米を喰わなくなった結果、日本人はこうなった!

 江戸時代まで日本は、米を中心とする社会を築いていた。年貢、いわゆる税金も米で徴収し、米を信用通貨としていたのが江戸時代だった。それは、江戸時代の人達が、米を中心とした食生活を送り、米を生命の糧とし、生活の中心に米を置いていたからに他ならない。
 現代でも人気を博している大相撲も、起源は米作りにある。土俵作りは田んぼの硬盤作りが由来になっているという。田んぼはやわらかい土の下に硬い土があるのだが、この硬い土を硬盤(こうばん)という。この硬盤を体格のいい、大柄な男衆が、まるで土俵を作るかのように大きな俵を使って作っていた。より良い硬盤を作るために、また全国に米作りを広げるために、大柄な男衆はより力をつける必要があった。そこで誕生したのが相撲だった。相撲で競い合い力をつけることが、全国に米作りを広げる大きな力になった。
 大相撲が神事であることの所以は米作りに端を発しているからに他ならない。
 江戸時代までは藩の財政は石高(こくだか)を基準にしていた。加賀百万石は有名であるが、加賀藩は百万石の米を収穫できたということだった。一石(いっこく)は、一人一年間養える米の量をあらわしていた。一石は現代では約160キロにあたる。江戸時代までは一人が一年で平均して160キロの米を食べていたというのがわかる。
 現代はどうだろうか。現代人は一人平均してどれくらいのお米を食べているのだろうか。計算の仕方で諸説あるのだが、現代は一人平均約50キロほどといわれる。江戸時代から見たら1/3以下である。
 いくら重労働から解放されたかといってこのお米の量では力がでない。お米の代わりに小麦のパンや麺(ラーメン、パスタ、うどん等)を食べている。それも外国産の小麦ばかり。さらに江戸時代ではほとんど口にしていなかった砂糖や人工甘味料を現代人は普通にしていると毎日食している。
 現代の日本人は日本で作られた米よりも、外国で作られた小麦や飼料を元にした食物を食べていることの方が多くなってしまった。食料自給率38%というのはそういうことだ。
 その結果、日本人はどうなってしまったか。
 平均寿命を延ばしているのは、日本の伝統食を食べてきた戦前、戦中、戦後直後の人達である。高度経済成長期以降の人達は、コメ離れが進み、西欧化した食生活がすっかり板についてしまった人が多い。
 生活習慣病は定着し、死因の第一位はガンである。糖尿病もある年代に行ったらほとんどの人が罹っている。アトピー・アレルギーもすでに国民病と化している。糖尿病はコメ消費が減りながら増えているのに、糖尿病の原因をコメにしているのだから不思議だ。
 日本人は米を喰わなくなった結果、病気が多発した。病気が多発しただけなく、出生率も低下し、人口減少社会に突入している。米を中心とした食生活をしていると、食品添加物など不自然な食を口にする機会が減る。日本は世界一の食品添加物大国であるから、現代の普通の食生活をしていると、食品添加物を大量に口にすることになってしまう。
 現代では発達障害の子ども達が増えているのも、米離れが一つにあるのではないかと私は考えている(発達障害はワクチンの影響がより強いという説もあり、私もその説にも同意している)。(つづく)

米を喰うとバカになる?

 日本の義務教育では給食が支給されるのだけど、この給食が日本の事情をよく表している。
 私は昭和51年生まれで、団塊ジュニアの少し下の世代になり、同級生は多く、給食の時間は賑やかだった。私が小学生の時は土曜日も授業があったが、土曜日は半日で授業が終わったから、給食は月曜から金曜までの週5日だった。その内の2日は小麦のパンで、3日はお米のごはんだった。3日のお米のごはんの日には時々(月に1~2回くらいだったか)うどんやラーメンなど小麦の麺のこともあった。そして、週5日、米だろうが麦だろうが関係なく、必ず牛乳がついた。
 わが家の子ども達が学校からもらってくるひと月の給食献立を見ると、この給食の形は令和の今でも同じように続いている。
 学校給食はそもそも、戦後の食糧難時代に米国の余剰農産物の格好の消費者として日本の子ども達が標的となった。もちろん、食糧難時代には背に腹は代えられないところはあった。しかし、戦後復興してもなお、日本の伝統食に帰ることはなく、西欧型食生活を普及しているかのような給食が日本の公立学校では続いてきた。
 太平洋戦争で日本は無条件降伏という形で戦争を終えた。この無条件降伏が今の今まで続いているような気がしてならない。米国にNOを突き付けた政治家たちが政権で活躍できない様を見ていると、日本の命運は未だ米国に握られているのではないだろうか。
 給食の牛乳だけでなく、一般家庭でも牛乳が信仰されたのは、日本の栄養学が米国の肝いりで行われたことの証左である。1954年に制定された酪農振興法も、栄養学的には牛乳や肉食の普及で体育向上を目指したのであるが、政治的には米国の飼料穀物の一大消費を確立するための法整備であった。
 戦後の日本人の食生活は官民挙げて、米から麦へ、菜食から肉食への大転換が行われた。日本の学者では「米を喰うとバカになる」とばかりの論陣を張った者まで現れた。人類の歴史の中で、これほど短期間に食生活が変わった国はない。それも、改善ではなく、改悪されたことは何を物語るのであろうか。
 減反政策もそういう観点から見ると、米国の市場拡大に即したものであった。令和の米騒動も、結局のところ、コメ価格の上昇からコメ離れが加速した。私たちは知らず知らずのうちに今もまだ伝統的な食生活から遠ざけられているのかもしれない。
 戦後の食生活の変化は日本人の体質を根本から変えてしまった。この食生活の変化の裏側には米国の思惑が大きく関わっている。鈴木猛夫著『アメリカの小麦戦略と日本人の食生活』(藤原書店)にはその詳細が述べられている。(つづく)

