コメと判断力

 江戸時代から比べると現代人のコメの消費量は約1/3ほどに減ってきていることが統計からわかるのですが、このことは単に食生活が変化したという一言では済まされない大きな問題を孕んでいるのです。それは、下の図で示すように、咀嚼回数が減ることで判断力が鈍くなることをマウスとラットの研究からわかっているのです。
 人間においても柔らかいものばかりを食べていると咀嚼回数が少なくなり、脳への刺激が少なく、脳の神経細胞の発達が鈍くなるのではないかと思うのです。
 精米技術が発達したのは元禄時代(西暦1700年前後)の江戸といわれます。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代に江戸の中心では精米技術が発達したことで玄米から白米に変わっていったといいます。とはいえ、現代ほどの精米技術はなく、白米といっても実際は現代でいう分搗き米(五分搗き位ではないかといわれています)を食べていたといいます。
 「江戸わずらい」と呼ばれる脚気が流行りだしのは江戸の中心部からでした。江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調が悪くなることが多くなったのが元禄時代なのです。そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことから、この病を「江戸わずらい」といったのです。地方(故郷)では玄米食が中心だったのです。
 江戸の中心では白米(分搗き米)であっても、全国的には玄米か少しだけ精白した一分搗き米を食べていたようです。コメが十分とれない地域ではコメに雑穀を混ぜて食べていたといわれます。江戸時代は日本人全体がいわゆる茶色い飯を食べていたのです。精米技術の発達が全国に及び、白米が食べられるようになったのは明治になってからといわれます。それでも、貧しい地域では白米にしたら多くの糠を捨ててしまうことから、戦後の高度経済成長期くらいまで茶色っぽい飯を食べていたのが現実なのです。
 江戸時代までは年間一人一石(約160キロ)の玄米を食べていたということは、ものすごい咀嚼回数だったと想像できます。現代ではその主食が白米になり、さらにコメの消費量は1/3に減り、コメの代わりに小麦の麺やパン(やわらかい)になりましたから、その咀嚼回数たるや、江戸時代からは激減したことは想像に難しくありません。そんな現代人の判断力はどんなものでしょうか?
 民主主義とはいっても、その民たる私たちがしっかりとした判断力を持っていなければ、政治は本来の働きをしないのではないかと思うのです。

コメ一粒からみえる景色

 日本人にとってのコメは単なる食糧ではなく、命そのものだと私は感じています。明治生まれの曾祖母が「コメ一粒を大事にしなければ罰があたる」と言ったのは、「命を大事にしなさい」という戒めだったと思うのです。それを私は、多くの病気の人をみてきて、コメ一粒を大事にすることがいかに大事かということを気づかせていただきました。コメ一粒への私たちの姿勢が、自分の病気だけでなく、子々孫々へ影響しているのです。不思議なことですが、本当のことだと思います。
 日本人にとってのコメは中庸を代表する食物ではないかと食養(マクロビオティック)では考えています。お米を中心に食べていると陰にも陽にも偏らず、中庸を維持することがとても安易だと思うのです。栄養学的にもコメは、穀物の中では飛びぬけて、必須アミノ酸やビタミン・ミネラルが豊富です。実際に食養指導を通して、コメを中心に食べていると心身ともに安定するのですが、コメが少なくなったり、コメを食べない食事を長く続けていると心身の問題が大きくなってくるのを数多く目の当たりにしています。
 前回のブログで、コメ一粒を大事できない人や家族に難病・奇病が多いということを書きましたが、体が陰陽どちらからに大きく偏ってくるとおコメが入りづらくなるのです。おコメをおいしく食べられるということは中庸な体であるのですが、陰陽どちらかに偏ってくるとおコメがおいしくなくなってくるのです。陰に偏ってくると陽のものがおいしくなり、陽に偏ると陰のものがおいしくなるのです。中庸は陰陽両方を孕む、という点もありますから、おコメは中庸なので、陰陽どちらかに偏ってもそれなりにおコメは食べられるのですが、それでもおコメばかり食べて満足するということにはなりません。その結果、おコメは少量になり、おかずが多くなるのです。これは現代人の少なくない人たちがそのような食生活になってしまっているのです。
 食養では昔から、ご飯三箸にお菜(おかず)一箸、と言って、お米を中心に食べることを基本としていました。おコメが三に対しておかずが一です。昔の日本では一汁一菜が日々の食事の基本であったのです。これだけみると何とも貧しい時代だと感じるかもしれませんが、この食事で日本人は永続的に健康を保ってきたのです。現代のように多発する病気はほとんどなかったのです。
 このコメ中心の食生活は第二次世界大戦前まで続いていましたが、思想信念をもって続けてきたのは幕末までです。明治維新以降は、西洋的な思想が大きくなって、コメの代わりに肉食が少しずつ増えてきました。おコメは食糧としても安定的に収穫できるだけでなく、栄養学的にも生理学的にも心身の安定を保つのに最も優れた食べ物です。ですから、おコメを中心に食べる民族は短兵急に変化することはなく、その変化もゆっくりとしているのです。日本人の気質として、急激な変化を好まず、ゆるやかな変化を好むというのは、おコメを食べてきた民族の特徴といえるのです。
 このおコメの消費量が戦後ものすごい勢いで減ってきているのです。戦後直後から比べると現代は一人換算で約1/2にまで減ってきているようです。戦後直後は一人年間120キロ近く食べていたようですが、現代はそれが50キロほどです。その昔、おコメの単位で一石というのがありましたが、一石というのは一人が一年間食べていける量を指したといいます。一石は一升ますが百ですから、百升ということになります。一升は現代では1.6キロくらいですから、一石は約160キロになります。江戸時代までは一年間一人160キロくらいのコメを食べていたのです。現代人は江戸人と比べると1/3ほどしかおコメを食べていないのです。その代わりに陽性な肉・乳製品・卵などの動物性がものすごい増えて、その反動で砂糖や人工甘味料・果物などの陰性食品も激増したのです。

