年か、春にデコさんに和道に来てもらって合宿をしているのだけど、昨年は「女・母・妻・仕事・人間としてのデコさん」と題してお話しをしてもらった。圧巻だった。「私は二回も旦那に逃げられているから、女として妻としては失格よ」と事もなげに話していたけれど、本の最後には、そこにまで至る葛藤が、やはり赤裸々に告白されていた。表紙の笑顔からは想像もつかない苦しみがそこにあったのだと。
 どんなことがあっても人生はいいものだと思う。デコさんはそのものがマクロビオティックになったのは、その葛藤を含めて、人生丸ごとではないか。難があるから、「ありがとう」だと。
 デコさんは子だくさんでもあったから、今では孫だくさんになって、これからのマクロビオティックな生き方をまだまだ模索している。そんなデコさんは、いつまでも「子どもを中心に据えた」生き方が人生の基本だという。いい子を育てることでなく、やんちゃでもわんぱくでも、元気溢れる子を育てることが大事だと思う。学歴より食歴である。マクロビオティックは、今の行き詰った社会の処方箋になると思ってきたけど、その実際の生き方がデコさんの生き方から学べる。珠玉の一冊が誕生した。

掃除と創造

 和道では毎月、食養合宿と称して半断食の合宿を行っている。全国各地から様々な人が参加される。参加者の中ではマクロビオティック実践者は半分くらいで、これからマクロビオティックを実践したい人、マクロビオティックのことをまったく知らなかった人が半分くらいいる。断食で検索したら和道が出てきて、参加してみてはじめてマクロビオティックを知ったという人もいる。
 マクロビオティックを断食を通して知る人は幸福であると思う。むろん、断食以外のご縁でマクロビオティックを知ることがわるいわけではない。しかし、断食は人生の大掃除であるから、掃除という人生でもっとも大事な行為を身につけるという点において、幸福であると思う。
 コロナが流行り出してからよりも、ワクチンを打ち出すようになってからの方が食養相談が増えている。統計的にも死亡者が増えているようだ。
 インフルエンザにしろ、コロナにしろ、感染症そのものが体内の大掃除であるのだから、それをワクチンで予防しようという発想そのものが不自然である。インフルエンザやコロナが流行ったら、自然生活をしながら、どんどん罹ったらいい。体の大掃除になって、自然に治せば、罹る前よりもずっと元気になる。
 コロナが流行り出したといわれて一年後くらいに、わが家の子どもたちがどこからともなくコロナらしき風邪を持ってきた。上の子たちは中高生であったので、外の食べ物もけっこう食べるようになっていた。そうしたら案の定、コロナらしき風邪にかかり、高熱を出して寝込んでしまった。しかし、まだ幼稚園児や小学生の下の子たちは、給食でなく食養弁当、さらに外食もないから、上の子たちの持ってきたコロナらしき風邪もなんのその、いたって元気に過ごしている。食養生活で体を大きく汚すことがなければ、感染症ほどの大掃除は必要ないのだろう。
 とはいえ、生きている限り人間は体だけでなく、いろんなものを汚しながら生きていく生き物なのかもしれない。だからこそ掃除をし続けないと生き長らえることができないような気がする。
 半断食の合宿を通して、日々の掃除がいかに大切か、ということを気づく人は多い。朝の掃除がいかに気持ちよいものか、ということを知る人も多い。朝の掃除の気持ちよさを知って、そこから朝の掃除が習慣化する人も多い。掃除ほど大切なものはないと日々その想いを強くする。私たちの体も、細胞レベルで常に掃除が行われているようだ。オートファジー(自食細胞)の研究でノーベル賞をとった大隅良典さんの研究では、オートファジーの機能を止めたマウスは、一日で細胞に毒素が溜まって、死んでしまったという。オートファジーこそ、細胞の掃除的働きも持つ細胞だけに、私たちの体は一日でも掃除ができなければ生きていくことができないのだ。
 世の中を見渡すと、社会にあまたある仕事は、掃除的働きが強いか、創造的働きが強いか、そのどちらでないかと思う。建設業や製造業など、ものづくりを担う仕事は、創造的働きの強い仕事である。一方、医療や福祉は掃除的働きの強い仕事ではないかと思う。社会もまた、私たちの体と同じように、掃除と創造が調和してこそ、よりよく回っていく。
 想像力が失われたり、新しいことにチャレンジできなくなったら、私は掃除をすることを心がけている。人生に行き詰まったら掃除をすればいいと思う。掃除こそ人生のリセットに最適である。掃除の中にこそ創造性が隠されている。5年ほど前に、不妊の改善で食養合宿に来た人は、トイレ掃除の気持ちよさに目覚めて、食養と断食の実践とともに、トイレ掃除の実践を日々休みなく行った。そうしたら一年後に、専門医から絶対無理といわれた自然妊娠に至って、元気な赤ちゃんを授かった。この人の行為はまさに、掃除の中から想像を実現させた好例である。掃除と創造は陰陽の関係であるから、常に相対的・相補的な関係の流れの中にある。
 迷ったら掃除、悩んだら掃除、生きづらさを感じたら掃除。掃除こそ運命を開く最大のものであると思う。

