春と肝臓

 肝臓には主に三つの働きがあるといわれます。
①胆汁の生産
②養分の貯蔵と流通
③毒素の分解
 食物中の脂肪分はすい臓から分泌される膵液によって消化分解されるのですが、脂肪分は炭水化物やタンパク質などよりも分解されにくく、その分解を補助するのが胆汁です。膵液によって消化分解された脂肪酸を腸内でより吸収しやすい形に変えるのも胆汁の働きです。脂肪分の摂り過ぎが肝臓に負担をかけるというのは、このためです。
 脂肪は植物性脂肪と動物性脂肪がありますが、圧倒的に消化分解が難しいのが動物性脂肪です。さらに動物性脂肪に含まれるホルモン剤や抗生物質などの毒素が肝臓に強烈なダメージを与えます。
 小腸で造られた血液と小腸から吸収された養分は門脈を通って肝臓に送られます。肝臓はそれらの血液と養分を貯蔵したり、必要に応じて全身に巡らせます。さらに肝臓は細胞から出た有害なアンモニアを害の少ない尿素に作り替える働きもしています。尿素はその後、腎臓に運ばれ、ろ過されて尿として排泄されます。肝臓と腎臓は血液をきれいにするうえでもっとも重要な臓器です。血液をきれいに保つうえで肝臓と腎臓はまさに「肝腎かなめ」なのです。
 肝臓に余力のある時は、食物から取り込まれた毒素は肝臓が分解してしまいますが、肝臓の余力が少なくなってくると毒素は肝臓に溜め込まれます。さらに肝臓の余力がなくなってくると毒素を消化分解できなくなってしまいます。「かなめ」である臓器が機能しなくなったら、私たちは日常を平穏に暮らしていけません。
 中国の陰陽五行説では春と肝臓は密接な関係があると説かれています。経験的、直感的に優れた古代の中国の人々が確立した五行説ですが、現代的に解釈しても春と肝臓の関係も強いものだと納得させられます。春は寒い冬が過ぎ、木々が次々と芽吹くように体の細胞も動きが活発になります。肝臓は体の中で一番大きな臓器であり、細胞がぎっしりと詰まった臓器です。心臓、腎臓、すい臓などとも比べても倍以上大きな臓器です。大きな臓器であればあるほど、春になり動きが活発となる細胞の数も増えるというものです。結果的に、腎臓の細胞よりも肝臓の細胞の方が、動きが活発になる量が圧倒的に多いのです。
 肝臓は英語でLiver。生き生きとした活動をつかさどる臓器が肝臓といってもいいでしょう。食肉でもおなじみのレバーも肝臓ですが、血液が多く、赤黒い色をしています。春になって血液循環が良くなれば、血液を大量に貯蔵する肝臓が活性化するのはよく理解できます。
 また、肝臓は肌のキメの細かさとも関係しています。肝臓がきれいな人は肌のキメも細かく、肝臓が悪い人はキメが荒いものです。黄疸になると肌が痒くなるということは現代医学的にもいわれているように、肝臓の状態と肌の状態は密接関係しています。ちなみに肌の色や血色に関しては腎臓との関係が深いのです。肝臓をいたわることは肌をいたわることで、肌をいたわる生活をすることは肝臓をいたわる生活をすることと等しいのです。
 肝臓と肌をいたわるのに、まず大事なことは睡眠です。肌の代謝が一番活発になるのは夜22:00~深夜2:00といわれています。この時間帯は、生命の何万年の営みにより、心臓や筋肉の動きが低下し、肝臓、腎臓、肌の代謝が高まる時間なのです。またこの間は副交感神経が優位となり毛細血管が開き、肌の血液循環が良くなり代謝が活発となる時間でもあります。このため夜22:00~深夜2:00の4時間は睡眠をとり、心臓や筋肉の働きを休め、副交感神経の働きを促すことが肌をきれいに保ち、かつ心身を安定させる生活上のコツなのです。早寝早起きは肝臓にとっても肌にとってもひじょうに大切なことです。

