ウイルスと人間

 人間とウイルスは本来、共存関係にあります。胎児の胎盤を作るのにもウイルスは重要な役割を果たしているようですから、私たち人間はウイルスなしには存在しえないのです。胎盤だけではありません。血液や血管、様々な臓器に至るまで、ウイルスの働きなしに人間は存在しないのです。
 ウイルスは宿主である動物に住み着いて命を継承していきます。細菌はエサがあれば自己増殖できるのですが、ウイルスは宿主がいないと生存できないのです。寄生した動物が死んでしまえばウイルス自らも死んでしまいますから、ウイルスにとっても宿主である動物には長生きしてもらいたいのです。ウイルスが生命の進化に不可避的であった理由がそこにあります。
 ではなぜ新型コロナウイルスは私たちの命を脅かす存在だと言われるのでしょうか?
 ウイルスと宿主には相性の良い悪いがあると言います。「宿主の壁」と言って、人間に適したウイルスと豚や牛、鳥、コウモリなど、それぞれの動物に適したウイルスは違うというのです。生物は昔から棲み分けをしてきたのには理由があったのです。この壁が低くなってしまうと、ウイルスは壁を乗り越えて、他の動物に安易に侵入するようになります。するとウイルス同士の生存競争がはじまり、かつウイルスと生物の適合反応が勃発するのです。生物にとってはそのウイルスを迎え入れるか、追い払うかの判断をしなくてはなりません。この時に私たちは様々な症状を発症するのです。それが、発熱、炎症、痰、咳、下痢、倦怠感など諸症状です。
 この時に、すでに体の中で症状が出ていたら、火に油を注ぐように、体全体がものすごい炎症を起こすでしょう。新型コロナウイルスが引き金になって亡くなっている人の多くが基礎疾患を持っているというのはこのような理由からです。
 宿主の壁を低くしてきたのが、家畜制度と肉食です。安易に想像できるように、異種動物である家畜が人間の近くに居れば、ウイルスは飛び越えやすいものです。さらにはその家畜を食べてしまったならば、ウイルスはさらに侵入してくるでしょう。昔から、家畜動物を神様に見立てて、清潔感を保ち、労働の手助けとして共に暮らしていたのは、宿主の壁をある一定に保ち、ウイルスの侵入を防いでいたと考えられます。さらに伝統的な宗教の多くは肉食を禁じているのは無秩序なウイルスの交換を防いでいたとも考えられるのです。聖書や仏典を読むと、「すべからず」が多いのですが、ウイルスとの関係を今回のように痛感すると多くが納得いくものばかりなのです。
 人間がウイルスと共存してくのには、人間本来の食性を基本とすることです。人間は穀食動物です。穀物と旬の野菜や海藻、伝統的な発酵食品を中心に食していくことです。簡素で豊かな食生活を日々の基本としていれば、どんなウイルスでも怖いものではなく、ありがたいものです。新型コロナウイルスは人間の本来の生き方を気づかせてくれているのです。