コメ一粒

 小さい頃、明治生まれの曾祖母と一緒にいることが多かったのですが、その曾祖母がしばしば、食事の後のご飯茶碗に一粒でもご飯粒が残っていると「罰が当たる」と言って、キツク注意されたことをよく覚えています。子どもながらにどんな罰が当たるのだろうかと思っていました。それが食養指導をやってきて、多くの人をみさせていただくなかで、コメ一粒の罰というものがどんなものなのか、わかるようになってきたのです。
 私の道場(和道)では毎月、断食合宿をしていますが、その合間に泊まり込みの食養個別指導をしています。個別指導に来られる人たちは、合宿についていけない人がほとんどですから、比較的病気の重い人が多いのです。歩くのがままならい人、付き添いの人がいないと動けない人も多く来られます。寝たきり完全介護の方は移動が難しいですから、今のところ和道にはご縁はないのですが、国が難病指定している病気をいくつも抱えていたり、病名もつかない難病奇病の人も来られます。
 これらの人たちをみていて共通するのが、食事の後のご飯茶碗をみると、コメ一粒どころでなく、沢山の食べ残しがあるのです。手指の動きがわるくて食べられない、という人もいるのですが、ほとんどの人が注意をすれば全部食べられるようになりますから、食べ残しが普段の習慣になってしまっているのです。子どもの病気で親や祖父母が付き添いで来られる方もいますが、その親や祖父母も食べ残しが習慣化している人も多いのです。病気の本人だけでなく、その親や祖父母にも食べ残しが多いのです。無意識のうちに食べ残し、平気で捨ててしまっているのです。
 そのような家庭で育ってくると、コメ一粒までキレイに食べるという習慣の方がむしろ奇異に感じられると言っている人もいました。
 コメ一粒まで大事にするという習慣のない人たちや、その子孫に難病・奇病が多いという傾向があるのに気づいてから、私はいろいろと考えました。その結論のひとつが、コメ一粒まで大事にできない人たちは、「本当の空腹」を知らないのです。それほどお腹が空かずとも、時間が来たら食べる、という感じなのです。飢えを知らないのです。食べ物のありがたさを知らないのです。
 オートファジー(自食細胞)理論では、細胞が飢えると古くなった自分の細胞の一部を食べて、新しいキレイな細胞に作り変えるといいます。コメ一粒まで大事にできない人たちはこのオートファジーの力が弱いと思うのです。だから、古くなった細胞が積み重なって、難病奇病を引き起こしていたのではないかと思うのです。
 昔の人はオートファジー理論は知らずとも、経験的、直感的に「コメ一粒」を大事にすることで子々孫々の健康を願っていたのではないでしょうか。
 一事が万事といいますが、コメ一粒を大事にすることは、命そのものを大事にすることに繋がると思うのです。大和言葉ではコメは込命(コメ)、命が凝縮して込められている状態をさします。コメは命そのものなのです。その命を軽視し、ないがしろにしていると、病気というものが与えられて、気づきを促しているのではないかと思うのです。
 病気は気づきです。生き方転換の気づきが病気だと思います。コメ一粒の罰というのは、罰は気づきであったのです。