果報は寝て待て

 「果報は寝て待て」といいます。試験の結果などをハラハラドキドキしながら指をくわえて待っている、さらにはそれが高じて気を患って待っているよりも、寝て待っていたほうが体にも心にもよい、という諺です。しかし、さらに広げて考えると、私たちの生命の秩序を表現した言葉でもあると思うのです。
 例えば、病気を患い早く回復したいと願う気持ちは誰にもあるでしょう。回復したいという気持ちがなくては元も子もないわけですが、早く早くという焦り(アセリ)は禁物です。一般的には風邪をひいたぐらいでも病院にいってクスリを処方してもらい飲んでしまう。風邪の症状から一刻も早く逃れたい、ひどくなりたくないという気持ちがそうさせるのでしょうし、社会全体がそれらをよしとしている。しかし本来の生命は治る時がこなければ治らないし、治る状態にならなければ治らない。
 風邪ひとつとってみても、治るということは体の掃除がひと段落しなければ症状は治まらないわけです。症状だけ消したところで掃除が済んでいなければ治ったということにならない。せっかく風邪というありがたい反応で体の毒素を体外へ排出しようと細胞や組織に蓄積した毒素を血液に溶け出させて、セキ、鼻水、熱などの症状を出させてくれているのに、西洋医学のクスリは毒素を細胞や組織に戻して排毒をストップさせてしまう。結果、汚れた体をきれいにするという大きな問題(排毒)を先送りしているに過ぎないのです。
 「果報は寝て待て」といいますが、「排毒(症状)も寝て待て」というのが生命の秩序です。もちろん食っては寝て、食っては寝て腹いっぱいにして寝ることではありません。少食にして、というよりも排毒の時は自然と食べられなくなりますが、食養的な手当て・自然療法を適切に施して寝て待つということが肝腎ですし、排毒症状の緩和は“待つ”以外にありません。どんな病気でも“待つ”ことは一番重要なことなのです。
 将棋の羽生善治さんも将棋の対局で迷った時は、一見意味のないと思われるようなところに「歩」を打って、「待つ」ことが大事だといいます。英文学者でもあった故・外山滋比古さんは文章を書いたら、少し寝かせることが必要だと言います。書き上げてすぐに世に出すのではなく、一晩でもいいから寝かせて、次の日にでももう一度読み返してみることが重要だというのです。一日でも経つと頭が整理されて、客観的な視点が加味されるのです。文章の推敲に「寝待ち」を活用するのです。
 病気だけでなく、人生の様々な場面においても「寝て待つ」ことには意味があると思うのです。
 ところが、現代では先手必勝とばかりに、待つどころではなく、人間の持つ「転ばぬ先の杖」的な心理を利用したことがあまりに多いのに驚かされます。アメリカの有名な女優がガンになるリスクが遺伝的に高いからという理由で、ガンになってもいない臓器を摘出したというニュースは世間を騒がせました。コロナワクチンにおいても、まだ治験中だというのに、コロナ怖いを煽りに煽って、全国民に打とうとしています。コロナも風邪ですから、罹ることは、その人にとっては必要であったのです。そして、コロナも他の風邪と同様に、体が治る状態にならなければ治らないです。コロナにおいても「果報は寝て待て」ではないかと思います。