はじめ塾(市間寮)での半断食

 神奈川県山北町にある市間寮(はじめ塾の山の家)での半断食はもう10年以上続く夏の恒例行事である。10年以上というのは私が関わり出しでだが、その前は故田中愛子先生が玄米合宿と称して市間寮(はじめ塾)で指導されていた。愛子先生の晩年の数年間ははじめ塾で私も一緒に食養指導をさせていただき今でも深い想い出になっている。
 はじめ塾は言わずと知れた生活から生命力を高める生活寄宿塾である。思春期の子ども達が塾長夫妻(和田先生夫妻)と生活を共にし、生活の中から心身を整えている。
 はじめ塾では毎夏、山の家で合宿をしている。夏休みの最初に半断食などで体を整えて、夏の合宿が始まる。子どもたちだけでなく、大人の単独参加も受けており、老若男女の賑やかな半断食となっている。
 どんなことでも、はじめが肝心である。最初につまずくと、途中で修正するのはなかなか大変である。私は生まれた時、仮死状態で生まれているから、本当に人生の最初のはじめにつまずいて、その苦労を人一倍味わった。だからこそ、はじめが肝心ということが痛いほどわかる。
 はじめが肝心であるが、最初からつまずいたり、途中でつまずいても、やり直す方法はいくらでもある。マクロビオティックには人生を立て直す術がたくさん詰まっている。むしろ、つまづいたからこそ気づくことは多い。湯飲み茶わんをひっくり返してちゃぶ台が汚れてしまっても、そこを念入りに掃除したら、ひっくり帰る前よりもキレイになる。マクロビオティックや半断食はそういうものだと思う。
 市間寮(はじめ塾)での半断食に参加した方々からの感想を紹介する。

 半断食と聞くと、お坊さんがやっているイメージで、今まで少し抵抗があり、やってみる一歩が踏み出せませんでした。しかし、最近、アトピーを本気で治そうと思い、体の中の毒がぬければ少しは良くなるかなとおもい、参加しました。実際やってみると、お腹は減るし、すごく眠くなるけど、考えていたよりずっと大丈夫でした。
 ただ、200回も噛んでいると、途中から何を食べているのかよく分からなくなり、飲み込むのも一苦労でした。振り返ってみると、今までよく噛まずに食べていたなと思います。
 また、磯貝先生がお昼の時「アトピーで自分の体についてよく考えるようになる」とおっしゃっていて、確かに、アトピーでなければ、皮膚と腸の関係や半断食になんて目を向けなかったとおもいます。アトピーを今までのように、ただ嫌なものだと考えずに、少しは有難うと感謝できればいいなと思います。
 たった3日で変化がでたのかはわかりませんが、今回の合宿で自分のアトピーに対する考え方を変えることができたので良い経験となりました。(中三女子)

 今回の半断食合宿はとても不思議な体験をしました。去年もこの合宿に参加しましたが、その気にならなかったから、とてもお腹がすきました。でも今回、その気になってやったらとても楽しく3日間を過ごすことができました。「気がえ」をしてやったらいろんなことを楽しくやることができてよかったです。
 例えば、お粥を100回噛むことがとても楽しかったです。噛むごとにいろんな味が出てきたので、噛むことは大切だなと感じました。そして驚いたことは、とても胃が縮んだことです。3日目の昼ごはんのバイキングで、いつもだったら食べられる量のご飯が今回はお腹がいっぱいになり食べられなかったのでビックリしました。次に断食をやる時は一週間くらいしたいです。(中学生男子)

一宿一飯の継承

 「大森先生も食べるんだ!」と驚いたという。PU談義(陰陽の話し)がしたくて、アポなしで大森の自宅を訪ねたという男性が少年のような笑顔で語ってくれた。突然の来訪にもかかわらず、大森夫妻に快く受け入れてもらい、夕食までご馳走になり、さらに夜を徹してPU談義をしてくれたという。もう30年も前のことである。
 この男性は20代からマクロビオティックに熱中し、空けても暮れても陰陽思考にハマってしまった。桜沢亡き後の日本でのマクロビオティックは、大森が牽引していた。マクロビオティックの世界では大森は仙人のように崇められていた面が少なくなかった。私もその一人だったから、大森に会う前には精進潔斎しなくてはならないと考えて、私も長期の断食をしてから大森に会いに行ったのを想い出した。
 私と同じような想いをしていた男性が、大森が食事をするのを見て、思わず「大森先生も食べるんだ」と思ったという。
 そんな男性が、年を重ね、仕事をリタイアし、マクロビオティックの世界に恩返しがしたくて、私の元を訪ねてくれた。アポありで!
 一宿一飯の恩義というものは大きい!それも憧れの食養の大家ならなおさらだろう。マクロビオティックはそういった人達の想いの積み重ねではないかと思う。
 大森が亡くなって20年にもなる。桜沢が亡くなってからは60年だ。その間、どれほど多くの人たちがPU思考で人生を切り開いてきたことか!
 恩師の石田英湾も黄泉の国に行って15年になる。ある時、石田の墓参りに行って、石田家の墓石の隣を見たら、なんと数日前に私のところに食養相談に来た家の嫁さんだった。石田先生もあの世に行ってまで、マクロビオティックの普及をしてるんだ!と驚いた。
 大森の一宿一飯、徹夜のPU談義に感激した男性が訪ねて来てくれたのも、元を辿れば、先達の方々からの想いではないかと思う。
 石塚左玄が遺した食養もそうである。幕末という激動の時代に、西欧の価値観に席巻されつつある世にあって、日本の伝統的な養生法を残さなければならないという想いがマクロビオティックの根底にある。桜沢は石塚左玄を「精神的武士の最後の一人」と称したのは、江戸まで続いた自尊自立の生活法を継承した功績を讃えてのことである。
 現代の医学は患者を奴隷にしている。思考を止め、判断を鈍らせ、決断は病院の思いどおり、というのが一般的だ。医学だけの問題ではない。教育が自尊自立をないがしろにしている。
 桜沢の生き方は、自学自習、独立独歩、無位無官、というものであったと思う。桜沢はよく「専門化するな!」と多くのところで書き残している。専門家するということは、ある面において奴隷化するということでもある。
 マクロビオティックは多面的である。オシャレなマクロビオティックもあれば、そこはかとなく泥臭いマクロビオティックもある。世界を股にかけるマクロビオティックもあれば、土に根ざして土を喰らうマクロビオティックもある。所変われば品変わる、というものである。
 マクロビオティックも人から人へ伝わるものである。マクロビオティックを学ぶにはマクロビオティックで生きている人に触れることだと思う。