コメと日本人

 穀物のある所に人が集まり、人が集まるところに文明が発生しています。人類の歴史を見渡してみると、穀物と人間、穀物と文明は切っても切れない関係性にあるようです。この穀物の消費量が、世界全体では増えているのですが、日本においては減っているのです。お米の消費量はこの70年間で約1/3ほどにまで減りました。少子高齢化により食べ盛りの子どもの数が激減していますから、お米だけでなく、その他の食も減ってきています。穀物を浪費して作り出される食肉(家畜肉)の消費量も減りだしましたから、穀物の消費量は減少の一途です。
 肉食が減ることはいろいろな面からよいことですが、日本人においてはお米そのものの消費量が減ることは陰にも陽にも問題が出てきます。日本人の腸内環境はお米を食べることで安定してきました。腸内細菌の主たるエサになるのはお米です。お米を食べないと本来の腸内細菌の働きをしないのです。便秘の原因の主たるものもお米不足です。さらには日本人だけでなく、人間の遺伝情報の大きなところにお米が大きく関わっています。動物の遺伝情報と植物の遺伝情報は多くの部分で共通性があるようですが、その中でも特に、人間の遺伝情報はお米の遺伝情報と重なるところが人間と植物間では一番多いといわれます。
 昨今の円売りから日本離れ・日本の衰退があらわになってきましたが、これは元をたどれば米を食べなくなったことに端を発していると私は考えています。食養の祖・石塚左玄は、人間は穀食動物といいましたが、文明という点からしてもまさにその通りなのです。
 お米は炭水化物だから太るなどといわれていますが、和食を食べてきた伝統的日本人に肥満の人はいませんでした。和食の基本であるご飯、みそ汁、漬物を中心に食べていたら、肥満体になることはまずないのです。日本人の肥満の原因は、身土不二でみて日本の環境にあわない肉食や砂糖食(現代は人工甘味料食)、脂肪食から来るものです。そして何より、和食を基本にしていると体と心が軽くなりますから、運動習慣がつくのです。キビキビと動くことが心地よくなってくるのです。ご飯、みそ汁、漬物を中心に食していると、この三種から日々のエネルギーを得ようとしますから、お米は白米よりも玄米に近いものを欲するようになります。
 食養をこれから始める人は、お米は食べやすいものから始めたらいいのです。白米でもいいと思います。白米が玄米よりもおいしく感じたら白米から食養をはじめたらいいのです。そのうちに、白米ごはん、みそ汁、漬物では物足らなくなってきて、白米に雑穀を入れた方がおいしくなったり、分搗き米がおいしくなったりしてきます。さら年月を経ていくと、玄米ごはん、みそ汁、漬物がおいしくなってくるのです。もちろん、季節、体調、年齢、男女、いろいろな条件次第で主食は微妙に変わってきます。それでも、ご飯、みそ汁、漬物を中心にしていけば大きく間違うことはないのです。
 マクロビオティックはその土地の伝統的な食と生活を基本にして、陰と陽という見方を生活・生き方に応用したものです。伝統を活かすという保守的生き方であるのと同時に、陰陽思考という変化を恐れない考え方を持ち合わせた革新的思考でもあると私は考えています。保守と革新も陰陽の関係だと思いますが、保守と革新、陰陽を併せ持っているのがマクロビオティックではないかと思うのです。
 日本人が本来の生命力をもって生きていくその基礎となるところに、お米を中心とする生き方が欠かせないと食養指導を通して確信したのです。