人生想いどおり

 和道に研修に来た人と一緒にウォーキングをしていた時です。その人は頸椎に腫瘍があって、慢性的な頭痛と首こり、肩こりに悩まされています。症状があるからやむを得ないのですが、私と一緒に歩いていても、事あるごとに「大変ですね」「大変ですね」という言葉が口から出てくるのです。自分の症状もさることながら、私の仕事のことを想ってくれても「大変ですね」というのです。自分のような難病の人のお世話をしてくれて「大変ですね」というのです。自分自身のことや私のことだけではありません。社会で話題になっていることが話しに出てきても、やはり「大変ですね」がよく出てくるのです。自分をみても、周りをみても、その人にとっては「大変」なことなのです。
 その人だけではありません。食養指導を通して多くの人と関わり、強く感じていることがあります。私たちの口から出てくる言葉というのは、血液や細胞が変化したものではないかと思うのです。血液や細胞に「大変」をたくさん抱えていたら、口から出てくる言葉にも「大変」が多分に含まれているのです。人の悪口や、憎まれ口も同じように、言っている本人そのものに悪いものや憎まれるものを抱えているのです。これは多くの人をみてきて感じることです。
 「大変ですね」という人と一緒に話しをしていて、私がこたえた言葉に、その人は驚いています。私の仕事も確かに大変なことも少なくありません。例えば、病気の人に生姜シップを何時間もするのですが、私は汗だくになりながら生姜シップをしますから、ある意味では重労働です。しかし、視点を変えると、生姜シップをさせてもらう私も血流が良くなるのです。先日、合宿の皆さんと温泉に行って、温泉施設にある血流測定器で血流を測ったら、私の血流は20代くらいだというのです。40半ばのおじさんがみんなのために生姜シップをしていたら、血流が良くなって20代の青年と同じくらいの血流になっているのですから、本当にありがたいことです。
 このことを「大変」と見るか、「ありがたい」と見るかで人生は大きく変わってくるのです。「大変だ」「大変だ」と想っていれば、大変になってくるでしょう。「ありがたい」「ありがたい」と想っていたら、ありがたい人生になっていくのです。人生は想いどおりです。
 この想いをどう人生を豊かにする方に持っていくか。これが問題です。
 言葉は血液や細胞が変化したものではないかと言いましたが、言葉は想いが口から出てきたものですから、想いもやはり血液や細胞から生れているのではないかと思うのです。豊かな人生を育む想いが湧出するような食と生活を送ったらいいのです。自分自身の想いが人生を豊かにしてくれるようなそんなものであったならば、その人の食と生活はその人にとって合っているのです。
 しかし、「大変だ」とか「死んでしまいたい」、「消えてなくなってしまいたい」などという想いが出てくるのであれば、想いの元になっている血液と細胞を変えていかなくてはなりません。それにはまず、食と生活を変えることです。食べ方と生き方の革命をすることです。そういう点では、ネガティブな想いが出てくるというのはチャンスでもあるのです。人生の方向転換ができるいいチャンスなのです。
 和道では毎月、食養合宿をしています。これは人生転換のいい時になっています。人は体が変わってくると言葉が変わってきます。言葉が変わるということは、想いが変わってくるのです。人生想いどおりです。

行動は運命を変える

 以前私が代表を務めていた「こくさいや」で働いていた男性スタッフが父の天恵の里(自然農園)に手伝いに来た時のことです。春のうららかな日でしたが、北からはまだ冷たい風が吹いていました。
 そんな時季には、麦がしっかり根を張るように「麦踏み」をするのです。麦はまだ青く、葉は地上から10~20cmほどしか伸びていません。その時期に大切な作業なのです。麦はまだ若葉の、いわゆる青少年の、時季に踏まれないとしっかり根を伸ばすことができません。人間も同じで、昔から「若い時の苦労は買ってもせよ」というのは、本当ではないかと思います。こくさいやの男性スタッフと私たち数人で「麦踏み」をしたのですが、彼はその作業にいたく感動しているのです。麦を踏むという単純な作業なのですが、何とも言えない幸福感があったというのです。
 彼はその「麦踏み」に感動を覚えて、その後、農的暮らしを志すようになったのです。その数年後にこくさいやを辞めた彼は、長野で子育てをしながら夫婦で農的暮らしをするようになります。麦を踏むという感覚が農的暮らしに導いていったのです。
 私たちの感覚の主だったものは五感であるのですが、この五感は自然と私たちを繋ぐ道ではないでしょうか。もっといえば、五感は私たちの核とつながる道であると思うのです。この五感を通して得たものこそが、私たちの本当の力になると思うのです。それも五感をフル活動させるような行動が大切です。見る(視覚)、聞く(聴覚)、嗅ぐ(嗅覚)、触れる(触覚)、味わう(味覚)、この五つの感覚をまんべんなく活性化させることが大事なのです。
 自然の中で生活するとこの五感が開かれていくのを感じることができるのです。生活ということですから、生きた活動でなくてはなりません。生き活き、とした活動です。行動することであるのです。行動することが五感を活性化させ、私たちの閉じてしまった感性を開かせてくれるのです。五感が開放されてくると、私たちは自然とのつながりをより強く感じることができるようになります。
 空気を読むとか、空気が読めない、などと言われます。ここでいう空気というのは身の回りの人々の意識・感覚であり、ある種の集合意識・集合感覚ということではないかと思います。この空気というのも大きく見ると自然という見方もできると思うのです。ですから私たちの感性が自然とつながったものになったならば、この空気というものへの感度も上がるはずなのです。空気を読むこともできるようになると思うのです。
 動くことは静かにとどまることに比べて陽性です。静と動は陰陽の関係です。私たちの身体は、体は陽性、頭は陰性で調和的と考えます。いわゆる頭寒足熱。山も上に行けば行くほど涼しくなってきます。体はキビキビと動き、頭は冷静に考えることができるのが理想です。スポーツでいうゾーンという状態は、ものすごく冷静でいながら、体は不思議とどんな動きもできる状態です。心技体すべてが一つになった状態です。
 行動は陽性です。体は行動によって陽性化します。体を陽性化させていくと、食は本来、陰性なものを欲するのです。本来と言ったのは、私たちは何か目的を作りますから、例えばスポーツで筋肉をつけようと考えてたんぱく質を必要以上に摂ると、本当は陰性なものを体は欲しているのに、陽性なものを摂ってしまうということが、この一例以外にも数多くあるのです。食は本来、感覚的であるのですが、知識的に考えてしまうのです。体の声を聴かずに、他の声を聴いてしまっているのです。
 私たちの核心を変えてくれるのが実際の行動です。行動こそが運命を開くものです。行動して体が陽性化してくると、自然に陰性な食を欲して、頭は陰性になってくるのです。ですから私たちは自分が思っている以上に動いた方がいいのです。動いて動いて、ただひたすらに行動していると、不思議と運命が開いていきます。