感染症の食養手当て法

 新型コロナウイルスが蔓延するといわれる社会からは多くの気づきが与えられます。
 戦後の社会は自由主義経済のもと、多くの国々で食糧が増産され飽食となり、工業製品も大量生産されて物質的に豊かになりました。車や電車、飛行機などの移動技術が向上し、石油などのエネルギーの効率化によって、人間は地球上のどこにでも簡単に行くことができるようになりました。おカネさえあれば人間はどこへでも行け、何不自由なくできるような、そんな錯覚を持てる社会を作り出してきました。自由主義経済は開放系社会を構築する上では、とても便利な社会システムであったのです。
 ところが、今回の新型コロナウイルスのような病原ウイルスがひとたび蔓延すれば、開放系社会だけあって、世界中が病原ウイルスに戦々恐々とさせられる社会でもあったのです。マクロビオティックを提唱した桜沢如一は、無双原理のひとつに「オモテ大なれば、ウラまた大なり」といっていますが、まさに今の社会も大きな自由というオモテのウラには大きな不自由というものがあったのです。いや、それだけではありません。現在の社会では、新型コロナウイルスで亡くなるよりもずっと多くの人々がガンなどの生活習慣病で亡くなっているのです。多死社会といわれて久しくなりますが、多くの人々が食と生活の間違いからくる病気で亡くなっているのです。
 感染症もその実態をつぶさに見ていけば生活習慣病といっても大きな間違いはありません。キレイな血液では病原ウイルスは繁殖することはないのです。むしろ、病原ウイルスは血液の汚れを浄化しようとしていると東洋医学では考えています。発熱するのは体の中で燃やさなくてはならない毒素があるのです。痰が絡むのは、体の中で白血球が病原菌や病原ウイルスを浄化し、その残りかすが痰として排泄されているのです。咳も同じように白血球の血液浄化活動の副産物が肺から熱を放散させているのです。
 食養ではこれらの症状を抑え込むのではなく、体の浄化反応に寄り添って、排毒を促し、新しい血液を造る手助けをしてあげるのです。例えば、発熱があれば、体の中で燃やさなくてはならない毒素があるわけですから、飲み物や食べ物でそれらの毒素の分解を手伝ってあげるのです。食養手当て法の発熱の排毒を促す一般的なものとして、シイタケスープや大根湯があります。干しシイタケの煮出した汁は体の中の不要な脂肪分を分解するのにとても役立つのです。大根もたんぱく質を分解する力が非常に強く、その力を最大限引き出す方法として大根湯があります。大根湯は大根おろしを主に、生姜おろしを少々加え、好みでしょうゆ味をつけて、熱々の三年番茶を注いだものです。三年番茶の代わりに椎茸スープを注いでもいいでしょう。
 痰の切れが悪い時は、玉ねぎや長ねぎ、ニンニク、ニラなどのネギ科の野菜を多用したらいいでしょう。ネギ類は五葷ですから、避けたい人は、生姜や胡椒、山椒なども痰の毒素のもとになっているものを解毒分解してくれます。
 咳においては、肺炎のような強い炎症が肺にある時は、胸からまたは背中から里芋パスターを貼るといいでしょう。里芋パスターを貼る前にキャベツや小松菜などの葉っぱを胸や背中に当ててみて気持ち良いようならば里芋パスターを貼ってみてください。キャベツや小松菜などが気持ちよくない場合は、お腹を湯たんぽで温めるだけでも咳が楽になる場合もあります。
 食に気を付けることは一見すると小さな(ミクロ)なことですが、食こそ命であると気づくと、食こそ大きな(マクロ)ことであると思い至ります。
 食に気をまわすことは一見すると不自由なことのようですが、食こそ命であると気づくと、食に気をまわさなければ自由はないと思い至ります。
 そんな気づきを与えてくれたのも新型コロナウイルスです。