食後30分は水分とるな

 新年早々、能登では大地震にみまわれ、羽田では日航機と海保機の衝突事故。二日続けて大きなニュースが飛び込んできた。
 能登には20年来のマクロビオティックの友人がいて、昨日まで連絡が取れずに心休まらなかったが、やっと連絡がついて、家族みな無事だとわかった。ただ、家は全壊状態になってしまい、今は避難所で家族みなで肩を寄せ合っているという。
 他の友人からの情報では、世界各地でも新年早々にテロ事件が頻発しているともいう。一年の計は元旦にあり、といわれるが、令和6年(2024年)はなんと大変な年になるのではないかと多くの人がそう思わずにいられないのではないか。
 しかし、歴史を振り返ってみると、人類は幾多の厳しい状況を乗り越えてきた。先の大戦では、日本が戦闘地になり、多くの人達が犠牲になった。日本を含めて世界では、10年に一度の頻度で戦争があり、大きな自然災害はそれ以上の頻度である。それでも私たちの先祖は、危機的状況をくぐり抜け、たくましく生きてきた。記憶に新しい東日本大震災からも、私たちは立ち直り、力強く生きてきた。
 私は断食指導と食養指導がライフワークになっているけれど、人間は危機的状況に遭遇すると生命力が高まる生きものであることに疑いの余地がない。先の大戦で日本は完膚なきまでに叩きのめされても、這い上がり、人口は増えて経済は発展した。
 今年の干支は辰である。辰は登り龍である。登には屈まなければ大きく登ることはできない。能登で被災された皆さんも、今は屈む時期と考えて耐え忍んでほしい。きっと能登という地名のごとく、登り龍が復活するに違いない。
 WHOが沼田法として認めている「食後30分は水分を摂取しない」というだけで感染症は大幅に防ぐことができる。これは食養の大先輩、沼田勇先生が後世に伝えたことである。唾液は津液といって、体の隅々を潤す神秘の液体である。殺菌効果、ホルモン活性、免疫力向上、精神安定、様々な効能があるのも唾液である。その唾液は食事の時に「よく噛む」ことで 沢山出てくる。被災地ではなおさら、「よく噛む」ことが大事である。そして、よく噛み唾液を沢山出して、その唾液を薄めないために食後30分は水分を摂らない。これだけで大幅に感染症リスクが減る。先の大戦で陸軍の軍医であった沼田先生が、食養の食法を軍人に指導したところ、沼田先生が指導した軍は他の軍に比べて感染症に罹る率が大幅に少なかったという。
 他にも唾液を出すために、「よくしゃべる」「口周りをマッサージする」「よく動いて筋肉を活性化する」ことも大事である。足腰や手足の筋肉も、口周りの筋肉と連動し、繋がっている。
 ともあれ、私たちは危機感によって生命力が高まる。能登地震でも羽田の事故でも、危機に遭遇した人たちはものすごく生命力が高まっているはずである。ニュースを見聞きする私たちは恐怖に慄く必要はない。被災された人たちと共に「災い転じて福となす」行動をしたらいい。