都市と農村

 「腸が健康の元」という考えが一般的にもかなり浸透してきた。腸内には1キロ以上もの腸内細菌が棲みついているといわれる。腸内細菌はビタミンやミネラルの合成に関わるだけでなく、様々なホルモンの生成にも大きな役割を果たしているという。さらに腸内細菌が多数棲みつく小腸の絨毛は、絨毛表面に免疫細胞と神経細胞が密集していて、腸内細菌の数は、免疫細胞と神経細胞の数に比例している。腸内細菌の数が多いほど、免疫力が高く、自律神経が安定的である。
 日本の農村とカナダの都市の人々の腸内細菌叢の数を比べた研究がある。ほとんどの細菌がカナダの都市の人々よりも日本の農村に住む人々の方が多いという。都市と農村の生活環境の違い、食べ物の違いとはどんなものだろうか。
 まずは土に触れる頻度や割合は農村の方が多いだろう。土壌細菌と腸内細菌は連動しているようだから、土に触れる機会が多いほどに腸内細菌は活性化するようだ。さらに水の質も大きな影響がある。日本を含めた多くの先進国は水道が普及している。水道水は塩素殺菌が常だが、下流に行けば行くほど塩素殺菌は強力になる。この塩素殺菌された水道水をそのまま飲むと腸内細菌まで減菌、滅菌させられてしまう。
 土に多く触れ、塩素殺菌されていない水を飲んだり料理に使うことは腸を元気する大事な生活だ。都市生活で毎日、土に触れることはなかなか難しい。休みの日にはなるべく土に触れたり、連休の取れる時には田舎に行って土に触れることは実はもの凄く大事なことだと思う。自然豊かな海や山に行ってキャンプすることもいいだろう。風土というように、土壌細菌は風によって各地を舞っているから、自然豊かな土地に行ってそこの空気を吸うだけでもいい。和道でも田植えや稲刈り、田んぼの草とりなど土に直接触れる体験学習もやっている。
 そして、何より食べ物だろう。自然食ブームはもちろん都市から発生している。自然から離れた食と生活をしている人々の本能が食を自然なものへと向かわせたのだ。食が自然であるかどうかは、食物が多様な細菌を有しているかどうか。発酵食品はその代表だ。
 ある細菌学者は、日本人の腸内細菌が弱くなった大きな理由に冷蔵庫の普及を第一に挙げていた。冷蔵庫の普及で発酵食品を食べる頻度が減ったことと、どんな食品も冷蔵庫に入れることから、食品に付着する細菌が活力を失ってしまったのだ。日本は四季折々、寒暖差のある環境(風土)だ。夏は湿度が高く、温暖で、細菌には最高の環境だ。世界で一番多い腸内細菌を有していたといわれたのが昔の日本人。日本人は日本の風土に合った食と生活をしていれば、もの凄い生命力が宿るのだ。
 しかし、どこでどう間違ったのか?これも宇宙の計らいなのか?
 いやいや戦後のある国からの戦略が大きいのだが、今の日本人は本来の生命力が影を潜めている。その反動として現代では多くの病気が発生している。病は健康を取り戻そうという命の本能だ。命の本能に逆らわず、病は生命力を高める有難いものと考え、生命力を高める食と生活に励むことが、自らの健康だけでなく、日本や世界の平和につながることである。