コメと判断力

 江戸時代から比べると現代人のコメの消費量は約1/3ほどに減ってきていることが統計からわかるのですが、このことは単に食生活が変化したという一言では済まされない大きな問題を孕んでいるのです。それは、下の図で示すように、咀嚼回数が減ることで判断力が鈍くなることをマウスとラットの研究からわかっているのです。
 人間においても柔らかいものばかりを食べていると咀嚼回数が少なくなり、脳への刺激が少なく、脳の神経細胞の発達が鈍くなるのではないかと思うのです。
 精米技術が発達したのは元禄時代(西暦1700年前後)の江戸といわれます。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代に江戸の中心では精米技術が発達したことで玄米から白米に変わっていったといいます。とはいえ、現代ほどの精米技術はなく、白米といっても実際は現代でいう分搗き米(五分搗き位ではないかといわれています)を食べていたといいます。
 「江戸わずらい」と呼ばれる脚気が流行りだしのは江戸の中心部からでした。江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調が悪くなることが多くなったのが元禄時代なのです。そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことから、この病を「江戸わずらい」といったのです。地方(故郷)では玄米食が中心だったのです。
 江戸の中心では白米(分搗き米)であっても、全国的には玄米か少しだけ精白した一分搗き米を食べていたようです。コメが十分とれない地域ではコメに雑穀を混ぜて食べていたといわれます。江戸時代は日本人全体がいわゆる茶色い飯を食べていたのです。精米技術の発達が全国に及び、白米が食べられるようになったのは明治になってからといわれます。それでも、貧しい地域では白米にしたら多くの糠を捨ててしまうことから、戦後の高度経済成長期くらいまで茶色っぽい飯を食べていたのが現実なのです。
 江戸時代までは年間一人一石(約160キロ)の玄米を食べていたということは、ものすごい咀嚼回数だったと想像できます。現代ではその主食が白米になり、さらにコメの消費量は1/3に減り、コメの代わりに小麦の麺やパン(やわらかい)になりましたから、その咀嚼回数たるや、江戸時代からは激減したことは想像に難しくありません。そんな現代人の判断力はどんなものでしょうか?
 民主主義とはいっても、その民たる私たちがしっかりとした判断力を持っていなければ、政治は本来の働きをしないのではないかと思うのです。