 被災した友人に何か支援が出来ないかといろいろと情報収集しているのだけど、個別的に物資を届けることは難しいようです。東日本大震災の時には、「ポンセンキャラバン」と銘打って、多くの方々の募金を元に、東北に玄米ポンセンや玄米せんべいを何十トンと送ることができた。熊本地震の時には、自然食のレトルト食品を送らせてもらった。今回も能登版のポンセンキャラバンをしたいと考えています。その際は皆さんからのご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

冬の断食・寒い季節の体質改善

 和道のある群馬(富岡市)は、冬であっても雪はめったに降ることはないが、真冬はそれなりに寒くなる。わが家の子どもたちは冬になると、庭にある水道のところでバケツに水を張って、毎朝できる氷の厚さを測るのが日課になっている。12月の中旬くらいから氷ができることが多いから、大体そのあたりから真冬ということになるのだろう。(今年は暖冬気味で霜は降りたが、氷はまだ張らない)
 冬は太陽という陽性の影響が少ないので、寒さは温かさに比べ陰性だ。陰陽は巡り巡ることが本質だから、陰性は陽性をひきつけ、陽性は陰性をひきつける。二十四節気では、立冬から本格的な陰性な季節が始まる。そして、冬至ごろから陰性がより強くなり、大寒で陰が極まる。
 大寒を過ぎると陽が芽吹きだし、節分、立春と続いて陽が少しずつ大きくなっていく。「陰極まって陽」というのが大寒の時季でもある。これも陰陽の巡り巡る本質を言いあらわす。とはいえ、絶対的な陰も陽もないのが宇宙の理であるから、立冬や冬至の陰の中に陽があり、陰の極みである大寒の中にさえ陽がある。
 では、この陰の大きい寒さで凍てつく季節に陽をどこで見つけることができるだろうか。
 寒さに凍えて震える心身は、ひたすら温かさ・温もりを求める。それこそが陽であり、生命でないかと思う。寒さ増すこの時季に冬の菜っ葉は甘みを増す。これもまた陰極まって陽を体現しているのではないか。冬の菜っ葉は春夏の菜っ葉に比べてずっと根が太い。太陽の力が弱いからこそ、大地の力をより吸収しようとして根をグングン張る。寒さという陰によって陽を増しているともいえる。冬は殖ゆ(ふゆ)とも昔からいわれるようだが、これも陰の中に陽が隠されているような気がする。
 古くから寒の時季の修行として冷たい海や川に入って身を清める水行が行われていた。冷たい水による禊の行である。これもまた陰極まって陽を体現した心身の健康増進行事と言っていい。植物が寒さによって根の張りを増すのと同じように、私たちの精根は寒さによって鍛えられる。大寒の時期は精・生命力の根を張る時であったのだ。
 何度も言うように、大寒は陰性が極まる時である。環境が陰性であれば、私たちは陽性を強くして生きていく。寒い冬に体を冷す陰性なものをたくさん摂れば命の危険性すらある。陰性な時季には体を温める陽性なものがおいしい。秋が深まり冬を迎える頃から陽性の食物の摂取が増えていく。陽性の代表である塩気も増えていく。おせち料理はその最たるものである。塩気と油気を充分使い、さらに時間をかけて煮込んだものが多い。手間をかけて作ったお餅など陽性な食品が冬に合う。寒い陰性な時季には特に、陽性な食品が大事なのだ。
 陰性な寒い冬には、私たちの体は陽性になって対応しようとする。そのために陽性な食物がおいしく感じるのだ。では、そんな季節に断食をしたらどうなるのだろうか。
 寒い陰性な冬に断食をすると、私たちの体は、体の中に眠っている陽性な細胞をエネルギーに変えて環境と調和しようとする。過去に摂ったり、ご先祖から受け継いだ、陽性な食物から作られた細胞をエネルギーに変えるのだ。
 肉、卵、乳製品、魚介類を沢山食べてきた人は、陽性な細胞を過剰に抱えているので、冬に断食をすると、それらの細胞を排毒しようとする。昔から、寒の時季の行を大切にしてきたのは、陽性な毒素を抜くのは至難の業であることを知っていたのかもしれない。現に、冬の方が代謝が上がるわけだから、デトックスに持って来いなのが冬である。
 冬は体質改善の季節である。冬にしっかり排毒をすることが、後の季節、春や夏を乗り越える肝腎なことである。