鼻タレ小僧とワクチン

 鼻タレ小僧が少なくなったような氣がする。昔は冬になると子供は鼻水を垂らしているのが当たり前だったように思う。
 その昔、私が幼少の頃から成人する頃まで、わが家は自然養鶏をしていた。いわゆる平飼いのニワトリから有精卵をいただき生計を立てていた。養鶏はニューキャッスル病、コクシジウムといった病気に感染する可能性が高いので、雛のうちにワクチン投与されるのが一般的だという。この2種類のワクチンだけは「打たないと養鶏できない」とさえ言われている。
 そんな中で父は一切のワクチンを接種させずに自然養鶏をしていた。そして、父の友人で同じく自然卵養鶏を実践する高橋丈夫さんもこれらのワクチンを打たずに今まで病気で鶏が大量死することなく長年養鶏を続けていた。
 ところがある日、地元の保健所の人がやってきて、抗体検査をするとのことで、何羽かの鶏から血液サンプルを採取して持ち帰った。丈夫さんは、ワクチンを打っていないことがバレて、保健所から指導を受け、ついに無投薬の自然卵養鶏に終止符を打たなければならない、そうなる覚悟をしたという。
 しかし、後日保健所から連絡があり、検査結果はすべて良好だったという。驚くことに、無投薬で育った鶏がそれらの病気の抗体を獲得していたのだ。さまざまな菌に触れることによって、細菌やウイルスとの調和が計られていたのだ。
 十年以上前、鹿児島県出水のナベヅル・マナヅル越冬地で強毒性鳥インフルエンザが発生した。1万3000羽のツルの中で感染が確認されたのは6羽のみ。一方、養鶏場の鶏は300羽以上が死亡し、数羽の感染確認をした後にむごいことにもすべて殺処分されてしまった。
 野鳥と養鶏を比べると、あきらかに感染の広がりとスピードが違う。ツルたちと鶏では、鳥同士の距離や移動可能な面積など、条件は違うが、自然の中でさまざまな菌に触れ、自然なエサを食べてきたツルと、無菌に近い状態で無菌に近いエサを食べてきた鶏とに、免疫力の違いがあるのは明らかである。
 鼻タレ小僧の鼻水は体のなかで細菌やウイルスが活発に動き回った後の残り物である。鼻タレ小僧だけでなく、花粉症の鼻水も同じである。
 日本はかつて麻疹(はしか)の輸出国であるといわれ、欧米の先進諸国から非難を浴びていた。それが今は輸入国に転じ、フィリピンや中国、タイなどアジア諸国から麻疹(はしか)が輸入されているといわれる。はしかの輸出入とは感染の源と経路のこと。はしかの輸出国と烙印を押された国々では「公衆衛生の向上」などと銘打って、国を挙げてワクチン接種が盛んになる。かつて日本も半強制的に様々なワクチン接種がなされていて、今はすべてのワクチンが任意であるが、様々な圧力からワクチン接種が推奨されている。統計上で調べたわけではないが、ワクチン接種の増加に反比例するように鼻タレ小僧は減少しているはずだ。鼻タレ小僧に代わって今は、花粉症などのアレルギー症状が多発している。
 そもそも麻疹(はしか)は、両親を含めご先祖様から良くもわるくも全てひっくるめて頂いた遺伝子の清掃反応である。大森英桜は麻疹(はしか)について「妊娠中も授乳中も100%動物食だろ。その排毒をはしかがしてくれてるんだよ。ありがたいよな」とよく言っていた。
 ところが今、ありがたいはずのはしか、いや麻疹だけでなく毎年排毒を促してくれるような風邪(インフルエンザ)でさえも悪(あく)とみなしてワクチン接種が勧められている。私たちは例外なく皆、母親の胎内という無菌状態の中で育まれてきた。そして、産道という「この世への道」を通ってさまざまな菌がいる世界に産まれ落とされる。産まれ落とされた赤ちゃんはこの世のさまざまな菌と調和することが生きるうえでもっとも大事なことなのだ。鼻タレ小僧の流す鼻水は「今ボクはこの世と一生懸命、調和に励んでいます」というお知らせなのだ。汗は労働の結晶といわれるが、鼻水は生存の結晶と呼んでよい。
 父が自然養鶏に終止符を打ったのは30年ほど前になる。父の油断からだった。学校給食で残ったごはんとコッペパンを鶏のエサに使わないかと給食センターから連絡があり、無料でもらえるものだから、ごはんとコッペパンくらいだから大丈夫だろうと考え、引き受けてしまった。
 そうしたら1年も経たないうちに、法定伝染病であるニューカッスル病に罹ってしまった。この感染症に罹るとすべての鶏は殺処分になる。かわいそうなことをした。わが家も火の車になったが、鶏の無念に比べたらなんて事はない。そんな経験があったから、学校給食がいかに免疫力を落とすものかというのを痛感した。
 今もまだ、様々なワクチンが子どもにも大人にも接種されている。現代は食や生活で免疫力を下げておきながら、ワクチンで予防するという。本末転倒的な教育がされている。不登校の子ども達はそんな教育に声なきNOを突き付けているのではないかと思う。もうこれ以上、鼻タレ小僧を減らすわけにはいかない。

令和8年(2026)の抱負

 ここ数年、年の初めは台湾での半断食合宿から始まることが恒例になってきた。すっかり台湾の人達と交流が深まっている。年に2回私が台湾に行き半断食合宿と講演会を行い、また年に2回台湾の人達が日本に来て、和道で半断食合宿をしている。台湾の人達も半断食による体質改善を大いに実感している。
 台湾で正食食養協会(マクロビオティックの団体)が発足し、これから食養の普及が本格化する。台湾で食養を普及するメンバーの中心は30代とまだ若く、これから本当に楽しみだ。
 昨年秋には、ヨーロッパの人たちとも交流があった。同志の永井邑なかさんの計らいで、ヨーロッパの人たち向けに私の集中講義を日本で企画してくれた。そこにもやはり若い人たちが参加してくれた。
 どんな世界でも黎明期には若い人たちが活躍している。私も自分では若いと思っていたが、気づけば今年は50才。初老をすっかり超えて、次世代を援護射撃する年代になりつつある。
 いつでも、どこでも、だれでも、マクロビオティックは実践できる。セレブでないと実践できないなんてものはマクロビオティックじゃない。むしろ、冷や飯にさえもありつけない、そんな境遇こそがマクロビオティックで運命を開く条件を与えてくれている。
 マクロビオティックが新しい時代に、新たな黎明期が到来しているのではないかと予感される。日本でも意気のある若い人たちが出てきている。マクロビオティックは絶望を希望に変えるものである。絶望の多い社会になればなるほど、マクロビオティックは光り輝く。
 