感染症と動物食

 テレビ、新聞、インターネット、情報という情報から、新型コロナウイルスの地球規模での感染が広がっているようです。今のところ実体感なき感染というのが一般市民の率直な感想ではないでしょうか。ヨーロッパに何人か知人がいるので様子を聞いてみたのですが、みんな揃って自分たちの周りでは感染者はいないと言うのです。
 感染が広がってきているとはいえ、5.7現在で日本では感染者は約1.5万人ですから人口1億2千万に対して0.00012%、世界では約370万人の感染者ですから人口約70憶に対して0.00053%です。身近に新型コロナウイルスに罹患した人を見かけることはまずないというのが確率論から言ってもうなずけます。
 とはいえ、ひとつの感染症で病院に多くの患者が押しかけたら、世間で言われるような医療崩壊が起こってもおかしくはないでしょう。
 新型コロナウイルスの問題の底辺にあるのが私たちの生き方ではないかと思うのです。身体の症状が出たら何でも病院に行くという姿勢では病気は治るべくもないのです。病は本質的には自分で治す以外にはないのです。自らの治癒力を免疫力とも自然治癒力ともいいますが、この力を信じて高める以外に、病は治らないです。むしろ、病は身体を良くしようという働きで出ていますから、病という体の働きを邪魔しないことであるのです。
 今回は自然治癒力についてのことに触れるのではなく、新型コロナウイルスから今後の生き方を考えていきたいと思います。
 感染症が蔓延した歴史は枚挙にいとまがありません。天然痘は仏教伝来とともに大陸から日本に入ってきたとされ、奈良時代には平城京で大流行したといわれています。コロンブスの新大陸発見以降も様々な伝染病が旧大陸から持ち込まれ、先住民が壊滅的被害を受けたとも伝えられています。中世ヨーロッパがペストの流行で壊滅的状況に陥ったのも、主要国の都市同士で人の往来が活発化したところにアジアから菌が持ち込まれ、一気に広がったというのです。
 今回の新型コロナウイルスの広がりも世界の交流が活発になり、世界が一つになりつつある状況下で引き起こされています。私たちは、国や都市、そして私たちひとり一人が、さまざまな形でつながる開放系の社会の中で生きています。近年の歴史も開放系社会の構築そのものが歴史になっています。ウイルスを専門とする多くの学者は、感染症との戦いは開放系社会の宿命であると言っています。
 人と人の交流は気の交流であり、それが濃密になれば血液の交流になりさえします。
 開放系社会に暮らす私たちは、開放しても差し支えない、周りの人に振りまいても問題のない、そんな気を振りまかなくてはなりません。食養的に考えると気は血から生まれています。力(ちから)は「血から」といわれています。病原ウイルスが繁殖するような血液を持っていたら開放系社会では、個人の問題にとどまらず、社会全体の問題にまで広がってしまうことを新型コロナウイルスが教えてくれているのではないでしょうか。
 世界はひとつになりつつあります。以前紹介したようにウイルスは生命の進化を促すものです。世界がよりよくひとつになるためにウイルスは働いているのではないかとおもうのです。
 病原ウイルスが繁殖するような血液は、身土不二という自然を無視した食生活から造られる血液ではないかと私は考えています。今回の新型コロナウイルスの感染が拡大している地域をみると肉食が多いところであるのです。陰陽(無双原理)で見れば、陽性な人間と陽性な動物は結ばれないのです。生物学的には人間は動物ですから、植物に比べたら陽性です。その陽性な動物である人間が陽性な動物を食すことにはどうしても無理があるのです。感染症は動物食からの警告と言ってもいいでしょう。

ウイルスは生命の進化に不可避的な一部

 信頼する学者の一人に福岡伸一さんがいます。生物学者である福岡さんの命に対する洞察は深く、東洋の叡智である無双原理(易)にも通じ、興味深いのです。
 その福岡さんが4月3日の朝日新聞に「ウイルスは生命の進化に不可避的な一部」と題する記事を寄稿していました。非常に重要な内容であったので紹介したいとおもいます。
 ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではなく、むしろ利他的な存在であるといいます。ウイルスは自らの内部の遺伝物質を私たちの細胞内に注入するというのですが、それはウイルスが一方的に私たちに襲い掛かってくるのではなく、私たちが極めて積極的にウイルスを招き入れているというのです。
 これはどういうことかというと、ウイルスの起源をみるとよくわかるといいます。
 ウイルスは高等生物が登場した後に現れたというのです。それも、高等生物の遺伝子の一部が外部に飛びしたものがウイルスであるというのです。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだったのです。それが家出し、また、どこからか流れてきた家出人を宿主である私たちは優しく迎え入れているのです。なぜそのようなことをするのかというと、ウイルスこそが進化を加速してくれるからだというのです。
 親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わりません。しかし、ウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を越えて、立体的にさえ伝達しうるというのです。子育てに置き換えて考えたらよく分かります。親だけの価値観を植え付けていたのでは親のコピー人間にしかなりませんが、多様な人たちに関わることによって、個性豊かな人物になってゆくのと同じかもしれません。
 ウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたといいます。私たちに全く気付かれず私たちの内部に潜り込むウイルスは数多く存在しているようです。現に、新型コロナウイルスが出現する前と今の世界の死亡率は変化していないのです。
 ウイルスの活動はときに私たちに病気をもたらし、死をもたらすこともあります。しかし、ウイルスからもたらされる遺伝情報がなければ、私たち人間はこれほどまでに多様な生き方ができなかったのです。今の私たちの存在はウイルスなしには成り立たなかったのです。
 ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれないのです。病気は免疫システムのバランスを揺らしますが、同時にそれは新しい調和を求めることに役立つのです。環境の変化に対応するのが病気であり、それを担っているのがウイルスであるのです。
 ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできません。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に調和的に生きていくしかないのです。