平和運動としてのマクロビオティック

 10年以上前、輸入汚染米が問題になったことがあった。酒、菓子、給食、コンビニのおにぎりなどへの輸入汚染米の混入が明るみになったのだ。
 日本は減反政策(コメの栽培禁止)をしながら、なぜ外国産米を輸入するようになったのか。1990年、アメリカはイラクとの戦争直前、イラクへの経済制裁でイラクへの米の輸出を禁止したのだ。イラクはアメリカ米の一番の輸入国であった。アメリカの米農家は、行き場をなくした米の在庫を大量にかかえてしまったのだ。アメリカ政府は日本政府に農業の面でも圧力をかけるようになる。そのひとつが減反政策であったのだ。日本は減反を増やして米の在庫を少なくし、並みの不作でも米不足になり輸入しなければならないように恣意的に操作していたのだ。そして、1993年(平成5年)日本は大冷害となり、米の大不作となる。40代以上の日本人は記憶にある人も少なくないと思うが、タイ米が輸入されるというニュースが世間を騒がせた。しかし、本当の狙いはタイ米の輸入ではなく、アメリカから米を輸入する名目が立ち、77万トンものアメリカ米が輸入されたのだ。それもアメリカで何年も眠っていた在庫米(古米)が輸入されたのだ。
 その後、毎年需要もないのに77万トンから100万トンに拡大して米を輸入している。WTO(世界貿易機構)で約束させられた日本の米輸入量は「日本の米生産の10%にあたる量」を海外から輸入してほしいといういわば口約束で、義務ではないのだが。日本は日本の米だけでも充分まかなえ、さらに今では余るほどなのに、毎年100万トンものアメリカ米などの海外米が輸入されている。1990年からすでに30年以上経った今は1000万トン以上もの古米を在庫しているのだ。それも、保存の効く籾米ではなく、数年もすると劣化してカビが生えてしまう玄米で保存している。もちろん農薬漬け、保存薬漬けの玄米だから、カビが出だしたら止まらない。
 この日本の農業政策は一体何なのかというと、自動車などの工業製品を海外に売るための交換条件として、義務ではなく、いわば商慣習として米を輸入している。命である食を売り物にした本末転倒政策なのだ。
 5月(2023年)に広島で行われたG7首脳会議でも、表面上のことしかニュースに上がっていなかったが、裏では大変なことが話し合われていたようだ。世界はすでに第三次世界大戦に突入していると、エマニュエル・トッドという歴史家が言っている。G7諸国対中露諸国という対立。
 日本はG7のひとつだから、G7寄りの情報しか見聞きすることは稀だが、実際の世界情勢は中露に傾きつつあるといわれる。グローバルサウスといわれるインド、ブラジルなどの国々は、アメリカ主導の世界秩序に辟易しているのだ。先に挙げたアメリカの日本への汚染米の輸入にあるようなことが、世界の国々に対しても行われているのだ。
 ロシアとウクライナの戦争も、戦争をしたいアメリカの思惑通りのことが起こっている。軍需産業は世界で一番大きな産業といわれるが、その大半がアメリカにあり、アメリカの軍需産業は定期的に戦争が起こらないと経済が回らないのだ。厳密にいえば、戦争を起こさないと、と言った方がいいだろう。
 アメリカの中でも、意識ある人たちが立ち上がって、アメリカを正常なアメリカに戻そうという人たちもかなり多くいる。その代表がトランプ前大統領。トランプが大統領時代は、アメリカは戦争をしていなく、加担もしていないのだ。それが、軍需産業の後ろ盾をもつバイデンが大統領になってからは、表立っての戦争はないが、ウクライナに軍事支援をして後方から戦争を煽っているのだ。戦争中毒の人々が牛耳るアメリカなどと、アメリカ国内でも皮肉る人々がいる。
 戦争をしないと回らない経済というのは、もうすでにそれだけで破綻しているといっていい。心が病んでいるのだ。20世紀初頭、ヨーロッパに渡った桜沢如一は、軍需産業のための戦争(第一次世界大戦)を目の当たりにする。人が死ぬことで経済を回す発想そのものを病んでいると感じた桜沢如一は、ヨーロッパでこそ食養を広めなければならないと決意する。食を調えることによって体が調うだけでなく、心が穏やかに調う。マクロビオティックを平和運動としたのは、桜沢の切なる願いが込められている。
 ロシアとウクライナの戦争が終わる前に、パレスチナとイスラエルの戦争が始まってしまった。現代の世界情勢は平和とは程遠い、むしろ逆行しているのではないかとさえ思える状況にある。
 しかし、世界ではヴィーガンやベジタリアンの人々がものすごい勢いで増えてきている。菜食を基本とする人々がある一定以上になった時、世界から紛争が減っていくはずなのだ。人は体も心も食次第である。お互いをゆるし合える心が湧きおこってくるのも食次第である。