 巷でも大きな騒動になったコメ問題はどこに行きつくのだろうか。
 一年で米価格が倍ほどになったのは、消費者の懐は痛くなったが、コメ生産者には一筋の光が見えた人もいるのではないかと思う。かく言うわが家もコメ生産者の端くれであるから、お米を直接販売することができれば、お米で食っていける(当たり前のことなのだけど)という状況ができるのではないかと思わなくもない。
 しかし、事の重大さはもっと大きなところにある。
 現在、日本人のコメ消費量は一人年間約50キロ(私の世間の実感としてそんなに食べてないのではないかと思っている)。60年前の昭和30年代は一人年間約120キロ食べていたから、半分以下に落ち込んでいる。
 米国のマクガバン報告(1977年に公表された米国の食事目標)では、理想的な食生活は1960年以前(昭和30年代以前)の日本の食生活だと言っている。私も食養指導をしてきて、現代の人たちがコメの食べる量を増やすだけで多くの問題が解決することを数多く目の当たりにしている。コメの量が増えれば、パンや麺や菓子類が減る。おかずも減る。脂肪や砂糖類、食品添加物も減る。これだけでかなり健康的になる。コメを中心に食べていると、体が安定する。
 江戸時代までは一人が一年間に必要とするコメの量を一石(こく)といっていた。加賀百万石というのは加賀地方では百万人養うことができるくらいの米生産量があった。一石は約150キロだから、江戸時代までの人たちがいかにコメを沢山食べていたか。重労働の時代というのもあるが、私たちはいかにコメを食べなくなり、本当の意味での力を無くしてしまっているのではないかと思う。
 時の政府次第でコメは増産か減産(調整)かと舵取りが変わるが、日本人の健康を考えると、増産以外に選択肢はないと思う。
 師の石田英湾は「お米を食べよう運動」と銘打って、お米の大切さを事あるごとに伝えていた。コメは主食なわけだから、主として食べることは、食事の大半がコメであるのが自然である。
 令和の米騒動をきっかけに日本人本来の食である「米を中心とした食生活」に回帰していきたいと切に願う。

 私の両親も70代後半にさしかかり、流石の食養実践でも、老いを感じるようになってきた。
 両親と私で1ヘクタールほどの田んぼで自然栽培の米づくりをしている。この田んぼの草とりがもの凄い修行になる。とはいえ、80才に近づく老いた両親には過酷すぎる。昨年から、草とり合宿と称して、和道の仲間に草とり応援をお願いした。これがまた本当に助かった。和道のみなさんが入れ替わり立ち替わり田んぼに入って草取りをしてくれたおかげで、おいしいおコメが収穫できた。
 今年も田植え後の6月中旬から7月いっぱいくらいまで田んぼの草とりに注力したいと思う。また今年も草とり合宿に参加していただけることを切に願っている。

 和道をはじめて今年で丸12年。食養合宿も160回を超える。その間、多くの人たちが半断食を体験してくれた。
 半断食はごく少量の玄米粥を徹底して噛むことからはじめて、その人の体の反応に応じて回復食をしていく。体の反応が陰性であれば陽性な食で回復していき、体の反応が陽性であれば陰性な食で回復していく。
 ある夏の食養合宿で、陰性な反応があらわれた人がいた。その人は回復食で味噌を中心とした食で体が整っていった。みそ汁、みそおじや、海藻や根菜の味噌煮などで体が整った。ところが、次の年の春、その人がまた和道の半断食に参加した時、排毒反応が夏の時とはまったく違い、陽性な反応が出たのだ。味噌をまったく受けつけず、他の塩気も受け付けない。そして、その人は塩断ち(無塩食)を好み、回復食は塩断ち食で体を整えた。
 同じ人であっても、半断食をする時の体調、季節、溶け出しやすい毒素の如何によって体の反応が違う。
 世界が丸ごと市場化された社会にあって、世界中のものが一国で食べられるという不自然な社会では、私たちの体は極陰極陽を体現してしまう。現代社会は体の中に不自然な陰陽を抱え込んでいる人がいかに多いか。
 そういった体に抱え込まれた不自然な極陰極陽を半断食によって整える。その結果としてあらわれた陰陽の反応は体の自然性である。
 今年もまた食養合宿(半断食)を通して、体と心をじっくり見つめていきたいと思う。

 昨年は食養合宿の中で柱になっている生姜シップを施術として始める人が出てきた。それも同時多発的に何人も出てきた。
 生姜シップを一度体験した人はよくわかるが、本当に気持ちいい。自然治癒力を高める要素に「おいしい、心地いい、気持ちいい」というものがあるが、生姜シップは体を芯から温めて、極楽を実感する。この生姜シップを定期的に体験することは治療につながると私は確信している。そして、生姜シップを力強く後押ししてくれる「ぎゅっと君」の存在が大きい。ぎゅっと君がなければ施術にはならなかっただろうと思う。ぎゅっと君のお陰で徹底的に体を温められ、それを継続することができる。
 ぎゅっと君を活用して生姜シップの施術をしてくれる人が増えてきた。私ひとりでは対応しきれなかったのが、生姜シップ仲間が出てきてくれたことで一人でも多くの人に食養療法が伝わるようになっていくのではないかと予感している。