コメ一粒からみえる景色

 日本人にとってのコメは単なる食糧ではなく、命そのものだと私は感じています。明治生まれの曾祖母が「コメ一粒を大事にしなければ罰があたる」と言ったのは、「命を大事にしなさい」という戒めだったと思うのです。それを私は、多くの病気の人をみてきて、コメ一粒を大事にすることがいかに大事かということを気づかせていただきました。コメ一粒への私たちの姿勢が、自分の病気だけでなく、子々孫々へ影響しているのです。不思議なことですが、本当のことだと思います。
 日本人にとってのコメは中庸を代表する食物ではないかと食養(マクロビオティック)では考えています。お米を中心に食べていると陰にも陽にも偏らず、中庸を維持することがとても安易だと思うのです。栄養学的にもコメは、穀物の中では飛びぬけて、必須アミノ酸やビタミン・ミネラルが豊富です。実際に食養指導を通して、コメを中心に食べていると心身ともに安定するのですが、コメが少なくなったり、コメを食べない食事を長く続けていると心身の問題が大きくなってくるのを数多く目の当たりにしています。
 前回のブログで、コメ一粒を大事できない人や家族に難病・奇病が多いということを書きましたが、体が陰陽どちらからに大きく偏ってくるとおコメが入りづらくなるのです。おコメをおいしく食べられるということは中庸な体であるのですが、陰陽どちらかに偏ってくるとおコメがおいしくなくなってくるのです。陰に偏ってくると陽のものがおいしくなり、陽に偏ると陰のものがおいしくなるのです。中庸は陰陽両方を孕む、という点もありますから、おコメは中庸なので、陰陽どちらかに偏ってもそれなりにおコメは食べられるのですが、それでもおコメばかり食べて満足するということにはなりません。その結果、おコメは少量になり、おかずが多くなるのです。これは現代人の少なくない人たちがそのような食生活になってしまっているのです。
 食養では昔から、ご飯三箸にお菜(おかず)一箸、と言って、お米を中心に食べることを基本としていました。おコメが三に対しておかずが一です。昔の日本では一汁一菜が日々の食事の基本であったのです。これだけみると何とも貧しい時代だと感じるかもしれませんが、この食事で日本人は永続的に健康を保ってきたのです。現代のように多発する病気はほとんどなかったのです。
 このコメ中心の食生活は第二次世界大戦前まで続いていましたが、思想信念をもって続けてきたのは幕末までです。明治維新以降は、西洋的な思想が大きくなって、コメの代わりに肉食が少しずつ増えてきました。おコメは食糧としても安定的に収穫できるだけでなく、栄養学的にも生理学的にも心身の安定を保つのに最も優れた食べ物です。ですから、おコメを中心に食べる民族は短兵急に変化することはなく、その変化もゆっくりとしているのです。日本人の気質として、急激な変化を好まず、ゆるやかな変化を好むというのは、おコメを食べてきた民族の特徴といえるのです。
 このおコメの消費量が戦後ものすごい勢いで減ってきているのです。戦後直後から比べると現代は一人換算で約1/2にまで減ってきているようです。戦後直後は一人年間120キロ近く食べていたようですが、現代はそれが50キロほどです。その昔、おコメの単位で一石というのがありましたが、一石というのは一人が一年間食べていける量を指したといいます。一石は一升ますが百ですから、百升ということになります。一升は現代では1.6キロくらいですから、一石は約160キロになります。江戸時代までは一年間一人160キロくらいのコメを食べていたのです。現代人は江戸人と比べると1/3ほどしかおコメを食べていないのです。その代わりに陽性な肉・乳製品・卵などの動物性がものすごい増えて、その反動で砂糖や人工甘味料・果物などの陰性食品も激増したのです。