新型コロナウイルスと掃除

 新型コロナウイルスの影響で三月に入って早々、公立の小中高校が休みになったのは前代未聞の出来事です。3.11の東日本大震災の時でさえ、被災地は別にしても、全国でこれだけ長い休みを取ることはありませんでした。
 大人の心配をよそに、子どもたちは長期の春休みに大喜びです。
 災い転じて福となす、という諺がありますが、今回の新型コロナウイルスを福に転じるにはどうしたらよいか?
 私はどうしても食養的に考えてしまうのですが、外出自粛の出る騒ぎですから、家の中を徹底して掃除したらいいとおもうのです。もちろん家の外まで掃除をしたらなお良いでしょう。三月は掃除月間として、家の中を徹底して掃除したらいいのです。
 「身の回りがきれいになると身の内がきれいになる」ものです。掃除ほどいい運動はありません。
 マクロビオティックは食と掃除が二本柱です。
 多くの人や家庭を観させてもらっていると、掃除がおろそかになると人は病気になり、家庭は何らかの問題が出てきているのがよくわかります。企業でもそうです。掃除がおろそかになった会社や組織は多くの場合、経営困難に直面しています。不思議のようですが、本当の事実です。
 私は生き方には二つのタイプがあると考えています。創造と掃除です。新しいものを作り出していく人と、掃除をしてキレイさや機能を維持していく人。
 私たちの細胞も新しい細胞が作られながら、古いものが掃除されていきます。むしろ、古い細胞が掃除されることによって新しい細胞が生まれてくるのです。
 私たちの体は腸疲労からはじまり、脳疲労、細胞疲労の三重疲労が慢性化しています。社会に目を転じても制度疲労が極まりつつあります。
 時代は掃除を必要としています。今は掃除の時代です。
 心身を徹底して掃除するのは、身の回りを掃除することも大事ですが、やはり断食です。断食しながら身の回りを掃除したら、それこそ人生の大掃除になります。断食は体の掃除です。
 断食を国民運動にしなければ日本はもたない、と私は考えています。世界の伝統的な宗教にはすべて断食があります。
 21世紀に入って未曾有の出来事がいくつ訪れたかしれません。掃除の必要性を大自然はすでに警告していたのです。掃除ほど大切なものはありません。