 昨年は世界中の仲間との縁が深まった年であった。台湾、南米、ヨーロッパの人たちと交流が深まった。日本では和道で探求してきた食養療法が外に出て活躍する年になった。これらすべて、マクロビオティックの同志と妻のお陰である。私はただただ、今までの歩みをコツコツ歩んでいくだけ。その歩みの中に、多くの人が関わってくれることは本当にありがたいことである。
 今年は、今までの自分の歩みを、仲間にもっともっと公開していこうと思う。和道の内外で食養指導の実際をみんなに触れてもらいたいと思う。食と手当て、運動と呼吸で多くの問題が解決されることを知ってほしいと思う。そして、「それでもダメならそれが自然」という覚悟を身につけてもらいたい。
 農的暮らしを通して自然な生き方を深めつつ、無尽蔵な創造力を仲間と分かち合うそんな年にしたいと祈っている。

 時の流れは速いもので、わが家の6人の子ども達も3人が成人した。今年の春は、真ん中の子ども達がそれぞれ小中高を卒業し、そしてまた次の代に入学する。子ども達はそれぞれによく努めている。
 「このご時世に6人の子育ては本当に大変ですね」とよく言われるが、子どもと一緒に生活することは本当に楽しい。子どもこそ創造力の源泉だと思う。自分の人生を振り返ると子どもとの関りほど楽しかったものはない。
 子育てを通して、わが家では「はじめ塾」は大きな柱になっている。はじめ塾から学ばせていただいていることは計り知れない。子ども達だけでなく、むしろ私たち大人の方が大きな学びになっている。はじめ塾は現代の希望ではないかと思う。
 はじめ塾の歴代の塾長夫妻は本当に陰陽が整っていた。今の塾長夫妻の陰陽も驚くほど陰陽が整っている。中心の陰陽が整うことが、いかに素晴らしいことか。はじめ塾で多くの子ども達が伸び伸びと育って行っている中心に塾長夫妻の陰陽調和がある。
 食養指導を通して感じることは、病というものは目立つものである一方、健康というのは地味で目立たないことである。極陰極陽というものは目立つのだけど、陰陽の調和したものは目立つものではない。中庸というのは実は地味なことである。中庸というのは平凡なことであるのかもしれない。平凡な中にこそ本当の幸せがるような気がする。