緊箍児(きんこじ)

 潰瘍性大腸炎の治療に来た青年が「いつになったらラーメンやカレーやカツどんを食べることができますかね」と私によく聞いてきた。彼はラーメンやカレーやカツどんが大好物であったのだが、潰瘍性大腸炎になってそれらを食べると腸の調子が悪くなることを知った。それを知れただけでも意味のあることなのだが、それらの味にまだ未練があったのだ。
 西遊記に出てくる孫悟空の頭にはめられていた輪っかのことを、緊箍児(きんこじ)という。孫悟空が悪さをすると、師匠の三蔵法師が呪文を唱えて孫悟空の頭にはまっている緊箍児を締め付けるのだ。孫悟空はたまらず、反省せざるを得ない。ウソをついたり悪さをすると頭が締め付けられるわけだから孫悟空はたまったものではない。
 しかし、よくよく考えると、誰にでも孫悟空の緊箍児のようなものがあるのではないかと思う。潰瘍性大腸炎の彼も、潰瘍性大腸炎が孫悟空のもつ緊箍児のようなものであった。ラーメンやカレーやカツどんが悪いというのではないのだが、彼にとってはラーメンやカレーやカツどんは腸に負担のかかるものであったから、緊箍児がそれを教えてくれた。
 孫悟空の頭にはめられた緊箍児は、私たちにとってのそれはひとつには病気であるのかもしれない。病気は生き方・食べ方の間違いを教えてくれるものである。その病気をクスリや手術などで取り去ってしまって本当にいいのであろうか。痛い、痒い、怠いなどの症状を早く消したいと思うのは人の常である。しかし、痛い、痒い、怠いなどの症状の原因を取り除かなければ、根本的な治療にならない。
 私は潰瘍性大腸炎の青年に、「ラーメンやカレーやカツどんは、それらを食べたくなくなったら、食べても大丈夫だよ」と言った。脂肪と添加物たっぷりのラーメンやカレーやカツどんで造られた細胞をたくさん持っているうちは、そのような食べ物を欲してしまう。「類は友を呼ぶ」というが、私たちの食の欲求もそのようなところが多分にある。中毒的欲求というのがそれに当たる。
 自分の緊箍児=病を知るというのは意味のあることである。自分の体と心の特性を知れば、生きやすくなる。ところが、私たちは自分の顔を、鏡を通してでしか見ることができない。自分の実際の顔は、自分では見ることができない。自分の顔は、実のところ他者にしか見ることができないのだ。
 自分の本当のところは、他者を通して知ることが多いということではないかと思う。自分というものは他者を通してでしか知ることができないものもある。孫悟空も三蔵法師を通してでしか気づくことができなかったことも多い。人は関係性の中で生きている。
 自由ということは、勝手気ままに生きることではないと思う。自由とは、自分を知り、自分の生きたい生き方を、歩むことにあると思う。行きたい場所に行けるのが自由であり、生きたい生き方を生きるのが自由である。自由は簡単なことではないけれど、辿り着いてしまえば、あっという間のことでもある。
 自分の緊箍児を知れば、緊箍児そのものも決して怖いものではないことも知る。覚悟があれば、緊箍児も嫌な働きはせず、私たちに多くのことを教えてくれるのではないかと思う。