虫刺されと食養

 虫の季節がやってきました。蚊やハチに刺されたり、山に行けばさまざまな虫の攻撃(?)にあう時季になりましたね。
 多くの虫は人間と違って腸内が酸性で調和しています。人間は弱アルカリ性が安定した形ですから、逆です。人間と虫はある意味において陰陽の関係です。好むものが逆ですから、地球上で棲み分けをしていると言ってもいいのです。地球を大きく見渡すと虫と人間は共存しています。食べ物も住環境も違うわけです。体そのものが違う。
虫は酸性食品を好むわけですから、虫に刺されるということは身体が酸性化していたということです。虫に刺されやすいということは、体の体液をアルカリ化しなくてはなりませんよという、虫を通しての天からのアドバイスです。
 体をアルカリ化させてくれる代表は日本人にとっては梅ではないかと思います。
 体の左側をよく刺される人は陰性な酸化食品が多く、右側を刺されやすい人は陽性な酸化食品が多かったと、食養指導の体験からわかったことです。陰性な酸化食品の代表は夏場であれば冷たいアイスクリームや清涼飲料水でしょうか。陽性な酸化食品は焼肉やハンバーグ、卵焼きなど肉類ではないかと思います。
 手当ての食品は細かく見れば多々ありますが、シンプルな食アドバイスでは、左側を刺されやすい人には梅干、右側を刺されやすい人には梅肉エキスがいいと思います。もっとシンプルには梅干と梅肉エキスを少量ずつ食べてみて、おいしい方を摂れば体はスムースにアルカリ化します。どちらもおしくなかった人には違ったものが必要です。両方おいしければ適度に両方を毎日少量ずつ摂っていけばいいのです。
 蚊は体から発せられる炭酸ガスを目当てに集まるといわれます。しかし、最近では炭酸ガスだけでなくプラスアルファがないと蚊は集まるものでない、と言われるようになりました。そのプラスアルファが酸化物とニオイだと私は想像しています。
 鶏肉を食べ過ぎた時の体のニオイと、卵を食べ過ぎた時の体のニオイには違いがあります。動物性食品は体を酸化させますが、それぞれの種類によってニオイも違えば、発散される体の場所まで違うのです。
 トリの手羽を食べれば、それらのタンパク質は腕に優位に集まり、肩ロースを食べれば肩に優位に集まるものです。魚のタンパク質は下半身、特に足に集まりやすい。身体の特定の場所を集中的に刺されたなんていう時は、ある種の排毒反応をしていたと想像できるのです。
 肌からの手当て(外用手当て)をいくつか紹介します。
 蜂に刺されたら生の玉ねぎの汁を塗るとよいです。生の玉ねぎをすりおろし、絞って汁を取り出します。その汁をハチに刺された部分にすり込みます。針が残っているようならば取り除く必要があります。玉ねぎだけではありません。ごぼう、れんこん、大根の汁もよいです。長ねぎの青い部分のヌメリもよいです。ネギに含まれる硫化アリルが蜂の毒が引き起こす炎症や痛みを抑えるといわれます。よもぎ、オオバコ、ドクダミなどの野草を揉んで患部に貼っておくだけでも十分手当てできます。柿の葉を揉んで貼るのもよいです。蜂に刺された時はすぐに梅干を口にしたり、生姜を入れない梅生番茶を飲むと安心です。蜂に刺される前には果物や糖分を摂り過ぎていたことが多いのです。