コメ一粒

 小さい頃、明治生まれの曾祖母と一緒にいることが多かったのですが、その曾祖母がしばしば、食事の後のご飯茶碗に一粒でもご飯粒が残っていると「罰が当たる」と言って、キツク注意されたことをよく覚えています。子どもながらにどんな罰が当たるのだろうかと思っていました。それが食養指導をやってきて、多くの人をみさせていただくなかで、コメ一粒の罰というものがどんなものなのか、わかるようになってきたのです。
 私の道場(和道)では毎月、断食合宿をしていますが、その合間に泊まり込みの食養個別指導をしています。個別指導に来られる人たちは、合宿についていけない人がほとんどですから、比較的病気の重い人が多いのです。歩くのがままならい人、付き添いの人がいないと動けない人も多く来られます。寝たきり完全介護の方は移動が難しいですから、今のところ和道にはご縁はないのですが、国が難病指定している病気をいくつも抱えていたり、病名もつかない難病奇病の人も来られます。
 これらの人たちをみていて共通するのが、食事の後のご飯茶碗をみると、コメ一粒どころでなく、沢山の食べ残しがあるのです。手指の動きがわるくて食べられない、という人もいるのですが、ほとんどの人が注意をすれば全部食べられるようになりますから、食べ残しが普段の習慣になってしまっているのです。子どもの病気で親や祖父母が付き添いで来られる方もいますが、その親や祖父母も食べ残しが習慣化している人も多いのです。病気の本人だけでなく、その親や祖父母にも食べ残しが多いのです。無意識のうちに食べ残し、平気で捨ててしまっているのです。
 そのような家庭で育ってくると、コメ一粒までキレイに食べるという習慣の方がむしろ奇異に感じられると言っている人もいました。
 コメ一粒まで大事にするという習慣のない人たちや、その子孫に難病・奇病が多いという傾向があるのに気づいてから、私はいろいろと考えました。その結論のひとつが、コメ一粒まで大事にできない人たちは、「本当の空腹」を知らないのです。それほどお腹が空かずとも、時間が来たら食べる、という感じなのです。飢えを知らないのです。食べ物のありがたさを知らないのです。
 オートファジー(自食細胞)理論では、細胞が飢えると古くなった自分の細胞の一部を食べて、新しいキレイな細胞に作り変えるといいます。コメ一粒まで大事にできない人たちはこのオートファジーの力が弱いと思うのです。だから、古くなった細胞が積み重なって、難病奇病を引き起こしていたのではないかと思うのです。
 昔の人はオートファジー理論は知らずとも、経験的、直感的に「コメ一粒」を大事にすることで子々孫々の健康を願っていたのではないでしょうか。
 一事が万事といいますが、コメ一粒を大事にすることは、命そのものを大事にすることに繋がると思うのです。大和言葉ではコメは込命(コメ)、命が凝縮して込められている状態をさします。コメは命そのものなのです。その命を軽視し、ないがしろにしていると、病気というものが与えられて、気づきを促しているのではないかと思うのです。
 病気は気づきです。生き方転換の気づきが病気だと思います。コメ一粒の罰というのは、罰は気づきであったのです。

コメと日本人

 穀物のある所に人が集まり、人が集まるところに文明が発生しています。人類の歴史を見渡してみると、穀物と人間、穀物と文明は切っても切れない関係性にあるようです。この穀物の消費量が、世界全体では増えているのですが、日本においては減っているのです。お米の消費量はこの70年間で約1/3ほどにまで減りました。少子高齢化により食べ盛りの子どもの数が激減していますから、お米だけでなく、その他の食も減ってきています。穀物を浪費して作り出される食肉(家畜肉)の消費量も減りだしましたから、穀物の消費量は減少の一途です。
 肉食が減ることはいろいろな面からよいことですが、日本人においてはお米そのものの消費量が減ることは陰にも陽にも問題が出てきます。日本人の腸内環境はお米を食べることで安定してきました。腸内細菌の主たるエサになるのはお米です。お米を食べないと本来の腸内細菌の働きをしないのです。便秘の原因の主たるものもお米不足です。さらには日本人だけでなく、人間の遺伝情報の大きなところにお米が大きく関わっています。動物の遺伝情報と植物の遺伝情報は多くの部分で共通性があるようですが、その中でも特に、人間の遺伝情報はお米の遺伝情報と重なるところが人間と植物間では一番多いといわれます。
 昨今の円売りから日本離れ・日本の衰退があらわになってきましたが、これは元をたどれば米を食べなくなったことに端を発していると私は考えています。食養の祖・石塚左玄は、人間は穀食動物といいましたが、文明という点からしてもまさにその通りなのです。
 お米は炭水化物だから太るなどといわれていますが、和食を食べてきた伝統的日本人に肥満の人はいませんでした。和食の基本であるご飯、みそ汁、漬物を中心に食べていたら、肥満体になることはまずないのです。日本人の肥満の原因は、身土不二でみて日本の環境にあわない肉食や砂糖食(現代は人工甘味料食)、脂肪食から来るものです。そして何より、和食を基本にしていると体と心が軽くなりますから、運動習慣がつくのです。キビキビと動くことが心地よくなってくるのです。ご飯、みそ汁、漬物を中心に食していると、この三種から日々のエネルギーを得ようとしますから、お米は白米よりも玄米に近いものを欲するようになります。
 食養をこれから始める人は、お米は食べやすいものから始めたらいいのです。白米でもいいと思います。白米が玄米よりもおいしく感じたら白米から食養をはじめたらいいのです。そのうちに、白米ごはん、みそ汁、漬物では物足らなくなってきて、白米に雑穀を入れた方がおいしくなったり、分搗き米がおいしくなったりしてきます。さら年月を経ていくと、玄米ごはん、みそ汁、漬物がおいしくなってくるのです。もちろん、季節、体調、年齢、男女、いろいろな条件次第で主食は微妙に変わってきます。それでも、ご飯、みそ汁、漬物を中心にしていけば大きく間違うことはないのです。
 マクロビオティックはその土地の伝統的な食と生活を基本にして、陰と陽という見方を生活・生き方に応用したものです。伝統を活かすという保守的生き方であるのと同時に、陰陽思考という変化を恐れない考え方を持ち合わせた革新的思考でもあると私は考えています。保守と革新も陰陽の関係だと思いますが、保守と革新、陰陽を併せ持っているのがマクロビオティックではないかと思うのです。
 日本人が本来の生命力をもって生きていくその基礎となるところに、お米を中心とする生き方が欠かせないと食養指導を通して確信したのです。