ミラーニューロン

 1984年ロスアンゼルス五輪、体操個人総合金メダルに輝いた具志堅幸司氏の逸話から。
 具志堅幸司氏は、床(ゆか)の練習中にアキレス腱を断裂して、病院へ入院してしまった。入院前、具志堅氏は平行棒で下から上に回転する際、腕が真っ直ぐに伸ばすことができなく悩んでいた。しかし退院後、平行棒の練習をまったくしていないのに腕がまっすぐ伸びるようになったという。具志堅氏の体の中で一体何が起こったのか。
 入院中、具志堅氏はひたすら平行棒で腕がまっすぐに伸びるとイメージしていたという。下から上へあがってきたとき、スムーズに腕がスーッと伸びるイメージをベッドの上で何度も何度も繰り返し想像していた。
 脳には様々な物質があるといわれる。そのひとつがミラーニューロン(鏡のような神経細胞)。サルまねならぬ、ヒトまね。まねること、強くイメージすることによって実際に体が反応するという。ミラーニューロンは主に視覚から脳に働き、脳を活発化させるという。さらに、何度も繰り返し想像することによって、その実現性がより強くなる。「こうなりたい、こうなるんだ」「できるようになりたい、できるようになるんだ」「できるんだ、できた!」と持続的に想い続けることが大切だという。まさに心身一如。心と体が一体であるということをミラーニューロンを通して知ることができる。
 このことは病気に対する心の持ち方へも大変に参考になる。
 「病気は悪ではない、体の浄化反応としてあらわれているのが病である」という真理を持続的に想い続けること。これは大変な作用を体にもたらす。ミラーニューロンを橋渡しとして体の中の様々な遺伝子が働きだすのではないかと思う。
 私自身、二十年以上前、大阪から東京へ向かう新幹線の中で突如強い頭痛に襲われた。何も飲食するものを持っていなかったので「まいったな」と思っていた。痛みはどんどん強くなり気持ちも悪くなってきた。あまりに強い頭痛に耐えきれなくなり、今まで飲んだことのある手当ての品を次々に想像してみた。大根湯、しいたけスープ、梅生番茶・・・というような感じで。そして「これだ」と感じたものを強く強く想像してみた。ちなみにそれはシイタケスープだったのだが、新幹線に乗っているあいだ中ズーっとシイタケスープを強く強く想い続けていた。
 30分以上、シイタケスープを強く想って、飲んでおいしいイメージを頭の中で繰り返ししていた。そうしたらビックリ、頭痛はすっかりよくなって何だか気分がすっきり、とても爽快になってしまった。強く強く想い続けたことにより、シイタケスープを飲んで反応する遺伝子が、飲まずとも反応したのかもしれない。これも心身一如。そして何より大事なことは、心と身(からだ)をつなぐ真の生活ではないかと思う。

素直な心は素食から

 「あなたは私のアイドルです」ベトナムのマクロビオティックの友人から突然言われて赤面した。4年前(2019)、ベトナムからマクロビオティックの講義の依頼があり、その時に知り合ったマクロビオティックの仲間の一人であった。新婚ほやほやの、まだ娘の雰囲気を残す若い女性からのひと言であった。
 ベトナムの人は素直な人達が多い。屈託ない笑顔の人達も多い。マクロビオティックの友人以外でも、私の地元にはベトナムからの出稼ぎの人達も多く、その人たちとも時々話すことがある。先日、子どもたちを川遊びに連れて行ったら、ベトナムの人たちも川で遊んでいて、少し会話をした。そこでも感じたのだが、日本人よりもベトナム人の方が笑顔がやわらかい。顔を触っているわけではないが、笑顔と表情からその柔らかさがよくわかる。
 食養指導は人の顔を観る仕事でもあるから、私は多くの人の顔を見てきた。顔からその人が食べてきたものがよくわかる。両親やご先祖が食べてきたものも顔からよくわかる。笑顔がやわらかい、ということは素食で育ってきたということ。肉食が多くなると表情が硬くなる。特に、環境(身土不二)に合わない肉食は、表情が硬くなるだけでなく、イボ、ホクロ、ニキビ、ソバカス、肌の凹凸など肌トラブルが頻発する。欧米人は肉食多いがよく笑うのは、肉食の害をオーバージェスチャーで消しているのだ。英語を話す時の方が日本語を話す時よりも表情筋をよく使うといわれるが、これも肉食の害を運動(会話)で消しているのだ。そう考えると、日本語の無表情の会話は、和食がいかに毒素を生まない素食であったということがよくわかる。
 ところが、現代の日本の食はずいぶんと複雑怪奇になってきた。スーパーに行ってみると数えきれないほどの食品が所狭しと並んでいる。ショッピングモールなどにあるフードコートにも世界中の料理店が並ぶところもある。この複雑怪奇な食品から私たち日本人が出来ているとしたら大変なことだ。食料自給率40%の日本は、私たちの体の半分以上は日本以外の食物から出来ているわけだ。
 一昔前の日本の歌謡曲は単刀直入の歌詞が多かった。「好きだ」「愛している」などストレートな表現が多かった。ところが今は、遠まわしで複雑な表現の歌詞の歌が多いような気がする。感性が豊かになってきているという言い方もできるが、感情が複雑になってきている面も多分にある。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉がある。繊細かつ敏感で、神経過敏な面が強い人のことを指す言葉である。
 私たちの心も食物から来る。心身一如というように、心と体は表現方法が違うだけであって、その元は一緒である。
 素直な心はシンプルな食から生まれている。一方で、屈折して偏屈な心は、複雑怪奇な食から生まれている。多くの人の食養指導をしてきて心底そう思う。
 日本人はご飯とみそ汁と漬物で十分だと思う。日本人はこの素食を続けていれば、素直で素敵な生き方ができると思う。ベトナムの素直な彼女は、ベトナムの素食から造られているのだから。
 東南アジアの国々は、日本のよい所は学んだらいいが、近代的な食と生活は反面教師とした方がいい。世界の少子化のトップを行く韓国や日本の現代の食生活は、添加物まみれで身土不二から離れたものが普通になってしまった。
 マクロビオティックは日本の伝統的な食と生活を基本としている。日本の伝統的な食と生活こそ世界に誇る生き方である。素直であるかどうかは、運命が開けていくかカギになる。「笑う門には福来る」は「素直な心に福来る」であろう。