デコさんの生き方Part2

 中島デコさんの自然体と命の全体観はどのように培われてきたのでしょうか?
 デコさんは東京生まれの東京育ちです。都会で育ってきたデコさんは学生時代に演劇をしていたといいます。演劇の先輩からマクロビオティックのことを教わり、十代からマクロビオティックを実践し始めたというのです。その先輩は橋本宙八さんといって、今ではマクロビオティックの重鎮・大御所の人です。橋本宙八さんのマクロビオティックの熱い想いがデコさんにもひそかに伝わったのではないかと思うのですが、当のデコさんは、どこ吹く風、自分の感性がマクロビオティックにビビッと来たというのです。
 デコさんはリマ先生(桜沢如一の妻)から食養料理を習っているのですが、お話し会前の打ち合わせの時に私が「リマ先生からの影響がマクロビオティックを続けてきた原動力になっていますか?」という質問をしたら、即答で「全然」とあっけらかんとして言うのです。私はこれがデコさんの素晴らしいところだと感じ入ったのです。私などは、文章や講演から、桜沢如一や大森英桜から大きな影響を受けて、マクロビオティックの道が始まりました。そして今も、その影響は大きく、自分の基礎を成していると思うのです。ところがデコさんは、そういったロジカルなところは「ほどほど」に、あくまで感性でそれを成してきたのです。ですからリマ先生への感想も、八十を過ぎたご高齢でありながらも「しなやかにかわいらしく、それでいて力強い女性」に驚き、マクロビオティックをしていたらこんな女性になれるんだという憧れを抱いたというのです。とはいえ、それよりもっと大事なことは感性だとデコさんは言いたいのです。
 東京生まれ東京育ちのデコさんが千葉の田舎で農的暮らしを営むようになったのは、感性優位のマクロビオティック生活をしていたからだといいます。マクロビオティックの基礎となっているのは、自然の植物であり、自然の植物から造られる食物です。日本人であれば田んぼからとれるお米や畑からとれる大豆や野菜、そして、みそ、しょうゆ等の発酵食品が私たちの食生活の基本になります。ただマクロビオティックを実践していたら、より自然に生きたいという想いが強くなってきて、それを実現したに過ぎないというのです。デコさんの自分の感性を実行に移すところに多くの人が憧れるのです。
 自分の感性を大切にマクロビオティックを実践していたらいつの日か、自然な農的暮らしをして、出産も育児も自然に行っていたというのです。その中で、人間関係も自然体、一期一会、「こだわらず、とらわれず、かたよらず」、Let it be「あるがまま」に暮らしてきたといいます。もちろん中島デコさんも人間ですから、喜怒哀楽あったといいます。それでも喜怒哀楽のすべてがいとおしく、中島デコという人間を作っていったのだと思います。人間の喜怒哀楽そのものが陰陽であり、自然であるのですから。
 デコさんは農的暮らしを基本にマクロビオティックを実践しながら、都会の生活では難しかった土と一体となる生活を実現していきます。デコさんの命の全体観は土と繋がる生活の中ら醸し出されてきたのではないかと思うのです。私たちはこの大きな大宇宙の中で生きています。地球という大地はこの宇宙を絶え間なく動いています。大きく見れば、大地そのものが宇宙であり、そこに住む私たちも宇宙そのものだと思うのです。土に触れ、土から育まれた植物の命をいただく生活を通して、「命はひとつ」であるという感性が育まれるものだと思います。
 都会的暮らしは農的暮らしが命を継続していくうえでなくてはならないものだと認識させてくれます。暮らしという点においては陰陽の関係でもあります。デコさんはこの都会的暮らし、農的暮らし、陰陽両方の暮らしを体験してきたのです。この陰陽の暮らしから感性を高め、自然体と命の全体観が培われてきたのではないかと思うのです。