マクロビオティック運動

 マクロビオティックの普及活動を「玄米運動!」と大森英桜はよく言っていた。白米、白パン、白人崇拝の戦後にあらがい、玄米という、蒔けば芽が出る「ホンモノの食」の普及に大森は命をかけていた。日本で生まれた玄米運動というマクロビオティック活動は桜沢如一が世界に普及し、その情熱に感化されながら日本でもマクロビオティックが深化し、普及されてきた。
 マクロビオティックの活動をぐるりと見渡してみると、その基本となるものに自然農法の普及がある。「食なきところに生命活動なし」「食は神なり」と桜沢如一はいった。近代化された農業から作られる野菜は野菜(野性的な菜)ではなく、畑菜と桜沢はいったけれど、野性的な生命力を宿すような野菜作りを追求してきたのが自然農法ではないかと思う。
 この自然農法の普及に大きな力を発揮したのが、世界救世教の岡田茂吉であり、無為自然をいった福岡正信である。彼らの提唱する自然観は、桜沢如一の宇宙観(宇宙の秩序)が基本になっているのではないかとさえ感じられる。
 マクロビオティックの普及活動の根底に、自然観・宇宙観が共通する同志に支えられてきたという現実がある。
 そして、桜沢亡き後のマクロビオティック活動で最も敬意を払わなければならないのは、桜沢リマ夫人であるだろう。マクロビオティックを長寿法という一面を遺してくれたのがリマ夫人である。リマ夫人の100才の生誕祭には世界各国から多くの方々が祝辞に来られた。そして、リマ夫人の遺したリマ・クッキングスクール(現在のマクロビオティック・クッキングスクール・リマ)は「玄米運動」の根幹である玄米の炊き方から、マクロビオティック料理の調理法を進化させながら普及している。
 マクロビオティックに出会う人たちの多くが病気治しからという面は多い。かくいう私も、私の家族も、病弱であったお陰でマクロビオティックに出会った。食養の系譜という資料があるけれど、石塚左玄からはじまる食養指導家の方々は大なり小なり自身の病弱さを食養によって回復された方が多い。
 戦後の日本、殊に桜沢如一なき日本(1966年以降)のマクロビオティック活動のトップランナーは大森英桜ではないかと思う。桜沢の宇宙観を深化させ、食養指導を進化させた。大森の食養指導は陰陽無双原理を臨機応変に活用し、どんな病気に人にも対応できる「五つの体質論」を確立させた。さらに、桜沢の提唱した七号食(ナンバーセブン)を病気別に応用したのも大森の特徴ではないかと思う。
 桜沢は生前からクラックス(無双原理問題集)という問題で、後輩たちを刺激し続けてきた。晩年、マクロビオティックを活用したエネルギー、農業、医学の各方面での進化を後世への遺言としている。その医学の面において進化させたのが大森である。大森を名誉会長にして発足したのが宇宙法則研究会(1995~2016)であった。
 私は1996年から宇宙法則研究会(略して宇宙研)の活動に参加した。大森の妻の一慧(1933~)石田英湾(1936~2010)、国清拡史(1947~)、伊藤誠(1944~2023)、鈴木英鷹(1957~2012)らが大森英桜を囲んで発足した会であった。
 宇宙研での活動は、まさにマクロビオティックを医学の面で大きく発展させた。講師陣総勢で取り組んだ半断食(七号食の応用を含めて)の中から無塩食(後に塩断ち)が生まれた。
 古今東西あらゆる医学に陰陽両面があるように、命に向き合う医学は危険も伴う。七号食(桜沢は七号食を断食という)や塩断ち(一時的な無塩食)も取り組む人の体調をよく観察しながら実践することが大事である。登山と同様、断食も塩断ちも登りがあれば下りがある。断食も塩断ちも終わると旺盛な食欲が出てくるようでなければならない。食欲は生命力だから、旺盛な食欲が出てくるような断食や塩断ちを実践することである。
 食養指導を通して、中庸というものがいかに大切であるかということを思い知らされる。桜沢は「嫌いな人に出会ったことがない」というが、これがまさに中庸ではないかと思う。「中庸に好き嫌いなし」
 桜沢の著書の中からはほとんど「中庸」という言葉はみつからない。ほとんどというのは、私は桜沢の著作を完全に覚えていないので、もしかしたらどこかに中庸という言葉があったような気もする。
 しかし、桜沢のいう健康の七大条件も、判断力の七段階の最高判断力も、自由で健康で平和な生き方は、陰陽の偏りなく、それでいて陰陽を大きく孕んだ中庸な状態ではないかと思う。サトリというのも中庸ではないかと思う。
 この中庸に至る道がマクロビオティックの食と生活ではないかと思う。
 桜沢如一にはリマ夫人をはじめ、多くの弟子がいた。米国やヨーロッパで活躍した久司道夫、南米で活躍した菊池富美男、日本で活躍した大森英桜、他にも数多くの弟子たちが食養指導を通してマクロビオティックを普及した。
 私は大森英桜の最後の弟子にあたるのだけど、師の大森の活動をまじかで見ながら、自分の活動の至らなさを痛感する。桜沢は「キリストの教えは2000年、釈迦の教えは2600年、空海も法然も親鸞も千数百年教えが続いているが、マクロビオティックはさて何年続くか」というようなことを書き残している。
 私も食養指導を通してマクロビオティックを細々と継承しているのだけど、この食養指導を後世に残さなければならないと思う。マクロビオティックや陰陽無双原理は実用弁証法である。弁証と実用も陰陽であり、この陰陽が調和してはじめて後世に残るものであると思う。この実用ということが食であると思う。
 病気は宇宙の秩序、自然の摂理の発現そのものであるから、自然に沿うことで病が快癒されるその術がマクロビオティックの食であり生活である。私はマクロビオティックの世界に関わり30年、食養指導25年、1万人以上の方々に食養指導で関わってきた。大森の遺した「五つの体質論」が私の食養指導の基礎になっている。「五つの体質論」を活用すれば(複合型など、細かく見るともっと多くのパターンになるのだが)、どんな病気にも対応できる。この経験を次の世代に残していきたいと思う。
 大森は「たった一人でいい。たった一人無双原理を理解する人が残れば、繋がっていく」といった。ダレもがそんなたった一人であれば、一粒万倍、マクロビオティックは残り、そして広がっていくだろう。

 

心と体の陰陽

 心と体は陰陽の関係だと思う。前回のブログで書いたように、心は陰性の力(冷、苦、煩、閑)によって鍛えられ、体は陽性な力(熱、重、動、忙)によって鍛えられる。
 しかし、多くの世界の人たちを見ていると、体を鍛えることが心を鍛え、心を鍛えることが体を鍛えている、という現象がある。
 昔から心身一如とか物心一如、文武両道などといわれる。心と体は相反するものでありながら、根は同一なるものであることを古人は感じていた証拠ではないかと思う。現に私たちの心の状態は肉体の状態にいかに同調していることか。大リーグで二刀流の活躍をしている大谷翔平は、ある記者から尋ねられたという。専属通訳から莫大な詐欺被害に遭い、精神的に参っている時であった。「大谷選手、今シーズンはメンタル的に大変だと思うのですが、どのように乗り切っていこうと考えていますか?」大谷はそれに対して「メンタルは基本的には無いと思っています。メンタルも体次第で、体の調子が良ければ問題ないと思っています」と答えたという。どの世界でも一流を極めた人たちは、心身一如を体現している。
 近年、腸は第二の脳と呼ばれ、腸内環境が脳に決定的な影響を与えていることがわかっている。
 マクロビオティックを実践すると、心と体は切っても切り離せないものだと実におもしろいように体感する。食べた物によって、体は陰に陽に変化するが、心も同じように陰に陽に変化する。
 果物や砂糖の入ったものを食べたら、鼻水が垂れてくるのはマクロビオティックを実践している人は顕著だ。心も湿って、ウジウジと煮え切らず、大事な決断をしなければならない時には、陰性食は要注意である。
 一方で、動物性の肉や卵を食べたら、体と心は極陽性になる。体にはコリや炎症などが起こり、心ではイライラしたり、他者を支配したくなったりする。
 心と体の陰陽を調和させるのに最も簡単な方法が中庸な食べ物を中心に食べることである。それが穀物である。穀物を表す禾(のぎ)に口(くち)と書いて和。私たちは穀物を食べることで自分の内側も外側も和んだ世界を創り出すことができる。東洋の端にある日本ではその穀物がお米(コメ)である。
 では、その穀物を安定的に生み出すにはどのようなことが必要なのであろうか?
 米作りをしていると何が大事であるかはスグにわかる。体力である。体に力が無ければ米作りはできない。とはいえ、自分一人の力では米作りはできない。周りの仲間と協力して田んぼに水を引かなければならない。我田引水では米作りはできない。
 ここにも陰陽がある。自分の体を鍛えることと、周りの人たちと協力していくこと、これも陰陽の調和ではないかと思う。
 桜沢如一は健脚でも知られていたようだ。強靭な精神力は強靭な足腰に宿るように思う。空海も法然も親鸞も、みな健脚だったようだ。キリストだって世界津々浦々を足で巡って健脚だったといわれる。足腰を鍛えることはこの地球の大地に根を降ろすことであり、結果として花を咲かせることなのではないかと思う。
 今、私たちは先人の歩いてきた道にあまりにも安々と乗ってしまっているのではないかと思う。私たちも先人が氣づいた体と心の一体性を足掛かりに生きるとすれば、足腰を鍛えて根を張り巡らさねばならない。今しっかりと根を張らずして10年後、20年後に花を咲かせるなんてことはできるはずがない。
 心身の病気においてもまったく同じことが言える。みずからの足で、みずからの手で病気を治していかなくては、一体ダレが治してくれるというのか?ダレもあなたの代わりに歩くことはできない。ダレもあなたに代わって病を治すことはできない。心身の健康と自由は自らだけが確立する術をもっている。
 コメ不足になりつつある社会にあって、今私たちは生き方を見直す最後の局面に来ているような氣がする。