新型コロナウイルスと断食

 日本人の平均体温が戦後急激に下がったといわれます。
 1957年には36.89度、2008年には36.14度という調査があるようです。わたしの道場(マクロビオティック和道)でも合宿や研修に参加される方すべてに体温を計ってもらっていますが、来られた初日には平均35.98です。
 道場へは持病があり体質改善を目的に来られる方が多いので、現代の日本人の平均体温より低いのですが、平均的な日本人の体温も、もはや健康的とはいえないレベルにあります。
 ちなみに道場での研修を終えるとたった数日でも平均的に36.3~36.5まで体温が上がるのです(2017年の調査)。これは断食と温熱の手当て、そして運動と呼吸、さらには回復食における食事が体温を上げている大きな証拠になっていると考えています。
 新型コロナウイルスの報道に拍車がかかっています。世界七大陸のうち、南極を除いた六大陸に新型コロナウイルスが上陸したというのです。私は未だに新型コロナウイルスに罹った人の手当てをさせてもらっていないので、その実態は把握していませんが、報道からの情報だと、新型コロナウイルスで亡くなった人たちは何らかの持病を持った人たちだというのです。
 新型コロナウイルスよりも、現在はインフルエンザウイルスで亡くなる人の方がずっと多いといわれていますが、インフルエンザウイルスでも同じように何らかの持病があって免疫力が落ちている人が重症化しているのです。
 病原菌といわれる、結核、ペスト、コレラ、赤痢などは抗生物質の登場で劇的に減少し、今では罹る人は少なくなったといわれます。しかし、これらの菌は抗生物質への耐性を獲得した耐性菌へと変化し、私たちに再度襲い掛かってきているというのです。
 新型コロナウイルスも、何らかのウイルスの変容した姿ではないかと私は考えています。
 病原菌と抗生物質の関係と同じように、ウイルスも抗ウイルス薬で死滅させたとしても、いずれ耐性を獲得したウイルスが出現するのです。悪者探しをする現代医療では、病気を真に克服することはできません。
 私たちの命の実態は、共存と調和です。共存し、調和してはじめて、共栄することができます。
 医療だけでなく、悪者探しの社会では、共に栄えることは難しい。
 ウイルスと共存できる日本人の体温は、平熱で37度弱になるでしょう。ウイルスを怖い怖いと避けて暮らすのではなく、ウイルスと共存できるような体を造っていくことが一番大事なのです。
 世界的に各国の政府が国民に自粛要請を出していますが、自粛よりも免疫を上げる取り組みを推奨する方が先ではないでしょか。自粛が心身の萎縮に繋がっては、かえって免疫力を落としてしまいます。
 先にも触れたようにしっかりした断食をすれば体温は数日で高まります。免疫力を上げる方法はたくさんあります。ウイルスの伝播よりも恐怖心の拡散の方が怖いものです。
 日々の食養生活と時々の断食は、免疫力を高め、生命力を向上させます。自分の中心軸が確固たるものになります。自らの中心軸ができるとウイルスや細菌と協和し調和することできます。その先に、人間同士、または自然と人間の共存共栄があるのです。 令和2年2月28日 磯貝昌寛

新型コロナウイルスと食養

 連日、新型コロナウイルスの話題で持ちきりです。
 師の大森英桜(1919-2005)は21世紀はウイルスの時代だと生前事あるごとに言っていました。
 20世紀前半までは感染症においては細菌が中心でした。結核菌、ペスト菌、赤痢菌などはあまりに有名です。
 抗生物質の登場で細菌感染における死亡率は急激に少なくなったのですが、現在はその耐性菌が問題になりつつあるようです。
 とはいえ、現在は耐性菌よりも新型コロナウイルスの問題が急務です。
 新型コロナウイルスだけではありませんが、病原ウイルスは私たちの体のある種のたんぱく質をエサに増殖します。
 鳥インフルエンザが豚インフルエンザよりも強毒性があるといわれるのは、鳥インフルエンザは40度以上の発熱を伴うからだと言われています。それに対して豚インフルエンザでの発熱は38度ほどだというのです。
 これは鳥(鶏)と豚の体温とほぼ同じです。
 食養的にみると、鶏肉をたくさん食べて鶏のたんぱく質から造られた細胞をたくさん有していると鳥インフルエンザに罹りやすく、豚肉をたくさん食べて豚のたんぱく質から造られた細胞をたくさん有していると豚インフルエンザに罹りやすいと食養では考えています。
 もちろん、これらの肉類をたくさん食べていても、免疫力の高い人は大丈夫ですが、免疫力が落ちていて、過去の蓄積がたくさんあるようだと、これらのインフルエンザに罹ってしまうと思うのです。
 新型コロナウイルスの全容がまだつかめていませんから断定的なことは言えませんが、病原ウイルスに変わりないので、過剰な動物性の摂取は控えることでしょう。
 そして、免疫の七割が集まるといわれる腸の状態をよくすることです。快食快眠快便であれば、どんなウイルスであっても怖くありません。
 むしろ、ウイルスは体の中の不要なたんぱく質をエサにしてくれているわけですから、有難い存在であるのです。
 ウイルスに恐怖を感じ不安におののくよりも、体の中をきれいにしてくれてありがたさを感じている方が、精神衛生的にも免疫力を高めてくれるものです。
 食養的なウイルス対策は、腸の調子を整えるのに本葛を使うことをおすすめします。くず湯やくず練りが食養の代表ですが、リンゴジュースでくず湯やくず練りを作ってもいいでしょう。
 そして、過去にたくさん動物性を食べてきた人は、シイタケスープや野菜スープも飲んでみたらいいです。干しシイタケと干しマイタケをブレンドして煮出したスープもいいでしょう。これらのスープに大根おろしや生姜おろしを入れてもいいでしょう。おいしく感じるものを見つけてみてください。「おいしい、気持ちいい、心地いい」ことが免疫力を高めてくれます。
 また、今現在の情報では、新型コロナウイルスはそれほどの高熱にならずに咳を伴うようですから、食養的には強い陽性があるものではないかもしれません。そういった場合はネギみそやねぎ入りのみそ汁、上記に書いたスープ類に玉ねぎを入れて煮込んだり、長ネギを刻んで好みの醤油やみそで味付けしてもいいとおもいます。
 ともあれ、私たちの生命力はそうやわなものではないので、無用に不安になることはありません。お腹を温め、腸内環境を良くしておけば、どんな病もありがたく感じる心になっていくものです。
               令和2年2月4日 立春 磯貝昌寛