デコさんの生き方

 去年の秋、マクロビオティックの先輩である中島デコさんがはじめて和道に来てくれて、ゆっくりいろいろとお話しする機会がありました。その時の話の中で、私がデコさんに「自然な生活しながら子育てしてきて、子育て大変でなかったですか?」と聞いたら、デコさんは「子育てって何?」と言うのです。「子育てそのものが生活だから、そんなに大変だったらできないよ」と言うのです。
 ライフワークバランスなんて言葉がありますが、ライフとワークが別物になっていると、その中のジレンマで、子育てや仕事が辛くなってくることがとても多いのではないかと思うのです。デコさんはライフでもなくワークでもなく、ただ生活を丁寧にしてきて、その中で生まれて来てくれた子どもたちと一緒に生活してきたのです。その生活の積み重ねの中で子どもたちは自然に成長して大人になっていったのではないかと思うのです。
 マクロビオティックを普及している人の中で、自分の子どもがその普及に携わることはなかなか珍しいのですが、デコさんは家族ぐるみでマクロビオティックの普及をしているのです。当の本人のデコさんは、マクロビオティックと言えるものでないと謙遜しますが、考え方・生き方はずばりマクロビオティックそのものだと思うのです。そんな生き方を成人した子どもたちも巻き込んで実践しているその秘密を知りたくて、先日「中島デコさんの自然な暮らし方・生き方」と称するお話し会と合宿を和道で開いたのです。当初はデコさんひとりで来るはずだったのですが、長女の子嶺麻さんも来てくれることになり、親子でのお話し会&合宿が実現したのです。子嶺麻さんには5人(二男三女)のお子さんがいて、そのうちの女の子3人を連れて来てくれました。デコさんチーム女子三世代で和道に来てくれたのです。
 合宿を通して、デコさんと子嶺麻さんの関係性、デコさんのお孫さん達との関わり、そしてデコさんの他の方への接し方をみていてあることに気づきました。デコさんの子どもたちがマクロビオティックという自然な暮らし方・生き方を実践するようになっているワケが、私なりにわかったのです。
 それはデコさんが人を魂のレベルで関わり、接しているからだと感じたのです。
 私たちは学歴や職歴、経歴、肩書などで人を判断しがちなところがあります。自分の子どもにさえ、いや自分の子どもだからこそ、学歴を積んで、いい職業に就き、いい経歴を積ませて、いい肩書を持たせて人並み以上の収入を得てほしい、などと考える親は少なくありません。ところがデコさんは、もちろん学歴や職歴を無意味・無価値と考えているわけではないと思うのですが、もっと大きな命としての魂の視点で子どもを含めて周りの人たちを見ているのです。この視点は、はじめ塾の和田先生もそうなのです。人の根源的な幸せというものを一番大事にしているのです。人間を含めてすべての動物がハダカで生れてきて、幸せになるために生きているのです。この根源的な命の視点を持っているのが自然なのです。
 多くの人が自然に接すると癒されるように、自然体の人に接すると人は癒されます。マクロビオティックも自然体で実践するところに、自然と人が集まってくるのです。それが自分の子どもであれば、継承していくことも自然であると思うのです。
 デコさんの無理のない自然な生活の積み重ねを見てきた子どもたちは、社会に出てそれぞれの人生を歩みながらも、いつしかデコさんと同じような生活に戻って、デコさんと同じようでいて違った感性でマクロビオティックを実践するようになっていったと思うのです。

戦争と文明と陰陽

 戦争が文明の変遷のターニングポイントになってきたことは歴史を見れば明らかです。歴史における「陰極まって陽、陽極まって陰」の「極まり」の多くが「戦争」であったことは否定しようのない事実です。しかし、その極まりを智慧によって乗り越えた歴史もあります。それがインドにおけるガンジーの行動です。
 英国からの独立を非暴力と不服従、そして断食によって乗り越えたのです。国同士の全面戦争に突入することなく、大いなる陰の力によって陽を静めたのです。
 戦争という外側からの危機感を、断食や非暴力という内面からの危機感を心身に与えることによって、戦争を回避したのではないかと思うのです。人間の歴史では危機が訪れないことは決してありません。危機感は生命現象には無くてはならないものです。断食によって心身に危機感を与えることで、「陰極まって陽、陽極まって陰」という体と心の状態を意図的に湧出させて、陰陽の調和を計ったと思うのです。
 断食は戦争を回避するうえでも、もっとも意味のある行いではないかと私は思うのです。戦争は陽性と陽性のぶつかり合いです。その陽性を陰性に静めるものに断食があると思うのです。
 イスラム教におけるラマダン(断食月)の断食は、熱帯・乾燥帯に住む人々の生理的、心理的な健康法にとどまらず、平和の基礎になっていたのではないでしょうか。キリスト教、イスラム教、仏教、神道、世界のそれぞれの宗教にはみな断食があります。慎みの最たるものが断食です。断食は憎しみや恨み妬み、憎悪の心を転換するものでもあるのです。
 断食による生命の危機感が喜びと楽しみを涌出します。「泥中の蓮」とはこういうことをも示しているのではないかと思うのです。
 何度も言いますが、戦争は陽性と陽性のぶつかり合いです。物欲の強い者同士の奪い合い、殴り合いの最たるものが戦争です。
 自己免疫疾患といわれる病気は、自分の細胞を自分の細胞が攻撃してしまう病気ですから、体の中で戦争が起こっていると言ってもいいでしょう。
 家庭の中でも女性があまりに物欲が強いと家庭を破壊します。女性が陰性を帯びなければ家庭生活はうまくいかない、と多くの人を見てきて思うのです。一方で男性が陰性すぎると、外で食べ物もお金も獲得できませんから、これまた家庭はまわっていかない。男は陽性をもってこそ力を発揮する、と思うのです。こんなことを書くと、いかにも古典的・封建的な考えと一蹴されそうですが、「いのち」を陰陽の目で観ると男女には本来の陰陽があるのです。
 陰性同士ならば戦争にはなりませんが、冷たい家庭生活と社会になります。家庭においても社会においてもほどほどの陰陽が中庸であって、平和であるのです。また中庸は陰陽ともに孕むものですから、世界の歴史はイロイロなことがあって中庸を保ってきたともいえます。とはいえ、今は何としても戦争に向かう矛(ほこ)をおさめなければなりません。
 食と生活、言葉によって陽の気はかならず陰に向かいます。食を正す人がひとりでも多く増えることで、社会のバイブレーションが中庸へと導かれると思うのです。禾本科である穀物を口にすることが平和への礎です。肉や卵、乳製品を摂れば摂るほど、陽性に偏り、体の内外の戦争を呼び込むと思うのです。とはいえ、動物食をする人を攻撃してはいけません。どんな人でも何かの縁によって今の食があるのですから。