体力と精神力

 ある時、大森英桜を知る人から一本の電話があった。
 「大森先生の精神力はすごかった。日本のガンジー、現代のガンジーという風だったね」という。私もその言葉に妙に納得し、大森先生の精神力にひととき想いを馳せた。
 電話越しに言われた精神力について、私は電話を切った後も頭から離れず、「精神力とは一体何なのか?」を考えた。
 精神は肉体や物質の対語であるが、肉体の力が体力であるのに対して精神の力は知力といえるのか。
 知力も精神力のひとつではあるが、すべてではないような氣がする。知識があることと精神が研ぎ澄まされていることは違う。精神というものは、もっともっと大きく不変なチカラを想起させる。
 私たちには知識の有無にかかわらず意志の力がある。思い描いたことを実現する実行力を伴った意志。意志の力は知識よりも精神に近づいているような氣がする。意志こそ精神の大きな発現であるような氣がするが、精神はもっともっと大きく広いものを含んでいるのではないか。
 オリンピックの花形競技に100m走がある。100mを如何に速く走ることができるかを競う。まさに肉体の極限を競う代表的な競技である。一方、100m走と並ぶ花形競技に42.195kmを如何に速く走り切るかを競うマラソンがある。長距離走の極限がマラソンであり、短距離走の極限が100m走である。
 これらの競技を見ていると、マラソン選手と100m走選手の体格の違いに大きな対比があり、おもしろい。スリムで締まった体つきのマラソン選手に対して筋肉隆々で大きな体をした100m走選手。持久力を競うマラソンに対して瞬発力を競う100m走。前者が陰で後者が陽という見方もできる。
 マラソン選手と100m走選手を比べれば陰陽となるが、マラソンよりも倍以上長い100kmを競う選手はマラソン選手よりもずっと陰性でなくてはならないのではないかと思う。100kmよりももっと長い距離、そんな競技はないかもしれないが、何万キロを走ったり歩いたりする競技があれば、その選手はもっともっと陰性でなくてはならないだろう。
 時間がかかればかかるだけ、その時間を持久する力こそが陰性の力である。早く走ったり歩いたりすることから、気の長くなるような道のりをゆっくりと歩むことはさらに陰性力が増さなければ続けることはできない。肉体の陽性に対して精神の陰性である。100mを如何に速く走ることは陽性の肉体の発現であり、何年も何十年もいや何百年も何千年もひとつのことをコツコツと続けてゆくことは陰性の精神の発現ではないだろうか。
 肉体を鍛えるには走ったり、重いものを持ったり、筋肉や骨に負荷をかけると肉体は強くなる。
 一方、心を鍛えるには物理的に陽性な刺激だけでなく精神的に陰性な環境に身を置くことが大事のようだ。
 ひとは閑に耐えることこそ辛く、難しいといわれる。冷、苦、煩、閑に耐えることは辛く悲しいことである。冷、苦、煩、閑は心身から見るとひじょうに陰性な状態である。この陰性な環境こそが陰性な精神を研ぎ澄ませるのだろう。肉体は陽性な負荷によって筋肉細胞が大きくなってゆくのに対して、精神は冷・苦・煩・閑の陰性な負荷によって、心の軸を一点に集中させることができる。
 肉体の陽と精神の陰が調和してはじめてヒトとなる。心身の陰陽が調和すれば、陰性な持続力と陽性な行動力が湧き起こって、思い描いたことが実現されてゆく。心身の陰陽の調和は、食物の陰陽調和を基本としている。陰陽さまざまな力は「血から」生まれている。そして、私たちの血液は食物から生まれる。陰陽が調和した食物こそが、心身の調和をもたらす。