虫刺されと食養

 虫の季節がやってきました。蚊やハチに刺されたり、山に行けばさまざまな虫の攻撃(?)にあう時季になりましたね。
 多くの虫は人間と違って腸内が酸性で調和しています。人間は弱アルカリ性が安定した形ですから、逆です。人間と虫はある意味において陰陽の関係です。好むものが逆ですから、地球上で棲み分けをしていると言ってもいいのです。地球を大きく見渡すと虫と人間は共存しています。食べ物も住環境も違うわけです。体そのものが違う。
虫は酸性食品を好むわけですから、虫に刺されるということは身体が酸性化していたということです。虫に刺されやすいということは、体の体液をアルカリ化しなくてはなりませんよという、虫を通しての天からのアドバイスです。
 体をアルカリ化させてくれる代表は日本人にとっては梅ではないかと思います。
 体の左側をよく刺される人は陰性な酸化食品が多く、右側を刺されやすい人は陽性な酸化食品が多かったと、食養指導の体験からわかったことです。陰性な酸化食品の代表は夏場であれば冷たいアイスクリームや清涼飲料水でしょうか。陽性な酸化食品は焼肉やハンバーグ、卵焼きなど肉類ではないかと思います。
 手当ての食品は細かく見れば多々ありますが、シンプルな食アドバイスでは、左側を刺されやすい人には梅干、右側を刺されやすい人には梅肉エキスがいいと思います。もっとシンプルには梅干と梅肉エキスを少量ずつ食べてみて、おいしい方を摂れば体はスムースにアルカリ化します。どちらもおしくなかった人には違ったものが必要です。両方おいしければ適度に両方を毎日少量ずつ摂っていけばいいのです。
 蚊は体から発せられる炭酸ガスを目当てに集まるといわれます。しかし、最近では炭酸ガスだけでなくプラスアルファがないと蚊は集まるものでない、と言われるようになりました。そのプラスアルファが酸化物とニオイだと私は想像しています。
 鶏肉を食べ過ぎた時の体のニオイと、卵を食べ過ぎた時の体のニオイには違いがあります。動物性食品は体を酸化させますが、それぞれの種類によってニオイも違えば、発散される体の場所まで違うのです。
 トリの手羽を食べれば、それらのタンパク質は腕に優位に集まり、肩ロースを食べれば肩に優位に集まるものです。魚のタンパク質は下半身、特に足に集まりやすい。身体の特定の場所を集中的に刺されたなんていう時は、ある種の排毒反応をしていたと想像できるのです。
 肌からの手当て(外用手当て)をいくつか紹介します。
 蜂に刺されたら生の玉ねぎの汁を塗るとよいです。生の玉ねぎをすりおろし、絞って汁を取り出します。その汁をハチに刺された部分にすり込みます。針が残っているようならば取り除く必要があります。玉ねぎだけではありません。ごぼう、れんこん、大根の汁もよいです。長ねぎの青い部分のヌメリもよいです。ネギに含まれる硫化アリルが蜂の毒が引き起こす炎症や痛みを抑えるといわれます。よもぎ、オオバコ、ドクダミなどの野草を揉んで患部に貼っておくだけでも十分手当てできます。柿の葉を揉んで貼るのもよいです。蜂に刺された時はすぐに梅干を口にしたり、生姜を入れない梅生番茶を飲むと安心です。蜂に刺される前には果物や糖分を摂り過ぎていたことが多いのです。