『脳は歩いて鍛えなさい3』

またまた『脳は歩いて鍛えなさい』(大島清著 新講社刊)より
疲れたら、引き返せばいい
――歩けば脳にも体にもよいのは間違いない。だが、たとえば一日一万歩歩かなくてはならないとか、毎日十五キロメートル歩かなくてはならない、毎日一時間は歩かなくてはならないなどと、課題を課さない方がいい。うつうつとした気分を晴らそうと思って、とりあえず歩こうと思っている人はなおさらだ。いやになったら戻ればいいし、疲れたらバスに乗って帰ってきてもいい。気分が乗らないとき、わたしはそうする。
 歩いていてもっと違う場所を歩きたくなったら、電車に乗って移動することもある。臨機応変、伸縮自在がわたしの肩のこらない歩き方だ。
 生真面目すぎる人に歩くことを勧めると、「一日何歩以上歩くと効果がありますか?」というようなことを聞かれる。いくら体にいいからといっても、薬の処方箋ではない。「一日一万歩以上を、三回に分けて服用」などというような決まり事はないのだ。生真面目な人には、「とりあえず歩いてみて、いやになる前に帰ってくるというのはどうですか」と提案する。つまらなくなったらやめればいいし、疲れれば歩くのがいやになる。
 こんなふうに歩いているうちに、脳がいろいろなことを話し出す。「今日は気分がいいからもっと歩きたい」とか、「寄り道をして本屋に寄ってみよう」などといろいろなことを提案するはずだ。
 そんな声に素直に従えばいい。「いやになったから今日はもう帰ろう」と脳が言えば、「いやもう十分だけ」などとがんばらずに、きびすを返して戻ればいいのだ。
 どうもわたしたちはがんばりすぎる傾向がある。決めた目標は達成しないと気持ちの悪さを感じる。
 これが案外ストレスを溜めるもとになっていることもあるのだ。だから「とりあえず」歩くということもできる。「とりあえず」やる、ことにがんばる目標や記録はいらない。あの辺りまで行ってみようかという大まかな目安があればそれでいい。あくまでも目安だ。
 がんばらずに気楽に歩く。気分がうつうつとしたとき、憂さ晴らしに歩くのはこのくらいの感じがちょうどいい。