旅で調える

 14年前、ヨーロッパを旅した時の気づきは今でも忘れられない。ヨーロッパのマクロビオティック事情を知るための旅だったのだが、自分の内面の気づきも大きかった。旅の醍醐味はいろいろとあるが、現地の人達との交流や文化や環境に触れることはもちろん、非日常を体験することで心身が変わるきっかけになるのではないかと思う。
 旅は日常から一歩踏み出し心身ともに陽性化させてくれるものだということをあらためて気づかされた。日々の日常は体の動かし方、心の動かし方ともに習慣化・パターン化されている。習慣化されているからこそ日々の流れが滞りなく進むのだが、日常生活も必ず倦怠期がおとずれる。
 倦怠期とは休養期といっていいかもしれない。活性期に対して休養期、心身に倦怠感があらわれている時は休養を必要としている。作家の五木寛之氏は「骨休め、気休め、箸休め」が心身の三大休養と言っている。そして、本来の旅もまた心身の休息に大きな働きがあるものだと、ヨーロッパの旅をとおして感じたのだ。
 日本でもその昔、いや数十年前までお伊勢参りとか出雲参りとか、全国の神社仏閣へお参りすることが旅だった。私は明治生まれの曾祖父母から生涯に何度かお伊勢参りをしたと聞かされた。新婚旅行もお伊勢様だったようだ。旅の原点は参拝にあったようだ。
 40代後半になると、いろいろな旅の経験が積み重なる。振り返ると、学びと気づきを得た旅というものは、飲み食い放題というものではなかった。もちろん、旅先での食は大きな醍醐味ではあるが、宴会放題の旅はろくなものでなかったと、反省することの方が多い。
 ともに病気を持ったサルとカエルの旅の物語がある。カエルが友達からお伊勢参りをしたら病気が治ったと聞いてサルを誘ってお伊勢様へ旅に出る話だ。
 最初のうちは二人(?)で歩いていくのだが、そのうちに二人とも疲れてきて交互に背負って行くことになった。カエルは素直で、サルを背負ってしっかりと歩く。サルは悪賢く、カエルを背負ってカエルに空を見ているように言う。カエルは素直に空を見ている。空の雲が動くものだから、歩いているように思わせてサルは立ち止まったまま一歩も歩かない。そんなこんなでカエルだけ歩いてサルは一歩も歩かずにお伊勢様へ着くのだ。お伊勢様へはカエルだけが歩いて来て、サルはカエルに連れて来てもらったのだ。
 そうしたらビックリ、カエルの病気はすっかりよくなっていた。一方、サルの病気はちっともよくなっていない。参拝の原点をおもしろおかしく伝える物語である。
 損得と苦楽は陰陽だと、自分の経験からもサルとカエルの伊勢参りからもよくわかる。損は得に変化し、得は損に変化する。苦も楽に変化し、楽も苦に変化する。陰陽は変化の法則でもある。日常の生活と非日常である旅も陰陽の関係である。呼吸も陰陽だから、吐いて吸うを繰り返して私たちが生きて行けるように、日常から離れた旅によって、私たちは日常を豊かにすることができる。
 現代の旅の種類はさまざまある。コロナも開けて世界中で旅の大キャンペーンをやっている。カエルに習うか、サルに習うか。昔の人は物語で私たちに陰陽の学びを残してくれている。