デコさんの生き方Part2

 中島デコさんの自然体と命の全体観はどのように培われてきたのでしょうか?
 デコさんは東京生まれの東京育ちです。都会で育ってきたデコさんは学生時代に演劇をしていたといいます。演劇の先輩からマクロビオティックのことを教わり、十代からマクロビオティックを実践し始めたというのです。その先輩は橋本宙八さんといって、今ではマクロビオティックの重鎮・大御所の人です。橋本宙八さんのマクロビオティックの熱い想いがデコさんにもひそかに伝わったのではないかと思うのですが、当のデコさんは、どこ吹く風、自分の感性がマクロビオティックにビビッと来たというのです。
 デコさんはリマ先生(桜沢如一の妻)から食養料理を習っているのですが、お話し会前の打ち合わせの時に私が「リマ先生からの影響がマクロビオティックを続けてきた原動力になっていますか?」という質問をしたら、即答で「全然」とあっけらかんとして言うのです。私はこれがデコさんの素晴らしいところだと感じ入ったのです。私などは、文章や講演から、桜沢如一や大森英桜から大きな影響を受けて、マクロビオティックの道が始まりました。そして今も、その影響は大きく、自分の基礎を成していると思うのです。ところがデコさんは、そういったロジカルなところは「ほどほど」に、あくまで感性でそれを成してきたのです。ですからリマ先生への感想も、八十を過ぎたご高齢でありながらも「しなやかにかわいらしく、それでいて力強い女性」に驚き、マクロビオティックをしていたらこんな女性になれるんだという憧れを抱いたというのです。とはいえ、それよりもっと大事なことは感性だとデコさんは言いたいのです。
 東京生まれ東京育ちのデコさんが千葉の田舎で農的暮らしを営むようになったのは、感性優位のマクロビオティック生活をしていたからだといいます。マクロビオティックの基礎となっているのは、自然の植物であり、自然の植物から造られる食物です。日本人であれば田んぼからとれるお米や畑からとれる大豆や野菜、そして、みそ、しょうゆ等の発酵食品が私たちの食生活の基本になります。ただマクロビオティックを実践していたら、より自然に生きたいという想いが強くなってきて、それを実現したに過ぎないというのです。デコさんの自分の感性を実行に移すところに多くの人が憧れるのです。
 自分の感性を大切にマクロビオティックを実践していたらいつの日か、自然な農的暮らしをして、出産も育児も自然に行っていたというのです。その中で、人間関係も自然体、一期一会、「こだわらず、とらわれず、かたよらず」、Let it be「あるがまま」に暮らしてきたといいます。もちろん中島デコさんも人間ですから、喜怒哀楽あったといいます。それでも喜怒哀楽のすべてがいとおしく、中島デコという人間を作っていったのだと思います。人間の喜怒哀楽そのものが陰陽であり、自然であるのですから。
 デコさんは農的暮らしを基本にマクロビオティックを実践しながら、都会の生活では難しかった土と一体となる生活を実現していきます。デコさんの命の全体観は土と繋がる生活の中ら醸し出されてきたのではないかと思うのです。私たちはこの大きな大宇宙の中で生きています。地球という大地はこの宇宙を絶え間なく動いています。大きく見れば、大地そのものが宇宙であり、そこに住む私たちも宇宙そのものだと思うのです。土に触れ、土から育まれた植物の命をいただく生活を通して、「命はひとつ」であるという感性が育まれるものだと思います。
 都会的暮らしは農的暮らしが命を継続していくうえでなくてはならないものだと認識させてくれます。暮らしという点においては陰陽の関係でもあります。デコさんはこの都会的暮らし、農的暮らし、陰陽両方の暮らしを体験してきたのです。この陰陽の暮らしから感性を高め、自然体と命の全体観が培われてきたのではないかと思うのです。