 歩くことは原始的な脳が司令塔になっています。食べることもまた、脳の中では歩くことと同じように、原始的な脳が司令塔になっているのです。上の文章で「歩く」ことを「食べる」に置き換えても、まったく問題ないのです。
 先日、和道の合宿に来られた女性で、「食箋を真面目にやり過ぎたら、うつ病になってしまった」という人がいました。何年も無月経だった彼女は、和道で断食をして食事を変えたら、何年振りかに月経が来たといいます。その喜びがあったからなおさら、食箋を踏み外してはまた無月経に戻ってしまうと思ったのでしょう。生真面目に食箋を完ぺきに実践したのです。その緊張が半年くらい続いた時に、張りつめた糸が切れるように、職場に行けなくなり、休職せざるえない心の状態になってしまったといいます。その休職中に、マクロビオティックに「さようなら」を言うために、和道にまた来たのです。
 彼女は最初に行った断食と食箋で成功体験をしたのですが、それが重しになって、心と体の声に耳を傾けるのが疎かになっていたのです。成功と失敗は陰陽の対のようなものですから、彼女の体験も必然であるのです。歩くことも食べることも、心と体の声に耳を傾けながら行うことが大事です。その彼女は、うつ病になるくらいまで実践したからこそ気づくことができたのです。歩くことも食べることも、アソビと間が必要です。車のアクセルやブレーキにも、アソビがあります。アソビの無い車には乗れたものではありません。生きることにアソビと間が大事なことを気づかせてくれるのも、歩くことであり、食べることだと思うのです。マクロビオティックに「さようなら」を言うために来た彼女は、あらためてマクロビオティックに「入門」したいと言って帰っていったのです。

『脳は歩いて鍛えなさい2』

 前回に引き続き『脳は歩いて鍛えなさい』(大島清著 新講社刊)より
気持ちがうつうつとしたら、とりあえず歩いてみよう
――脳内の神経伝達物質の一つであるセロトニンが注目されている。歩いているとセロトニンが増え、爽快感が増すからだ。たしかにセロトニンは精神安定剤とよく似た分子構造をもっていて、興奮や不快感をしずめる作用がある。うつうつとした気分は、セロトニンの欠乏によって引き起こされることもあるので、気分が晴れないときはセロトニンをふやす神経系を活性化させるため歩くといいだろう。
 ただし、漫然と歩いていてもセロトニン神経系は活性化せず、セロトニンも増えない。セロトニンは規則正しいリズム運動の中で活性化するとされているので、歩くことに集中し、筋肉を動かしていることを意識することが大切だ。散歩というよりは、エクササイズとしてのウォーキングに近い動きが、セロトニン神経系の活性化には適していると言えるだろう。
 もう一つ、セロトニン神経系は、太陽の光によって活性化される。だから、できれば朝のすがすがしい時間に、その日昇ったばかりのフレッシュな太陽光を浴びて歩きたい。朝の時間帯はセロトニンと同じ脳内神経伝達物質であるドーパミンも増えているから、本当なら何もしなくてもすがすがしいはずなのだ。

 和道の食養合宿ではウォーキングを中心とした合宿も開催しています。朝から晩まで歩き続ける合宿です。自分の体力に応じて、ちょっとがんばりながらも、自分のペースで歩き続けます。距離も自分が歩けるだけ歩き、途中辛くなったらヘルプを呼んで、車で迎えに来てもらいます。10キロくらい歩ける人、20キロくらい歩ける人、30キロ歩ける人、さまざまです。
 2021.9に開催したウォーキング合宿でのことです。この時、一番長い距離を歩いた人は32キロ。参加者は10代から30代の若い人が中心であったのですが、32キロ歩き切った人は、最高齢の50代後半の女性でした。この人は歩きながら呼吸法を研究して歩き、辛くなった時に呼吸のコツをつかむことで最後まで歩き切ったのです。
 私もこの女性に伴走して32キロ歩いたのですが、30キロ近くなってきたら、ランナーズハイのような、恍惚感が全身を包むのです。歩いているのでウォーカーズハイですね。足先から手先までものすごく温かくなり、お腹はもうポカポカに温まっています。
 実はセロトニンの最大生産場所は腸であるのです。腸が活性化するとセロトニンがたくさん造られて、さらにリズム的に歩くことによって、脳に安定的に供給されるのです。大島清さんが言われるように、「とりあえず歩いてみる」ことは何よりの心の安定につながります。そして。セロトニンの原料となるのが、ごはん、みそ汁、漬物です。みそ汁、漬物には旬の野菜と海藻を使いたいです。これらのシンプルな食事と歩くことで私たちは心穏やかに生きていけると思います。