汗腺を開く

 アレルギーやアトピーのある人は汗のかき方が弱い、と思う。体に数万個あるといわれる汗腺の開きが弱いようだ。ある調査では日本人の汗腺は250万個もあるという。普通の人でも普段活性化している汗腺は150万個程度で、さらにアレルギーのある人は100万個程度しか働いていないという。私もアレルギーの人たちを数多く診てきて本当にそう実感する。汗腺は、体の中から外へと、毒素を運び出す最終出口である。その最終出口が塞がれている状態がアレルギー症状であるともいえる。
 余談であるが、ロシアやスウェーデンなど寒い地域の人々の汗腺は200万弱であり、インドやマレーシアなど赤道近くの暑い地域の人々は400万以上の汗腺を持っているという。これは、寒い陰性な地では、体に熱をこめる必要があるために、汗腺を少なくして熱の発散を控える。一方、暑い陽性な地では、体から熱を放散する必要があるから、汗腺を多くして放熱する。アレルギーやアトピーは、動物性食品の過剰が基本にある。肉食は、温暖多湿な日本の風土に合わず、体を陽性化して汗腺を塞いでしまう。
 塞がれた汗腺を開かせるのが、本当の生活だと思う。生活は生きた活動であるから、汗腺も活性化する。
 アレルギーのある人で汗をかくと「気持ち悪くてたまらない」という人が多い。これは汗をかききっていないから、毒素の排出が中途半端で、体に毒素が停滞しているのだと思う。肌に症状が出ていない人でも、中途半端に汗をかいた時は気持ちよいものではない。汗をかききったときに本当の爽快感がある。
 「うちの子は汗をほとんどかかないので気になっている」という相談が現代の小さい子を持つ母親から多い。また、「汗はあまりかかないのだけど、汗疹(あせも)はよく出る」という相談も多い。
 汗疹(あせも)は、本当にすばらしいもので、汗腺のつまりを開かせようとする自然な反応である。汗疹だけでなく、アトピーや湿疹も、肌の多くの症状は体に蓄積した毒素を排出しようとする自然な反応である。
 汗腺のつまりを開かせようとするには、詰まった箇所へ血液を集めなくてはならない。血液が細胞や組織をきれいに掃除してくれる。汗疹や湿疹で肌がかゆくなれば、それ自体でも血液がその部分に集中する。さらに、痒ければ痒い部分を掻く。その掻くという行為そのものが自然治癒力でもある。掻けばそこには血液が集中する。ちょっとした痒みの時に、ちょっと掻けば痒みが収まるのは、掻いて痒い患部に血液を集めて、その血液が痒みの毒素を処理したからなのだ。さらにアトピーなどで痒みがひどければ、掻き毟(むし)ることにより出血することもある。出血すれば、痒みを引き起こしている毒素を持った血液が排出されるだけでなく、きれいな血液が患部により集まってくることにもなる。痒みの強弱に関わらず、掻くことはそれ自体が自然治癒力である。
 突発性発疹や蕁麻疹(じんましん)なども汗腺を開かせてくれる有り難い反応である。こういう発疹の後は、体の中から外へと向かう、毒素を処理する汗腺という“道”が広く、そしてたくさん増えている。アレルギーやアトピーのある人が、全身から汗を大いにかけるようになると、もう治ったといっていい。東洋では“道”という言葉が尊ばれるが、体の中にもさまざまな道があるということを食養は教えてくれる。