大森英桜・言行録「変わらないとは変化しているということ」

 「変われば変わるほど変わらない」という諺がフランスにあります。時代が変わっても物事の本質は変わるものではない、という哲学的な言葉ですが、食養的、無双原理的に考えてもおもしろい。
 マクロビオティックな生き方は、体と心にヨドミを作らないことにあります。胃腸などの臓器に負担をかけず、血液の流れを滞らせず、東洋医学で云われる「気血水」の流れをスムーズにする生活法がマクロビオティックです。
 桜沢如一は健康の七大条件で「万事スマート」と云いましたが、体の中に滞りがあったら本当のスマートは実感できません。
 心身ともにスマートであるということは、体の細胞の入れ替わりが順調で滞りないことを示しています。マクロビオティック実践者は年をとっても若々しい人が多いですが、体の中の細胞の変化がスムーズであるからでしょう。
 年相応、あるいは年齢以上に老けて見えるのは、細胞の代謝がわるく、変わらない細胞が過剰に蓄積されているからです。フランスの諺とは逆に、「変わらないから変わってしまう」というのが老いの真相。人生は生老病死を免れることはできませんが、フランスの諺のように「変われば変わるほど変わらない」を実践するのがマクロビオティックといえます。
 病気を治し、健康を増進し、平和を導くのは、根気のいることです。一朝一夕に成し遂げられるものではありません。むしろ、健康や平和は一生求め続けるものであるのかもしれません。求め続け、心身ともに変化に挑戦し続けていくことが人生の醍醐味です。病は体の中の革命です。心身の変化が病として表れているのだから、「変われば変わるほど変わらない」の序章が病です。
 病に悲観することはありません。病はむしろ、健康と若さのプロローグです。この世の本態は変化です。変わらないものはありません。病は健康の入り口であるから、その入り口を閉ざすことなく、健康への道をただ黙々と歩んでいけばいいのです。
(大森英桜・言行録「変わらないとは変化しているということ」を2002年10月に磯貝昌寛が解説しました)

笑顔の習慣

 習慣とは大事なものです。笑顔の習慣がないと自然に笑顔が出てきません。顔の筋肉も、他の筋肉と同様に、日々習慣的に使っていないと硬くなってしまいます。ニコッと笑う習慣が身についたならば、顔の筋肉は柔らかくなり、肌の血行もよくなり、若返り、美人になります。美しい人というのは男女とわず、血行がよい人と言ってもよいでしょう。
 わたしは数多くの人の望診(食養相談)をさせていただいていて、笑顔の習慣のある人に肌の艶がよくキレイで、笑顔の習慣のない人にシミそばかすが多いのに気づきました。笑顔になることによって顔の血行がよくなり、顔だけでなく全身の血行がよくなるために、シミもそばかすも消えてゆくのでしょう。もちろん血液がキレイであるから血行が良くて笑顔が絶えないということでもあります。笑顔と血液循環は相関的なものです。
 笑顔は最大のお布施といわれます。人によい気分を与えているのです。赤ちゃんや子どもの笑顔に触れると、何とも言えない幸せな気分になります。笑顔はさらに、人に喜びや幸せを与えているだけでなく、自分自身に最大最高の健康と幸福をもたらせてくれます。笑う門には福来るです。笑顔ひとつみてもこの世とは自他一体であることに気づかされます。笑顔で幸福を与えていながら自分に返ってくる健康と幸福。なんと素晴らしいものかとおもいます。
 食を正してキレイな血液を流したならば、笑顔が自然に出てくるのですが、凝り固まった顔の筋肉を解すのは簡単なことではありません。作り笑顔でもよいでしょう。からだが本当にキレイになったならば意識せずとも笑顔が出てきます。同時に本当にキレイになったならば意識せずとも正しい食をしています。意識して正しい食をするのは、誰しもみな最初はそうです。笑顔もまったく一緒です。作り笑顔がそのうちに本当の笑顔になってきます。正しき食は顕在意識から潜在意識、そして超意識まで、すべてを浄化してくれます。
 想いが先か食が先か、これはオモシロイ問題です。
 どちらが先かは人によって違います。心の鍛錬から食が正される人もいれば、食を正して心が鍛えられ磨かれる人もいます。人によって入り口は様々です。しかし、どんな入り口からであっても、人は笑顔という最高のお布施を自他に与えて生きていけるかどうか、それはどんな出口にも共通することでしょう。入り口はどこであっても、健康と幸せの出口が一つであることは、おもしろいことです。

すべてはひとつ

 食とは何かをあらためて考えてみました。
 日に何度も人は食べものを口に運びます。口に入った食べものはからだの神秘的なはたらきによって人の細胞に転化されます。この世に生まれて、一切の食を摂らずに生きている人は誰もいません。例外なく人は食物を食べています。
 ある昼下がり、わたしは弁当をいただきながら、食とは一体なんだろうと、しみじみと想ったのです。
 そう、食は人が自然とつながっていることを一番身近で教えてくれているものだということに気づいたのです。食物を育てる人、食物を流通する人、食物を食品に加工する人、食物・食品を販売する人、料理をする人、そして食べる人。みな食物・食品を通じてつながっています。
 繋がりはもっともっと深い。食物は土と太陽と水の産物だから、人は土にも太陽にも水にもつながっています。太陽は地球に不断に光を降り注いでいます。大地は何億年をかけて地球の中を隆起しては沈降してを繰り返しています。まさに壮大なる陰陽で大地は動いています。水は大地よりもずっと速いスピードで世界を巡り、さらに早く天地を巡っています。
 自然は常に絶え間なく変化しています。変化の流れの中から生まれた食物によってわたしたちは命を繋いでいるのです。この世はすべてがつながっている。自然界に壁はなく、今ここでも、皆さんのいるそこでも、同じ空気が流れています。呼吸は空気を通じてみなが繋がっていることを教えてくれます。人は出会った時に握手をしたり、抱き合ったりします。これも私達生命はみなつながっていますよ、ということ。
 食はすべてが繋がっていることを様々なことで教えてくれます。健康であれば、人が自然と正しくつながっている証拠。一方で病は、自然と正しくつながっていないことの警告でもあります。自然との正しいつながりを健康と病が教えてくれているわけだから、病と闘ったり、病を排除しようという姿勢では決して本当の健康が訪れません。
 食正しければ、この世はすべてが繋がっていることが体感できます。自他一体がこの世のマコトの相(スガタ)と食から教わることができるのです。もちろん食からだけでなく、呼吸からも掃除からも家事からも、どんな仕事からだって知ることができます。どんなことからもすべては繋がっていると体感できるのです。